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38.叫び



目が覚めた。瞼を閉じててもわかるほど、外が明るい。瞼の裏側が白く映えている。人々の熱気が伝わってくる。あぁ、成功したんだ、と直感する。


 目を開けて、体を起こす。街だ。茶色く、幻想的にキラキラと光り輝く街。


「詩織」


 呟いてみる。詩織はここにはいない。


 じゃあ、どこに? やっぱり丘の上? 丘の上だとしたら、ここから丘までどれくらいかかる? ミウちゃんが使っていた筋斗雲を使えば、詩織の元まですぐに着くだろうか。


 打開策を考えながらすくりと立ち上がった時、ポンッという間抜けな音と共にサリエルが現れた。ドッドの目が困惑したように揺れている。


『堀川梨沙様……。先ほど生き返ったばかりなのに、どうして』


「サリエル。詩織はまだ丘にいるの?」


『……いえ、小南詩織様は安心安全なこの街の病院で休んでおられます』


「その場所に連れてって」


『ですが……』


「あたし、アイツに言ってやりたいことがあるの。アイツに生き返ってもらわないと困るの。無限地獄なんか行かれたら、困るのよ」


『……かしこまりました。私めも小南詩織様を無限地獄に連れていくことは本意ではありません。それに、このまま起きないで最後の審判を迎えたら、私の監督不行き届きというで神々に大目玉を喰らう羽目になる』


 サリエルは体全体をぶるりと震わせたあと、頷いた。


『梨沙様が起こしてくれるというならば、私も助かります。さ、私についてきてください』


 サリエルが先導を取る。梨沙の隣にはいつの間にか馬がいた。茶色くてすべすべした毛並みのいい馬だ。これに乗ってついてこい、ということだろう。


 梨沙は馬に跨る。馬に乗るのなんて小学生の頃のポニー体験以来なのに、スルリと乗ることができた。この世界は全て思い通りに行くのだと、実感させられる。


 詩織。


 梨沙はざわつく気持ちに耐えていた。何もかもに絶望し切った目元。言葉を発しない唇。血の気の通っていない真っ白な顔。思い出すたび、胸が詰まる。


 死ぬなんて、絶対許さない。だから、待ってて。


 梨沙は馬にしがみつき、街の中を走る。馬の駆ける音が、耳の奥に響いた。


『そろそろですよ』と、無機質な声が言った。猛スピードで走っていた馬の足が緩やかになる。梨沙は景色に目をやった。


「ここが、病院……」


 長屋のような木造建築の建物がそこにあった。どこぞの武家屋敷のように大きいが、造りがだいぶ古い。ボロボロだ。平屋に格子戸、格子窓。瓦屋根は提灯の光が当たり、きらりと光っている。古すぎて重要文化財に指定されててもおかしくないくらいの趣だ。病院と呼ぶには、あまりに心許ない。


 馬が入口と思われるところでピタリと止まる。ひょいっとサリエルが梨沙の顔の前に身を乗り出してきた。


『オンボロ、とか思っているのでしょう? これは堀川梨沙様の理想の街として現れた病院です。決して、この世界の病院が古いわけではありません。誤解なきよう』


「あ、そっか……」


 そういえば、そうだった。ミウとともに一緒に行った学校も梨沙の視点ではオンボロの校舎だった。見る人によって変わる世界。いまだに慣れない。


 サリエルをどかし、もう一度、建物を見る。格子戸はぴたりと閉められ、人の出入りしている気配がまるでない。この建物が、まるごと人の気配を呑み込んでしまったみたいだ。


「本当に、この建物の中に詩織がいるの?」


『ええ』


「すごく、静かだね」


『理想郷ですからね。わざわざ患者として病院に通う人はあまりいないんです。……といっても、この中にはたくさんの人がいますよ。病院で働くのが好きな人、病気を持っていることが好きな人、そういった類の人たちが入り浸っているんです』


 好きこのんで病気になりたがる人がいるわけ? そんなアホみたいなことがある?


 そう言い放とうと思ったけれど、梨沙は口をつぐんだ。


 この世にはいろんなものを抱えている人がいる。一見理解できないようなことでも、みんなそれぞれの事情があり、それぞれの想いがあるのだ。表面だけを見て、簡単に「アホみたい」と言うことはどれほど愚かなことだろう。


 さわさわと風が吹く。街路樹の枝が揺れた。


「……よし、行こう。詩織のところまで案内して」


 梨沙は格子戸をガラリと開けた。ブワッと風が通り抜ける。中から人々の熱気とカランカランと金属同士がぶつかり合う音が伝わってくる。


『こちらでございます』


 サリエルがズカズカと建物内に入っていく。梨沙はそれに続いた。長細い道をまっすぐ歩いて、階段を上る。三階に着くと、目の前に大きな両扉のドアが見えた。人が入るのを拒むように、ぴったりと閉め切られている。


『こちらの部屋に小南詩織様が……』


 サリエルが言い切る前に、ドアを開けていた。


 大きく広い部屋の真ん中に鉄製のベッドがポツリと置かれている。それ以外、この部屋には何もなかった。シンプルで、薄暗くて、無機質で、冷たくて、趣味が悪い。


 梨沙は唯一のベッドに走り寄る。そこには美しい少女がいた。ベッドの布団から、可愛らしい詩織の顔が覗く。健やかな顔をして、すやすやと眠っているのだ。


「全然、苦しそうじゃない。ねぇ、サリエル。詩織はただ、眠ってるだけなんじゃ……」


『いいえ。詩織様の意識は死に向かっており、俗世でいう昏睡状態にあります。詩織様の肉体は俗世で生きておりますが、このままの状態で四十九日が過ぎますと、詩織様の魂は最後の審判にかけられ、無限地獄に行くこととなるでしょう』


 サリエルの瞳の色が翳った、気がした。ロボットなのだから、翳るはずがないのに。


「……そう。詳しい説明ありがとう」


 梨沙はしゃがみ、詩織の前髪を触った。ふわっとした綿菓子のような触り心地だ。


「ねぇ、聞こえてる?」


 詩織は動かない。胸元あたりだけが上下している。梨沙は言葉を続けた。


「あたしさ、アンタに言いたいこと、たくさんあるんだよね。アンタ全然聞いてくんないからさ、こうして寝込んでる今がいい機会だわ。だから、話させてもらうね」


 ちょっとだけ緩んだ口角を引き締め、詩織の髪を手を撫でるを止める。


「まず、アンタに謝らないといけないことがある。自分がしてしまったことに対する責任を取らないで、アンタのことを責めるのはちがうと思うから、まず、謝らさせて。ごめんなさい」


 目を閉じている詩織に向かって頭を下げる。見えてなくても、全身で伝えなくては伝わるものも伝わらない。


「……あたし、アンタの過去を見たの。お爺さんのログハウスで思い出ピクシーにやられたとき、なぜだか知らないけど、あたしの過去じゃなくて、アンタの過去が見えた。……アンタの心を無断で覗き込んだみたいで、気が引けて言えなかった。ごめん」


 梨沙は再び頭げる。


「それを踏まえた上で、言わせて」


 頭を上げた。すうっと息を吸い、そして、大きく息を吐く。


「あのさ、アンタ、あたしのこと美化しすぎだから。あたしはアンタが思うような強い人間じゃない。一人でいるあたしをカッコいいって思ってくれてたみたいだけど、実際のあたしは全然違う。アンタが一人でいることを選べなかったように、あたしは誰かと一緒にいて傷つくことを選べなかっただけ。本当はずっとずっと、アンタのこと羨ましいって思ってた。でも、羨ましいっていう嫉妬の気持ちを認めたくなくて、あたしはアンタを見下して、馬鹿にしてた。あたしはアンタの本質を見たことなんて一度もない。ただ、他人に媚びてるアンタを偽善者だって決めつけて、他人がいなきゃ何もできない奴って馬鹿にして、アンタが自分より下だと思うことで、自分の心の均衡を保ってただけ。一人でも平気なあたしは強いって思いたかっただけ。結局、詩織様憧れのあたしは、アンタのこと表面しか見てないその他大勢と同じなわけ。アンタのことなんて何も知らないし、何もアンタのこと思って行動したこともない」


 梨沙はすっと背筋を伸ばした。


「あたしが今、アンタに死んでほしくないのも、罪悪感に押しつぶされそうだからだよ。それなりにこの世界で一緒にいたからさ、そりゃ、死んだら悲しいと思うし、泣くと思う。でも、それより先に、これでアンタが死んだら何もできなかったあたしの責任だよな、とか、ずっと自分を責めて生きなきゃいけないよな、とか、そんな自分勝手なことばかり考えちゃうんだ。それで最終的には、きっとアンタのせいにしてあたしは巻き込まれた側なんだって、アンタが死んだのはしょうがなかったんだって、無理やり納得するんだと思う。ねぇ、最低でしょ。だからさ、あたしは、アンタが思ってるような人間じゃないんだよ」


 詩織は目を開けない。それどころか規則正しい呼吸をするだけで、ぴくりとも動かないのだ。梨沙は喋り続ける。


「あたしさ、なんでもなんなくこなせるいけ好かないアンタが大嫌いで、できれば関わりたくないって思ってた。アンタなんかどうでもいいと思ってた。アンタだけ死ねばいいでしょって何回も思ってた。……でも、なんか。自分でもわかんないんだけど」


 梨沙の手が震える。喉元に詰まる何かを、グッと呑み下す。


「あたし、どうやら本気でアンタに死んでほしくないんだよね。罪悪感とか倫理観とか、そういう感情も確かに根底にあって……でも、それだけじゃなくて、うまく表現できないんだけど、アンタが死んだらって考えると、気が急って、目が回りそうになるんだ。とにかく、死んでほしくない。自分でもわけわかんないんだよ。自分の感情なのに全然わかんない。だから、生きて。この感情がなんなのかあたしに教えてよ。このままアンタが死んだら、この感情がなんなのかわからなくなっちゃう。ずっとわからないままになっちゃう」


 声がごろごろと濁る。口を一文字に結んだ。そうでないと、涙が出てきそうだからだ。


『堀川梨沙様。そろそろお時間です。堀川梨沙様の意識が戻られます』


 サリエルが梨沙の横に来て、淡々と伝える。


 あぁ。ダメだ。あたしのこの思いを、うまく伝えられない。このまま詩織は、目覚めることなく、死んでいってしまう。


 詩織の抱えてきた感情に思いを馳せ、自分の感情を見つめる。激しい動悸がした。


 うまく言えない。うまく言えないけど、このまま現世に戻ったら、絶対に後悔する。だから、言いたいこと、全部ぶちまけてやる。


「あたしさ、アンタに目覚めてほしくって、自殺未遂したんだよ。それで今、こうしてアンタのところにいるわけ。こっちに戻ってきた時は、アンタをぶん殴ってやろうって思ってたよ。……でも、やってるのはこうして話しかけることだけ。ほんと、あたし何やってんのって思わない? 本気で意味わかんないんだよね。……そんでもって、あたしはもう現世で目覚めるんだって。アンタが起きなかったら、あたしはなんのために自殺未遂したのか、わかんないじゃない。自殺未遂したのも無駄ってこと。ほんと、最悪。最低。もう何が最悪で最低なのかもわかんないけど、最悪で最低だよ」


 詩織の頬を平手で軽く叩き、肩を揺さぶる。


「ねぇ。起きてよ。起きて、ちゃんと直接文句言わせてよ。アンタの本当の気持ちも聞かせてよ。アンタは自分が偽物だって言ってたけど、あたしはアンタを偽物だと思わない。あたしは、アンタみたいに人に愛想を振り撒くことも、人に話を合わせることも、できなかった。本当は友達が欲しいのに友達を作ることができなかったの。でも、アンタにはそれができた。あたしにできないことができた。この違いが、自分らしさってことなんじゃないの? アンタみたいに一人になりたいのに愛想振りまくのも、あたしみたいに友達が欲しいのに関係を断つのも、全部全部、個性で、本物の姿で、自分らしさなんだよ。……それに、誰にもアンタ自身のことを理解されないまま死んでいいわけ? このまま死んだら、みんな偽物のアンタのことしか知らなくて、偽物のアンタへ向けて涙を流すんだよ。それって、めっちゃ悔しくないの? 後悔しないの? 無限地獄に落ちてから後悔したって遅いんだからね!」


 目元から顎へと水滴が伝う。詩織は目を開けない。

 ダメだった。何を言っても届かなかった。あたしの思いは、詩織には伝わらなかった。


『お時間です。堀川梨沙の魂よ、俗世に戻りなさい』


 サリエルの声が残酷にも響き渡る。世界が滲む。ぐにゃりぐにゃりと地面が崩れ、梨沙は落ちていく。そのとき、寂しく眠る詩織を見た。閉じられた瞼がきらりと光る。


 目が、開いた……?


 体が歪み続ける。


 詩織に声をかけたいのに、触れたいのに、体が言うことを聞かない。


 そして、梨沙は多次元となった。



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