第8話 かみ合わない歯車
「ティナ!」
「きゃあっ!」
地面が陥没した穴に落下した市民の女を救いに行こうとしたティナは、崩落した天井から次々と落下してきた都市土竜どもに押し潰されるようにして穴の底へ落ちた。
俺が穴の縁に駆け寄ると、穴の中は土竜がウジャウジャと湧いていた。
まるで巣穴だ。
その穴の中で土竜どもに群がられながらも、ティナはすでに戦闘体勢へと入っていた。
市民の女を背に守りながら決死の表情で神聖魔法を放つティナを、俺はどこか冷めた目で見下ろす。
「高潔なる魂 !」
ティナを取り囲む都市土竜どもはそれを浴びて吹っ飛ばされるが、すぐに後ろから後続が前に出てきて土竜どもの囲いに加わる。
そうするうちに吹っ飛ばされた土竜どもが再び起き上がり、囲いの外へ詰め寄ってくる。
こりゃキリがねえな。
ティナの奴は唇を噛み締めて、めったやたらと高潔なる魂を連発している。
そのせいでティナの疲労度ゲージは徐々に黄色からオレンジ色へと変わり始めていた。
肩で息をしやがって、そんなんじゃ早晩行き詰まるぞ。
ティナ。
おまえが意地になって見ず知らずのNPCを助けようとしたことの結果が今のこのザマだ。
俺は穴の縁に立ったまま声を張り上げる。
「おいティナ! その女は無理だ! 放っておけ!」
「イヤです! 助けられます!」
ティナは意地になってそう叫ぶとそこから得意のアイテム攻勢に打って出た。
取り出したのは先ほどのカラシヨモギのスプレー缶だ。
それを周囲の都市土竜どもに向けて噴きつける。
すると赤い噴霧を浴びた土竜どもがもんどり打って苦しみ始めた。
途端に刺激臭がツンと鼻をつく。
だが、それは長くは持たなかった。
スプレー缶が空っぽになっちまったようで、ティナは次の一本を取り出そうとアイテム・ストックを探るが、そうしている間にも無傷の土竜どもがティナに群がっていく。
フンッ。
ここらで打ち止めか。
俺は苛立ちを噛み殺しながら穴の底へ向かおうとした。
だが、そこで頭上から何やら気配を感じて即座に足を止める。
そんな俺の頭のすぐ上を何かが通り過ぎて地面に突き立った。
俺は反射的に地面に屈み込むと、背後の地面に突き刺さっている物を見た。
それは親指程度の大きさの金属の筒であり、鋭く尖った先端から紫色の液体が溢れ出している。
おそらく毒液の類いだ。
俺は即座に天井を見上げた。
広場の天井は5メートルほどの高さがあるが、そこには何者の姿もなかった。
何だ?
明らかに俺を狙った攻撃だ。
天井のどこかに何者かが潜んでいやがるのか?
見上げるとそこには1つだけ50センチ四方ほどの大きさの鉄格子がハメ込まれている。
通気口か何かか?
だが、飛んできた金属の射線を考えると、それが撃ち出されたのは通気口ではない。
一体どこに隠れている?
チッ。
俺がこうして足止めを食っている間にもティナの奴は土竜どもに囲まれて四苦八苦してやがる。
フンッ。
勝手に突っ込んでいって孤立無援に苦しめられてりゃ世話ねえぜ。
そもそも俺がこうしてくだらねえ足止めを食ってるのも、あいつがいらんことしやがるせいだ。
ティナ。
それならこっちも好きにやらせてもらうからな。
俺はこの状況に苛立ち、先ほどティナから受け取っていたカラシヨモギのスプレー缶を取り出した。
同時に取り出したガスマスクを被る。
「どこのどいつだか知らねえが、炙り出してやるよ」
そう言うと俺はスプレー缶を天井近くまで放り投げ、灼熱鴉を放った。
炎の鴉に焼かれたスプレー缶は激しく爆発し、カラシヨモギの噴煙を派手に撒き散らした。
その噴煙が広がってすぐ、天井付近から男の悲鳴が上がった。
「ギエエエエッ!」
すると次の瞬間、何もなかった天井に足をつけて逆さまの状態で立っている男が突如として姿を現しやがったんだ。
まるで何かの術で消えていた奴が、術が解けて姿を現したかのようだ。
それは派手な朱色の内着の上に群青色の衣を羽織った奇妙な野郎で、その耳と頭髪は天を突くように尖って伸びている。
コウモリのように逆さに天井に立っていやがるその男は手に金属の筒を持っていた。
吹き矢か。
さっきの弾はあれで放ちやがったんだな。
カラシヨモギの噴霧を吸い込んだコウモリ男は、激しく咳き込みながら天井に立っていられずに落下してくる。
俺はガスマスクをつけた状態で素早く飛び上がるとコウモリ男に飛び掛かった。
「魔刃脚!」
俺の右足がコウモリ男の首をはね飛ばした。
野郎は悲鳴を上げる間もなく、ライフが尽きてあっけなくゲームオーバーになっていく。
何だ?
弱すぎるし、何より今の野郎はバグッていなかった。
ここのところヒルダのせいでバグ野郎ばかりを相手にしてきたから、正常な魔物が現れると逆に拍子抜けしちまう。
ヒルダはここにいる魔物を全て支配下に置いているわけじゃねえってことか。
俺がそんなことを考えていると、下から悲鳴の大合唱が響き渡ってくる。
「ギョアッ! ギョアッ!」
さっきのカラシヨモギの噴霧は巣穴の中まで降り注ぎ、それを浴びて都市土竜どもがもがき苦しんでのたうち回ってやがる。
ざまあみやがれ。
だが、土竜どもの声に混じってティナとNPCの女の悲鳴も聞こえてきた。
「かはっ! ゴホゴホッ!」
「うええええええっ!」
俺が突然の行動に出たからティナの奴はガスマスクを被る暇がなかったんだろう。
フンッ。
知ったことか。
自業自得なんだよ。
俺は即座に巣穴の中に降り立つと、悶え苦しむ土竜どもを蹴散らしてズカズカとティナに歩み寄る。
そして涙を流して咳き込みながら苦しむティナと女の腕を掴んで強引に浮かび上がろうとした。
だがカラシヨモギが霧散してニオイが消え始めたその時、俺は天井に奇妙な気配を感じて頭上を振り仰いだ。
すると何も見えない天井に一斉に大勢の姿が浮かび上がってきた。
そいつらはさっきのコウモリ男とよく似た姿格好をしているが、その数は数十人に及んでいた。
こいつら……一時的に姿を消す能力があるのか?
そして全員が口に金属の筒を咥えている。
ヤバい!
俺はティナと女の手を放すと、咄嗟にすぐ近くにいる都市土竜の体を掴んで頭上に抱え上げ盾にした。
次々と降り注ぐ吹き矢が俺の頭上で土竜の腹に突き刺さる。
だが土竜の体だけで防ぎ切れるもんじゃない。
俺は太ももに痛みを感じて思わず顔をしかめた。
見ると左右の太ももに吹き矢が突き刺さっていた。
くそっ!
背後を見るとティナの奴が苦しげな表情ながらアイテム・ストックから厚手の外套を取り出して市民の女にかけてやっているが、自分自身は体のあちこちに吹き矢を受けている。
その姿に俺は言い様のない怒りを覚え、都市土竜を放り投げるとティナと女を強引に抱え上げた。
そして飛来する吹き矢が体中に刺さるのも構わずに羽を広げるとその場から離脱しようとする。
だが、途端に足にまったく力が入らなくなり、ガクッとその場に膝をついてしまった。
あ、足が……。
「……痺れ薬かよ。くそったれ」
吹き矢に含まれている紫色の毒液が効いてきやがった。
まずい……動けなくなる。
痺れ薬自体の毒性は強くないようでライフは大して減らねえが、とにかく体が動かせねえ。
そうして動けなくなった俺たちを見て、コウモリ男どもが嬉々としてムカつく笑い声を上げながら天井から降下してきた。
その手には先ほどまでの金属の筒ではなく、ナイフとフォークが握られていた。
そうか。
こいつら、敵を動けなくして食うのが習慣なのか。
まずい。
このまま細切れにされて連中の胃袋に収まるなんて冗談じゃねえぞ。
そう思ったその時だった。
見上げる天井の一角に設けられている通気口の鉄格子がゴトッとずれ落ちてきたんだ。
そしてその中から突如として人影が飛び出して来たかと思うと聞き慣れた声が響き渡った。
「旋狼刃!」
途端に突風が吹き荒れ、竜巻が発生した。
それにコウモリ男どもが巻き込まれて次々と切り刻まれていく。
そんな中、技を放った張本人が巣穴の中に降り立った。
「ティナ殿。バレット殿。大丈夫でござるか」
現れたのは先ほど市庁舎で別れたはずのパメラだった。
こいつ、どうやってここに……。
パメラは俺たちの惨状を見てとると、さらに刀を振るう。
「旋狼刃!」
さらなる刃の竜巻が発生し、カラシヨモギを浴びて地面の上で悶え苦しんでいた都市土竜どもが一斉に空中に巻き上げられる。
相変わらず大した威力だが、圧巻だったのはそこからだ。
パメラは白狼牙をいったん鞘に戻すと、腰を落として居合いの構えを見せた。
「本当はバレット殿と対戦するまで見せたくはなかったのでござるがな。緊急事態ゆえ、そうも言っておられぬでござる」
そう言うとパメラは鞘に巻かれた銀糸を解く。
途端にその体に力がみなぎっていき、その背中から灰色の翼が生えた。
「白狼牙・翔」
白狼牙に封じられた鴉天狗の力を解放した翼を広げると、パメラは刀の柄に手をかけた。
その小さな体から信じられないほどの力が溢れ出している。
そしてパメラは高らかに叫んだ。
「奥義! 天舞閃狼百烈刃!」
そう言うとパメラは刀を鋭く振り抜いた。
一瞬の静寂の後、先ほどの旋狼刃を上回る猛烈な竜巻が発生した。
それはコウモリ男どもを巻き込む竜巻と都市土竜どもを巻き込むそれの両方を吸収して、一本の太い竜巻となる。
そこからパメラは一瞬で飛び上がり、躊躇なく竜巻の中へと飛び込んで行った。
俺は目を見張る。
そこからパメラが常人離れした動きを見せたからだ。
パメラは灰色の翼を操り、猛烈な竜巻の中を自在に飛び回る。
そしてそれこそ風のような速度でコウモリ男どもや都市土竜どもを次々と切り裂いていったんだ。
十数秒の後、数十体はいたコウモリ男は全滅してオール・ゲームオーバーとなり、バグで揺らぐ都市土竜どもは強烈な勢いで吹き飛ばされて天井や壁にめり込んだまま動けなくなっていた。
混迷を極めるこの場を、パメラはその奥義で一瞬にして制圧して見せやがった。




