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17.本音



 嫌な思い出が蘇ってしまった。


 乾いた喉が少しずつ息をし出す。喉を潤そうと、いちごミルクのストローに口をつけるも、紙パックの中はすっかりと空になっていた。


 あの日から人と深く関わらないようにしていたし、言葉もさほど選ばず、発していた。それは他人がどうでもいいから。どうでもいい人間には、どうでもいいような言葉を吐き、どうでもいいように接する。それでいいと思っていた。そのうち、他人が梨沙を拒絶するようになっても、腫れ物に触るように接するようになっても、構わないと思っていた。だって、すべてがどうでもいいから。


 それなのに。


 ミウの目が遠慮がちに泳いだのを見た時、身体中から血の気が引き、心臓が締め付けられた。息をすることが困難になった。


 あたし、ミウちゃんを傷つけたくないって、嫌われたくないって、思ってる?


 梨沙は大きく息を吸い込む。そして、顎を引き、真正面からミウを見据えた。目頭の部分が妙に熱い。


「ねぇ、ミウちゃん。ちょっと、聞きたいことがあるの」


 濃い緑の匂いが鼻腔をくすぐる。寒くも涼しくもない心地の良い風が青葉の匂いをつれきたのだ。そのとき、ふと、手元が寂しくなる。いつの間にか手に持っていたいちごパックが跡形もなく消えていた。


「聞きたいこと? なぁに?」


 ミウが目をまんまるくして、首を傾げる。幼児特有の丸みを帯びた輪郭が愛らしい。


「ミウちゃん、あたしが乗り気じゃないって思ってたと思うんだけど……。どうして、そう思ったの?」


 先ほど聞きそびれた答えを知りたい。


「え、っと……」


 何かを言いかけたミウが唇をキュッと結んだ。


「教えて欲しいの。あたし、つまらないって顔してた? ミウちゃんのこと怖がらせちゃってた? お願い。正直な気持ちを教えて」


「ちょっと、梨沙ちゃん」


 ミウの隣に座り、耳を傾けていた詩織が口を挟む。無意識のうちに、焦りと問い詰めるような調子が言葉にこもっていたのかもしれない。手を素早く左右上下に振って、口パクで「ダメダメ、優しく、優しく」とコンタクトを送っている。


「あ……、ごめん……。強い口調になっちゃって……」


 俯く。スカートを握りしめる拳が震える。


 まただ。どうしてこうも強い口調になっちゃうんだろう。こうならないように言葉には気をつけたいって思っていたのに。最近、どうでもいい人たちとしか会話してないせいで、大切な人との会話の仕方を忘れてしまったのだろうか。


「りさお姉ちゃん」


 ミウの柔らかな手が梨沙の強張った手の甲に重なった。手の内側の筋肉がもぞりもぞりと弛んでいくのがわかる。ミウと視線が絡み合った。優しい瞳で梨沙を見つめている。


「変なこと言っちゃって、その、ごめんなさい。なんとなく、なんだけど、りさお姉ちゃん無理してるのかなって思って……。顔は笑ってても、時々苦しそうだったり、無理してついて来てくれているような気がして……。それに、ミウと喋りづらそうだったし……」


 あぁ、そうだ。


 思い返してみれば、詩織とミウばかりが話して、梨沙はあまり言葉を発していなかった。詩織は学校にいるときのような柔らかな笑みで、上手にミウと接し、上手にコミュニケーションをとっていた。


 だけど、あたしはどうだ?


 本当はこんなところにいたくないと思いながら、でも、ミウのためといいながら、酷い顔をぶら下げて、二人に着いて回っていただけじゃないか。


 楽しそうにしている素振りを一回も見せなかったかもしれない。


「えっと、そんなつもりじゃなくて……。ミウちゃんと喋りたくないとかそんなこと思ってなくて……」


「うん、わかってるよ。りさお姉ちゃんがミウのために我慢してついて来てくれたこと。りさお姉ちゃんがミウのこと、嫌いじゃないのもわかってる。ミウのために無理してくれてたの、わかってるから」


 ふわふわの手のひらからの圧力が強くなる。優しく包み込むような笑顔だった。その顔は五歳児ではなく、もっと歳を重ねた美しい女性のように見える。


「もしかして、りさお姉ちゃんって学校が嫌い?」


「えっ……、あっ……。そんなことない、けど……」


「いいの。嘘つかないで。ミウのことは気にしないで、本当のことを話して欲しいな」


 ミウの優しげな声が、梨沙の耳を通じ、梨沙の体内に美しい水として留まる。重すぎず、軽すぎず、心地の良い冷たさを孕む水のように、体にスッと沁み渡った。


「……ごめん。嘘ついた。ミウちゃんの言う通り、あたし、学校が嫌いなんだ。だから、その、本当は学校巡りも楽しいものじゃなかった」


 梨沙の口が一人でに開く。


「うん」


「あ、でもね。さっきも言ったけど、ミウちゃんと喋りたくないとか、ミウちゃんといるとつまらないとか、そんなことは全く思ってなくて、むしろ、ミウちゃんが楽しそうにしているのを見て嬉しかったし、楽しかった」


「本当?」


「うん。本当。これは、本当に本当。嘘じゃない」


 被さっているやわな手を解いて、今度は梨沙の手を被せる。ミウの目を見て深く頷く。


 青い風が吹いた。今度は青葉の香りだけではなく、甘く清楚な香りを運ぶ。何の花の匂いだろうか。


「どうして、学校が嫌いか聞いてもいい?」


「楽しい話じゃないよ?」


「うん、大丈夫。りさお姉ちゃんのお話、聞きたい」

 強く揺るぎのない眼差しなのに、タンポポの綿毛のような柔らかさを持っている。そんな瞳でミウは梨沙を見つめていた。


 あたしは何をやっているんだろうか。


 小さい子に聞かせるような話ではないことを頭で分かっていながら、梨沙は次に続く言葉を探している。


 どうして。どうしてミウに話そうとしているのだろう。心の内を見せようとしているのだろう。さっき会ったばかりの小さな小さな少女なのに。ミウなら真剣に聞いてくれるって、ただ黙って聞いてくれるって、そんなことを思ってしまったんだ。


 胸の奥が震える。人に心の内を話そうとするのは初めてかもしれない。親にも仲良かった友人たちにもSNSの友達にも話したことがない。


 あたしは、胸の内をミウに伝えて、どうしたいのだろう。


 わからない。わからない。わからないけれど、彼女に気持ちを吐露したい。その想いだけが梨沙の胸に燻っていた。梨沙は詩織がいることも忘れ、ポツポツと言葉を紡ぎ始める。



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