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24.森のステージ



「それでね……」


 梨沙の歩調に合わせ、並んで歩く詩織は、可愛らしい声を発して喋り続ける。よくもまぁ、話す内容が尽きないと感心してしまう。それに加えて、梨沙は聞いているのか聞いていないのかわからないような相槌しか打たないし、話を広げたりも、歩調を緩めたりもしない。それなのに、彼女は話し続ける。


 変わってる。


 横目で話し続ける詩織を一瞥した。


 だけど、こういう性質がみんなから愛される理由の一つなのかもしれない。


 詩織の中身のなさそうな話を聞きながら、考える。


 必死になって語りかけてくる詩織が滑稽で、愚かで、惨めで……。でも、懐っこくて、可愛らしくて、愛嬌があった。人は愚かでも、愛嬌のある人を好む。だから、詩織はみんなから愛されるんじゃないだろうか。


 詩織の可愛らしい声をBGMにしているうちに、森のトンネルは終わりを迎えた。突然、視界が開け、人工的な道が消え去ったのだ。


「わぁ……!」


 不意に、詩織が感嘆の声を上げた。大きい瞳を輝かせて、辺りを見回している。


「すごい! 森のステージみたい…!」


 また詩織お得意のポエムみたいな言い回しだ。だけど、今回ばかりは梨沙もその通りだと思ってしまった。辺り一面の清涼な緑が輝きを見せ、自然に切り拓かれたであろう木々が取り囲む空間に、スポットライトが当たってるかのように太陽の光を一身に受けている大きな切り株が、ポツンと置かれていた。圧倒的存在感と、神聖感。


 森のステージという言葉は、まさにこの場にふさわしい。


 詩織は駈けた。駆けて、切り株の上に乗り、くるりと回る。詩織の華麗な動きに合わせて、緑色のスカートの裾がふわりと揺れた。ブラウスとコルセットのような胴衣、ミモレ丈のスカート、そして、可愛らしいエプロンを身につけている詩織は、どこぞの国民的アイドルのようだった。


「えへへ。どう? 綺麗かな?」


「まぁ……。うん」


 明るく弾んだ声で尋ねられ、梨沙は視線を逸らして答えた。そんなつもりはなかったのに、逸らしてしまった。詩織の姿があまりに眩しくて見ていられなかったのだ。


 愛らしいのも、柔和なのも、端麗な姿も、梨沙には縁のない眩しさだ。いつもなら気にならないそんな事実が体に重くのしかかり、詩織を直視することができない。


 このステージは詩織のためのもの。お前の出る幕はない。そんな風にこの森に言われている気がして、少しだけ胸の奥が疼く。


 目の端に映る彼女は、太陽の光を全身に浴び、より一層輝いて見えた。


「もう! 梨沙ちゃんってば、本当に淡白!」


 ぴょんっと軽くジャンプをして、切り株から降りる。口は可愛らしく窄んでいる。梨沙は、「……なんでもいいけど、早く先に進むよ」と、彼女の言葉を軽く流した。


 梨沙と詩織は再び肩を並べて歩き始める。ピィーという甲高い音が聞こえた。鳥の鳴き声だ。サクッサクッと草を踏む音も耳に入る。ここは自然音で溢れている。オーケストラのように様々な音を響かせて、梨沙たちに音を届けていた。


「気持ちいいなぁ。ねぇ、梨沙ちゃん。門の外に連れ出してくれて、ありがとう。梨沙ちゃんと一緒じゃなかったら、わたしはきっと、何度この世界に来ても、絶対に街から出なかったと思う」


「いや、別に……。アンタが勝手にあたしについてきてるだけでしょ」


「ううん。梨沙ちゃんがいなかったら、きっと、ミウちゃんに声をかけなかったし、この場所にもくることはなかった。梨沙ちゃんがいたからこそ、わたしは新しい発見ができてるの。……梨沙ちゃんのおかげで、わたしは今、最高に楽しい」


「……あっそ」


 詩織の羨望の眼差しが、熱い。朗らかな笑顔が、痛い。梨沙は詩織と向き合うことができなかった。


 なぜ、なんでも持っている貴女があたしなんかに憧れを抱いているの。なぜ、尊敬の眼差しを向けるの。なぜ。


 疑問が脳裏を駆け巡る。けれど、その疑問を投げかける前に、詩織の注目は別のものに移ってしまった。


「……あっ、あそこ、見て!」


 詩織が指刺す方には、一軒のログハウスがあった。緑あふれる中に佇む丸太のログハウスは、小学校の頃に一度訪れた北軽井沢にある遠い親戚の別荘を思い起こさせた。梨沙がログハウスに近づこうとすると、「まって、誰かいる」と、詩織が手で行き先を阻む。


 詩織に促され、咄嗟に木陰に隠れてしまったけれど、隠れる必要があったのかは不明だ。梨沙はじっとログハウスを見つめる。ログハウスの木製のドアがゆっくりと開かれる。ログハウスのドアの建て付けが悪いのか、扉がガチャガチャと音を立てていた。ログハウスの木製のドアがゆっくりと開かれる。家の中から真っ白な髪の老人が一人、現れた。紺色の半纏を羽織り、ヨロヨロとした足取りで、ドアすぐ目の前にある階段を降りている。


「すごい、お年を召された方、だね。あのお爺さん、ここに住んでるのかな?」


 梨沙の半歩後ろにいる詩織が梨沙の耳元で囁く。詩織の視線は、老人一点に向いていた。


「そんなの、あたしが知るわけないでしょ」


「あっ、それもそうだよね。……ねぇ、どうする? 話しかけてみる?」


 今度は詩織と視線が絡み合う。詩織の大きな瞳は煌めいている。


「いや、別に、どっちでも……。あっ」


 唐突に、梨沙が口をつぐむ。お爺さんがこちらに向かってきているのだ。梨沙たちがお爺さんを見つめていたのと同じように、お爺さんもこちらを見つめている。


 あっ、まずい。


「こんなところに人なんて珍しい」


 やはり、声をかけられてしまった。しゃがれた声の柔らかい声音だった。木陰に身を潜めていた梨沙は渋々、お爺さんの前へと出た。真っ白な髪と、真っ白な眉毛。どちらも綺麗に整っていた。お爺さんの首には細い糸が何重にも巻かれている。死んでいる人なのだ。


「あ、えっと……。こんにちは……。あたしたち、森の中を探検してて、それで……」


「あぁ。なるほどねぇ。たまたまここを通りかかった、というわけかい。いやはや、急にこんな家が現れてびっくりしただろう。ほら、そこに隠れている君も、出ておいで。取って食べたりなどしないから」


 お爺さんが手招きをする。詩織はうさぎのようにぴょんっと跳ねて、前へ出た。ふわり。ウェーブのかかったしなやかな髪が風を孕む。


「お爺さん、こんにちは。不躾な真似をして、すみません。ここらへんって、街と違って想像上の生物がいたりするでしょう? だから、もしかしたら、山男がいるのかも、なんて思っちゃって……。ほんと、ごめんなさい」


 愛嬌のある口調で告げると、ぺこりと頭を下げる。詩織のこういうところは、本当に抜け目がないと思う。失礼にならないよう言い訳を上手くして、その上、可愛い顔で相手を油断させる。この熟練の技は生まれながら可愛い女の子にしかできないものだ。もちろん、あたしには、できない芸当だ。


「タエコ……?」


 不意に、お爺さんが息を呑む声が聞こえた。


「タエコ……、タエコなのか?」


 お爺さんは弾かれたように声をあげ、お爺さんの唇が痙攣する。お爺さんは目を見開き、詩織の方へ身を乗り出した。シワシワの手が詩織の肩を捉える。


「タエコ、タエコ……タエコ……!」


「わわっ! お爺さん、ちょっと、落ち着いて……! わたし、タエコじゃないよ……!」


 揺さぶられている詩織の声が波を打つ。


「タエコ、タエコや……! ワシはずっと、お前に、お前に……」


 お爺さんの激しい動きが止まった。詩織の肩に手を置きながら、震えている。震えて、俯いて、泣いているのだ。ポタポタと涙が滴り落ち、土と草に染み込む。


「まって、お爺さん。わたしはタエコじゃないよ。お爺さんの勘違い。だから、ね、泣かないで?」


「……嘘を言わなくても大丈夫だ。ワシにはわかっておる。お前は、ワシの妻、タエコだ。紛うことなき、タエコだ。ワシはずっと、ずっと、ここでお前を待っていた……。タエコ、ワシはお前に話したいことがたくさんある。せっかく来たんだ。ワシが今住んでいる家を、君に紹介したい。……ほら、見えるだろう? あのログハウスだ。さぁ、来なさい。君に話したいことが山ほどあるんだ」


 お爺さんは詩織から手を話すと、笑みを浮かべてログハウスの方へと向き直る。梨沙と詩織は顔を見合わせた。


「梨沙ちゃん、どうしよう。あのお爺さん、わたしを誰かと勘違いしてるよね?」


「してるね」


「これってついて行った方がいいのかな……」


「知らないし。ミウちゃんにも優しくしてあげたんだから、お爺さんにも優しくしてあげたら?」


「あれは梨沙ちゃんがミウちゃんと一緒にお母さんを探すって言ったからで……」


「じゃあ、あたしが行ってこいって言ったら行くわけ?」


「梨沙ちゃんが一緒に来てくれるなら、行く」


「おーい。タエコ、なにしてるんだい? ほら、はやく来なさい」


 お爺さんが手を振って、詩織を呼ぶ。詩織は一息ついて、遠く先に歩いているお爺さんを見据えた。切なく優しい声だった。整った横顔から見える瞳がガラス玉のように輝く。


「……でも、行かなかったら、悲しむよね」


 詩織は今、何を考えているのだろう。あたしは詩織のことを何も知らない。


 梨沙も詩織から目線を外し、「おーい!」と呼び続けるお爺さんを見た。


 踏み込めない。あたしは詩織に問いかけることができない。詩織は馴れ馴れしい奴だが、自分の心に踏み込まれることを拒んでいるように見える。自分から相手の懐に飛び込むくせに、詩織の懐は全く見えない。いや、見せていない。人懐っこい仮面の下に何かを隠している気がしてならないのだ。


 だから、腹が立つのかもしれない。詩織の自分はドカドカと人の心に土足で入る癖に他人にはソレをさせない狡さに対して、苛立つのだ。


 梨沙は苛立ったまま「そう思うなら、少し付き合ってあげたらいいんじゃない。アンタは、誰にでもお優しいクラスのマドンナさんじゃない」と、ぶっきらぼうに答える。


 だけど、相変わらず詩織には嫌味が通用していない様子だった。


「……そう、だね。少しだけ話を聞いて、誤解を解いてからでも、遅くないもんね。……誤解したまま逃げたら、お爺さんも可哀想だもんね。ねぇ、梨沙ちゃんも来てくれる?」


「は? なんで」


「お願い。一人だと不安なの」


 目を潤ませて頼んでくる詩織に、ため息を一つはいて首肯した。いつの間にか情が移ってしまったのかもしれない。

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