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世界一美味いおまえの血さえあれば、オレは他に何もいらない

 わたし、藤崎貴子は十五歳になってアルバイトが出来るようになってからこの十年間、ごく平凡なミニスーパーで働いている。それはわたしにとっては利点だらけの就労先だったからだ。




 人間の営みというのは生まれてから死ぬまで、衣食住を保つために行動し続けなければならない。自分で家計を回さなければならない年齢になったなら、同じ職場に通って毎日同じ仕事をする。その仕事に飽きて転職するまでは。それを幸いとするべきなのかはともかく、結果的にわたしはその仕事に飽きてないから続いてるし、仮に飽きたとしても諸々の事情によってなかなか転職は難しい。




 この仕事の良いところは、季節によって入荷する食品が違うから、同じ仕事をしていてもちょっとした変化を感じられる。残念ながらほぼ無趣味のわたしにとって、スイーツを食べてまったりするのは唯一に近い癒しのひと時だった。




 世間はハロウィンシーズンで、デザートコーナーの定番商品の二個入りシュークリームも、味は同じでも季節限定でハロウィン用のカボチャとゴーストの装飾が施されている。こういうささいな変化ってなんだか癒されてしまって、勤務時間を終えたわたしは思わずそのシュークリームを社割でお買い上げしてお持ち帰りしちゃうのだった。




 ひとり暮らしの安アパートの二階の部屋で、おいしい時間をひとりじめ! そんなうきうきプランを浮かべながら帰ったのだけど……。




「よお。帰ったな」




 女の留守宅に当たり前のように上がり込んで、明かりもつけずカーテンも開けず。真っ暗闇の中で出迎えたのは、わたしにとってはすっかりおなじみの彼。下品なことこの上ないけど、「クソガキ」って言葉を体現しているとしか思えない、最低最悪の暴君。見た目は十三歳のかわいらしい少年なんだけどね。そのあま~いフェイスで一体、幾人の男女をたぶらかしてきたことやら。




「さっそくだが、いつものだ。世界一美味いおまえの血をいただきに来たぜ」




 わたしがそれを断る可能性なんて、これっぽっちも考えていない。確固とした要求。




 せっかく、お持ち帰りしたシュークリームはふたつあるのに、こいつ……岬は液体しか口にしない。おいしいスイーツをひとりじめ、ってプラン自体の変更はない。




 自分が甘味を楽しむのが先か、こいつに血を吸わせるのが先か……。




 考えた末、わたしは差し出した。自分の腕を、長袖の白いシャツを肩口まで捲りあげて。




 そう。こんな絵に描いたようなクソガキの暴君でも、残念ながらわたしはこいつに惚れてしまっているから。求めているのなら、自分を差し置いても先にあげたくなっちゃう。母親が、自分を後回しに我が子のお腹を満たしてあげたいって思うのと同じように。








「ようやく探し当てたぜ。めでたく、オレが一番乗りのようだな」




 岬は、ある日突然現れた。わたしも日付の間隔の曖昧になるような生き方をしてきたから、彼との付き合いが何年くらいになるのかわからなくなっちゃった。誕生日を祝う習慣でもあれば別だったでしょうけど、わたしは自分のそれを知らないし、岬は「忘れた」って、教えてくれないし。




「おまえの血はオレ達種族にとっちゃこの世で一番の美味だ。百年前まで蔓延ってたニセモノどもと違って、おまえの血に流れる『魔力の源泉』だけは、紛うことなきホンモノだからだ」




 これまでの話で想像はついていたでしょうけど、岬はど定番の吸血鬼。人間から血を吸って生きている魔物ってやつね。




 吸血鬼が人間の血を吸うのは、その血に流れている魔力を吸血することによって自分の魔力に還元するから。魔物っていうのは人間と違って、栄養ではなく魔力で生体活動を維持しているとか。




 わたし、藤崎貴子の体に流れる血は、この世で唯一「魔力が無限に湧き続ける」んだと彼は言う。吸血鬼にとって「魔力をたっぷり含んだ血」っていうのはそれはそれはありがた~いもので、それが無限ともなればそりゃあさぞかし最高の味なんでしょうね。




「他のヴァンパイアに血を吸われないようにオレがおまえを守ってやる。その代価に、オレにその血を提供しろ」




 って、初対面から有無を言わせぬ要求をかましてくれたのだった。




 そこでわたしも断ればいいものの、まぁ試しに吸わせてみましょうかってオッケーしちゃったっていうわけ。




 なんでかって? それはですねぇ……恥ずかしながら。




 この岬……顔が良くって。一目ぼれしちゃったんです、わたし。惚れた弱みってやつですよ。








 あの日と同じように、わたしの腕にかじりついて血を吸っている、その顔。普段は決して媚びず、笑顔ひとつ見せてくれないこいつが、恍惚と、わたしの血を味わっている。「世界一美味い」ものを口にしている、蕩けるような瞳。




 血管に達するほど噛みつかれて、痛くはないのかって? 「はじめて」はけっこう痛かったんだけど、数回で案外慣れてしまって。




 好きな男が目の前で、夢中で吸い付いてわたしを味わっている。その顔をみているひと時は私にとってもたまらず「おいしい時間」で、快楽すら感じてたりもする。わたしって、もしか、マゾヒストの素質でもあるのかしら?




 そういうわけで、一方的な要求に応えるようでいて、案外わたしと岬の関係はギブアンドテイクが成立しているのだった。







 オレはヴァンパイアの父と人間の母から生まれた。そういう組み合わせの混血種族をダムピールという。


 ダムピールは人間の体に、ヴァンパイアを殺せる抗体を持つ血が流れている。しかし、一度死ぬとヴァンパイアとして生まれ変わり、人間には戻れない。人間のまま死にたいのならヴァンパイアを殺す時同様、儀式をしなければならない。心臓を銀の弾丸で撃ち抜く、あるいは木の杭でハンマーによって念入りに心臓を貫く。それが儀式。




 ダムピールとして生まれた人間は、ほぼ例外なくそれを人間社会には隠して生きている。ヴァンパイアは自分の生存の為、人間を襲って血を吸わなければならないからだ。別に殺すほど吸い尽くさなければならないわけでもないんだが、卵が先か鶏が先か……ヴァンパイア、あるいはダムピールだからと迫害されてきた時代の恨みを込めて、人間への報復的に、襲った人間を殺してしまうヴァンパイアが多い。そうして迫害は加速するばかりで衰えることはない。人間を守るためのヴァンパイアハンターも戦いの手口をどんどん報復的に、苛烈にしていく。






「そんな世界に、ダムピールにしてしまうことがわかった上で、私はあなたを産んだの。だからあなたには何の罪もない。罪があるとしたら、それはあなたを産むと決めた私の選択の方なのよ」






 母さんは微笑みながら、オレにそう言った。自分に罪があると言いながら、その笑みは誇りに満ちていた。異端であるとしたって、母さんにとってオレはかけがえのない息子で、人間社会で忌避される存在だとしたってそこに何の引け目もないから。






 異端になると承知の上で産むことは、本当に罪なのだろうか。母さんはこんなにも、心からオレを愛してくれたっていうのに。




 大体からして、人間だって自分が生きる為に他の生き物の肉を食うくせに。工夫と倹約さえすれば、必要最低限の血を吸うだけで、ヴァンパイアは何も殺さず生きていけるっていうのに、よくも異種族を有害生物みたいに貶められたもんだ。




 ゆえに、オレは決めたんだ。オレの生まれは罪ではないと証明するために、異端であろうがどんな人間より誇り高く生きるのだと。




 同胞のヴァンパイアどもがどれだけ生き汚く、人間を害しようが、オレはそれに追従しない。




 夜道で見知らぬ人間を襲って血をいただくなんてしない。このオレに惚れさせて、喜んで血を差し出すように誘導してきたんだ。







 てなわけで、わたしもまんまと籠絡されちゃったひとりってこと。




「それにしたっておまえほど容易い人間も他にいなかったけどな」


 って、にこりともせず岬は呆れる。




 最初こそ、顔面一発で一目ぼれしちゃったわたしだけど、今は違う。異端だろうが誇りを持って、誰に恥じることもなく生きると背筋をしゃんと伸ばした生きざま。見た目は少年なのに凛々しいその立ち姿に、わたしはちゃんと惚れ直したんだ。




「オレが人を害さず生き続けられるなら、あのどアホ兄にオレ達の生まれの正当も示せるからな」


「兄?」


「何でもねぇ、オレだけの話だから気にするな」




 父と母だけでなく兄? がいるらしいってぽろり、溢したのは、おそらくその一回きりだったと思う。






 吸血鬼っていうのは種の存続のため、本能的に人間の女を襲って子供を産ませようとする。岬のご両親は同意の上で彼を産んだのだけど、ほとんどの吸血鬼はまぁ、夜道で女を襲って、って行動に出ざるを得ない。




 それを回避するために、岬は精通前の体で自ら首をつって死んで、ダムピールから吸血鬼になったらしい。子孫を残さなきゃって本能も、それが不可能な個体にはカンケーないから。




 その弊害として、岬は無性愛者だ。性愛っていうのは性欲と直結しているものだから。わたしがいくら恋しても、彼はわたしをひとりの女として愛することは決してない。






 だけど、ね。








「ヴァンパイアハンターどもから目を着けられずに生きるには、何かと魔力を消耗するものでな……まず、厄介なのがこの髪だ」




 岬は、長く伸ばして後ろで縛った緑色の髪を手にぼやく。髪の束を持って自分の見える方へ引っ張って、しかしそれを見る目は嘆きにばかり染まっているわけじゃない。魔力の色は父から受け継いだ、彼の守るべき誇りのひとつだから。




「魔力は髪か瞳のどちらかに、固有の色として表れる。瞳の方に表れたなら、黒色のコンタクトレンズで覆ってしまえば目立たず市中を歩けるが、髪だと魔術で覆って隠すくらいしか手段がない。そのためだけに常に魔力を浪費しなけりゃならねぇ」




 人間が染髪するみたいに髪を黒く染めたら? っていうわけにいかないのは、ハンターとやり合う際に、コンタクトレンズならその場で外せるけど、染髪しちゃったらその場ですぐ落とすなんて出来ないからだ。






「かつては魔力のやりくりにもひと苦労だったが、おまえに出会ってからはその必要がなくなった。まるで体に羽が生えたように快適だ」




 そう言ってわたしを見つめる彼の目は、確かに「わたしという女に恋する」表情じゃない。でも、わたし自身じゃないとしても、彼はわたしの血にベタ惚れなのだ。




「だから……世界一美味いおまえの血さえあれば、オレは他に何もいらない」




 岬にとって、わたしはこの世で唯一の存在。その事実があるから、わたしは一生涯、一方通行の恋心だって悲嘆しないで、こうして彼を招き入れることが出来るんだ。












 十一月。残念ながらわたしの勤め先のスーパーの売り場は、少々退屈な時期となる。


 これが雑貨店とかなら、十一月どころかハロウィンも終わる前からクリスマス商戦の小物が並び始めたりもするのだけど。さすがに食品の類はクリスマス直前にならないと売り出しにならない。デザートコーナーは通常商品が並ぶだけで愛嬌が足りない。




 まぁ、かわいい以外にスイーツっていうものに存在意義がないってわけでもなし。今日も品出しでデザートを並べながら、気が向いたら何か買って帰ろうかなって考えていた。




「そういえばさぁ、藤崎ちゃんってどこの高校通ってんだっけ?」




 同僚の学生バイトの男子。名前は忘れたけど、店員は誰もが胸元に名札をつけているからそれを見ればわかる。小川君か。彼にとっては何気ない世間話だけど、わたしは舌の上ににがぁ~い味が広がっていくのを感じていた。




 その苦みをどうにかしたくて、思わず、ひとりで食べるにはちょっと負担なチーズケーキのホールを買って帰ってしまった。




 岬が現れるのはいつでも突然で、今日もいるとは知らずに帰ったから、ただいまとは言わなかった。言ったとしても、奴は座布団三枚を縦に並べて、真っ暗な部屋で昼寝中。いや、彼にとっては夜に起きているのが生態として通常なのだから、昼に寝ていたって「昼寝」って言うのは不適切かもしれない。




 そういうわけで、彼は就寝中なのだが。……なんとなく、気の迷い。わたしは彼の横に添い寝してみた。




 吸血鬼には体温がない。吐息が触れそうな距離感で密接しているというのに、伝わってくるのはひんやりとした冷気。十一月っていうと決して温暖ではないから、さっきまでなんともなかったというのに、わたしは寒気を感じてぶるりと震えあがってしまった。




「……なにやってんだ?」


「……別に?」




 その震動でも伝わったのか、怪訝な顔で岬が目を開けた。わたしは頭を振って立ち上がる。




 小さなアパートの小さな居間のテーブルに、買ってきたチーズケーキを置く。岬は液体しか口に出来ないから、せっかくホールケーキがあったって一緒に食べない。なんだかな。自分しかいない時に食べるチーズケーキと、目の前にいるのに一緒に食べてくれない人を見ながら食べるのとで、味が変わるはずもないのに。どうして味気なく感じちゃうんだろう。




「ぼちぼち、別の町に引っ越そうと思うの。同じ店に三年いるとね、そろそろ勘付かれそうなのよ。わたしの時が十五歳のまま止まってるのにね」






 無限に湧く魔力なんてものがあるんだから、血をたかりに来る吸血鬼の糧にするためだけじゃなく、わたしだって自分のために使いもする。




 十五歳になってすぐ、わたしはその魔力と魔術でもって、自分の体の時を止めた。なんでそんなことをって? そりゃあ、そんなものが使えるってなったら、誰もが真っ先に試すんじゃない? 不老不死。残念ながら現在の魔術じゃあ不死、は無理らしくて、だからとりあえず不老の方だけ実現しておいたってわけ。




 就労が出来る年齢で、自分が最も若く美しい時。なんて理由で後先考えず「十五歳」って年齢を選んだこと、さすがにわたしも性急だったかなって後から気が付いた。十五歳の女の子が安定して勤められる就労先なんて、そんなにバリエーションがなかったから。




 今のところ、十五歳で良かったかもって思えるのなんて。見た目十三歳の岬と並んで歩くには全く違和感がないってことくらいかな。身長、目線の高さ、ほぼほぼ同じ。






 ここで登場、わたしの勤め先のメリットその二。シフト勤務でパート、アルバイトの年代は学生から定年退職間近のご婦人まで様々で、それも毎日行く度に同じメンバーで働くわけじゃないから、人間関係が薄い。お客さんの目の前でべらべらと私語をするわけにもいかないから、自分の身の上話をしなきゃいけない場面も限られる。




 店舗ひとつひとつはミニスーパーでも、母体は全国展開している大規模チェーン店だから、「引っ越したいから」っていう理由でなら簡単に希望地域へ異動もさせてもらえる。




 要するに、世を忍ぶわたしのような異端にとっては都合が良い環境ってわけ。




「そういやぁ、おまえのその、みかんみてぇな色した頭。そんなんでああいうタイプの客商売に雇って貰えるもんか? もっとチャラついたとこならともかく」




「これも、わたしの魔術でちゃちゃっとごまかしてんの。お店で顔を合わせるあらゆる人達からね」




「魔力の色か」




「こっちは単なる趣味。魔力の色はこっち。あんたと同じ、緑色」




 山吹色の髪はなんとなく好きで脱色してるだけで、わたしの魔力の色は瞳に表れてる。一生ものの片想いとはいえ、好きな男の魔力の色とお揃いっていうのは、密かに幸せ感じちゃってたりする。こーんなささやかな幸せポイントって、わたしってばあんまり可哀想じゃないの?




「必要不可欠ってんでもねぇとこに、わざわざ目くらましの魔術ねぇ。無限に湧く魔力持ちってなぁ贅沢出来て結構なこった」




「その魔力を全力で当てにしておいてよく言えるよね……岬ってさ、どこまで知ってんの? 前世のわたしのこと」




「世間一般の魔物が知ってる基礎知識程度」


「だったらわかるんじゃない? 元々は使われるばっかりだったのがようやく自分の自由に使えるようになったんだから、小さなことでも全力で悪用するって決めたの。せめてわたしだけでもね」




 前世のわたしは、無限の魔力が湧く魔術道具の化身みたいな存在で、誰かに使われるばっかりだった。せっかくの魔力も自分の一存じゃ使えない。おまけに、いくら崇高な存在ったって結局魔術道具でしかないわけだから、自分を使う人々やらにいくら恋焦がれてみたところでいつも、決して結ばれない。




 あ~あ、それで生まれ変わったわたしまで、ぜーったい自分を好きにならない相手に片想いだなんてね。あんまり報われなくって嫌になっちゃうなぁ。




 まぁ、生まれ変わりって言っても私が前世から引き継いでいるのは記憶だけで心ではないから。これで人格まで受け継いでいたとしたらわたしのこの現状、悲観して命を絶って、次の転生ガチャに賭けましょうってなっちゃってもおかしくないよ。






 午後三時、退勤。今日はクレームのお客さんもなくて何ら心的負荷のないお勤めだった。こういう時、わたしは何も買って帰らない。甘い物を食べたくなるっていうのは、仕事で疲れてるとか落ち込んだとかで気晴らしをしたいってのが目的だから。




 そんなご機嫌を台無しにするような光景は、店を出た先で広がっていた。店の前は赤茶色いタイルを敷いた、車両の入ってこない小さな広場になっていて、ベンチや噴水もある。幼稚園帰りの親子連れやカップルの憩いの場になっていたりする。




 わたしも、見た目は十五歳でも中身は二十五歳なわけですから、赤ちゃん連れのお母さんやカップルを見たらモヤモヤ……なーんてことはありません。家庭の事情で親子関係ってのに憧れなんて持てない身の上でして、ラブラブのカップルだって延長線上に家庭って最終形態があったりなかったりするもんね。




 だからこそ、なのかもしれない。岬みたいな、家族のにおいをちらりとも感じさせられない孤高の男を好きになってしまうっていうのも。なんだか逆に安心感がある。双方が「そういうもの」を求めていないのがわかっているから。


 話が脱線しちゃったけど、そんなわたしを落ち込ませた光景っていうのは。その岬がグラマラスなお姉さんと腕を組んで、ベンチに座って談笑しているからだった。




 お相手の女性は私には一生縁がないような、キラキラしたビーズのいっぱい貼り付いた、体のラインのばっちり浮かび上がるようなドレスを着ている。露出度の高い、身も蓋もない言い方をすれば夜のお店の出で立ちってやつ。




 そんな大人の美女と十三歳の見た目の岬が並んで釣り合うはずもなく、今の岬の姿は子供のそれじゃない。表地は黒、裏地は赤のスーツでビシッと決めて、大人の男性の姿になっている。子供の姿でも顔が良かったっていうのにそれが大人になるんだからそれはもう堪らないイケメンである。




 吸血鬼っていうのは魔力を消費して、自由に外見を変えられる。全身まるごと変えるとなるとかなりの魔力を消費してしまうから、わたしに出会うまでの岬はそんなに気安く変身は出来なかったらしい。




 つまりこの最低男は、わたしから搾取した魔力を使って、別の女性とデートしているのでした。それを見て落ち込むなっていうのは酷ってもんでしょう?




「あらぁ? ねぇ岬君、あそこの子、知り合い?」


 別にお邪魔をするつもりはなかったのだけど、美人は自分が見られることに敏感なのでしょうか。じと~っと見つめるわたしの視線に気が付いてしまった。




「ああ。オレの女のひとり」




 岬はこちらをちらとも見ないで答える。こいつはわたしを、「血のにおい」とやらでも判別してる。そも、すぐそこにあるお店でわたしが働いてるのも知ってるんだからね。




「そうなんだぁ、かわいらしい~。未来有望なお嬢さんに酷いことして、悲しませちゃ駄目よ?」


 女性は余裕たっぷりだ。さすがに、この見た目の岬とわたしみたいなちんちくりんのお子様じゃ釣り合わない。「オレの女」って言葉を鵜呑みにしないで、せいぜい妹とかそんな想像をしているのかもしれない。




 元々、ここでお別れしてお勤め先のお店に向かうところだったらしい女性は、「じゃあね」と手を振って去っていった。ほっそりして爪先も綺麗に飾った、素敵な指先だった。




「あ~ん~た~ねぇ~」


「どうした、餓鬼みてぇな顔して。腹でも減ってるのか」


「お腹なら減ってるわよ、こっちは昼食抜きでこの時間まで働いてるんですからね~え、ってそんなことより! なんなのよ、あんな風に笑えるんならわたしと話す時もああいう顔しなさいよ!」


「なんでだ?」


「なんで、って、わたしが嬉しいから以外の何かある?」




「あんな顔、商売相手の気持ちを上げて貢がせるための、いわば商売用だろ。そんなもの向けられるのがおまえはそんなに嬉しいのか?」






 わたしと出会って魔力のやりくりに苦労していた頃の岬は、こうやって女の人に取り入って、お金も血も得て暮らしていたらしい。決まったお店に所属はしない出張ホスト紛いのことをしていたそうで、必要頻度は減ったけど今でもその仕事を続けている。




 こんな仕事を無所属でしていると、裏社会のこわ~い人達に睨まれることもあるし、ヴァンパイアハンターと戦うことだってある。というわけで、岬は愛用の銃のお手入れや弾薬を仕入れるためにお金が必要。お仕事用のお高いスーツだって何着も買わなきゃだし、野宿趣味ってわけでもないから部屋だって家賃を払って借りている。要するに、楽してまとまったお金を稼ぎたいのだ。






 心の底から疑問です、って本音が岬の顔には浮かび上がっていて、わたしも困ってしまう。普段の仏頂面、無表情こそが、岬の本当の顔なのだから。それを見ているわたしの方が、さっきの女性よりよっぽど心を許されてるってこと?




「わかったわよ、だったら! わたしともたまにはデートしなさい、今からね!」




 ちょうどわたしもお腹ペコペコだし、すぐ近くのコーヒーショップに、岬の手を引いて飛び込んだ。わたしのお店と同じで平凡なチェーン店だけど、ここのホットドッグとカフェモカのセットがわたしは大好物なのだ。パンから両サイドがはみ出すほどおっきなウインナーはパリッパリで噛み心地が最高で、パンだってそのウインナーの美味しさが際立つような種類を創業者がこだわり抜いて選んだものだとか。カフェモカだって他のショップみたいなカッチカチのちゃんとしたクリーム状じゃなくて液状なんだけど、だからこそ甘さ控えめでわたしとしてはこれくらいがちょうどいい、ベストの塩梅だと思う。ぴったりワンコインっていうのもわたしの経済状況からしたらありがたすぎる。






「こんな安いメシをそこまで美味そうな顔で食べるとか。おまえは安上がりの女だな」


「わたしの貧乏舌は事実だけど、現実にこのホットドッグはおいしいんだから、それを下げるのは許さないわよ。作ってくれたお店の人にも失礼でしょうが」


「それは認める。謝ってやってもいい」


 こいつにしてはいたって素直に、自分の非を認めて軽くだけど頭まで下げてる。古今東西、どんな最低男だって「食べ物を粗末にしてはいけない」って感覚だけは自然と身に着くものかもしれない。




「そういう岬だって、どこのお店に入っても、毎度コーヒー一杯しか頼まないじゃない」






 いっつもわたしが誘うばっかりだけど、こうやって岬と一緒に外食したのはこれが初めてじゃない。これまたわたしのお財布事情でファミレスとかファストフードとか、そういうところばっかりだけど。どんな店に入っても、岬はブラックコーヒーを一杯だけ頼んで、ちびちびと舌につけるようにしながらわたしが食べてる顔を無表情で見てる。うん、悪いけど、一緒に外食し甲斐がない。




 吸血鬼は液体しか飲めないってのは知ってるけど、ドリンクだったらコーヒー以外にも色々あるじゃない。液体だけっていうならなおさら、多種多様な味を試してみたらいいのに。




「生存のためにやむをえず吸血してるが、血の味ってぇのはクソマズでな。まともな味のする飲料なんか飲んだら、血なんか二度と飲みたいって思えなくなりそうだ。その点コーヒーってのは不味くはないが苦味だから、妥協してギリギリ味わいを楽しめる」




「わたしの血は世界一美味いって言ったじゃない」




「あれは味じゃなくて、吸血によって魔力を回復する際に感じる高揚感だ。血の味そのものは他の人間と変わらねぇクソマズだぞ」




せっかく分けてあげてるっていうのにこの言いぐさである。いくらわたしでももうちょっと言葉に気を付けないと、いつか見限っちゃうからね?




「……ねえ。岬のお母さんとお父さんって今どうしてるの」




 さっきから、色々と岬の考えに触れたせいかな。急に気になって、わたしはそんなことを訊ねていた。




「ふたりとも死んだ。とっくの昔に」




 細かいっていうか、正式な数字はもう思い出せないらしいけど。岬は吸血鬼になってからもう百年くらい生きている。同じ吸血鬼だったお父さんはともかく、人間のお母さんは亡くなっているのが自然よね。




「どんなお父さんとお母さんだったの」


「どんな、って言われてもな。父はともかく、母はごく普通の親だったんじゃねぇか」


 もう遥か昔に死別した両親のことを深堀しようとするわたしが、岬はなんだかうっとおしげだった。特にお父さんのことには触れて欲しくなさそうな雰囲気が伝わってくる。吸血鬼だったし、ハンターに殺されちゃったとか、悲しい出来事とセットになってるのかも。




「その『普通の親』がわたしにはわからないから聞いてみたいんじゃないの。参考までにね」






 わたしには両親の思い出がほとんどない。子供の頃、辛うじて物心ついたくらいで我が家は解散して、わたしは孤児院暮らしになった。




「あの人も私も、正式に、あなたの親ではなくなったからね。さようなら」




 その、お別れの言葉だけは覚えている。それ以外の情報は何もない。




 園長先生に聞いた話だと、わたしの両親の関係は冷え切っていて、お互いのこととわたしの存在に無関心。それゆえに別に暴力、暴言を受けたってわけではないらしい。同じ孤児院には虐待の痕を心にも体にも生々しく刻んだ子供達も少なくなかったから、そういう意味ではわたしはまだマシかなって思う。




 その、いわば「スキル:無関心」とでも呼べそうな両親の性質を受け継いでいるのか、わたしは別段、彼らに会いたいとか恋しいとか、どうしてわたしを捨てたのよなんて悲嘆は別にない。




 そんな性質と、孤児院育ちってだけで普通の学校のクラスメイトからはちょっと忌避されがち。いわゆる「あの子とは遊んじゃいけません」ってやつね。






 お勤め先のメリット、その三。親無しのわたしは高校進学も出来なくて中卒。そんなわたしでも、雇ってもらえるようなお仕事だったってこと。学歴も身寄りもない十五歳の女の子でも務まる十把一絡げの就労形態なのだった。






 こんな感じ。人間としてはこの世で唯一無二らしい「無限に湧く魔力」を持つわたしだけど、人間に生まれたからこそ。そして教養も頼れる大人の知り合いもなさすぎて、それを活かせる手段がわからなくて。ワーキングプアみたいな身分に甘んじているのだった。




 前世の記憶を活かして魔術師として活躍出来るコミュニティでも行けばおいしい思いっていうか、ありがたい魔力にふさわしい人生が送れるのかもしれないけど。人間社会とは全く別種のアングラみたいなそっち方向に行っちゃうのはさすがになんとなく怖いのよね。




 そんなわたしの身の上話を、岬は無表情で聞いていた。哀れんで欲しくて話したわけじゃないし、こいつだって吸血鬼として命を狙われ苦労して生きてきたのだろうから、この程度でいちいち心動かされないのかもね。




「わたしと違ってお母さん自体は普通にいたわけだから、岬にもおふくろの味っていうか、思い出みたいなものってあるの?」


「吸血鬼になってからのオレは液体しか口にしねぇから、母は会いに行く度クリームシチューやスープカレーを作ってくれたんだが……具材は除けて、スープだけ皿によそってくれて」




 そこから先は想像がついた。さっき聞いたばっかりだもん。




 作ってくれる気持ちは嬉しくても、お母さんの作る美味しいシチューを味わった後に吸う血の味、たまらなく嫌だったんだろうな。






「でも、いいなぁ。気持ちのこもったおふくろの味。わたしもなんでもいいからひとつくらい、そういう思い出あったら良かったのに」






 孤児院の食事だっておいしくなかったわけじゃないけど、それはやっぱり集団調理で、わたしのためだけに心を込めて作ったものじゃないから、いまいち心に響かなかった。




 それだけじゃなく……見てしまったんだ、うっかり。






 食事の提供前の調理中の時間、廊下を歩いていて、たまたま。うっかり調理場へのドアを閉め忘れた人がいるみたいで。




 お勤め経験の浅い新人らしい若い人を、ベテランの調理員の人が厳しく指導している声。言ってることは間違ってないんだろうけど、言い方がかなり酷くって。えっ、普通に言ってあげればいいじゃないってくらい、理不尽な怒声。




 わたしの今の勤め先だっていろーんな人がいるから厳しい言い方する人だっているけど、お客さんと接する仕事で第三者の存在が常にあるからか、ここまで厳しくない。密室でお仕事するって、接客業とは違った意味のしんどさがあるのかもなぁって今のわたしだったら納得するんだけど。






 でも、当時のわたしは、自分の日常食べているものがそういうギスギスした環境で作られてるって事実が割とショックだったんだ。それまでは「おいしくないわけじゃない」と思いながら普通に食べていたご飯の味も、わからなくなってしまった。










 楽しんだかどうかはともかくとして、岬とデートしたその翌日。わたしはお勤め中に、お客様に怒鳴られていた。この手のトラブルなく勤務を終えられる日の方が圧倒的に多いんだけど、人間、嫌な出来事の方が圧倒的に記憶に残りやすく、心へのダメージも大きくなるもの。


 一応、理不尽なクレームではなく当店の従業員が起こしたミスが由来のクレームだから、きちんと聞かなければいけない。ふと、頭をもたげるのは、わたしのお得意の洗脳魔術によって相手の記憶からクレーム内容を消して帰しちゃうってこと……。




 なんだけど、いくらしんどくたって一度受けたクレームは「なかったこと」にするよりも、今後同じクレームを受けずに済むようにきちんと自分の経験に残した方がいいんだ。そう思って毎回、誘惑を断ち切ってきちんと聞いて対応している。






 お客さんの気が済んでからようやく、改めて、頭を下げてミスの対応をしてお帰りいただくことが出来た。やっと片付いた……どっぷりと心労を感じながら、通常業務に戻ろうとしたところ、入口の自動ドアが開く。




「いらっしゃいませー……、って」




 マニュアル通り、お客さんの来店に気付いたら即、ご挨拶。だけど、その人はお客さんなのか冷やかしなのか、わたしには判断がつかなかった。




「岬? どうしてうちの店に?」




 彼と出会ってこの数年、店の外で待ち合わせしたくらいはあるけれど、岬が店内に入ったことはなかった。だって、用事がないじゃない。固形物は食べられないし、飲料だって求めてない吸血鬼が、ほぼ食料品しかないミニスーパーで買うものなんて。




「どうしても何も、買い物以外にねぇだろう。オレだけじゃ必要な材料がわかりかねるから、おまえに直に訊きながら選ぶのが手っ取り早い」


 知り合いに勤務中の姿を見られる気まずさってもんをこいつに理解しろっていうのは、まぁ、今更無理なんでしょうね。




 ささいなこととはいえ、他の店へ行かずわたしを選んで頼ってくれたって事実がちょっとだけ嬉しくて。しんどい客対応の直後に好きな彼の顔が見られたことにも元気づけられて。




「そういうことなら、何をお探しでしょうか? お客様」


 そんな個人的感情を胸にしまって、マニュアル通り、お客さんとしての対応を優先することが出来た。




「クリームシチューを作る」


「……はい?」


「知りてぇんだろ? おまえのためだけに作られた料理の味ってやつが」




 まさかまさか、この岬が。わたしのためにこんな、心ある行動を取ることがあるなんて。驚きすぎて、喜ぶより先に思考停止しちゃいましたよ。




 そして、これでわたしも勤続十年のベテランなものでして。




「申し訳ありませんが、お客様。当店ではシチューの材料、揃わないんですよ」


 要求に応えられないのが残念すぎるけど、正確な事実をお伝えする。




「スーパーマーケットっつうのはそのための場所じゃねぇのか?」


 世間知らずの岬君は、純粋な思いで首を傾げる。いつになく、外見相応の幼さを感じる表情でそれを言うから、わたしも胸の奥底だけでときめいてしまう。




「もっと規模の大きなスーパーならそうなんでしょうけど、うちはミニスーパーなもので……。まず、じゃがいもが売ってないのよね……」




 シチューに必要な最低限の具材といえば、にんじん、じゃがいも、たまねぎ、お好みの肉、シチューのルウ。ってところでしょうが、じゃがいもがないし、欲を言えばお肉だって、どうせ作るならもっと大きなスーパーでもっと質と量のあるものを買って欲しい。自分の勤め先の売り上げに貢献することを優先出来ないダメ店員で申し訳ないんだけどね。






「せっかく来てくれたのに悪いけど、先にわたしの家に帰って待ってて。後で一緒に、うちの近くのスーパー行きましょ」


「用事がすぐに片付かねぇのはめんどくせぇが、そうする」




 ごめんなさいね、用事が片付かないようなお店で。これでも、ミニスーパーを求める客層にとっては「何でも揃うお店」の基準を満たしているわけだから、こういう事態もあるけど成り立っているのよ。




 そも、岬は日中出歩くのは好まない吸血鬼。素直にわたしの家に帰って、暗くなるまで寝ておくことにしたみたい。




 約束通り、家に帰って、でも岬が元気になる日没までわたしも仮眠して、立ち仕事の疲れを癒して。お互いに元気になってから家の近くの大型スーパーへ向かった。好きな彼と一緒にスーパーで夕食の材料選びなんて、女の子にとって夢のひと時よね。




 材料を揃えて、台所で並べて、そこで岬は気が付いた。




「具材の切り方がわからねぇ」




 十三歳からこっち、固形物での食事を一切必要としない人生だったのだから、こっち方面の無知をとても責められない。その晩はシチュー作りを諦めて、わたしはいつも通りひとりの夕食をありあわせのもので済ませる。




 翌日、わたしの勤務中に岬は図書館へ行き、野菜の切り方を調べてきた。超初心者向け料理本にすらそこまでの基礎知識はなかなか書いていないので、逆に「最も美味しく調理するための食材の切り方」みたいな少し玄人向けの本を読んできたらしい。




「三日連続で昼に歩いて疲れたぞ。血をよこせ」


「は~い、どうぞ~」


 せっかくわたしのために料理してくれるっていうのに、その直前にこれだからちょっと肩すかしだけど、今回ばかりはわたしも快く血を差し上げましたとも。






 岬は世間知らずだけど頭の回転は速い方だと思う。学習したらすぐ習得して、野菜やお肉を切って炒めて、シチューを作る過程はお料理初経験とは思えないような手際の良さだった。ジャンルは違えど、百年間も、たったひとりでこの険しい世界を生き抜いてきたんだもんね……。






 わたしもひとり暮らしが長くって、全く自炊しないわけじゃないんだけど……食べるのが自分だけって思うとなかなか頑張って手の込んだ料理をしようって思えなくて。シチューなんてめったに作らない。ファミレスで食べたのが最後だったような気がするし、自分で作ったのがいつだったかなんて覚えてもいない。




 寝る場所兼居間、台所件食事場所のふた部屋しかない安アパート。テーブルに肘をつきながら、小さな台所で料理する岬の背中を眺め、包丁がまな板を叩く心地よい音に聞き入っている。シチュエーション的に男女逆では? って気もするけど、彼が私に手料理を求める機会なんか一生訪れそうにないからこれでいいのだ。なんて思いながら、胸の真ん中がじっくり熱くなるのを感じていた。




 完成したシチューをスープ皿によそって、岬がこちらを振り返った。




「……食う前から泣く奴があるか」




 せっかく作ってくれたのに。こんなこと、今後一度だってあるかもわからないのに。シチューの味だけじゃなく涙と鼻水の味も混ざっちゃって、ごっちゃごちゃだった。でも、確かにわかる。わたしのためだけに作ってくれた、甘くてあたたかな家庭料理の味だって。




 テーブルの向かい側から、いつも通りに岬は無表情でわたしを見ている。こんな時くらい、もっと、顔に感情出してくれてもいいのに。たとえそれが、恩着せがましげな達成感だとしたって構わないから。










 クリスマスイブの出勤。本来だったらわたしの固定出勤日じゃなかったのに、「私用のため」休む従業員が多すぎて、何の予定もないわたしが代わりに働かざるを得なかった。




 帰りがけ、わたしはうっかり、サンタとトナカイを模したカップケーキをひとつずつ買ってしまった。見た目が違うだけの同じ商品で、一緒に食べてくれる誰かがいるわけでもないのに馬鹿みたい。食べてくれないとしても、岬とすら約束していないから、今日を狙ってわざわざ来てくれるほど気の利いた男でもなし。会える可能性は低いだろうな。




 帰宅した我が家は、今日だけは彼好みの真っ暗な空間にしたくて出かける前にカーテンだけでなく雨戸まで閉めておいた。想像通り、そこに岬の姿はないのだった。ですよねー。




 意地を張らないで、今日だけは、一緒にいて欲しいって頼んでおけばよかったかな。






 居間の隅に置いてある独り身サイズの小さなちゃぶ台に、買ってきたカップケーキを置いて、わたしは畳の上に仰向けに転がった。今日の仕事も疲れたなぁ、って、全身で重力を感じる。




 好きな人はいるけど、恋人じゃない。親もいないし、子供の頃に友達だって作り損ねた。最後のは自分の努力不足もあるから仕方なさはあるけれど。




 ここで、わたしのお勤め先の利点、最後のひとつ。確かに、嫌なお客さんに遭遇することだってある。でも来店するお客さんが百人だとしたら、嫌なお客さんなんて一人いるかいないかってくらいで、九十九人はまともに接してくれる。何なら、ちょっとしたことで、それも店員がマニュアル通り当たり前にするべきことをしただけで、「ありがとう」って声掛けしてくれる人だって少なくない。




 わたしの生活はあまりに孤独すぎて、ひとりぼっちで、寂しくて。辛いことだってあるけれど、店員とお客さんって関係でしかなくっても。毎日不特定多数の、数えきれないほど多くの人と触れられるこの仕事は、わたしの心の拠り所だったんだ。




 だけど……今日、クリスマスケーキやローストチキンを買って帰ったお客さんは今頃、誰かと楽しくそれを囲んで味わって、おいしい時間を過ごしているのかな。もちろん、業種柄、単身者のお客さんだって多いんだからみんながみんなそうであるわけじゃないんでしょうけど……。






 心も体もなんだか疲れてしまって、せっかくのカップケーキも出しっぱなしのまま、私は畳の上で寝落ちしてしまった。十二月の寒い室内で、布団もかけないで。布団をかけてくれるような誰かもいないから、風邪をひいてしまうかもしれない。まぁ、明日、クリスマス当日だけは臨時出勤は断固拒否して休日を死守したから。一日くらいなら、軽く風邪をひいたって市販薬で快復出来る、でしょ……、……。






 ぶるり、冷気を感じて体が震えて、わたしは目を覚ました。少しでも温めようと無意識、両手で肩を抱いて反射的に身を起こす。正面の壁掛け時計が目について、零時を回って二十五日、クリスマス当日になっていることがわかる。




 どうして急に寒くなったかというと、いつの間にかわたしの傍らに岬がいて、彼の氷のように冷たい体温が伝わってしまったみたいだった。






「……なに、しに、来たの?」




 どうしてか、無性に嫌な予感がして、わたしは訊ねた。寒さだけではなく、心の動揺で、声が震えていた。




「ついさっき、ヴァンパイアハンターとやりあってな。割合、手ごわい相手だったもんで、魔力を浪費した。おまえの極上の血を貰いに来た」






 ああ、ハンターさんもこのクリスマスの夜にお勤め、ご苦労様です。岬は自分の命を狙う相手には容赦しないから、もしかして今頃、この世から旅立っているかもしれない。聖なる夜に……。




「……いい加減にしてよ……っ」




 せっかく会えたのに、特別な夜に来てくれたのに。嬉しいって思えなかった。




「わたしの血だけが目当てだとしても、割り切ってたつもりだけど……もう嫌! 無理! 限界なのよ!」




 何年も見ない振りをしてきた。わたし自身を好きになってくれなくても、岬にはわたしの血が必要なんだから、きっとずっと側にいてくれる。ずっとずっと片想いでも、この際、「いつまでもわたしだけを特別に見てくれる誰かがいてくれる」って事実だけでも、わたしの孤独を癒して貰える。そう思ってれば耐えられるって思い込もうとしてた。




「本当にわかってないの? わたしはあんたが好きなのよ! 血だけじゃなくて、わたし自身をもっと見てよ!」






 報われない恋心を抱えたまま、好きな男の側にずっといるなんて、堪えられるはずがなかったんだ。求めたら拒まず血だけを与えて、貧血になっても文句も言わず。そんな都合が良いだけの女で居続けることに、心が傷まないわけないじゃない!






 長年の蓄積を、怨念を込めて私がヒステリックに叫んでも、岬はいつもと変わらぬポーカーフェイスでわたしをまっすぐ見つめていた。




 ああ、今はその取り澄ました綺麗な顔が、憎たらしくて仕方ない……心臓が煮えたぎるような怒りに襲われた、その刹那。




「……えっ?」




 存外、優しげな手つきで、岬はわたしの肩に触れて。ゆっくり畳の上に押し倒す。仕事用のシャツの生地は薄目で、手の冷たさを直に感じてしまう。






「そんなに言うなら、試そうじゃねぇか」




 試すって、何をよ、って、たったそれだけの言葉を口にする暇さえなかった。




「んっ!?」




 岬は迷いなく、わたしの唇に自分のそれを押し当てた。あんまりにも冷たい唇に、寒気がする、体の反応としてはそれが自然なはず。だけど心の方がかぁっと燃え上がるように熱くってそれを塗り替えてしまう。




「……い、っったああぁぁ~~っ!」




 せっかくのファーストキスを味わうより先に、口の中に広がった鉄の味に、わたしを悲鳴をあげていた。全力で。その声を塞ぐように、今度は岬が口内を舌でかき混ぜる。気持ち良いとか嬉しいとかロマンチックな気分とか、そんな気に一切なれない。唇の端っこの痛さで頭がパニック状態!




「なんっっってことすんのよぉ! バカ、クソガキ、サイッッテー!」


「こうやって吸う血が一番美味ぇんだと、同種族の知り合いから聞いてたんでな。いずれ試そうと思ってたんだが、事実だったみたいだな」




 あろうことかこの最低男、自慢の牙でわたしの唇の端を裂いて出血させて、新鮮なその傷口から血を舐めていたらしい。もう衝撃的すぎて怒りすら吹き飛んじゃって、




「知ってたのに、今まで試したことなかったわけ?」


 間抜けなことに、そんな疑問を投げかけてしまっていた。




「どうとも思ってねぇ相手にそれをしたって美味くねぇんだとよ。だったらおまえで試す他に誰もいねぇだろうよ」


「……はい?」




「言ったじゃねぇか。おまえさえいれば、オレは他に何もいらないって」




 世界一美味いおまえの血さえあれば、オレは他に何もいらない。






 ……ええ、確かに聞きましたよ? 何度も頭の中で反芻してきたから、忘れるはずがない。




「おまえの血、って言ったでしょ?」




「おまえの全てはオレのものってこたぁ、オレの全てはおまえのものってのがイコールだろ。そもそも、何の興味もねぇ血が美味いだけの女をこのオレがわざわざ守ってやると思うのか?」




「……、……いや、そんな解釈、直接言われる前に結びつくわけないでしょ? そういう意味だったんなら最初っから言いなさいよ!」




「言わなくたって常識だろ? おまえの全てをよこせって言うなら、オレの全てはおまえに捧げる。そうでないならサイテーのクソ野郎になるじゃねぇか」




 自分が最低男だって自覚ないの? どこまで自己評価高いのよって、それだって驚きではあるんだけど。




「じゃ、じゃあ……わたしのこと、好き、……なの?」




 よせばいいのに、曖昧にしておいた方が平和なことだって世の中ごまんとあるのに。調子に乗って、そんなことを訊いてしまった。




「おまえにとっての愛が体を繋げるってことを含むんなら、オレの体はそういう作りじゃねぇんだから諦めてくれ。オレは、自分に理解出来ねぇ愛をおまえにゃ語らねぇ。オレからおまえに言えるのは事実だけ。おまえの全てはオレのもので、オレの全てはおまえのもの。おまえさえいれば、オレは他に何もいらない」






 大事なことだから、なのか、さっき言ったばかりの同じ言葉を彼は繰り返した。






 これまでに出会った、お金や血だけが目当ての女性達には、いくらでも作り物の笑顔や言葉を向けてきたんだろうに。わたしにだけは、うわべだけの愛を語らない。






「それが許せねぇっていうんなら、オレ達に対等の関係は成立しねぇ。おまえの前から消えてやるよ」




「……未練、ないの? わたしに……それと、わたしの、血に」




「ないわけがねぇだろう。だが、当人が望まねぇ関係ってんならオレは続けねぇ。今すぐこの場を立ち去って、今後はおまえに見えねぇ場所で生きていく」




 そうだった。こいつはクソガキで最低だけど、同時に誇り高い吸血鬼。誰も害さず生き続けて、自分の生まれを……お母さんが、お父さんを愛した結果生まれた自分を、正当性ある命なんだと証明する。異端だって胸を張って生きていくんだって、純粋な目標を持ってる。わたしは、そんな心と生き方に惚れたんだって、忘れそうになっていた。




「許すわよ、もぉ……。今までのも、これからのも、全部……」




 岬が言葉足らずだっていうのは大前提として、今まで何年も悩み続けていた片想いが、最初っから両想いだったなんて。わたしってば……可哀想じゃなくて、案外、果報者だったのね。




 親も友達もお金も、わたしにはとにかくなんにもない。でも、あなただけはいてくれるから、他には何もいらない。




「せっかくだし、血が止まるまでは気が済むまで吸ったら?」




 恥ずかしいけど、それを精いっぱい隠して、虚勢を張って。わたしは自分の口端の傷を人差し指で示した。




「じゃ、遠慮なく」




 そうそう、この遠慮のなさ、好き勝手。これこそわたしの好きなオレ様男の岬君、その人ですよ。でもね……。




「う~……痛ぁい……滲みるよぉ~」


「つくづく、色気のねぇ女……」


「うっさいわ! あんたが求めんなって言ったんでしょうが!」




 体の繋がりを自分に求めるなって言っておいて、なんつーダブルスタンダードなのよっ。




 ロマンチックの欠片もない状況だけど、ずっと好きだった人とのファーストキス。その歓喜と、単純に滲みる傷口が痛すぎて、わたしは涙を流しながらそれを味わっていた。




 すると、不意に岬が顔を離して。わたしの目元をぺろりと舐めて、涙のひと雫を舌に拾い上げていた。




「何してんの?」


「どんな味してんのか、気になって」


「どんな味だった?」


「さぁ……よくわかんねぇ」




 血も涙もない男、って言葉が、岬にはよく似合う。おそらく、普通に人間の子供だった百年以上も前にだって、悲しくてとか嬉しくて泣いたことなんかないんじゃないかな。涙の味を知らないとか、わからないとか、納得過ぎる。




「ねえ、せっかく明日はクリスマスだし、わたしも仕事休みだし。デートしてよ。腕でも組んで、街を歩いて」


「嫌だ」


「なんでよぉ~」




「こんな寒い季節にオレとひっついたら、おまえが凍えそうだから。嫌だ」




 いつもと変わらない無表情の中に、初めて、わたしへの気遣いが見えたような気がした。ううん……もしかしたら、今までだってずっと、表れていたのに。私が気付けていなかっただけなのかもしれない。




「凍えたっていいから、そうしたいのよ」


 ついでだから、これからは同じ家に暮らそうよ。家賃だって折半したらお互いに楽になるし。冷えっ冷えの体だっていいから、同じ布団で眠ってよ。




 両想いになったからって調子に乗って、今まで思ってたあれこれをぶつけてみたんだけど。




「おまえが望むんなら、そうしてやってもいいぜ」




 こんなに話が早いなら、本当、もっと早く言っておけば良かったなぁ。何年も我慢して、時間を浪費しちゃったじゃない。








 とりあえず、その日はひとりサイズの布団にふたりで入り込んで眠った。わたしは十五歳、岬は十三歳の体だから、小さな布団だってそんなに窮屈を感じずに済む。


 子供の姿を選んだばっかりに、働いても働いてもなかなか豊かに暮らせないわたし達。だけど、小さな体にだって、確かに、幸せを感じられる場面はあるみたい。




 翌朝、食べ忘れていたカップケーキを食べた。要冷蔵だけど暖房もつけていない冬の室温だから、ギリギリ傷んではいないと思う。立派なホールケーキじゃないけれど、ちゃんとサンタとトナカイを模した、わたしにとってのクリスマスケーキ。




 スプーンですくってご機嫌に味わっていたのだけど、昨夜の傷口に滲みて痛くって、あんまり味がわからなかった。別にいいけどね。わたしと岬の、これからのながぁ~い人生、何度も訪れるクリスマス。絶対に忘れない、最初の一回目の思い出としてはなかなか素敵だと思わない?






 それから数日間は唇の傷が腫れて痛かったし、何かを食べている時もその腫れた場所を噛みやすくなったしで散々だった。二度とこんな傷はごめんだわって思うけど、困ったことにこうやって傷をつけないと、わたしは好きな人からキスすらしてもらえないんだ。本当に厄介な暴君を好きになってしまったものよね、って、溜息が出てしまうのでした。





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