第14話 燃え盛る地獄の釜
「ティナ!」
クレーンの先に鎖で縛りあげられて吊り下げられていたのはティナだった。
その周囲にはティナを追跡する役目を負った桃色妖精が飛び回っている。
それはつまりあのティナが本物だってことだ。
そしてそのクレーンは一定の速度で移動していた。
向かう先はこの製鉄所内で最も大きな炉だ。
俺は目の前のヒルダを睨みつける。
「てめえ。何を企んでいやがる」
「さあね。馬鹿みたいに力を振るうしか能の無いあんたらには思いもよらないことだわ。あんたたちとは頭の出来が違うのよ」
ティナが吊るされているクレーンの真下ではパメラが白刃を閃かせて無数の鬼蜂どもと戦っている。
その近くには物陰に隠れているクラリッサの姿もあった。
ティナを追おうとしているパメラだがヒルダの虫どもに行く手を阻まれている格好だ。
チッ。
俺は軽く息を吸うと目の前のヒルダに向けて一瞬で距離を詰める。
そしてヒルダの首を掴もうとした。
だがヒルダの体は一瞬で泡となって消え、そこから無数の蝶が現れる。
また不正プログラムだ。
「鬱陶しい!」
俺は右の拳を振り回して、蝶どもを払い落とそうとする。
だが、そこで俺が予想しなかった変化が起きた。
無数の蝶となってその場から逃げ去ろうとしたヒルダだが、蝶どもにノイズが走ったかと思うと、それらが寄り集まって再びヒルダの姿に戻っていった。
「きゃっ!」
そしてヒルダが悲鳴を上げてその場に尻もちをついた。
こいつ……さっきロドリックにやられた影響で、思うように不正プログラムを使えなくなっていやがる。
俺は間髪入れずに右手でヒルダの首を掴むと、起き上がろうとしていたところを力任せに地面に叩きつけた。
「オラアッ!」
「くはっ!」
ヒルダは苦しげに息を詰まらせる。
俺は構わずに右手に魔力を込めて高熱化させた。
ヒルダの首の肌がジリジリと焼け、ヒルダは熱さから逃れようとバタバタと暴れ出す。
「苦しいか。だったらあのクレーンを止めろ。てめえが操ってるんだろうが」
ヒルダは苦しげにもがき、腰から引き抜いたナイフを俺の腕に突き立てようとする。
紫色に光るそれは断絶凶刃だった。
その手は食わねえよ。
俺はすぐさま身を引いてヒルダの刃をかわす。
だが、そこで背後から強い衝撃を受けて吹っ飛ばされた。
「……がっ!」
背中に一撃を喰らった俺は前方の装置に叩きつけられてダメージを負うが、すぐに起き上がって背後を振り返った。
見るとロドリックの奴が俺の代わりにヒルダに迫っていた。
あいつに背後から蹴り飛ばされたんだ。
さっきの仕返しってわけかよ。
俺は背中の痛みに顔をしかめながら立ち上がる。
三つ巴ってのはどうにもやりにくい。
どちらか片方を先に片付けて1対1に持ち込みたい。
ロドリックの奴はまだティナに気付いていない。
それなら……。
俺は駆け出すと装置類の間を駆け抜けて素早く飛び上がり、せめぎ合うロドリックとヒルダを尻目にティナの元へと向かった。
ティナはクレーンによって移動していき、今にも炉の真上に到達しようとしている。
まずはあいつを確保しちまおう。
そうすりゃヒルダとロドリックは俺に向かって来ざるを得なくなる。
そこでようやくロドリックの奴が俺が向かう先にティナがいるのに気付いたらしく、ヒルダを放り出してこっちに向かってくる。
今さら遅いぜ。
だが、そこで俺は気が付いた。
製鉄所の温度が妙に上がっていることに。
それはティナが今にも落とされようとしている炉に近付くにつれて顕著になっていた。
見ると炉の真上の空気が熱で揺らいでいやがる。
それを浴びているティナは気を失いながらもその顔を苦痛に歪めていた。
炉に火が入ったんだ。
「2人とも止まりな。小娘をドロドロに溶かすわよ」
製鉄所内に反響するのはヒルダの声だ。
その瞬間、クレーンがガクンと下に向かって動き、ティナが一層、炉に近付く。
それを見た俺は足を止めて振り返る。
俺の後方でも同じようにロドリックが足を止めていた。
さらにその後方では痛む首を忌々しげに手で押さえながら、こちらを睨むヒルダの姿があった。
「脅しじゃない。本当に落とすよ。ちなみに……あの炉の中には不正プログラムで作られた特殊な溶解液が満ちている。あれに落ちると天使の小娘はプログラムがバラバラになって蒸発し、二度とは元に戻れない」
ヒルダの言うその意味は俺にはいまいち理解できなかった。
プログラムがバラバラ?
すぐには復活できないってことか。
俺たちNPCはたとえ体内プログラムの破損で復活できなくなったとしても、運営本部の石次第でいつでも復活することが出来る。
だが、今この時にティナが復活不可能になれば、俺たちが勝利する可能性は限りなく低くなる。
「脅しにもならん。そんなことをすれば貴様も己の目的を果たせぬぞ。そしてそうなった後でも俺ならば貴様を殺すこともできる。貴様がここから逃げおおせる可能性は万に一つもない」
ロドリックは落ち着いた口調でそう言うとヒルダをじっと見据えた。
そうだ。
ロドリックはヒルダに対して俺にはない優位性がある。
だがヒルダは髪を振り乱し、ヒステリックに声を荒げて言った。
「どの道を選んでも死ぬしかないってなら、あんたたちの思い通りにならない道を選んで死んでやる。ロドリック。あんたはこんな片田舎まで来てさんざん苦労した挙句、任務失敗してオメオメ帰ることになるんだ。ざまあみろ!」
ヒルダの言葉にロドリックは舌打ちをして唇を噛む。
あいつにしてもここでティナに退場されるのは困るってことだ。
俺は炉の近くで虫たちと戦っているパメラを見た。
あいつのスキルならあの炉を吹っ飛ばすことがくらい出来るはずだ。
だが、虫どもが物陰に隠れているクラリッサを狙い、それを守ろうとしてパメラは手を焼いている。
すでにパメラの疲労度ゲージはオレンジ色に差しかかっている。
もう長くは戦えないだろう。
くそっ。
パメラにはクラリッサを見捨ててティナを救出するという手は取れないだろう。
こうなると今、俺たちに出来ることは限りなくゼロに近い。
そんな俺たちの膠着状態を見てとると、怒りの形相をその顔に貼りつかせているヒルダが顔を歪ませて笑みを浮かべた。
「ロドリック。バレット。互いに殺し合いなさい」
そう言い出したヒルダを俺は睨みつけた。
「何よバレット。ロドリックに勝てる自信がないの? あんた一回ブザマに負けてるものねぇ」
「ヒルダ。いい気になるなよ。追い詰められてトチ狂いやがって」
「ハッ。あたしが虚勢張ってるとでも思ってるわけ? バレット。あんた今は巨岩鬼と戦った時みたいな修復術の力が使えないんだろう? 使えたらとっくに使ってるものね。あんたはロドリックよりもこのあたしに対して無力なのよ。あたしの言うことを聞く以外にないわけ。分かる?」
くそが。
小馬鹿にしたようにそう言うとヒルダは三本の指を立てた。
「3分以内にどちらかが勝ったらその時はあたしを煮るなり焼くなり好きにすればいい。3分経過したら天使の小娘を落とす。2人とも生き残っている状態であたしに危害を加えようとしても落とす」
「てめえ。調子に乗るなっつってんだよ。主導権握ったつもりになってんじゃねえ」
「握ってるのよ。分からない? なら小娘の下半身だけでも炉に浸してあげようか?」
「この野郎……」
俺が怒りに声を上げようとしたその時、ロドリックの奴が俺に向かって来やがった。
俺は即座に戦闘態勢を取り、ロドリックを迎え撃つ。
奴が繰り出した蹴りを俺は右手で受け止めた。
重い一撃であり、強い衝撃が腕から全身に伝わって来る。
俺はすぐに反撃の蹴りを繰り出したが、ロドリックはそれを防ぐと第二派の攻撃を繰り出してくる。
「チッ!」
ロドリックと戦うのは望むところだ。
だが、それがヒルダの手の上で踊らされてのことってんなら話は別だ。
3分ってのはおそらくその間にヒルダが何かの準備をするつもりなんだろう。
ロドリックの奴だってそれは分かってるはずだ。
「てめえ。あの女にいいように踊らされるつもりか?」
「今取るべき最善の選択肢を取ったまでだ」
そう言うとロドリックは一気に俺を攻め立てる。
「今の貴様なら3分あれば片付けられる。先に邪魔者を排除しておけば俺も仕事がやりやすい」
「何だと……くっ!」
奴は俺の右から攻めると見せかけて左手側から攻めてきやがった。
俺は即座に体を反転させて右手でこれを受けようとしたが反応が間に合わずに、左の脇腹にロドリックの回し蹴りを喰らっちまう。
「ぐうっ!」
俺は即座に距離を取ったが、脇腹に受けた一撃は重く、思わず顔をしかめる。
もう少し深く喰らっていたら麻痺級のダメージを受けていただろう。
ロドリックは表情を変えず、じっと俺を見据えて言う。
「左手が使えぬのだろう? そんな状態で俺とやり合って3分持つと思ったのか?」
「ケッ。断絶凶刃を浴びた死に損ないが。ナメてんじゃねえよ」
「それはこちらのセリフだ。万全の状態で負けた男が、片手落ちの状態で勝てると思ったか? どうやら俺の部下3人はおまえに敗れたようだが、しっかりと爪痕は残したようだな。時間がない。早々に決めさせてもらう」
そう言うとロドリックは得意武器である旋棍・氷撃魔旋棍を取り出して装備する。
そして腰を落とすと低い声を発した。
「氷嵐」
途端に奴の体中から超低温の風が吹き付けてくる。
魔氷霧とは違う、吹き荒れる氷の嵐だった。
ゾクッとするほど周囲の空気が冷たくなる。
すると奴が装備した氷撃魔旋棍は藍色から急激に赤く染まっていく。
見ると氷撃魔旋棍の持ち手を握るロドリックの手から血が滴り落ちていた。
そして奴のライフがほんのわずかずつだが減っていく。
あれは……氷撃魔旋棍がロドリックの血を吸っていやがる。
そしてその途端、奴の藍色だった目が色を失い、白目を剥いたように不気味な面構えに変わった。
同時にロドリックから感じられる重圧が半端じゃなく強烈なものに変わった。
「……1分で終わらせる」
ロドリックがそう言った次の瞬間、俺は自分のすぐ左から氷撃魔旋棍の一撃が襲い来るのを感じて咄嗟に両手で防御する。
速い!
目で追い切れねえ!
そしてガツッという音と共に重い衝撃が灼焔鉄甲を装備した両手を襲う。
それと同時に左腿に強烈な痛みを覚えた。
「がっ!」
ロドリックの奴が氷撃魔旋棍を繰り出すのと一拍遅れでローキックも繰り出してきやがったんだ。
その激痛に左足の力が抜け、俺は思わずその場に膝をついちまった。
まずい!
ロドリックは間髪入れずに上段から氷撃魔旋棍を撃ち下ろす。
避けるのも防ぐのも中途半端になれば次の一手で詰みだ。
俺は咄嗟に体を沈みこませて地面に両手をつくと、最大限の力で下半身を回す開脚旋回を繰り出して左右の足でロドリックの両足を払った。
「ぐうっ!」
ロドリックは思わず体勢を崩すものの、地面に倒れ込む前に両手をつくと、俺と同じように開脚旋回で俺を蹴り飛ばした。
「ぐっ!」
俺は左肩を蹴り飛ばされて地面に二度三度とバウンドして倒れた。
くそっ……。
痛みを堪えて立ち上がると、俺の前方ではロドリックが自分の体よりも大きな鉄柱を持ち上げ、こちらに向かって投げようとしていた。
ロドリックの筋肉が異常に盛り上がっていた。
あいつ……ライフの減少と引き換えに、とんでもない身体能力を発揮しやがる。
「くたばれ!」
ロドリックは珍しく吠えるようにそう言い、俺に向かって鉄柱を投げた。
頭に向かってくるそれを俺はわずかにしゃがんで避けたが、ロドリックが投げたそれはコントロールがイマイチだった……ん?
俺はすぐ振り返り、鉄柱の向かう先に目をやった。
すると鉄柱はクレーンにブチ当たって轟音を立てた。
その衝撃でクレーンがひしゃげ、先端に吊り下げられていたティナの体が宙を舞った。
気を失ったままのティナは落下していく。
その先にはぐつぐつと煮えたぎる地獄の釜と化した炉が口を開けて待ち構えていた。




