第15話 赤き者
気絶しているティナの体が宙を舞う。
ロドリックの奴が投げた鉄柱がぶち当たり、ティナを吊り下げていたクレーンがひしゃげた。
そのショックでティナの体がクレーンから外れて宙に投げ出されたんだ。
ぐつぐつと煮えたぎる製鉄炉に向かってティナが落下していく。
「くそったれ!」
絶対に間に合わないことは分かっていたが、俺は弾かれたように駆け出していた。
だが、そこで俺が踏み出した左足がビリッと痺れ、その足が地面に着いた途端、足から激しい稲妻が生じて地面を走った。
それは一瞬で数十メートル先の製鉄炉に届き、激しい火花を散らして巨大な炉を固定する金具を破壊する。
そしてその衝撃で炉がグラグラと大きく揺れ、その外壁に亀裂が走った。
すると今にも炉に放り込まれようとしていたティナの体が、揺れのせいで傾いた炉の外壁に当たり、弾んで地面に落ちる。
ティナはすんでのところで溶かされるのを免れたんだ。
今の力は……雷足環のものだ。
こいつを装備したばかりの時はいくら足を踏み込んでも静電気が生じる程度だったが、今の稲妻の威力はなかなかのものだった。
そう目を見開く俺の目の前にコマンド・ウインドウが表示される。
【電撃間欠泉】
それは新たなスキルが俺の身に付いたことを示していた。
噴熱間欠泉に比べると、より遠くにより速く飛ばすことが出来る。
これは使えるぞ。
そこでパメラの声が響き渡った。
「旋狼刃!」
ヒルダの注意が逸れて鬼蜂どもの襲撃が弱まったために、パメラが旋狼刃を繰り出して鬼蜂どもを全て片付けていく。
そしてパメラは物陰に隠れているクラリッサを残してティナの元へ駆けつけた。
「う、嘘でしょ……」
ヒルダは自らの思惑が大きく外れたことに愕然として声を漏らす。
するとそこで隙を見計らったロドリックが背後からヒルダに組み付き、そこからロドリックはヒルダの頭を抱え込むようにして両手を回した。
そしてバグで揺らぐナックル・ガードをヒルダの耳に当てる。
何だ?
ロドリックは何を……。
眉を潜める俺はそこで確かに見たんだ。
ヒルダの耳の中から小さなミミズのような線虫が引きずり出されるようにして、ロドリックのバグッたナックル・ガードの中へ吸い込まれていくのを。
途端にヒルダが金切り声を上げる。
「くっ! それはあたしのもんだ! 返せ!」
ヒルダは狂ったように暴れ出し、その周囲にまたしても鬼蜂どもが集まってくる。
ヒルダが呼び寄せたそいつらは主を守るべくロドリックに襲いかかった。
だが自身の体とその周囲を低温化させるロドリックに、鬼蜂どもは恐れおののき一定距離以上は近付くことが出来ない。
そいつらを無視してロドリックは一直線にティナに向かっていく。
すでに先ほどの能力増強状態からは脱しているようで、ロドリックのライフは減少を止めていた。
「ま、待ちなさい!」
そう言うとヒルダはアイテム・ストックから石弓を取り出し、ロドリックに狙いをつけて矢を放つ。
ロドリックは立ち止まると振り返って、矢を易々とへし折った。
それでもヒルダはしつこく矢を放った。
何だこいつ……ここにきてお得意の不正プログラムを使おうとしない。
俺は先ほどのヒルダの言葉を思い返す。
それは自分のものだから返せとか言っていたな。
ヒルダがティナの持つ不正プログラム保持者のリストに記載されていないという事実が俺の頭の中に思い起こされる。
そこで俺はピンと来た。
嘘みたいな話だが、ヒルダ自身が不正プログラム保持者なのではなく、あのヒルダの耳から出てきた線虫が本当の保持者なんだ。
虫が黒幕ってのはにわかには信じ難い話だが、保持者リストに記載されていたのは名称不明の保持者だった。
虫のNPCならいちいち名前が付けられてはいないし、蟲師として虫を操る能力を持つヒルダがその力を利用できても不自然ではない。
「そういうことだったのかよ!」
そう吐き捨てると俺は即座に動いた。
狙うべきはヒルダだ。
そんな俺の動きに気付いたヒルダは石弓をこちらに向けて矢を放つ。
だがそれを予測していた俺は飛び上がって矢をかわし、そのままヒルダを狙った。
「螺旋魔刃脚!」
高速回転する俺の爪先がヒルダの石弓を破壊して弾き飛ばす。
「きゃあっ!」
俺はそこで技を解除するとヒルダの目の前に降り立った。
そして下から拳を突き上げて鋭くヒルダの腹を撃つ。
「ごほっ!」
ヒルダは痛みに顔を歪めてその場にへたり込む。
そして顔を上げると憎々しげに俺を睨んだ。
「あ、あたしに構ってるうちに天使の小娘がロドリックに奪われるわよ。それでもいいわけ?」
ヒルダの言う通り、ロドリックはティナの元へ向かって行く。
だがそれを見たパメラがティナを守るべくロドリックの前に立ちはだかった。
疲労度が赤く染まりかかっているパメラでは長くは戦えないだろう。
それでも俺は状況を見誤ることはない。
「俺にとって大事なのは、俺をムカつかせる奴をこの手でぶん殴ることだ。他には何もねえ」
そう言うと俺はヒルダの顎を膝蹴りでぶっ飛ばした。
「がはっ!」
ヒルダは後方に吹っ飛んでひっくり返る。
不正プログラムを使えない以上、ヒルダはもう脅威ではない。
だからこそ今ここで確実に仕留めておくべきなんだ。
絶対にな。
結果的にロドリックの手によってこいつから不正プログラムが奪われ、俺を助けることになったという事実は腹立たしいが。
「本当ならティナの奴に修復術をかけさせた上でてめえをブチ殺すのが上策なんだが……」
「ちくしょう! あたしをナメるな!」
俺の言葉を遮ってヒルダは跳ね起きると、そう叫んだ。
すると奴の頭上に集まっている鬼蜂どもが降下してきた。
俺は身構えるが、予想に反して鬼蜂どもは俺に向かって来なかった。
奴らは主であるヒルダに向かっていき、その体に群がると次々と毒針を刺しやがったんだ。
どういうことだ?
眉を潜める俺の目の前で、ヒルダを刺した鬼蜂どもは次々と力を失って地面に落下していき、ゲームオーバーとなって死んでいく。
そして刺されたヒルダの体が紫色に変色し始めた。
血管が異様に太く浮き上がって脈を打ち、ヒルダの体が二回りほど大きく膨れ上がる。
「許さない……絶対許さない!」
血走った目でそう言うヒルダの耳からは紫色の液体が垂れ落ち、その爪が異様に長く鋭く伸びている。
あれは……何かのドーピングなのか。
ヒルダは真正面から俺に向かって飛びかかって来た。
その動きは先ほどまでより遥かに速い。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!」
殺気の込められた一撃が俺の首を狙って振り下ろされる。
俺はヒルダの一撃を左手で受け止めた。
「ぐうっ!」
鋭く強い一撃だ。
急所にまともに浴びたら致命傷になるほどのな。
いい攻撃じゃねえか。。
インチキ術なんざ使わずに最初からこうやって攻めてくりゃ、俺もここまでヒルダにムカつくことはなかっただろうよ。
だが、こいつは楽に勝つ道を選んだその報いを受けることになる。
俺は足を踏ん張り、魔力を最大限まで高めた。
全身から炎と雷が巻き起きる。
「焔雷!」
「くあっ!」
炎と雷を浴びてヒルダの体が後方に吹っ飛ぶのを見た俺は、続けざまに左足を振り上げる。
さっき偶然にも発動した新技を披露してやるぜ。
「電撃間欠泉!」
地面から猛烈な勢いの電撃が立ち上り、後方に吹っ飛んだヒルダをさらに空中に跳ね飛ばす。
ヒルダのライフが大きく減少し、残り半分を切った。
なかなかの威力だ。
そこから俺は右手の魔力を込めた。
3連撃の仕上げだ。
「噴殺炎獄拳!」
「ごふっ!」
落下してきたヒルダの腹を、俺は燃え盛る拳で思い切り突き上げた。
くの字に折れ曲がった体中から炎が巻き起こり、火だるまとなって宙を舞いながらヒルダは地面に落下した。
「がはっ……」
炎に包まれながら力なく横たわるヒルダのライフが急激に減少していく。
ヒルダはわずかに首を傾けてこちらを見るとワナワナと唇を震わせながら末期の言葉を絞り出した。
「ち……ちくしょう……どいつもこいつも……あたしの邪魔を……しやがって」
そう言ったきりヒルダは事切れた。
ライフが0を示している。
ゲームオーバーだ。
もしティナの修復術を受けていれば問答無用で運営本部にプログラムを回収されて拘束されるんだが、この場合はコンティニューするのか?
そう思った俺はそこで目を見張った。
ヒルダの太ももに紫色に光る小さなナイフが突き立っている。
こいつは……。
「断絶凶刃。またかよ……」
俺はうんざりしてそう吐き捨てる。
こいつまさか、末期の瞬間に自分を断絶凶刃で刺しやがったのか?
本来なら光の粒子となって消えるはずのヒルダの骸は、いつまでもその場に留まることになる。
ゲームオーバー後に運営本部が手を回し、コンティニューを阻止することを恐れたんだろう。
無様な死にざま晒してまで、運営本部に捕まりたくなかったってことかよ。
「そんなことしたって何にもならねえよ。意地の張りどころが間違ってるぜ」
そう言うと俺はそれきりヒルダに興味を失い、前方に目を向ける。
そこではすでにティナを奪おうとするロドリックと、そうはさせまいと刀を振るうパメラの戦いが始まっていた。
しかしパメラは明らかに苦しげな表情を見せている。
もうまともには戦えないはずだ。
見る限りロドリックは先ほどの能力増強状態を再度発動してはいない。
おそらくあれをやるとライフが減少する以外にも体に何らかの負担がかかるか、短時間のうちに連続では発動できない等の制約があるのだろう。
だが、ロドリックは氷撃魔旋棍の装備を解除して再び例のナックル・ガードでパメラを攻撃していた。
パメラはそれを白狼牙で受け止めている。
「チッ。あれじゃ以前の二の舞だ。またバグっちまうことになるぞ」
何にせよ今のパメラではロドリックを止めるのは無理だ。
俺はロドリックの相手をするべく駆け出した。
だが……。
「……んっ?」
そこで俺はゾクリと背すじを這い上るような悪寒を覚えて思わず立ち止まった。
ロドリックとパメラも同じ感覚を覚えたようで、戦いの手を止めている。
俺は肌がビリビリと震えるのを感じ、それが徐々に鼓膜への振動に変わっていくのを感じた。
その瞬間だった。
「ボォォォォォォォォッ!」
それはこの世のものとは思えないほど不気味な咆哮だった。
その圧力は強烈で、鼓膜が破れるかと思うほどの大音響に、思わず俺は耳を塞ぐ。
何かが……来る!
「パメラ! 今すぐそこから離れろ!」
反射的に声を上げた俺が目にしたのは、パメラたちの背後にある炉の中から伸びてきた一本の長い腕だった。
それは血のような赤い肌をした生き物の腕だが、その太さは俺の胴回りを軽く超える巨大さで、腕の見えている部分だけで数メートルにも及ぶ長さだ。
そして腕には特徴的な紋様の黒い入れ墨が彫られていて、赤い肌と不気味なコントラストを演出していた。
炉の中から伸びたその腕はすぐ近くにいるパメラに襲いかかる。
「くっ!」
即座に応戦すべく刀を振ろうとしたが間に合わず、パメラはその体を巨大な手に掴まれそうになる。
だがその瞬間、背後から何者かがパメラを突き飛ばした。
「あうっ!」
パメラは地面に転がり、赤い腕の攻撃から逃れることが出来た。
パメラを突き飛ばしたのは……体を鎖で縛られたまま駆け寄ってきたティナだった。
あいつ、さっきのデカイ声でようやく目を覚ましやがったか。
だが、ティナはパメラの身代わりとなって赤い手に掴まれちまった。
「あのアホッ!」
俺は即座に駆け出すと羽を広げて炉の上まで上昇する。
だが、炉の真上から一瞬見えたその光景に俺は息を飲んだ。
溶けた鉄がグツグツと煮え立っているものとばかり思っていたが、炉の中では得体の知れない黒い液体がグルグルと渦を巻いていたんだ。
そしてその黒い渦の中から長く巨大な赤い腕が突き出ている。
「そいつを放しな! 魔刃脚!」
俺はティナを掴んでいるその手の手首辺りを蹴りつけた。
だが、その一撃で切り裂いたはずのその手は、すぐに切り口がくっついて元通りになった。
「なにっ?」
瞠目する俺を振り払おうと、その腕が伸びてきた。
魔刃脚を放ったばかりの俺はそれを避け切れずに両腕でガードする。
だが……。
「うぐっ!」
灼焔鉄甲によるガード越しでも感じられる強烈な圧力が全身を襲い、俺は天井に向かって吹っ飛ばされた。
くそっ!
天井への激突を予期して俺は歯を食いしばる。
だが、天井に当たったはずの俺の体はビチャッと液体に触れたような音とともに天井にめり込んだ。
「な、何だこりゃ?」
予想だにしなかった奇妙な触感に俺は唖然とする。
今、炉の中で見たばかりの黒い液体が天井にもまとわりついていた。
それは俺の体をズズズズと飲み込んでいこうとする。
いくら抵抗しても抜け出すことが出来ない。
下を見ると炉の外壁に走っている亀裂がどんどん大きくなっていき、ついに炉が粉々に割れた。
さっきの俺の電撃間欠泉の影響だ。
そして割れた炉の中から黒い液体が盛大に溢れ出した。
それは周囲にいたパメラやロドリック、そして物陰に隠れていたクラリッサをも飲み込む。
さらに割れた炉の底には真っ黒な穴が開いていて、その奥底から赤い腕は伸びていた。
その腕がティナを掴んだままズズズズと穴の奥へと引っ込んでいく。
ティナは頭上を見上げて叫び声を上げた。
「バ、バレットさぁぁぁん!」
ティナの奴は成す術なく赤い手に掴まれたまま穴の底へ沈んでいった。
すると穴が周囲の黒い液体を吸い込んでいき、それに巻き込まれてパメラやクラリッサ、ロドリックまでも穴の中へと吸い込まれていく。
それとは反対に俺の体は天井に引きずり込まれていく。
「くっ……くそっ!」
下を見ると断絶凶刃によってコンティニュー不可能となったヒルダの亡骸も、黒い水に飲み込まれて穴の中へ消えていった。
この馬鹿騒ぎが何を意味する現象なのかは分からなかったが、ヒルダの奴がこの場所で準備していたのはこれだったのか。
頭まで黒い水に飲み込まれて天井に吸い込まれる俺が最後に見たのは、主を失って空中で右往左往している桃色妖精が俺の方へと飛んでくる姿だった。




