無能の朝
瞼の外に朝の気配を感じて、僕は力なく目を開けた。埃っぽいこの屋根裏部屋には、明り取りの窓が、天井に一か所設けられているだけだ。そこから差し込む光が、埃の粒に反射して、まるでカーテンのように揺らめいている。
またこの世界か。僕は小さくため息をついた。脳裏には、昔の朝がよぎる。都会の真ん中で、小さくて新しいワンルームのマンションを借り、朋美と過ごしていたあの頃。僕は、朋美に揺さぶられて毎朝6時に起きていた。僕は早朝が苦手で、朝は不機嫌だった。
「ほらほら、病院遅刻しちゃうよ」
朋美は朝の不機嫌な僕には慣れていて、それを全く気にしない女性だった。そして目覚めた僕を、彼女は自慢の朝餉の香で刺激する。小さなキッチンの横には、小さなテーブルが一つ。そして、キッチンに向かって横並びに、小さな木の椅子が二つ。ここが僕達二人の指定席だった。
朋美の作るごはんは、素朴で家庭的で、懐かしい味。しかし、妙に旨い。旨さだけが度肝を抜くぐらいだった。何の変哲もないのに、想像できないぐらい旨い。このギャップが不思議で不思議で、僕は毎朝こう言っていた。
「旨い。これ、どうやって作るの?」
すると朋美はニヤリと笑いながら決まったように言う。
「ナイショ」
このかつての、毎日のようにあったはずの朝こそが、「幸福」だったんだと今は悔しいほどにわかる。
涙が出るのか出ないのか、はたまたため息が出るのか出ないのか、なんともいえないむずがゆさを感じていると、粗野な振動と無神経な音がリズミカルに響いてきた。この宿の女主人の足音だ。
やがてその音は止み、粗末な板張りのベッドの横にある扉が勢いよく開かれる。そして、麻の袋が投げ込まれる。
「食えよ、この無能」
女主人はそれだけ吐き棄てるように言うと、扉も閉めずに階段を下りていく。
これが今の僕にある朝だ。無能の、朝だ。