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壊れた未来

「これにサインを」


「...これは?」


 奥様が一枚の書類をテーブルに置いた。

 緑色の紙、その一番上に書かれている文字に息が詰まる。


「離婚届?」


「そうよ」


「でも、この人は意識が...」


 配偶者が意識不明の場合、離婚には裁判とか手続きが必要な筈だ。

 簡単に離婚は成立出来ない。


「そんなのどうにでもなる。

 この病院の事も、診断書もね」


「そうですか...」


 聞くだけ無駄か。

 こんな簡単に離婚が出来るなんて、本当はもっと早く離婚したかったのに。


「最後に1つ良いかしら?」


「...はい」


 離婚届に署名する私に奥様が呟いた。


「この人と暮らした6年間は幸せだった?」


「そ...それは」


 何と答えれば良いか分からない。

 幸せだったなんて絶対に言えない、常に生活は苦しく携帯はおろか、化粧品も最低限の物しか買えなかった。


 服や下着も破れてたら繕い、いつもみすぼらしい格好。

 娘の服だけは両親からのプレゼントで人並みだったが。


「...分かりません」


 結局は逃げるような答えしか返せない。

『金が無かったから、幸せではありませんでした』

 そんな言葉は通用しない、自業自得と言う事くらいは分かっているのだから。


「やっぱりその程度だったのね」


 奥様の言葉がまたしても突き刺さる。

 しかし他に答え様が無い。


「本能のままに生きて、覚悟の無いまま私達家族を、そして恋人を傷つけた。

 貴方達はサル...いいえ虫ケラ以下ね、よく分かったわ」


「そんな事は...」

「違うのかしら?

 常識で考えてご覧なさい、結婚の仲人を頼んだ男に口説かれてホイホイ行く?」


「う...」


 過ちだったんだ、気の迷い。

 戻れたなら、絶対に繰り返さない。

 次こそは政志さんと幸せな家庭を選ぶのに...


「結局沙実ちゃんは要らない子だったね」


「違う!」


 あの子だけは違う、私の支えだった!!


「ならどうして?

 娘と会えただけでも幸せって言えないの」


「ぐ...」


 確かにそうだ...沙実は私の宝物、あの子が居なかったら私は逃げ出していただろう。


「貴女は山井さん以下よ」


「山井さん?」


 山井さんって、同僚の山井史佳さんの事?

 彼女は二人の子供の母親だった。

 ダブル不倫の果てに、不倫相手の子供を妊娠して、托卵を企み旦那さんにバレて離婚になったんだ。


 不倫相手との子供は堕ろし、別れた旦那さんと不倫相手の奥さんへの慰謝料、残して来た子供の養育費を払う為に私と同じ会社に連れて来られたと言っていたが...


「山井さんはもう行く当てが無い、実家から絶縁され、不倫相手は追い込まれて自殺。

 当然だけど元ご主人や子供達にも会えない。

 おそらく一生会えないでしょうね」


「...そうでした」


 確かにそう聞いたが、何故私は彼女以下なの?


「裏切った家族にお金を振り込み続ける生活。

 もう絶対に会えないと知りながらよ。

 でも山井さん逃げないの、バカな自らの人生にケジメを着ける為。

 両方の家庭に慰謝料を払っているのよ。

 貴女、その事で私に本気で謝った?

罪から逃れたくて、口先だけで一言だけで済まそうとしたじゃない」


「あ...」


 彼女は知っていたのか、奥様からの電話は私を解放する連絡だと。

 それなのに、彼女は『幸せに』と...


「もう行きなさい、せいぜい娘と幸せに暮らす事ね」


「...失礼します」


 部屋を出る前にもう一度だけ男を見る。

 やはり何の感情も湧いて来ない。

 沙実も全く父親である男に懐かなかった。


 男も娘に愛情を向ける事は一度も無かった。

 奥様は男が良い父親だったと言っていたが、本当なのだろうか?

 もしそうなら、男にとって沙実はなんだったの?


 私には情欲の目を向けていたが、愛は全く感じ無かった。

 不倫中は飽きる事なく、愛してるだの言ってたのに。


「早く消えろ!目障りだ!!」


「は...はい!!」


 慌てて病室を飛び出す。

 怒りに満ちた視線は、バレた時より強く、射殺されるかと錯覚する程だった。


「終わったかい?」


「...佐百合」


「お父さん...お母さん...」


 一階の待合室に居た両親が私を見て椅子から立ち上がる。

 ここに来てくれてたんだ。


「ママ!」


 母の膝から下りた沙実が私にしがみつく。

 手にはお気に入りのうさぎのぬいぐるみが握られていた。


「...沙実、ママ迎えに行けなくてごめんなさい」


「ううん、お爺ちゃんとお婆ちゃんが居たから寂しく無かったよ!」


「そう...」


 これから母娘二人の生活になる。

 両親はこの後帰ってしまうに違いない。本当は一緒に帰りたいが、私の不倫は地元に知られてしまったのは知っている。


「行こうか」


「どこに?」


「帰るんだよ、家に」


「送ってくれるの?」


 タクシー代が助かる。

 出来れば今晩だけでも一緒に過ごしたい。

 せめて一晩だけでも。


「お前のアパートは解約した。

 必要な荷物はトラックに積んで貰ったから明日には着く」


「...それはつまり?」


 アパートが無い、つまりホームレス?

 それじゃ私と娘は今日からどこに住んだら良いの?


「私達の住む家に来なさい。

 もちろん奥様には許可を取った、お前の仕事も今日で退職だ」


「一緒に?退職って?」


 仕事の引き継ぎなんかしてない。

 どこまで手回しをしていたんだ?


「車は駐車場だ」


「行くわよ」


 両親の後に続き、病院を出る。

 確か実家の近くに保育園があった筈、早く娘の入園手続きをしないと、私も新しい仕事を探せない。


「ありがとうお父さん、お母さん」


「貴女の為だけじゃない」


「沙実ちゃんの為だ」


「う...」


 両親は前を向いたまま呟いた。

 声色こそ普通を装おっているが、奥底に冷たさを感じる。


「ママ、新しいお家には玩具が一杯あるんだって!

 沙実の部屋もあるんだよ!」


「良かったわね...」


 何も知らない沙実は笑顔で私の手を握る。

 今まで住んでいたのは、四畳半と3畳の二部屋。

 そして風呂も無く、浄化槽トイレのアパートだっから。


「乗りなさい」


「はーい」


「ありがとう」


 懐かしい実家の車に乗る。

 車はやがて走り出した。


「あれ?」


「どうしたのママ?」


「ううん、ちよっと」


 高速道路に入り、違和感が大きくなる。

 方向が違う、このまま行っても実家には着かない。


「後で説明する」


「分かった」


 運転席のお父さんは一言だけ呟いた。

 助手席のお母さんは何も言わない、悲痛な表情を浮かべているのが後部座席から見えた。


「ほら着いたよ」


「わーい!」


「ゆっくりしてね沙実ちゃん」


「はーい!」


 車で走る事三時間。

 途中のサービスエリアで夕飯を済ませ、全く見ず知らずの町に到着した。


「いつからここに?」


 娘をお風呂に入れると疲れからか、直ぐ寝てしまった。

 新しい布団に娘を寝かせ、私は両親に尋ねた。


「6年前だ」


「あの後直ぐに引っ越したの」


 私の不倫がバレてから直ぐ?


「なんで?前の家は?」


「住める筈ないだろ...」


「お父さんの仕事先を忘れたの?

 奥様の経営する関連会社よ!

 そのまま居られる訳無いでしょ!」


「...ごめんなさい」


 なんてバカな事を聞いたんだ。

 会社の顔を潰した娘の親が...


「ここなら好奇の目に晒される事もない。

 父さんも何とか働いてローンを返している。

 お母さんもパートに」


「うん...」


 前の生活には戻れない。

 新しい生活を築く為に...父さんと母さんは60歳を過ぎて新しい土地で...

 改めて壊してしまった物の大きさを知った。


「人生はまだ続く、佐百合も娘の為に頑張るんだ」


「は...はい」


 そんな前向きになれるだろうか?

 もう30過ぎのバツイチ、しかも子持ちなのに。


「荷物は2階に置いてあるから、要る物を出しておきなさい」


「荷物って、明日着くんじゃ?」


 アパートの荷物はまだ無いって、さっき聞いたのに。


「違うわ...」


「違う?」


 違うって、新しく買い揃えてくれたのかな?


「...政志君と住んでいた部屋に置いてあったお前の荷物だ」


「...嘘?」


 全部処分されていると思っていた。

 政志と暮らした、あの荷物が?

 思い出の品もあるの?


「政志君の荷物は無いぞ、先方が処分した残りだ、二人の品は全部...」

「わ...分かった!」


 もう両親の声は耳に入らない。

 部屋を飛び出し、2階へ駆け上がった。


「違う!これも...無い!なんでよ!」


 積み上げていた段ボールを次々開ける。

 中にあったのは私が着ていた昔の服や靴、つまらないアクセサリー類ばかり。

 政志の品は1つも入って無かった。


「言ったろ、政志君に関する物は無いと」


「そんな...」


 二人で撮った写真はおろか、揃いで買った想い出の品まで、何も無い。


「政志は...今どうしてるの?」


 ずっと怖くて聞けなかった質問を両親に尋ねる。

 きっと私を待っていて...


「...結婚したよ」


「まさか...」


 結婚って、私以外と?


「詳しくは知らないが、一度だけ連絡があった。

 素晴らしいお嫁さんが来てくれたと...」


「ええ...だから佐百合も、もう政志君は忘れなさい」


「嫌だ!!」


 なんで?

 やっと自由になったんだよ?

 あんなのは過ちなんだ!!

 やり直せると、そして沙実と一緒に!


「アアア!!」


 段ボールをひっくり返し、髪を掻き毟る。

 こんな馬鹿な事があるもんか!


「お前が壊したんだ、諦めろ!」


「嫌だ!嫌だ...」


 脆く消え去る未来、6年の...いや8年の重さを知った。

馬鹿な人

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― 新着の感想 ―
[一言] いわゆる、身から出た出汁な訳で。(• ▽ •;)(今ならロクでもないモンに当って、とってもお毒!)
[一言] 多分ね…娘は自分が不倫の子供だと知ってから修羅場が再発。娘からも捨てられ、両親は他界、1人寂しく余生を送ると思いますよ。
[良い点] ほん馬鹿 [気になる点] 山井史佳……NTRハンター……〈亮〉…… うっ頭が! [一言] まあまだ若いんだから頑張れや ドンマイドンマイ! (……次は龍太に捕まればいいのに)
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