第4話 白面童子
このエンダルシュアまで案内役を買って出た下級天使のミシェルが殺された。
奇妙な白い面のガキが放った凶弾によってな。
フクロウ姿の俺はとにかくエンダルシュアの奥に向かって飛び続けた。
くそったれ。
薬の効果が切れて元の姿に戻れるまでおそらく後15分ほどだ。
その前に殺されたりしたら目も当てられねえ。
俺が無我夢中で飛び続けた。
辺りには多数の魔物どもに襲われている連中が口々に上げる悲鳴が響き渡っている。
「白面童子だぁぁぁ!」
「ひいっ!」
白面童子。
それがあの魔物どもの名前か。
聞いたことはないが、ガキのくせしてなかなかの凶悪さだ。
奴らは全員が小型の石弓を装備していて、小さい体でチョコマカ動き回りながら黒い針を射出して地底の民を次々と射殺していく。
不気味なのは殺しを続けるその顔がまったくの無表情なのと、声をまったく発しないという点だ。
無言の殺戮によって地底の民どもは次々とゲームオーバーに追い込まれていく。
そんな中、懸命に走って逃げ続ける1人の男が悲鳴まじりの声を上げた。
「くそぉぉぉっ! ここは安全地帯のはずなのに何で魔物が!」
安全地帯。
このゲームにも仕様上、まったく魔物の出現しないエリアが存在する。
俺が以前に訓練に使っていた悪魔の臓腑という洞窟も、最深部の地下50階だけは魔物が出現しない仕様になっていた。
そういう場所に魔物が出る。
それは明らかに不具合だ。
ってことは……。
「奴らは不正プログラムの穴を使って転移してきやがったんだ」
誰に聞かれるでもない言葉が俺の口を突いて出た。
この近くに不正プログラムの穴があるってことだ。
俺は建物の裏手に回り込むと素早く周囲を見回した。
どこだ?
穴はどこにある?
ありとあらゆる場所に視線を巡らせるが、天井にもそこらの地面にも建物の壁にもそれらしき穴は見当たらない。
仕方なく俺は一番端にある建物の裏庭に設けられた古井戸の縁に止まった。
「くそっ! 一体どこに……」
そう言いかけたその時、何者かがいきなり俺の体を後ろから無造作に掴みやがったんだ。
俺は今の自分がフクロウだということも忘れて声を上げた。
「うおっ!」
反射的にもがきながら背後を振り返った俺のすぐ目の前に、真っ白い顔のガキが迫ってきた。
その白面童子は古井戸の中に潜んでいたらしく、そこから出てきて俺の体を掴みやがったんだ。
「放しやがれ! この野郎!」
俺は鋭い嘴で白面童子の手をつつきまくるが、ガキはビクともしねえ。
それどころかいきなり大口を開けやがった。
その口が耳まで裂け、鋭い歯が立ち並ぶその顔は、一見すると笑っているようにも見える。
だが違った。
白面童子はその口で俺を頭から丸かじりにして食おうとしていやがるんだ!
俺はありったけの力を込めてこの手から逃れようともがくが、白面童子の握力は思いのほか強く、まったく身動きが取れねえ。
そういえばさっき見かけた白面童子は片手で岩盤の突起につかまってぶら下がり、自分の体重を支えていた。
こいつらは握力と指の力がものすごく強いってことだ。
くそ!
俺本来の体だったらこんなもん容易く解けるってのに!
だが薬の効果が切れるまでは少なく見積もっても10分はかかる。
どう考えても無理だ。
「クアアアアッ!」
俺は最後まであきらめずに体をバタつかせた。
その時だった。
「ガフッ!」
俺を喰おうとしていた白面童子の首が切断されてその頭が宙を舞う。
途端に俺を掴んでいた手の力が抜け、俺は脱出に成功した。
すぐさま羽ばたいて近くの建物の屋根の上に非難すると、俺は状況を見下ろして理解した。
俺を掴んでいた白面童子は一撃で首を断ち切られて絶命していた。
そしてその首を断ったのは1人の上級天使だった。
「やれやれ。救難信号を受けて来てみれば、このような魔物どもが這い出してきたとはな」
そう言って槍の穂先に付着した白面童子の血を振り払ったのは、先ほど天樹の根にあるゲートで衛兵どもをまとめていた上級天使だった。
そうか。
地底の民が通報でもして、それで上級天使がここに駆けつけたってことか。
周囲を見回すと、他にも天使どもが白面童子たちを相手にしていた。
「そなたはミシェル殿のフクロウではないか。彼女はどうされたのだ?」
上級天使は俺を見上げるとそう尋ねてくる。
さて一難去ってまた一難か。
この状況で元の姿に戻れば、天使どもと一戦交えることになる。
普段ならば大歓迎だが、今は用事の真っ最中だ。
そんな俺の内心を知らず、上級天使はさらに俺に声をかけてくる。
「この辺りで男の叫び声が聞こえたのだが知らぬか? まあ、そなたに聞いても仕方ないが」
さっき俺が出した声を聞きつけやがったのか。
喋っているところを直接見られたら面倒なことになるところだったぜ。
俺はもう一度周囲を注意深く見回した。
ザッと見ると今この場に駆けつけている天使の数は7~8人程度だな。
白面童子どもの数はその倍はいる。
今も上級天使の男に3体の白面童子が襲い掛かっているが、アッサリと上級天使の槍で斬り裂かれて消えていく。
あの天使、上級職なだけあってその腕は確かなようだ。
そう思ったその時、上級天使のすぐ近くの古井戸の底に何やら動くものが見えた気がした。
また白面童子か?
だが、そこで俺は目を見開いた。
古井戸の奥底に蠢いているのは白いツラのガキではなく、黒く渦巻く穴だったからだ。
あそこか!
白面童子どもはあそこから現れやがったんだ。
俺はすぐに宙を舞うと上級天使が白面童子どもを斬り捨てている間に急降下して古井戸の中に身を投じた。
思った通り、井戸の底には黒い穴が渦巻いてやがる。
そして今もそこから1体の白面童子が湧き出て来ようとしていた。
俺はそいつがこちらに気付くよりも早く急速接近する。
「クエエエエッ!」
俺は両脚の鉤爪でそいつの顔面を蹴りつけた。
「ガファッ!」
そして鋭い爪で顔面を切り裂かれた白面童子がのけ反った隙に、俺は渦巻く黒い穴の中に躊躇なく突っ込んだ。
途端に視界が暗転し、体が前後不覚の状態に陥る。
平衡感覚は失われ、次第に意識が遠のいていく。
何度感じても慣れない不気味な感覚だった。
薄れていく意識の中で俺は己の幸運を願った。
この行く末にあの小生意気な見習い天使のチビがいることを。
☆☆☆☆☆
時間と空間の感覚がおかしくなっていた。
長い時間、長い距離を移動していたような気もするし、短い距離を一瞬だけ移動したような気もする。
俺は気が付くと水流に巻き込まれながら空中を落下していた。
まるで空から流れ落ちる滝に身を委ねているような感覚だ。
だが、それは実際に空から流れ落ちる滝のように、俺は大量の水に巻かれて地上に向けて落下していた。
下を見るとそこには海かと見まがうほどの巨大な大河が流れている。
俺を巻き込む水はそこに向かって落下していた。
くっ!
このままじゃ水面に叩きつけられる。
俺の体はまだひ弱なフクロウのままで、この大量の水から抜け出すには力が無さ過ぎる。
だが、地上まで残り20メートルほどのところで、体がムズムズするのを感じ、俺の体がようやく元の姿を取り戻した。
よしっ!
俺は流れ落ちる水の中で姿勢を垂直に保ち、着水面積を出来る限り少なくした。
そして両腕で頭を守りながら、頭から水に突っ込んだ。
途端に全身を包み込む冷たい水の感触。
そして着水の衝撃で体が振られ、沈んでいく体は浮力によって水中で静止した。
ふうっ。
水深がかなりある川で助かったぜ。
浅かったら水底に激突して大きなダメージを負うところだった。
俺はそこから水面に浮かび上がると、岸を目指してひたすら水をかいて泳いで行った。




