第15話 封印の呪い
「……どこだここは?」
どこまでも続いて行くように感じられた黒い闇の中を抜けると、俺は柔らかな草の上に落下した。
そこは眩い光に包まれた奇妙な空間だった。
先ほどまでいたヒルダのアジトと同じく壁と天井に囲まれた閉鎖的な場所だ。
一言で言えば洞穴だった。
それにもかかわらず地面には背の低い草がビッシリと生えていて、森の中にいるような香りが漂っている。
上を見上げたが、天井には光を放つ苔がビッシリと群生していて、それがこの場所を明るく照らしている。
閉塞感を感じないのはこの昼間のような明るさのためだろう。
目が痛むようなその明るさに俺は思わず目を細める。
そんな俺のすぐ近くには一緒に落ちてきたティナとパメラの姿がある。
「ティナ殿。大丈夫でござるか?」
「ええ。少し痛みますが、深く噛みつかれる前にバレットさんが助けて下さったので何とか……」
パメラはティナの首すじに消毒剤を塗り込み、止血用のテープを貼っている。
さっきまでいた小部屋でいきなり甦った堕天使の骸に襲われたティナは首すじを噛みつかれていた。
2人ともとりあえず無事だが、俺と同じくこの状況に目を白黒させて辺りを見回している。
「拙者らは地下からさらに地下深くに落ちてきたのではござらぬか? この明るさは一体……」
「いえ、おそらくあれは不正プログラムによる空間転移ですので、落ちたというよりもまったく別の場所に飛ばされたのかもしれません」
戸惑う小娘どもをよそに俺は立ち上がり、目を細めたまま周囲の状況を窺う。
雰囲気こそ明るいが、そこはしょせん穴蔵だった。
洞窟と変わりない構造であり、ここが地中であることを窺わせる。
パメラは頭上を見上げながら眉を潜めている。
「しかし、あの堕天使の骸から飛び出した黒い液体は何だったのでござろうか……」
俺たちを飲み込んだ黒い液体はどこにも見当たらない。
あれは間違いなくヒルダの罠だった。
俺たちは一体どこに落とし込まれたんだ?
そこでティナが警戒した様子で俺を見上げる。
パメラによる傷の手当てを終えたティナはメイン・システムを起動していた。
「バレットさん。この場所、外部との通信が出来ません」
「なに?」
ティナはメイン・システムを通じていつでも天樹の塔やライアンと通信が可能だ。
だがティナの起動するメイン・システムにはエラー・メッセージが表示され、通信が出来ないことを示している。
「どうやらヒルダの罠にまんまとハメられたらしいな」
あと一歩のところまでヒルダを追い詰めたと思った俺たちだったが、ヒルダの奴は追跡の手を逃れたのみならず、逆に俺たちをハメやがった。
俺は苛立つ気持ちを噛み殺しながらそう言うと、小娘どもを促した。
「立て。とにかくこの場所を調べるぞ」
俺の言葉に頷き、小娘どもは立ち上がる。
とっととこの場所を調べ上げて脱出の方法を探らなきゃならん。
特に重要な役割を担うのは修復術の使えるティナだ。
俺は自分のメイン・システムを確認したが、すでに天魔融合プログラムの効果は10分間の使用時間を過ぎ、使えなくなっている。
こうなると不正プログラムへの対処は従来通りティナに任せるほかない。
今こうして目で見る限りは周囲にバグは見当たらないが……。
ティナは草の生える地面や壁をくまなく調べ始めようとした。
「不具合分析」
だが、そう唱えたティナの手からいつものような青い光が照射されない。
「……えっ? 不具合分析!」
怪訝そうな顔でそう唱えるティナだが、その手からはやはり何も照射されない。
ティナは戸惑って俺を見る。
そんなティナの顔に異変が起きていた。
「バレットさん……」
「ティナ、おまえその額……」
ティナの額には真っ赤な字で【封】と刻み込まれていた。
どういうことだ?
ティナは慌てて自分のメイン・システムを操作した。
そんなティナの顔が見る見るうちに青ざめていく。
「バレットさん。これ、見て下さい」
そう言ってティナが俺に見せたコマンド・ウインドウには無機質な字でこう記されていた。
【重大なシステムエラー/管理者:ティナ・ミュールフェルト/修復術のプログラム実行に深刻な問題が発生/システム起動不可】
何だって?
ティナの修復術が使えなくなったってことか?
「何かの不具合か。自分で直せねえのか?」
「や、やってみます」
ティナはそこからメイン・システムを相手に四苦八苦し始めたが、その表情は冴えないままだ。
まずいぞ。
ここに至ってティナの修復術が使えないのは最悪だ。
なぜ急にこんなことに……。
そこでメイン・システムを操作するティナの首すじからいきなりバチッと火花が散った。
「きゃあっ!」
「ティナ殿!」
咄嗟にティナの肩を支えたパメラは、治療済みのティナの首すじから血が滴り落ちているのを見ると、ティナをそっと座らせた。
止血用のテープが血で真っ赤に染まっている。
こいつは……。
「これはまずいでござる。すぐ治療を」
「す、すみません。パメラさん」
パメラはアイテム・ストックから応急処置用具を取り出してティナの治療を始める。
ティナはわずかな痛みに顔をしかめながら俺を見上げた。
「まずいことになったかもしれません。どうやら現時点ではどうやっても修復術は使用できないようです。ライアン様に連絡を取ろうにもここでは手段がありません」
悄然とそう言うティナの首すじをもう一度止血しながらパメラが諌める。
「ティナ殿。無理はなさらぬよう。メイン・システムによる復旧はしばらくあきらめるでござるよ」
「はい……」
俺はティナの首すじの傷を見ながら言った。
「ティナ。さっきの堕天使に噛みつかれた時、体に違和感はなかったのか?」
「え? ええ。痛いだけで違和感というのは……あれが原因だったのでしょうか?」
「そう考えるべきだろうな。くそっ! ヒルダの奴め。何から何まで用意周到だぜ」
今のところ俺たちはあの女を上回れていない。
俺たちをこの場所に落とし込んだのも計算づくの行動だろう。
だとするとあの女が打ってくる次の手は何だ?
俺は苛立ちを堪えて目を凝らし、周囲に異変がないかと観察して回る。
ティナの修復術が使えない以上、こうして目視、手探りでやるしかねえ。
出入口がない完全な密閉空間に見えても、どこかに隠し扉があったり壁が脆くなっていたりすることもある。
そう思い、俺は壁をゴツンゴツンと叩きながら歩いていく。
壁からはところどころ長い草が生えて垂れ下がっている。
その草をバサバサと手で揺らしながら歩いていると、俺はわずかに風の流れを足元に感じて立ち止まった。
見ると足元まで垂れ下がった草の先端が風にそよいでいる。
それは本当にわずかな風だったが、確かに吹き込んでいた。
俺はその場に屈み込むと、注意深く草をかき分ける。
そして地面に顔をつけるようにしてそこを覗き込む。
すると草をかき分けた先の壁に小さな穴が開いていた。
せいぜい30センチ程度の穴で、その向こう側はここよりも薄暗いが確かに空洞が続いている。
そして緩やかな微風が吹き込んできていた。
「おいっ! ここに穴があるぞ」
俺が声を上げて小娘どもを呼んだその時、穴の向こう側にいきなり何者かが現れた。
そいつは驚いて目を丸くしながら、こちらを覗き込んでいた。
「チッ!」
至近距離でそいつと目があった俺は反射的に後方に飛び退いて臨戦態勢を取る。
後方から俺の元へ駆け寄って来ていたティナは、いきなり後ろに飛び退った俺の背中にぶつかって倒れ込んだ。
「アイタッ! な、何なんですかバレットさん! いきなり下がって来ないで……」
「穴の向こうから覗き込んでいる奴がいる。油断すんなよ」
そう言う俺にティナは慌てて立ち上がり、その隣ではパメラが白狼牙の柄に手をかける。
そんな俺たちの前から、穴を通り抜け草をかき分けて1人の人物がモソモソとこちら側に這い出て来やがった
俺はそいつを見下ろす。
小さな穴を楽々と通り抜けてきたそいつは、人間の女だった。
女といってもまだガキだ。
ティナやパメラよりも幼く、背丈も小さい。
まだ10歳ちょっとくらいか。
「……誰だてめえは」
俺の問いにそのガキは目をパチクリさせ、俺を見上げるとわずかに頬を引きつらせた。
だが俺の顔を見てビビッているそのガキは、ティナやパメラを見るとわずかにほっと安堵の表情を浮かべた。
「び……ビックリしたぁ。声がすると思って来て見たらほんとに人がいる。キミたちこそ誰? どうしてここにいるの?」
矢継ぎ早にそんなことを言い出すガキを俺は睨みつける。
「おいガキ。質問してんのはこっち……」
「私たちは天国の丘から来ました」
横から俺を押し退けてティナの奴がガキの前にズイッと出やがった。
そしてパメラは俺の腰をポンと叩いて苦笑する。
「ここはティナ殿にお任せするでござるよ」
チッ。
こいつら。
ナメくさりやがって。
「私は見習い天使のティナ。こちらがサムライのパメラさん。で、後ろの怖い顔のお兄さんが悪魔のバレットさんです。あなたのお名前は?」
「ボクはクラリッサ。このネフレシアの街に住んでるんだ」
ティナの柔らかな物腰に安心したのか、クラリッサという名のそのガキはそう言うと表情を和らげて笑顔を見せた。




