第4話 クラリッサが見たもの
市長との会談中に市長室にいきなり入ってきたのは女のNPCだった。
それは職員のNPCであり、市長は部下の異様な様子に絶句している。
その女の顔はバグで揺らいでいて、もはや表情が判別できない有り様だ。
「ティナ殿!」
女に駆け寄ろうとしていたティナを横からパメラが引き留めた。
それと同時に女がいきなり立ち上がって襲いかかって来やがったんだ。
パメラが引き留めたおかげでティナは難を逃れ、女の手を避けた。
だが、飛びかかってきたその女はそのままの勢いで市長に掴みかかる。
市長はこれを受け止め切れずにひっくり返り、女はその上に馬乗りになった。
「うわっ! ど、どうしたんだね!」
当然、女には言葉など通じない。
俺はその女の首根っこを掴み、力任せに市長から引き離した。
そしてそのまま女のバグッた様子を市長にまざまざと見せつける。
「こいつはな、あんたが経験した幽霊騒動の産物さ。こういう奴が今に街にも溢れ出すぞ」
女は暴れてもがくが俺は構わずに窓を開けて女を外に投げ捨てた。
「バ、バレットさん? 何を……」
部下の女が3階の窓から落下していくのに焦った市長が後方から声を上げるが、俺はそれを無視し、窓の下に見える光景に舌打ちした。
「チッ。見ろ。デモ隊がここに突入しようとしてるぞ。市政に不満でもあるんじゃねえのか? 市長さまよ」
そう言う俺の言葉にティナとパメラはハッとして窓枠に駆け寄ってくる。
そしてそこから見える光景に息を飲んだ。
「……始まりましたね」
窓から見える市庁舎前の道には、多くの市民たちが押し寄せてきていた。
隣の窓からその様子を目の当たりにした市長が愕然とする。
「そ、そんな……」
先ほど俺が投げ捨てた女は市庁舎の中庭に落下していたが、何事もなかったかのように立ち上がり、この建物に向かってフラフラと歩いてくる。
初めて見る異様な光景に市長はショックを隠しきれない様子だ。
その時、聞き覚えのある声が中庭に響き渡った。
「おじいちゃーん!」
見ると先ほど外に遊びに出て行ったクラリッサが数人のNPCらに手足を掴まれて悲鳴を上げている。
「ク、クラリッサ! 何ということだ!」
市長は顔を青ざめさせて孫娘の危機に取り乱し、慌てて部屋を飛び出していこうとする。
その様子にピンと来た俺は市長の腕を取り、引き留めた。
「待ちな。あんたじゃ無理だ。ここで見てろ」
そう言うと俺はティナに目配せをして窓から外に飛び出した。
そうして中庭に着地すると、先ほどの女が俺を見て飛びかかってきた。
「てめえに用はねえ」
そう言うと俺は容赦なく女を回し蹴りでぶっ飛ばす。
女は大きくふっ飛んで中庭の茂みに突っ込んだ。
こいつらはもともとライフ・ゲージのない旧式のNPCだ。
いくらぶっ飛ばしたところで何度でも起き上がって来るだろう。
俺はクラリッサの元へ駆け寄ると、まとわりついているNPCどもを次々と引っぺがして放り投げ、蹴り飛ばした。
「あ、ありがとう。バレット」
クラリッサは半ベソをかきながら地面にへたり込んでそう言う。
俺はそんなクラリッサを抱え上げると、回りからNPCどもがさらに近寄って来る前に中へ舞い上がる。
「だから呼び捨てにすんじゃねえっつってんだろ。このガキ」
そのまま俺は市庁舎の3階の窓に舞い戻り、クラリッサを床に下ろした。
クラリッサは市長の元に駆け寄り、市長は孫娘を固く抱きしめた。
「おじいちゃん!」
「おお……クラリッサ」
抱き合う2人を見て顔を綻ばせるティナとパメラは、チラッと俺を見る。
「バレット殿。市長殿とクラリッサ殿のための見事な義勇の行い。拙者、感動したでござるよ。バレッド殿にも弱き者を助ける心がるのでござるなぁ」
「はあ?」
気味の悪い言葉を並び立てるパメラに眉を潜める俺の前で、ティナがやれやれと首を横に振る。
「パメラさん。この人にそんな心はありませんよ。さっき女性の感染者を容赦なく蹴りとばしていたでしょう? この人の頭の中に人に優しくするというプログラムは存在しないのです」
「うるせえぞ。それよりティナ。早いところやることをやれ」
先ほどの俺の目配せを理解しているようでティナはハァとため息をついた。
そんな俺たちに市長は深々と頭を下げる。
「バレッドさん。ありがとうございます。孫娘を助けて下さって」
「礼なんざいらん。それより、そこの天使が知りたがってる情報をさっさと寄こせ」
そう言う俺をキッとひと睨みし、ティナはゴホンと咳払いした。
「市長様。私たちは今起きているような事例をこれまでも追いかけ続けて、解決してまいりました。今回もこのネフレシアの街にその原因となる人物が潜伏していると考えています。ですから、どうか私たちにお力をお貸しいただけませんか?」
そう言うティナをじっと見つめると、市長は静かに頷いた。
「分かりました。孫娘を助けていただいた御恩に報いねば。それにこの状況は明らかに異常ですね。すでに終わったはずの街ですが、それでも私にはこの街を守る義務があります。ティナさん。メイン・システムの起動を」
そう言うと市長はメイン・システムを起動する。
ティナもそれに倣って自らのメイン・システムを起動した。
【建物番号2647のセキュリティー・キーを移譲します】
市長は製鉄所のロック解除キーと製鉄所への地図をティナに譲り渡し、ティナはそれを受け取ると、おずおずと頭を下げた。
「ありがとうございます。それで、先ほどのお話の続きなのですが」
「はい。この街で唯一、外部との通信の可能性があるのは……」
市長がそう言いかけると、そこでクラリッサが口を挟む。
「おじいちゃん。それって工場の煙突の中でしょ?」
「クラリッサ……なぜそれを?」
孫娘の唐突な言葉に市長は驚きの表情を見せる。
クラリッサはバツが悪そうに頭をかきながら言った。
「前からダメって言われてたけど、ボク、1人で工場に遊びに行ってたんだ」
「工場ってのは製鉄所のことか?」
俺の問いにクラリッサは頷く。
「鍵がかかってて中には入れないんだけど、壁から屋根に登れるんだよ。ボク、そこで煙突を見てたんだ。あの煙突すごいんだよ。空のずっと上まで続いてるんだ」
興奮してまくし立てるクラリッサに困ったようにタメ息をつき、市長は俺たちに顔を向ける。
「このネフレシアの上空がどうなっているかご存知ですか?」
「天井に空の画像を映し出した物ですよね」
「はい。実際は岩盤の天井に覆われているのですが、製鉄所の煙突は排気のためにその天井を突き抜けて地上まで伸びているのです」
市長の話にパメラは目を丸くする。
「なんと。ならばその煙突の中を上っていけば地上に出られるのではござらぬか?」
「それがダメなんだよ」
そう言ったのはクラリッサだ。
「工場の屋根に上ってて気付いたんだけど、煙突と屋根のくっついてるところに小さい穴があって、そこから煙突の中に入れたんだ」
どうやら屋根と煙突の継ぎ目に隙間が出来ているようだ。
クラリッサが好奇心からその隙間に入ると煙突内部には整備用に使われるハシゴが内壁面に備えつけられていた。
「ボク、何かワクワクしちゃってそのハシゴをどんどん上に上って行ったんだ」
「クラリッサ……そ、そんな危険なことを」
孫娘の蛮行に、市長は眉間に指を添えて苦い表情を見せた。
祖父の困惑にも構わずクラリッサは話を続ける。
「でも、途中で煙突は行き止まりになっちゃったんだ。煙突の中に天井が出来てて……」
それ以上は上ることが出来なかった。
不満げにそう言うクラリッサにティナは尋ねる。
「その場所で通信が可能になったのですか?」
「うん。ずっとってわけじゃないんだけど、メイン・システムに反応があったからすぐに分かったよ」
メイン・システムは通信不可能の場所にいる場合は圏外の表示が出る。
ここにいる間はずっと圏外だったそれが珍しく一時的に通信可になったので、クラリッサも驚いたそうだ。
「では、その場所に行けばティナ殿も天樹の塔と通信できるかもしれないのでござるな」
「その可能性にかけるしかありませんね」
フンッ。
向かう先が決まったな。
俺は開いたままの窓枠に足をかけた。
「さて、じゃあ行くとするか。外で暴れてる連中はこっちが飛んで移動すりゃ手出しはできねえ。ティナ。パメラを抱えてついてこい」
「え? ええっ? 市長さんとクラリッサさんを置いていくんですか?」
「ああ。もう用はねえからな」
「もうっ! バレットさんはすぐそうなんですから! 聞きました? パメラさん。これがバレットさんの本性ですよ!」
「バ、バレット殿……」
ギャアギャア騒ぐティナに唖然とするパメラ。
俺はフンッと鼻を鳴らすと悪びれずに言う。
「何か問題あるか?」
「あるに決まってるでしょ! バレットさん! せめてお2人を安全な場所までお連れしてからです! そうでなければ私は一緒に行きませんよ!」
断固たる口調でそう言うティナを俺は睨み付ける。
「安全な場所? そりゃどこだ? この街のどこに安全な場所があるってんだよ」
「そ、それは……」
「むしろこの市長室に鍵でもかけて立て籠ってるほうが安全だろ」
そう言うと俺は窓枠から離れて市長の机に歩み寄り、それを持ち上げた。
ギャアギャアうるせえティナを黙らせるために、面倒だがひと手間かけてやる。
俺はそれを入口のドアの前に置くために持ち運ぶ。
籠城に備えてのことだ。
だがそこでけたたましい物音と悲鳴が廊下から鳴り響いてきた。
続いて廊下をドタドタと走る音が聞こえてきたかと思うと、ドアが開きっ放しの入口のから数人のNPCたちが駆け込んできやがったんだ。
「た、助けて! 市長! 助けて下さい!」
倒れ込むようにしてそう懇願したのは2名の男と1名の女。
そいつらはビリビリに引き裂かれた職員服を身にまとい、その顔を恐怖と絶望に引きつらせていたんだ。




