第14話 呪いの刃ふたたび
ヒルダの喉に深々と刺さっているその刃は紫色のあやしい光を帯びている。
断絶凶刃。
それは以前の戦いで不正プログラムを駆使したケルやディエゴらが持っていた呪いの刃だ。
不正プログラムによって作り出されたそれで斬りつけられると、死亡後のコンティニューが出来なくなり、物言わぬ骸としていつまでもその場に留まり続けることになっちまう。
俺も前回、それに刺されて煮え湯を飲まされた経験がある。
ヒルダは今、その呪いの刃を自らの喉に突き刺して息絶えている。
そんなヒルダの死に様を見てティナは息を飲んだ。
「ヒ、ヒルダが……まさか、自分で?」
「チッ!」
唖然とするティナと憮然とする俺。
そんな俺たちの後ろからパメラが重い足取りで近付いてきて、ヒルダの姿を見ると苦しげに声を漏らす。
「ま、まさか……自害したということでござるが?」
ティナはそんなパメラをサッと支えた。
パメラの疲労度はいまだ赤く、肺病の発作が治まっていないことは一目で分かった。
またしばらくは戦えねえだろう。
「パメラ。不用意に近付くなよ。見ろ。ティナ。断絶凶刃だ」
俺の言葉にティナは目を見開き、驚きの表情を浮かべた。
事情を知らないパメラは眉を潜めているが、俺とティナは前回の戦いでこの忌々しい刃のことを嫌というほど知っている。
ティナも俺と同じくこいつで切られた苦い思い出があるからな。
「なぜヒルダが自害を……しかも断絶凶刃で」
困惑しながらティナは断絶凶刃が不正プログラムによる産物であることと、その効果を端的にパメラに説明した。
それを受けたパメラは首を捻る。
「……か、観念したのでござろうか。敵に首を取られるくらいならば……自ら命を絶つというのは……理解できなくもないのでござるが……」
そう言うパメラの顔も自分の言葉に納得していないような表情に覆われている。
追い詰められた果ての自害……そんなわけはねえ。
ヒルダの立場にしてみりゃ、そんなことをしても何の意味もないからだ。
遺体を回収されて運営本部に調べられたらそこでジ・エンドだ。
錯乱でもしてない限り、自害することは考えにくい。
どうにもピンとこねえな。
「とにかく正常化しましょう。ヒルダの亡骸を運営本部に送り届ければ色々と調べられるはずです」
ティナは腑に落ちない表情ながら、銀環杖を手にヒルダの亡骸の前に立つ。
俺はすでに天魔融合プログラムの有効時間が切れていて、修復術の力はこの体から失われている。
「正常化」
ティナがそう唱えると、銀環杖の宝玉からおなじみの青い光が降り注いだ。
先ほど堕天使の小僧を正常化した時に驚いて瞠目していたパメラは、今回も食い入るようにその光景を見つめている。
そんなパメラの目の前で、バグッていたヒルダの亡骸に変化が表れた。
「こ、これは……どういうことでござるか?」
喉に深々と断絶凶刃を突き刺して死んでいたヒルダの亡骸は、ティナの正常化の光を浴びてその姿を変貌させた。
いや、変貌していた姿が元に戻ったと言うべきだな。
ヒルダの姿をしていたそれは、似たような背格好の別の堕天使に変わっていたんだ。
それは男の堕天使だった。
修復術をかけたティナが驚きの声を漏らす。
「ヒ……ヒルダじゃない」
どうなってやがる?
奇妙な事態だ。
「あの女、自分の影武者を用意したってのか。それにしちゃさっきまで巨岩鬼の肩に乗っていたこいつはヒルダそのものだったように思えるがな」
「ですよね。でもこれはマズイですよ。ヒルダは今もどこか別の場所で生きてるってことでしょうから」
その身にバグを負って死んでいる堕天使を見ていると、ふいに俺は先ほど森でとっ捕まえた堕天使の小僧の顔を思い出した。
頭に不正プログラムのバグを負っていたあの小僧は、ヒルダに突然襲われたと言っていやがったな……。
そこで俺はハッとして呟きを漏らした。
「そうか。そういうことかよ……あの女め」
「バレットさん?」
「こいつはヒルダの部下だろう。あいつは部下の誰かを自分の影武者に仕立てあげやがったんだ。あの女……自分を死んだことにして、一時的に運営本部の目をくらませておくうちに逃げおおせるつもりだったのかもな」
そこでパメラがハッとして口を開く。
「あ、あの堕天使の童子は……ヒルダが影武者にしようとしたのでござるか」
ヒルダに襲われて不正プログラムをその頭に負った堕天使の小僧。
本当ならばここで死んでいたのはあの小僧のはずだった。
「だろうな。それを失敗したから、代わりにそいつを使ったんだろう。小僧が言っていた運悪く入れ替わりで入って来た同僚ってのが、こいつなんだろうよ」
俺の言葉にパメラは唇を噛む。
「自分の部下にそのような真似を……卑劣な」
ヒルダは今頃どこかにトンズラこいてホッと一息ついていやがるってことか?
自分の盗賊団を捨ててミジメな逃亡者に成り下がったってことかよ。
だが、俺はどうにも引っかかるものを頭の中から拭い去れずにいた。
「妙だ。こんな影武者を用意したところで、ティナがいる限りこうして暴かれちまう。そんなことはあの女も分かってるはずだろう」
俺の言葉にティナとパメラは顔を見合わせる。
ヒルダの奴はそんなことも考えられないほど動揺し下手を打ったってことか?
いや、そんなはずはねえ。
こんなことをしたのは何か別の意味があるはずだ。
今、目の前でくたばっているこいつは、あの小僧の身代わりとなった「ちょうどいい奴」なんだ。
そう言えばそれは小僧がその場面を目撃したという、ヒルダの話し相手だった男の言葉だったな。
悪魔の男だったらしいが、そいつがヒルダの支援者なのかもしれねえ。
疑念を抱く俺の横ではティナが表情を曇らせていた。
「私の正常化を受けても呪いが解けないということは、この断絶凶刃はオリジナルなんでしょうね。厄介なことになりそうです」
そうか。
断絶凶刃はオリジナルとそれを基に作った贋作とがある。
贋作ならティナの正常化で一緒に呪いは消え去るはずだ。
しかしオリジナルの場合はその刃の中に隠されたシリアル・キーを解析しなければ呪いが解除できない。
時間も手間もかかり、ティナの言う通り厄介なシロモノだ。
だが、今の俺にはそんなことはどうでもよかった。
「ティナ、とりあえずこの部屋を探れ。ヒルダの足跡を辿るんだ。あいつをこのまま逃がすわけにはいかねえ」
これ以上、あの女の手の上で踊らされるのは我慢がならねえ。
そう憤る俺にティナはさっさと銀環杖を握って部屋の中を調べ始めた。
「そう言うと思いましたよ。とりあえずバレットさんはライフを回復しておいて下さい」
そう言うとティナは不具合分析でこの狭い小部屋のあちこちを調べ始める。
その隙に俺は回復ドリンクを使ってライフの回復を図り、パメラは静かに呼吸を繰り返して息を整えながら俺に声をかける。
「バレット殿は先ほど、桃色の炎で巨岩鬼のバグを吹き飛ばしていたでござるな。あれが例の……ティナ殿との儀式で手に入れた力でござるか」
わずかに頬を赤らめながらパメラはそう問う。
「フンッ。そういうことだ。だが、あの力はもう有効時間切れだ。今の俺には使えねえ」
再び修復術の力を得るにはまたティナとあのふざけた儀式をしなきゃならねえが、あれが出来るのは一日に一度限りと運営本部から定められている。
だからこそここでヒルダを確実に仕留めておきたかったんだ。
だがヒルダの用心深さがそれを上回った。
替え玉を作って難を逃れ、そして俺がヒルダを倒すための隠し玉にしていた天魔融合プログラムを見られた。
これで次は俺のこともあいつは警戒するだろう。
忌々しいがあの女の策謀にしてやられたってことだ。
俺が苛立ちを噛み殺していると、ティナが困惑の表情を浮かべて言う。
「バレットさん。この部屋の中には異常は見られません。さっきヒルダは確かにここに入り込んだはずだと思ったのですが……」
ティナの奴はもう部屋の中をあらかた調べ終わったようだ。
まあ、狭い部屋だからな。
だが……。
「まだ調べてねえところがあるだろ」
そう言うと俺は目の前で物言わぬ骸と化している堕天使を横に蹴り飛ばした。
途端にパメラがギョッとし、ティナは非難の声を上げる。
「ああっ! バレットさん! 亡骸を足蹴にするなんて! さ、さすがにそれは悪行が過ぎますよ!」
「うるせえな。悪魔に説教すんな。それよりここを調べろ」
そう言うと俺は堕天使が背にしていた壁と地面を指差した。
この部屋で調べてないのはもうここだけだ。
ティナは俺に非難めいた視線を向けつつ、嘆息して作業に入る。
「不具合分析」
ティナの手から青い光が放射され、堕天使が座り込んでいた場所が照らされる。
途端にその壁と地面が揺らぎ始めた。
やっぱりな。
俺はその揺らぎに目を細める。
ヒルダの奴を逃がしてなるものかという強い憤怒が少しばかり強過ぎたせいか、俺はそこで起きた出来事に反応が遅れてしまった。
「きゃあっ!」
いきなり横から飛び込んできた人影がティナに飛びかかって組みついたんだ。
それは死んでいるはずの堕天使だった。
そいつは喉に断絶凶刃が刺さったままの状態でティナを組み伏せると、その首すじに噛みつきやがった。
「痛っ!」
「ティナ殿!」
「チッ!」
俺は即座にその堕天使の後頭部を右手で掴むと、ティナから引き離した。
そして暴れる堕天使を投げて後方の壁に叩きつける。
だが、そこで俺は我が目を疑った。
壁に叩きつけられた堕天使の体が突然、破裂しやがったんだ。
それはいきなり液状化し、真っ黒な液体となって岩壁に人型の染みを作った。
その染みはあっという間に大きくなり、壁を広がり地面や天井までも伝って部屋中を浸食していく。
「な、何でござるか?」
「これは……」
驚く俺たちの目の前にコマンド・ウインドウが展開された。
【警告:重大なフィールドエラー。エリアマップを維持できません。異常なパラメータです】
「なっ……」
「きゃっ!」
「何だこりゃ!」
部屋中を浸食した黒い液体で地面が染まった途端、足をつけていたそこはまるで水面のようになり、俺たちは立っていられなくなる。
さらに天井から黒い液体が大量に降って来て、俺たちは一瞬で飲み込まれた。
羽を広げる間もないほどあまりにも唐突な出来事に、俺たちは成す術なく、そのまま真っ黒な空間をどこまでも沈んでいった。




