第25話 喜びなき終局
「トリスタン大王様の旗下たる四将姫の1人。東将姫アナリン。それがキミのお姉さんの今の姿なんだ。パメラ」
クラリッサのその話にパメラは声を失って立ち尽くす。
「驚いたかい? キミのお姉さんはちゃんと生きている。つい先日も会ったばかりだよ。任務でどこかのゲームに乗り込むって言ってたなぁ」
「姉上が……生きている」
パメラはようやくそう声を絞り出した。
もちろんパメラの奴は姉の存命を望んでいた。
だが、いざ本当に姉が生きていると聞き、驚きのあまり動揺を隠せずにいる。
「な、なぜ拙者の白狼牙を欲するのでござるか? そこまで事情を知っているなら、その刀が拙者にしか扱えぬことはご存じでござろう?」
そうだ。
白狼牙はパメラが使ってこそ、その威力を発揮するらしいからな。
「うん。知ってるよ。でも必要なんだ。理由を知りたければパメラも一緒に来たら? ボクと一緒に来るならアナリンに会えるよ」
平然とそう言うクラリッサにパメラは一瞬、肩を震わせる。
生き別れた姉、アナリンを探し続けていたパメラにとっちゃ、それはさぞかし甘い誘い文句だろう。
だがパメラはすぐに毅然とした口調で言葉を返す。
「クラリッサ殿。そなたらは自身の利益のために他ゲームの秩序を破壊したでござる。拙者、そうした不埒者らの手は借りぬ。たとえ遠回りしようとも、姉上は拙者自身の手で必ず見つけ出すでござるよ」
決然としたパメラの言葉だが、クラリッサは特に落胆した様子は見せなかった。
「そっか。やっぱりキミはアナリンの妹だね。一本気で融通がきかないところは彼女そっくりだ」
そう言うとクラリッサは目の前の白狼牙に視線を移す。
「確かにこのまま持っていくことは出来なそうだね。二度手間になっちゃうけど仕方ない」
そう言うとクラリッサはパンッと両手を合わせた。
「高圧光刃」
クラリッサは合わせた両手をゆっくりと離す。
すると両手の間にパチパチと音を立てる眩い光の刃が発生した。
その瞬間、クラリッサの目が鋭く光る。
そしてクラリッサの手がわずかに刃の手前の空中を切ったように見えたが、速すぎてこの目で捉えきれない。
すると……パキッという乾いた音を立てて白狼牙の刀身が折れた。
いや、きれいに切断されたんだ。
あの硬質な白狼牙をいとも容易く……。
「ああっ……」
パメラが動揺して声を漏らす。
そして切断された刃から真っ赤な血が噴き出した。
薄気味悪い現象だが、それも一瞬で終わる。
すると折れた白狼牙の刀身はまるで毒を抜かれたように本来の色を取り戻したんだ。
「よし。これなら持って帰れる」
そう言うとクラリッサは真っ二つに折れた白狼牙をそれぞれ両手に持つ。
「パメラ。その鞘も貰っていくよ」
そう言うとクラリッサはこちらに向かって一歩踏み出した。
俺とティナは反射的に身構え、刀を失ったパメラは脇差しとかいうもう一本の短い刀を構える。
その時だった。
クラリッサの背後に空間の揺らぎが発生しやがった。
あれは……またしても不正プログラムだ。
背中越しにそれを感じ取ったようで、クラリッサはこちらを向いたままため息まじりに言う。
「ディアドラ。もう来ちゃったの?」
クラリッサの言葉に答えるように、空間の揺らぎの中から1人の女が姿を現した。
それは銀色に輝くローブを羽織り、紫色の長い髪を左右に結んだ女だった。
その女が現れた途端、俺はゾワッと背中に悪寒が走るのを感じた。
隣にいるティナは動揺して顎を強張らせて歯を食いしばる。
クラリッサとは異なる、気持ちの悪い圧倒的な重圧。
くそっ!
次から次へと何なんだ。
あいつも不正プログラムの使い手なのか。
「ディアドラ。来るのが早いよぉ」
「あなたがモタモタしているからですわよ。クラリッサ。そろそろこちらの運営本部がここを嗅ぎつけますわ」
「そっか。潮時だね」
新たに現れたその女は優雅な仕草でこちらに歩み寄ってきた。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、西将姫ディアドラと申しますの」
そう言うとディアドラとかいうその女は立ち止まりパチリと指を鳴らす。
途端に俺の体にグッと強烈な圧力がかけられた。
「ぐうっ!」
頭の上から押し潰そうとするような重力がこの身に容赦なく降り注ぐ。
ディアドラがやっていやがるのか。
身動きを取ろうにも体が重くて一歩も動けない。
そしてその重力は俺だけじゃなくティナやパメラにもかかっていて、小娘どもは立っていられずにその場にしゃがみ込んでいる。
あの女……とてつもない魔力だ。
この状況のままだと、俺たちは全員、体をペシャンコにされてゲームオーバーだ。
俺は必死に重力に堪えて立ちながら静かに体内に魔力を込めていく。
ティナとパメラは地面にへたり込んだまま苦痛に呻き声を上げていた。
「うぅぅぅぅ!」
「くああああ!」
そんな俺たちの様子を見るディアドラの目に嗜虐の喜びが浮かんだ。
奴は俺たち1人1人を確認するように見つめるが、パメラに目を止めた途端、忌々しげに口の端を歪めた。
「あれがアナリンの妹ですか。姉に似て憎らしい顔をしていますね」
姉の名前が出たことでパメラは顔を上げてディアドラを睨みつける。
そんなパメラにディアドラは侮蔑のこもった視線を向けた。
「あなたの姉は任務に失敗してブザマな敗北を喫しました。ご自慢の刀もへし折られてそれはそれはミジメな負けっぷりでしたよ。サムライなどしょせんは刀を振るうしか能のない野蛮人。アナリンは我ら四将姫の恥さらしですわ」
「あ、姉上を……姉上を馬鹿にするなぁぁぁ!」
怒りに顔を赤く染めてパメラが必死に立ち上がろうとする。
たが、ディアドラの重力魔法に逆らって立ち上がることは叶わない。
「パメラ。やめときな。背骨が折れちゃうから。もう。ディアドラは意地悪だなぁ。この子、アナリンと仲悪いんだよ」
クラリッサはそう言うと軽い足取りで近寄って来る。
そして重力魔法の範囲内に入っても平然とした顔で、パメラの腰帯から白狼牙の鞘を抜き取っていく。
あいつ……この重力をまるで苦にもしていやがらねえ。
クラリッサはディアドラの傍に戻ると言った。
「ホラ。もう行くよディアドラ。キミも目当ての物は手に入れたんでしょ」
「当然ですわ。どこかのサムライ女と違ってわたくしは仕事は確実にこなしますの」
憤然とそう言うディアドラを宥めながらクラリッサは俺たちに手を振る。
「ボクたちはもう行くよ。その術はすぐに解けるから安心していいよ。じゃあね。皆。楽しかったよ。またいつか」
こいつら……俺たちを殺しもしねえでさっさと立ち去ろうってのか。
相手にもされてねえ。
くそが……ナメやがって。
このまま黙って帰らせるかよ。
俺は先ほどから蓄積していた魔力を一気に解放する。
「焔雷!」
俺の体から炎と雷が巻き起こる。
俺は温存していた全ての魔力を込めて左足で地面を軽く踏み鳴らし、今できる精一杯の抵抗をしてみせた。
「稲妻迅突脚!」
稲妻に乗った俺の体が重力の呪縛から解放されて宙を舞う。
狙いは……クラリッサだ!
俺はクラリッサの後頭部を目がけて必殺の膝蹴りを繰り出す。
だが……。
「おっと!」
まぐれにも狙いは正確だったが、クラリッサは即座に振り返って俺の膝を片手でいとも簡単に受け止めやがった。
くっ……。
次の瞬間、クラリッサは俺の鳩尾を思いきり拳で突き上げた。
「がはっ……」
あまりの激痛に一瞬、目の前が暗くなる。
先ほどティナの回復魔法によって全回復したはずの俺のライフは、クラリッサのたった一撃で80%も削り取られてしまったんだ。
だが……俺は崩れ落ちそうになる足を必死に堪え、歯を食いしばってクラリッサの前で立ち続ける。
屁にもならねえ意地だ。
だが、俺の儚いせめてもの抵抗だった。
そんな俺を見つめるクラリッサの目が歓喜に彩られている。
「バレット。ディアドラじゃなくてまっすぐにボクを狙ってきたね。ボク、キミのそういうところが気に入ってるんだよ」
そう言うとクラリッサは俺の目の前に手を差し出してくる。
「どうかな。ボクの部下にならないかい?」
予想もしなかったその言葉に俺はわずかに息を飲む。
「……頭がおかしくなったのか? 俺が首を縦に振るわけねえだろ」
「至って正気さ。ボクなら……キミをもっと高い場所へ引き上げてあげられる。ここにいたんじゃ絶対に手に入らない強さを手にしたくないかい?」
そんなクラリッサの様子を後ろから見ていたディアドラは顔をしかめた。
「クラリッサ。お戯れが過ぎますわよ。殺す価値もない者たちだというのに」
フンッ。
ディアドラが足止めするだけで殺そうとしないのは、俺たちが取るに足らない相手だからかよ。
くそったれが。
だがクラリッサはそれには答えずまっすぐに俺を見据える。
自分の言葉が本気であることを示す顔だ。
俺はそんなクラリッサの鼻先に自分の顔を近付け、その目の奥を思い切り睨みつける。
「俺の力は俺が自分で手に入れる。他人からもらった強さなんかじゃ俺は熱くなれねえんだよ。クラリッサ。俺は自分で掴んだ強さで、おまえを大地に這いつくばらせてやる。必ずだ」
俺の言葉にクラリッサは少し残念そうに、しかし楽しそうに答える。
「そう言うと思った。楽しみにしてるけど……正直、キミがボクのいる場所まで到達できるイメージが湧かないな。ボクの予想を覆してみてよ」
「クラリッサ。タイムアウトですわ。来ますわよ」
そこでディアドラが声を上げ、俺たちの頭上にひときわ大きなコマンド・ウインドウが表示される。
【魔神領域開放】
解放?
この世界が正式に開かれたってことか?
その表示を見たクラリッサは肩をすくめた。
「ありゃ。もう行かないとね。バイバイ。バレット。ティナ。パメラ」
「では皆様。ごきげんよう」
俺たちの目の前でディアドラは前方に手をかざした。
するとすぐに空間がバグで揺らぐ。
クラリッサとディアドラはその空間の中へと足を踏み入れ、一瞬にして消えていった。
そして次の瞬間、空間の揺らぎは青い光を伴って消えていく。
それを見たティナは唖然として声を漏らした。
「あ、あれは……正常化です」
ティナの言う通り、空間の揺らぎを消したのは見慣れた修復術の青い光だった。
揺らぎの向こう側から正常化してバグを消しやがったんだ。
「あのディアドラとかいう女は、不正プログラムだけじゃなく修復術まで使うってのか」
「そ、そんなこと出来るはずは……」
ティナは困惑の表情でそう言いかけるが、そこで俺は立っていられず、ガックリと両膝を地面についた。
クラリッサから喰らった一撃で俺の体は大ダメージによる麻痺状態に陥っている。
だが、それでもあれは俺が即死しないよう力加減を制御した一撃だった。
ちくしょう……ナメやがって。
「私たち……生き残りましたね」
そう言ったティナの顔は言葉と裏腹に冴えない表情だ。
そしてその隣では刀を失ったパメラが悔しげに肩を震わせている。
俺は……ヒルダを倒し、ロドリックも倒し、この戦いを生き残った。
だが、俺たち3人はまるで敗残兵のように、しみったれた顔をしている。
異世界から訪れた強く強大な者たちが、この世界で好き勝手をして帰っていった。
南将姫クラリッサと西将姫ディアドラ。
あいつらと渡り合うには何をどうすればいいのか。
今の俺には皆目見当もつかない。
「何だい? そろいもそろって葬式みたいな顔して」
呆然としていたために後方から近付いて来る人物に気付かなかったが、背後から聞いたことのある女の声がして、俺たちはハッと振り返った。
現れたのは真紅の長い髪と宝石のような緑色の目を持つ悪魔の女だ。
それは俺と旧知である下級悪魔の女だった。
「リジー……おまえ、なんでここに」
「運営本部のお偉方からあんたたちを探す様に言われてね。もうすぐ天使どもの軍勢も到着するよ」
金に目が無い守銭奴の鍛冶屋。
それがこのリジーなのだが、前回の戦いの時と同様に運営本部と何やらつるんでいやがる。
ただの下級悪魔の女に、運営本部は何をさせようとしているんだ。
「おまえは一体誰に頼まれて何をしているんだ?」
俺の問いにリジーはニヤリと口の端を吊り上げて笑うばかりで頭上を見上げる。
「そんなことよりホラ。お迎えが来たよ」
その時、多くの人影が空中から降下してくるのが見える。
ライアンやミシェルを含む天使の集団が到着したのだった。
その光景は、灰色の決着となったこの戦いが一応の終幕を迎えたことを示していた。




