創作者の呪い
多くの創作者に当てはまる、ある現象のことを、私は『創作者の呪い』と呼んでいる。私もこの現象に悩む一人だ。私はこれのせいで、ありとあらゆる小説、漫画、映画を以前とは同じ視点では見れなくなった。
私の言う呪いとは何か。それは「自らが創作するものに関わる全ての創作物に対して、創作者として見てしまう」というものである。それらしい用語を使って述べるならば、「自らの意思と関係なくメタ視点で創作を捉えてしまう」と言う現象である。
私という具体例をもとに、この現象についてさらに詳しく説明する。なお、具体例の中での創作物は漫画や文庫やラノベや映画を想像していただきたい。
私は数年前から小説を趣味にしている。もっとも、趣味で書く程度なので常に小説に生きているわけではないが、少なくとも私は思考リソース、時間リソースの一部を創作に割り当てている。
私が小説をちゃんと書くようになったのは、数年ほど前からである。だから、この症状に悩まされるようになったのもその時からだったと思う。
さて、私は小説を趣味とする以前は、創作物に対して純粋に笑い、感動し、感化されていたように思う。しかしいつからだろうか、ある時から私は創作に触れた際に、自身の感情と並行で、作品をメタ視点から見るようになってしまっていた。喜劇的な展開に対して、この場面、このストーリー進行度の中で「創作的な意味で」どうして喜劇を演出するのだろうか、悲劇的な展開に対して「創作的な意味で」悲劇を起こす必要はあったのだろうか、と考えてしまう自分がそこにいた。
それを考えるようになった瞬間に、私は創作を純粋に楽しめなくなった。喜劇的な展開に笑えず、悲劇的な展開に泣けなくなってしまった。特に、キャラクターが死んだ場面で、その死に悲観すると同時に、その死の「創作的な意味」を勝手に考え始める自分には本当に嫌気がさした。人として当然持ち合わせるべき道徳が欠如したのだと、そう言われたような気持ちにすらなった。
私が抱える悩みは、具体例に示すように小説や漫画に対するものであるが、この具体例に限らず、そして私に限らず、この現象はあらゆる創作者が通る道ではないかと勝手に考えている。創作をすればするほど、その創作を楽しめなくなるのは、まったくもって酷い話である。
私がこの呪いから解放される日は来るのだろうか。それはきっと、私が筆を折った日だろう。それも、なんの未練も残さずに筆を折ることを決意した日に違いない。これは創作者であるがゆえの悩みなのだから。創作しようと少しでも考えた時点で表れてしまう気持ちの悪い感情なのだから。
創作者の心を蝕み、それが創作から手をひくまで続く負の症状、まるで私には創作という呪われた剣を持ってしまった愚かな人間という構図に見えてならない。
だから私は、この現象を「創作者の呪い」と表現する。
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