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21.友達



「お母さんはね、いつまでも『女』だったんだよ。男がいなくちゃ生きていけなくて、完全なる母親にはなれなかったんだ」


 そこまで一気にしゃべって、美羽は体をぐっと伸ばした。そして、また言葉を紡ぐ。


「お父さんとお母さんと一緒にいた時はね、どこにでもあるようなごく普通の家庭だったけれど、私の世界は完璧で、温かくて、愛があって、優しさで溢れてて、本当に幸せだったの。……死んでこの世界に来たときね、何がしたいのかって考えた時に、お母さんと心から笑い合いたいとか思っちゃったんだ。……ううん。そうじゃないかも。私は、ただただ、お母さんに愛されたかったの。大好きだよって、愛してるよって、子供の時みたいに心からの愛を込めて、優しく抱きしめて欲しかった。それが一番の願望だったんだ。……ほんと馬鹿でしょ? 娘と男に依存しているような最低な母親だってわかってるのに、死んでまでも執着してるんだから」


 美羽の視線が宙を彷徨う。やや上向いた横顔は濁りのない水晶のように清らかだった。


「愛されてた頃の姿だったら、世界が完璧だった頃の姿だったら、私を全身全霊で愛してくれていたお母さんに会えるかなって、あの頃のお母さんが迎えに来てくれるかなって、愚かながら思っちゃったんだよね。それで、五歳の姿になって、お母さんを探してたんだけど……。やっぱり、見つからなかった。この街の見せてくれるお母さんは全部、愛と男に飢えてる妖怪だった。私自身も五歳児の姿になって、母の影を求めてるうちに、自分が本当に五歳なんじゃないかって思えてきちゃって、言動が五歳児みたいになっていくのを感じたんだ。それでも、私はお母さんを探すのをやめられなかった。……まったく、自分でも嫌になっちゃうくらい阿呆だよね」


「阿呆じゃないです。全然、阿呆じゃない」


 梨沙は声をあげていた。自虐する美羽を見ていられなかったのだ。美羽が話してくれた内容は、梨沙が受け止められないほど重苦しい。幼い少女に酷い仕打ちをしてきた美羽の両親に対して、熱く焦げるよくは怒りを覚える。怒りを覚えるけれど、一女子高生が簡単に口を挟んでいいような問題でもない。わかってる。わかっているけど、傷だらけの美羽にこれ以上、自分で自分を傷つけてほしくなかった。自分を責めないで欲しかった。


「うふふ、ありがとう。梨沙ちゃんは優しいね」


 美羽が少し肩を落として、微笑む。


「でも、本当に阿呆でバカなんだよ。こんなことしてても理想のお母さんに会えないってわかってたのに、お母さん探しで大切な時間を潰しちゃってたんだから。でもね……」


 そこで、美羽はすっと息を吐き出した。顔を梨沙と詩織、交互に向ける。その表情は一点の曇りもなく爽やかで、先ほどまで重い話をしていたとは思えないほど澄み切っていた。


「お母さんを探してたおかげで二人に会えた。私、本当は定時高校やめたくなかった。お仕事なんてしないで、本当は友達と同じ高校に通いたかった……。本当は生前にやりたいことがたくさんあったんだ。梨沙ちゃんと詩織ちゃんが連れ出してくれたおかげで、そのことに気がつけたの。ずっとずっと諦めてた高校にも通えて、梨沙ちゃんと詩織ちゃんっていうお姉ちゃんのような素敵なお友達ができて、一緒に遊んで、勉強して、そして、二人が私と真剣に向き合ってくれて……。ああ、これが愛というもので、こういう何気ない瞬間が幸せなんだって、最終日にわかったの。だから、お母さん探して続けた私の行為は今日のためにあったんだって、無駄じゃなかったんだなって思ったんだよ」


 美羽は再び立ち上がり、深々と低頭した。


「梨沙ちゃん、詩織ちゃん、私と出会ってくれてありがとう。私に声かけてくれてありがとう。梨沙ちゃんたちに会わなきゃ、自分がどれだけバカだったかってことにすら、気づけなかった。きっと、いるはずのないお母さんの亡霊を最後まで探し続けてたと思う。だからね、二人とも、私と出会ってくれて、本当にありがとう」


 美羽は頭を下げ続ける。梨沙もそれに合わせて立ちあがった。


「顔をあげてください。あたし、その。励ますとか優しい言葉をかけるとか、そういうの、苦手で、その、うまく言えないんですけど……。話してくれて、ありがとうございます」


 言葉がもたつき、絡み合う。心が重い。重くてたまらない。処理しきれない話を前に、何をどう伝えればいいのかわからない。軽い言葉ならかけない方がマシだ。


「ううん。こちらこそ、聞いてくれてありがとう、だよ。……話すのってすごいね。特に何か解決したわけじゃないのに、こんなに心が楽になるんだもん……。もしかしたら、私はずっと、胸の中に抱えている苦しみを誰かと共有したかったのかもしれない。……って、すごい独りよがりだ。こんな重たい話聞いてもらっちゃって、ごめんね」


「全然、独りよがりなんかじゃないです。それに、あたしもミウちゃんに話聞いてもらったから、お互い様です」


 梨沙は両手を握りしめた。


 美羽の心を晒しあげたいという軽い気持ちで話を聞いた。美羽から語られる話など大したことないのだと心のどこかで思いながら、興味本位で掘り下げた。


 その行為がなんて軽率で浅ましいことか。


 結果、話を聞いたくせに、美羽の話を受け入れきれてない。痛みに寄り添うこともできず、ない頭を働かせて悲惨さを想像し、安っぽい同情して、見せかけだけの怒りの炎を燃やしただけだ。そして、容易い言葉はかけたくないからと変な意地張り、自分の気持ちを処理しきれないまま、胸の奥に気持ちをごくりと飲み込んだ。


 自分の行動の浅慮さにほとほと嫌になる。


 なにもお互い様なんかじゃない。独りよがりなのはあたしの方だ。


 梨沙は自分の気持ちを誤魔化すように、口を開いた。


「……あの、ミウ、ちゃん。他にやりたいこととか、ない? まだ時間あります、よね?」


「……ううん」


 美羽がかぶりを振る。


「もう大丈夫。やりたいことがないって言ったら嘘になるけど、二人とも一緒に高校生活満喫してたら、お母さんへの未練も執着も、いろんなことに対するたくさんあった後悔もぜーんぶ、小さくなっちゃった」


 美羽が親指と人差し指で「ちょっと」のジェスチャーを取る。そして、首を傾げてニコッとはにかむと、梨沙の両手をとった。


「ねぇ、梨沙ちゃん。梨沙ちゃんはうまくコミニュケーションがとれないって言ってたけど、大丈夫。梨沙ちゃんが私を置いてどこかへいかなかったように、梨沙ちゃんのそばにいてくれる人が絶対いる。だって、こんなにも気遣いができる優しい子なんだもん。不器用だとしても、その良さをわかってくれる人がいるよ」


「いえ、そんな……。あたしは、別に……優しくなんて……」


「優しいよ。だって、学校が嫌いなのに、私につきあってくれたでしょう?」


「それは、ミウちゃんの叫びがあまりに痛々しかったからで……」


「ふふ。やっぱり優しい。この世界の人たちはね、私が泣いてても痛みなんて感じないんだよ。感じてても無視するの。でも、梨沙ちゃんは私の痛みを無視をしないで向き合ってくれた。それって、梨沙ちゃんの優しさの証明にならないかな?」


 美羽の眼差しが熱い。本気が伝わってくる。


「少なくとも私は梨沙ちゃんの良さをわかっているし、詩織ちゃんだってきっとわかってくれてる。ね、詩織ちゃん?」


「え……? あっ……」


 不意に声をかけられた詩織の声はうわずっていた。ベンチに座ったまま、瞳を泳がせ、狼狽えている。環境に恵まれている詩織には、美羽の話が重すぎたのかもしれない。美羽の暗い話に色々考え込んでしまったのだろう。その気持ちは梨沙にもよく理解できた。だけど、動揺を隠せずにいた面は、すぐさま、いつもの愛嬌でいっぱいになる。詩織はすくりと立ち上がり、梨沙と美羽の手が重なり合っているところに、そっと両手を合わせた。


「ミウちゃんの言う通り。わたしは梨沙ちゃんのこと大好きだから、いいところたっくさん知ってるし、これからもたっくさん知りたいって思ってる。梨沙ちゃんはわたしの特別で大切だから、絶対に、何があっても嫌わない」


「ふふ。詩織ちゃんもやっぱりいい子だ。こんな素敵な友情、いいな。羨ましいな。私も生きてたら……」


「なに言ってるの。ミウちゃんも同じだよ。ミウちゃんも、わたしの大好きで大切な友達なの。だから、ミウちゃんのことも、何があっても嫌わない。わたしたちは三人で仲良しの友達なんだから」


 詩織が重なる両手のひらにギュッと力を込めて言う。美羽は今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を緩めて、「……ありがとう、詩織ちゃん」と、口元を綻ばせた。


 その時、ポンッというサイダーの蓋が弾けたような音があたりに響く。この世界でこの音を出す存在は一つしかない。サリエルだ。サリエルが美羽の頭上を舞いながら、無機質な声でわざとらしく『ピーンポーンパーンポーン』とアナウンス音を発する。


『前田美羽様、本日で四十九日目となりました。最後の審判の時です。出発の準備はよろしいでしょうか』

「もうそんな時間か……」


 重なっていた手がふわりと離れる。汗でほんのり滲んだ手に、朗らかで新鮮な空気が触れる。美羽は梨沙と詩織にチラリと目配せした後、サリエルを見上げた。


「ちょっと待って。二人にまだ伝えたいことがあるの」


『かしこまりました。審判の時間が迫っておりますので、お早めにお願いしますね』


「うん。ありがとう」


 美羽は顔を下げる。美羽の瞳がきらりと光った。


「二人とも、本当にありがとう。あなたたちと過ごした時間はすごく短かったけど、それでも、私にとって今までにないくらい幸せな日だった。二人とも、私の最高の友達よ。……ねぇ、あなた達はまだ生きてるのよね? どうしてこんな場所にきてしまったのかは聞かない。でも、生きているなら、後悔のないように生きて。私のように過去の姿にしがみつくような惨めな死に方はしないでちょうだい。……お姉さんとの約束」


 美羽が両手の小指を差し出す。梨沙も詩織も自身の小指を美羽の小指にそっと重ねた。


「約束します」

「約束するね」


 二人の声が重なった。美羽ははにかんで指を解き、再びサリエルの方へ顔を向けた。


「大丈夫。いけるよ」


 サリエルは同意するように雫型の体全体で頷くと、『それでは、審判が行われる祭壇までお連れいたします。今回は時間の短縮を図るため、北門を通る通常のルートではなく、テレポーテーションを行いたいと考えておりますので、下腹部に力を入れ、準備を整えてください』と、淡々と述べた。そして、次の瞬間、サリエルと美羽を包み込むように、キラキラとした春の光のような煌めきが散乱する。


「きれい……」


 無意識に声が溢れてしまった。その光景はまるでこの場に天使が舞い降りているかのように錯覚してしまうほど、美しい。美羽とサリエルの体は徐々に透け始め、光の合間からサリエルが彼女を天へと引っ張り上げているのがわかる。


 あっ。


 梨沙は目を見張った。美羽の体がどんどんと小さくなっているのだ。


 縮んで縮んで、梨沙と出会った時と同じくらいの背丈になり、幼げな顔が露呈する。


 ミウちゃん…。


 光に包まれるミウの表情は、息を呑むほど清らかで、研ぎ澄まされた冬の月のように高潔で無垢であった。そこには出会ったばかりのときの悲痛の表情はどこにもない。未練などこの世にはない、と言いたげだ。


 美羽の体が宙へ浮かび、真っ青な空と完全に重なった時、「お姉ちゃんたち、ありがとう!」と、朗らかな声が降ってきた。


 光が弾ける。


 それは美羽の言葉が消えるのと同時だった。


 花火のように弾けたいくつもの光は青空を美しく彩り、あっという間に散っていく。キラキラとした光の粒が梨沙たちに降り注いだ。


 梨沙と詩織は光の美しさに圧巻されながら、雲ひとつない空を見上げる。


「すごく、温かい光……」


 嘆賞の言葉がこぼれ落ちる。この間、詩織は何も言わなかった。無言で光の残像を見つめている。彼女は今、何を感じているのだろう。


「美羽さん……。ううん。ミウちゃん、すごいスッキリした顔だった。あたしたちのした行動も意味があったのかな」


 柄にもなく、詩織に問いかけてしまう。この美しさからくる胸のざわめきを共有したかったのだ。


「そうだね。わたしたちはお母さんの愛を与えることはできなかったけれど、きっと、友情の愛を与えることができたんだよ」


「……うん。ミウちゃんの役に立てたのなら、嬉しい。ミウちゃんはあたしの友達だから」


 友の消えた空を見上げ続ける。


 友達。


 自然に言うことができた。


 ミウちゃんは友達だ。五歳でも、二十四歳でも、変わらない。あたしの大切な……。


 もしかしたら、みんなの『理想の姿』は、未練の残った姿なのかもしれない。未練を断ち切るために四十九日間、理想郷で過ごすのではないだろうか。生きている時に抱え込んだ未練を置いて、天国へ行くために。


 今、この学校にいる人たちも皆、現世に後悔と未練を抱えているのだろうか。やり残したことを残さないように、学校に通ってるのだろうか。わからないけれど、なんとなく、そうじゃないかなと感じる。


 ふと、横目に詩織が空に手を翳している姿がチラついた。チラついたと同時に、


「……でも、愛ってそんなにいいものなのかな。そんなに求めたくなるものなのかな」


 気持ちを感じさせない無機質な声で詩織が言う。梨沙は「え?」と聞き返した。が、詩織は何も言わない。黙って、空と自身の手のひらを見続けている。


 愛ってそんなにいいものなのかな。


 詩織の声が頭の中にこだまする。


 どういう意味だろう。不意に、詩織は視線をおろした。詩織と視線がかち合う。見目よい顔に整った笑顔が咲く。いつもの笑顔のお面、いつもの柔らかさ。


 誤魔化された。そう感じる。いや、感じるというよりも、確信に近かった。彼女は自分の感情を見せないようにしている。


 詩織が掴めない。詩織が何を思っているのか想像できない。


 梨沙は心の奥底に詩織への興味の芽が萌え出る気配を察した。


 だけど、認めたくない。なんてったって、コイツのせいであたしは今、死にかけているのだから。


 梨沙はもう一度、空を見上げる。生命力に溢れた青色が、じっと二人を見つめていた。



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