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16.すれ違い

 


「たくさん歩いて疲れちゃったけど、でも、楽しかったねぇ」


 そろそろ飲み干してしまいそうないちごミルクのパックを両手で抱え、ミウはズズズズという音を立てながらストローを吸い込んだ。


「そうだね。……なんだか、一年分の高校生活を満喫したような気がするよ」


 詩織の発言に、梨沙は「わかる」と首肯した。一つ一つは短い時間だったが、いろんな教室で授業を受け、購買での買い食いに、学食でランチ、自習や図書室で勉強して本を読んだり、講堂での演目を三人で鑑賞したりと、様々なことをした。


 高校の設備が物珍しかったのか、ミウは「あれは何?」「これは何?」と興味津々、矢継ぎ早に質問してくる。質問だけならまだいいが、「これ、やりたい!」攻撃には参ってしまった。目の前にあるものになんでもかんでも挑戦してみようとするのだ。放っておいたら、全ての教室に入り込む勢いだった。


 正直に言って、疲れた。子供の相手をするのが大変だということは梨沙でも知っていたけれど、ミウにここまで体力と好奇心があるとは思わなかった。


 ふわっと微かに甘ったるい香りがした。人工甘味料の香だ。ミウが紙パックのいちごミルクを飲み終え、ストローを勢いよく口で抜いたのだ。いちごミルクの水滴がばっと辺りに散る。ミウは咥えていたストローを手に取り、もう一度紙パックに挿した。


「高校ってすごいねぇ。いろんな授業があって、いろんな場所があって、お金持ってきて良くて、学校内で買い食いができて、すごくすごく自由なんだね……! いいなぁ……。ミウも通いたかったなぁ……」


「たしかに、小中と比べると自由かもしれないね。でもね、ミウちゃん。高校の真骨頂は行事なんだよ」


「行事……?」


「そう! 文化祭とか、体育祭とか、すっごく楽しいんだから」


「文化祭……! 体育祭……!」


 詩織の言葉にミウは体を詩織の方へと乗り出し、目を輝かせる。目からビームが出てきそうな勢いだ。


 なんだか、ちょっと眩しい。


 梨沙は学校が嫌いだった。個人でできる勉強はまだいいが、強制的にやらされる体育も、他人と関わることも、クラスの一軍のみが楽しめる学校行事も、全て嫌いだった。梨沙の忌み嫌う対象に、ミウは興味を持ち、憧れを抱いている。そのことが歪で、羨ましくて、それでいて、眩しかったのだ。ふとした拍子に気後れしてしまう。


 だけど、こんなふうに希望を胸に笑っているミウを見るのは嫌ではなかった。むしろ、幸せだった。出会った時には見られなかった笑顔がここにある。今、この時を楽しむどこにでもいる少女だ。ここには寂しさのかけらもない。こんな訳のわからない場所に突然放り込まれ、母を探し、泣きじゃくっていた少女が笑っている。 それだけで、梨沙は十分だった。だから、疲れよりも、むしろ、満足感が高かったのはこのためだ。


「ふふ、そうだ! 文化祭とか体育祭とか、経験してみようよ! ミウちゃんがやりたいって心から思えば、文化祭や体育祭が始まるんだから!」


「うーん……でも……」


 視線を感じた。バチリ、とミウと視線が絡まり合う。ミウは慌てて目線を逸らし、黒目を忙しく左右に揺らしている。


 どうして……?


 心臓の鼓動が速くなる。この態度を梨沙は知っていた。他人が梨沙を気遣う時の態度。クラスのみんなが梨沙と目が合う度に取る態度。本気の気まずさを感じている時の態度。拒絶の態度。喉の奥の唾液の分泌が急速に減るのがわかる。


「でも?」


 能天気な詩織の甘い声が、喉の渇きに突き刺さる。


「りさお姉ちゃんが……。その……あまり乗り気じゃないかも……だし……」


「えっ?」


 俯くミウと、大きな瞳をパチクリとさせる詩織が対照的だった。


「そんな、ことないよ。どうして、そんなことを思ったの?」


 振り絞って出した声が震える。乗り気じゃない、なんてことはない。たしかに、学校行事は嫌いだ。進んで参加したいなどと思ったことはない。それでも、ミウちゃんが喜んでくれるなら、それでよくって……。


 這い上がってくる言葉にならない思いは、乾いた喉にベッタリと貼りついた。


「そうだよ、ミウちゃん! 梨沙ちゃん、すっごく笑顔だったじゃない? あんなに笑ってる梨沙ちゃん、初めて見たくらい!」


「そう……なの……?」


「うん! ミウちゃんが楽しそうな、嬉しそうな、幸せそうな顔をするたびに、梨沙ちゃん、ずっとニマニマしてたんだから」


「本当?」


「本当の本当。梨沙ちゃん推しの詩織お姉ちゃんが言うんだから、間違いなし!」


 詩織はウィンクをして、指で丸を作ってみせた。


「りさお姉ちゃん、本当の本当?」


 ミウがずいっと梨沙に詰め寄ってきた。


「うん、本当の本当」


「よ、よかったぁ……」


 ミウが息を吐き出す。安堵のため息だ。


 誤解が解けてよかった。よかったけれど、胸の奥がざわめく。そんなに自分がつまらなそうな顔をしていたのかと、不安になる。


 こんな幼い子に気を遣わせるほど酷い顔をしていたのか。


 梨沙は手にあるいちごミルクの紙パックを見つめた。


 梨沙の周りでは時々、今みたいなすれ違いが起きる。


「梨沙ってさぁ……、ウチらと一緒にいて楽しいの?」


 そう問われたのは、中学二年生の秋、風が少しずつ冷たくなってきた日のこと。梨沙がお昼休みの教室で、お馴染みのメンバー五人で談笑していた時だった。グループの中心格の杏奈が、唐突に梨沙に刃を向けたのだ。くっきりとした二重の目で梨沙を見つめている。教室の窓から見える桜の葉が、黄色と橙が美しく混ざり合い、はらはらと散っていた。


「えっ、はっ? 楽しいよ? なんで?」


「だって、ウチが話しかけても、ずーっと仏頂面でつまんなそうにしてるじゃん」


「そんなこと、ないけど……。あたしは杏奈たちといて楽しいから一緒にいるんじゃん」


 どくん。どくん。心臓が大きく音を立てる。だけど戸惑いを隠して、言い切った。こういうときは変に狼狽えるより、堂々としていたほうがいい気がしたのだ。


「えー? ホントかなぁ? 無理して一緒にいるんじゃないの? ウチらが話してる時もなーんも喋らないで、聞いてるだけだしさ」


「そう、だったかな」


 梨沙は、考える。


 たしかに、梨沙と友人たちとの間には、話を聞く時の姿勢に温度差があった。みんなは思いついたことをポンポンと話し、目まぐるしく話が進んでいく。恋愛の話をしていたかと思えば、推しの話になったり、音楽の話になったり。梨沙はみんなの話す速度にについていけなかった。みんなみたいに適当に話を受け流すことができなかったのだ。


 だから、じっくりと話を聞いた。じっくりと話を聞いて、自分の考えを述べようとした。でもそれは、相手の話をちゃんと聞こうと思ったからで、決してつまらなかったからではない。言葉は重要な意思伝達手段だ。自分にとって大事で大切な人には、大事に、大切に、言葉を使っていきたい。


 面白い話には、きちんと面白いと伝えたいし、悲しい話には、寄り添いたい。自分の意思は正確に伝えたいし、みんなの思いを軽く流したりしたくない。大切な人を傷つけるような言葉を間違えて吐いたりしたくない。


 そう思っていた。今だってそう思っている。だから、うるさい心臓の音を聞こえないフリして、一生懸命、言葉を探す。


「ほら、今も途中で黙り込んじゃってさ。ウチらの話、楽しいと思ってないんでしょ?」


「だから、そんなことないって。どんな態度取ってたかなって考えてただけじゃん」


「はぁーあ。無理な言い訳しちゃって。図星だったからなんで言い訳しようか考えてただけでしょ」


「は? そんなわけないつってんの。勝手に決めつけないでよ」


 強い口調が口から飛び出る。


 なんで待ってくれないんだ。なんで分かろうともしてくれないんだ。こっちはアンタたちのことちゃんとわかろうと努力してるのに。


 体の底から響くような音と胸の疼きが止まらない。


「きゃっ、こわぁい……! そんな睨むことないじゃん」


「ねぇ、やっぱウチらのこと嫌いなんでしょ? 普通、好きな人にそんな態度しないもん」


「だねー。いつもめっちゃ不機嫌だし」


「ウチらと一緒にいたくなかったってことね」


 少女たちが口々に梨沙を責め立てる。仲が良いと思っていた友人たちが突如、敵になる。心の奥の震えが、唐突に止まった。心が静かになる。


「はっ」


 梨沙は鼻で笑った。


 コイツらは薄っぺらな友情で繋がっている哀れな奴らだ。誰も本音を話していない。ぷかぷかと浮かぶどうでもいいような話を、さも大切な話のように話して、適当に返事をして、適当にやり過ごす。そんな適当な人生を送っている人種なのだ。そんな適当な奴らを大事にしていた自分が滑稽だった。


 あぁ、めんどくさい。誤解されるのも、誤解を解くのも、めんどくさい。変に笑って、変にへりくだって、自分の考えを押し殺して。ソレって全然楽しくない。コイツらだって、本当は楽しくもないのに、周りと同じような仕草をして、無理やり笑顔を作って、同じように笑う。馬鹿らしい。それならば、一人でいたほうが楽だ。そっちの方が何倍も有意義な時間を過ごせる。


 心の中で少女たちを貶す。そうすることで胸の痛みが消えていく。


 梨沙は顔をあげ、杏奈たちの顔を、今度こそ本気で睨みつける。彼女らの顔の境界線が緩み、溶け出す。だんだんと皆、同じ顔に見えてくる。


 この瞬間、目の前の少女たちが通行人Aになった。



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