第1話 流れ着いた先は
「うぅ……」
暗闇に沈む意識の中、自分の呻き声で目を覚ました俺は反射的に飛び起きた。
「ここは……」
つい今しがたまで体にまとわりついていたはずの黒い水はどこにもない。
俺は警戒しながら周囲を見回して顔をしかめる。
なぜならまだ幼い天使のガキが数人、俺を取り囲んでいやがったからだ。
ガキどもは跳ね起きた俺にビビッて大騒ぎし始めやがった。
「うわっ! 生きてる!」
「悪魔だー! 殺されるー!」
耳障りな声を上げて逃げ出す天使のガキどもを見ながら、俺はここがどこかの建物の中であると気が付いた。
ついさっきまで俺がいたのは地底世界エンダルシュアの忘れ去られた街ネフレシアだ。
その街外れにある製鉄所で、奇妙な黒い穴に飲み込まれた俺は、この場所に飛ばされたってわけだ。
この建物の中はいくつもの長机が並んでいて、その上には本やら筆記用具やらが使われたまま放置されていた。
そして壁にかけられたホワイトボードには【自習中。静粛に】と黒い文字で記されている。
天使のガキどもがいたってことは、ここは学舎か何かか。
ってことは……どうやら俺はエンダルシュアから飛ばされて地上にある天国の丘まで上がってきたのか。
「天使どもの住処に迷い込んだってことかよ。チッ。面倒くせえ」
そう吐き捨てた俺の言葉通り、面倒くせえ事態が起きようとしていた。
騒ぎ立てて部屋から出て行ったガキどもが大人の天使を連れてきたらしい。
天使の警備兵どもが5人ほど駆けつけてきやがった。
4人が下級天使、1人は上級天使だ。
下級天使どもだけならぶっ飛ばして押し通ることも出来るが、上級天使がいるならそう簡単じゃねえ。
それにしても警備兵に上級兵士がいるってことは、ここはけっこうデカい街なんじゃねえのか?
ってことは、街にいる天使の数も多いはずだ。
ここでモメて時間を取られると、天使どもが集まってくるかもしれねえ。
くそっ。
マジで面倒なことになってきやがったぞ。
俺は即座に駆け出すと、手近な窓を突き破って建物の外に出た。
まだ警備の手は回っていないようで、外に待ち構えている敵はいない。
俺が建物を飛びだしたところには、たまたまそこを通りかかった老天使の集団が腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひえっ! あ、悪魔だ!」
「どけっ!」
俺はそいつらを押し退けて走り出す。
予想通り、大きな街らしく路地は広い。
これならいくらでも逃げ切れるぜ。
俺は羽を広げて飛び去ろうとした。
だが、頭上を仰ぎ見た俺は状況が悪い方向に転がろうとしていたのを悟った。
街のそこかしこから歓声が上がり、数多くの天使の軍勢が街の上空に飛来している。
それは武装した勢力で、その数は軽く100名は超えるだろう。
その天使の軍勢はこの街に降り立とうと降下してくる。
この街の駐留軍か、あるいはどこかの軍勢が街に立ち寄ろうとしているのか分からねえが、こんな中、悪魔の俺が飛び立っていったら格好の的だ。
くそっ。
タイミングが悪いぜ。
「止まれ! そこの悪魔!」
後方からは警笛をピーピー鳴らしながら先ほどの警備隊が追ってくる。
しつこい野郎どもだ。
俺は急激に方向転換して、建物の間に伸びる狭い路地の中に入り込んだ。
まずいな。
土地勘のない場所で大勢から逃げ切るのは容易じゃない。
こうなったら上級天使が厄介だが、警備隊の奴らを相手に暴れてやるしかねえか。
しかしそうなれば騒ぎを聞き付けた奴らが上から降りてくるだろう。
警備隊を打ち負かせたとしても、あの大人数に取り囲まれたらアウトだ。
くそっ!
天使どもに捕まれば、無期限で捕虜の身になるかもしれねえ。
冗談じゃねえぞ。
そうしてあれこれと頭を悩ませながらこの先の一手を考えていた俺は、前方の路地横の建物の扉が開いたことへの反応が遅れた。
いきなり開いたその扉から出てきたのは天使の女だった。
全力疾走していた俺は急ブレーキをかけるが、止まり切れずにその女に激突する。
「うおっ!」
「きゃっ!」
俺は足を踏ん張って踏み留まろうとしたが、天使の女にぶつかり、女はその場に倒れ込んだ。
「てめえ。いきなり……」
そう言いかけた俺はふと女の顔に目を止めた。
こいつ……見覚えがあるぞ。
女は頭を振りながらこちらを見上げた。
「いきなり何よ……ひっ! あ、悪魔……え? あなたは……バレット様?」
その女が俺の名を呼ぶと同時に俺も女のことを思い出した。
「……ミシェルか」
下級天使のミシェルだ。
ティナが姉妹のように親しくしている先輩だった。
俺も前回、短い間だがこのミシェルと行動を共にしたことがある。
だから顔を何となく覚えていたんだ。
「おまえ。何でこんなところにいる?」
「いや、ここは私の住む街なので。今日は非番ですし……というか、それはこちらのセリフですよ。バレット様こそ、なぜここに?」
そこで後方から警笛が鳴り響き、警備隊が近付きつつあることを知らせる。
チッ。
入り組んだ路地をジグザグに走って来たが、地の利は奴らにある。
じきにここを嗅ぎつけられるだろう。
聞こえてきた警笛にミシェルの顔が曇る。
状況を察したようだな。
天使どもの街に悪魔がこうして入り込んでいるんだから、そりゃ追われる身になるだろう。
俺の警戒心に再び火が灯る。
顔見知りとはいえ、こいつは天使だ。
当然、俺のことを警備隊に突き出そうとするだろう。
俺は握った拳に力を込める。
こいつを排除してここからトンズラするしかねえな。
そう思った俺だが、何を思ったのかミシェルはいきなり俺の手を引き、俺を自分の部屋の中に引き込むと扉を閉めた。
「声を出さないで下さい」
「……どういうつもりだ?」
眉を潜める俺に、ミシェルは扉に背をつけたまま神妙な面で俺を見た。
「バレット様がこんなところにいらっしゃるのは、何か理由があるのでしょう? ティナは一緒じゃないのですか?」
ミシェルは悪魔の俺を目の前にしてわずかに緊張の面持ちを浮かべながら、それでも毅然とした口調でそう言った。
「フンッ。不正プログラムの罠にまんまと引っ掛かってティナも俺も今は別行動だ。とりあえずそこをどけ」
そう言うと俺は部屋を出て行こうと扉に手をかけた。
だがミシェルがそれを引き留める。
「待って下さいバレット様。ちゃんと事情をお聞かせいただければ、私がお力になれるかもしれません」
「俺の力に? 天使のおまえが悪魔の俺に力を貸すってのか? そりゃ泣けてくる話だな。こうして俺を匿うだけでも天使として背信行為なんじゃねえのか?」
俺の言葉にミシェルは嘆息する。
「私はあなたと行動を共にすると決めたあのティナの先輩ですよ。見くびらないで下さい。これでも真に守るべき理をわきまえているつもりです」
悪魔は天使の敵だ。
だがこいつはそれよりも優先すべきことがあると言っている。
この期に及んで悪魔だの天使だの言うつもりはねえってことか。
そんなミシェルの決然とした口調に、俺も単刀直入に希望を述べた。
「なら、俺をエンダルシュアに戻せ」
「エンダルシュア? あの地底世界の?」
突然そんな話が出てくるとは思わなかったんだろう。
俺の話に面食らって目を見開くミシェルに、俺はここまでの経緯を手短に説明した。
「なるほど……そんなことがあったんですか。ティナも苦労しているのですね」
「ティナの奴はその製鉄所の底に出来た黒い穴に飲み込まれた。赤い肌をした長くて巨大な手を持つ奇妙な野郎にさらわれてな」
その話にミシェルは首を傾げる。
「それは……エンダルシュアの魔物でしょうか」
「さあな。俺には分からん。それよりライアンの奴に至急連絡しろ。ティナの奴、敵の罠にかかって修復術が使えなくなっちまった」
ヒルダの罠でまんまと力を失ったティナの顛末を話すとミシェルは顔色を変えた。
「そ、そんな……」
「あとな、俺の紅蓮燃焼システムをすぐに返還しろと伝えておけ。出し惜しみしてる場合じゃなくなったってな」
今後の戦いを考えりゃ、あのシステムが使えたほうがいいに決まっている。
「わ、分かりました。すぐにライアン様に連絡を……」
ミシェルがそう言いかけたその時だった。
部屋の扉がドンドンと叩かれ、呼び鈴がけたたましく鳴らされた。
チッ。
追手か。
こうなりゃやるしかねえな。
そう思って拳を握る俺だが、ミシェルがすぐにそんな俺の拳を手に取った。
「バレット様。こちらに」
そう言うミシェルは俺を引っ張って奥の部屋に向かい、部屋の壁に設けられた引き戸を開いた。
そこは押し入れだ。
ミシェルはそこに俺を押し込もうとした。
「ここに入っていて下さい」
「ああ? 何で俺が隠れなきゃならねえ。追手なんかぶっ殺してやる」
「それじゃ私が困るんです。何とかしますから、騙されたと思ってここは私に任せて。お願いですから」
そう言うとミシェルは半ば強引に俺を押し入れに押し込み、外から引き戸を閉めた。
暗闇の中でも目が利く俺はそこが衣装箪笥だと気が付いた。
何やら乱雑に衣服が押し込められている。
あの女、清潔そうな見た目に反して雑な性格だな。
俺が非力なミシェルを払いのけなかったのは、あいつの目が真剣だったからだ。
仲間意識の強い天使の中でもミシェルは特にティナをかわいがっているようで、前回もティナを助けるために危険を冒して俺を敵陣まで案内した。
その結果としてあいつは命を落としたわけだが。
だから今回もティナのために多少の戒律を破ろうとも俺を匿おうと思ったんだろう。
そして俺がこの場をミシェルに任せようと思ったのは、その強い意思を感じたからというだけでなく、ミシェルの立場を利用すれば俺にもメリットがあるかもしれないと踏んだからだ。
ミシェルは下級天使ながら比較的、運営本部に近い位置にいる。
俺を再びエンダルシュアまで送り込むこともそう難しくないかもしれねえ。
そういう算段を俺がしていると、向こうの方から扉を開く音と男の声が聞こえてきた。
「失礼する。警備隊の者だ。この辺りに悪魔の男が忍び込んだはずなんだが、姿を見かけなかったか?」
「え? 悪魔がこの街に? 怖いですね。そんなの見たら恐ろしくて卒倒してしまいますよ」
ミシェルの奴は適当な演技でこの場を乗りきろうとしたが、天使の警備隊はそう簡単には職務を放棄しなかった。
「ご婦人。ご不快かとは思うが上級職警備隊権限で念のため家の中を調べさせていただく。気付かぬうちに悪魔が忍び込んでいるやもしれんのでな。無礼をご容赦されよ」
そう言うと男たちが家の中に入り込んでくる物音が聞こえてきた。
足音からすると2人……いや、3人か。
上級職とか言っていたな。
よりにもよってさっきの上級天使か。
俺はすぐにでも飛び出して行けるように気を張る。
「あの、散らかっているんで、あまりアチコチ見られると恥ずかしいです」
ミシェルは慌てた素振りは見せずにそう言うが、さっきの上級天使は毅然とした口調でこれに応じる。
「これも職務なのでな。悪魔は我ら天使が思いもよらぬ方法で寝首をかこうとしてくる。街の平和のためと思って辛抱して下され」
「部隊長。奥にも部屋が」
そう言う男らの足音がいよいよこの寝室に入り込んでくる。
そして男たちが室内を見回り始めた。
こりゃ見つかるのも時間の問題だな。
こうなりゃここで飛び出して一気に不意打ちを食らわせてやる。
そう思ったその時、いきなり頭の上から何かが落ちてきやがった。
ドサッと物音を立てて、それは次々と俺の全身に降りかかってきた。
な、何なんだこりゃ。
「何だ? 今の物音は」
「そこの引き戸だ。開けろ」
物音を聞き付けた警備隊の男たちが、俺が隠れている押し入れの引き戸に手をかける音がした。
たまらずにミシェルが声を上げる。
「あ! そこは……」
俺が拳を握り締めたその時、引き戸が開かれ、明かりが差し込んできた。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、第四章『魔神領域』/第2話『天樹の塔』は
明日3月15日(火)午前0時10分に掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




