第15話 氷爆鬼
下級悪魔同士の格闘戦が続く。
俺と仮面男は互いに殴り合い続け、3分もやり合わないうちにいくつか分かってきたことがある。
腕力は奴のほうがやや上だが、身のこなしを含めた速度は俺のほうがわずかに勝っている。
そして俺が先ほどから引っかかっていたことが何であるのか、ようやく理解した。
奴の身のこなしは俺が以前に散々叩き込まれた基本戦闘術そのものなんだ。
もし俺の勘が正しけりゃ、目の前にいるこの仮面男も俺の戦いぶりに同じことを感じているはずだ。
俺は仮面男と至近距離で激しく拳を交わしながら声をかける。
「おい。てめえ。中央部の最大軍閥・ゾーラン隊へ所属していただろう。その身のこなしは新入り時代からイヤってほどに仕込まれたもんだ」
そう。
仮面男の戦いぶりはゾーラン隊で誰もが教えられる基本戦闘術が元になったものだった。
俺も嫌になるほど体に叩き込まれたから、それがよく分かる。
俺の言葉に仮面男は何ら反応を見せずに攻撃を続けた。
フンッ。
だんまりかよ。
ま、その戦いぶりが何よりも雄弁に語っているがな。
ゾーラン隊は所属人数も多い。
そしてその苛酷な訓練や任務に付いて行けずに途中で逃げ出したり、俺のようにゾーランに逆らって追い出されたりする奴も少なくない。
だから俺のように元ゾーラン隊所属って奴と遭遇しても何ら不思議ではないが、こいつの身のこなしを見る限り、数年単位でしっかりと訓練を受けたことが窺える。
数年耐えられる奴なら、少なくともその後に逃げ出すことはないだろう。
「まさかとは思うが今も隊に所属してるんじゃねえだろうな。このチンケな農村を襲うのが任務だとか言うなら、いよいよゾーランも焼きが回ったな」
「……あそこに所属したままなら、今の俺はなかった。貴様も同じではないのか?」
ようやく答えやがった。
俺と同じ離脱組ってわけか。
それにしてもこの声……どこかで聞いたような気がしてならねえ。
俺は油断なく仮面男を見据えながら記憶の糸を手繰り寄せようとする。
だがそこで俺の思考を遮る音が周囲に響き渡った。
それは村の入口付近に建てられた木製の柵がへし折られてなぎ倒された音だった。
そいつらは俺と仮面男の戦いを見守るティナとパメラの後方から現れた。
パメラは即座にティナを守る様に立つと、白狼牙の柄に手をかけて背後を振り返る。
その視線の先には3人の人物が姿を見せていた。
新手か?
そこでパメラが声を上げた。
「き、貴殿らは……」
そいつらは天使でも悪魔でも堕天使でもない、人間の3人組だった。
1人は体つきのガッチリとした大柄な男で、自分の体よりも大きな幅広で重厚な大盾を持っている。
そしてもう1人はヒョロリと痩せた中背の男で、深紅の長槍を手にしていた。
最後の1人は最も小柄な猿のような男で、その手には金色の弓矢を携えている。
パメラは3人の男らを知っているようだ。
なるほど。
あいつらもパメラが金で雇った大会出場者か。
ってことは不正プログラムで正気を失っているんだろうよ。
そう思った俺だが、すぐにそれが見込み違いであることを知る。
「親方。南の国境付近で悪魔どもが何やら騒いでいます。早々に片付けたほうがよろしいかと」
3人のうち大盾を手にした大柄な男が仮面男に向かってそう言った。
親方?
こいつの子分どもってことか。
そしてあの3人は不正プログラムに侵されておらず正気を保っていることも分かった。
大盾男の言葉に無言で頷くと、仮面男はティナとパメラを指差した。
それを合図に3人は小娘どもに向かっていく。
パメラは即座に白狼牙を抜き放ち、ティナも銀環杖を構えた。
「なぜでござるか! 拙者は貴殿らにこの村の防衛を依頼し、それを貴殿らも承諾したではござらぬか!」
パメラが怒りの声を上げるが、大盾男と長槍男はこれを無視し、短弓男だけが嘲笑の声を上げる。
「ヒヒッ! んなもん初めから嘘っぱちなんだよぉ。マヌケが!」
そう言うと3人の中で最も小柄な短弓男は素早く宙を舞いながら矢を射放った。
パメラが白狼牙でこれらを打ち払い、応戦する。
その後ろではティナが高潔なる魂を放って3人を攻撃し始めた。
「小娘どもの身を案じている暇はないぞ」
仮面男はそう言うと再び俺に襲いかかってくる。
「案じてるように見えるか? 俺はてめえをブチのめすことしか考えてねえよ」
そう言うと俺は仮面男の攻撃を避けて反撃に転じる。
しかしながらゾーラン隊で身に染み付いた動きは見抜かれ、先回りして防御や回避をされてしまう。
そこで俺は唐突に動きを変えた。
ステップを不規則に変え、流れるように動き始めると、仮面男はピクリと動きを止める。
そしてこちらを注視し始めた。
先ほども見せた水流の動きだ。
一度や二度見たくらいでは簡単に反応できないだろうよ。
水の中を流れるように動き出すと、俺はそこから灼熱鴉を放って相手を牽制しつつ、接近して魔刃脚で鋭く蹴りつけた。
「くたばれっ!」
「ぬうっ!」
これには仮面男も反応が遅れ、体のそこかしこに切り傷を作っていく。
さらに俺は魔刃脚で蹴りつけるフェイントを交えつつ、魔刃腕で細かく仮面男を刻み、奴のライフを徐々に削っていく。
だが仮面男も巧みに旋棍を操り、俺を牽制してくる。
旋棍の重い一撃をまともに食らえば、俺がこの魔刃腕を数回振るって奴に与えるダメージよりも大きなダメージを負わされることになるだろう。
慎重にそれをかわしつつ、距離が離れ過ぎないように自分の間合いを調節する。
「氷魔霧」
すると仮面男は至近距離で再び全身から氷の霧を噴き出した。
それを浴びると俺の肌がピリピリ痛む。
まるで小さな氷の針で刺されているようだ。
そして氷の霧の中では仮面男の動きが速くなる。
こいつは氷属性だから、冷たい空気の中では身体能力がアップするのかもな。
そして俺が旋棍の対処に気を向けていることを見計らい、仮面男は旋棍を俺に浴びせるかのようなフェイントから、鋭い回し蹴りを繰り出してきた。
「ぐうっ!」
防御の遅れた俺の脇腹に奴の回し蹴りがヒットする。
くそっ!
重い一撃に俺はダメージを受けるが、ここで引くようならケンカ稼業も店じまいなんだよ。
歯を食いしばって痛みを堪えると、俺はさらに一歩を踏み込み、仮面男に接近する。
奴は逆に一歩引いていく。
旋棍の長さは60センチほどあるため、1メートルは敵との間合いが欲しいところだろう。
その間合い以内に踏み込まれたら旋棍の強みは半減する。
俺はゼロ距離での打ち合いに持ち込むべく、水流の動きで奴の背後に回った。
そんな俺を目掛けて仮面男は振り向き様に旋棍を振るう。
屈んでそれを避ける俺の頭目掛けて、仮面男は振り返った勢いのまま右膝を繰り出してきた。
「甘い!」
「おまえがな!」
俺は屈み込んだ姿勢から一気に仮面男の間合いに飛び込んだ。
そして仮面男の膝が俺に当たるよりも早く、奴の顎に思い切り頭突きを食らわせてやった。
「がはっ!」
奴の顎が俺の頭にぶつかり強い衝撃を受けるが、仮面男は俺以上の衝撃を受けたようで、その体が無防備にのけ反った。
そしてその仮面にピシッと亀裂が入る。
ここだ!
俺はそこから連続で肘と膝を奴に叩き込み、6連撃の連続技を食らわせた。
だが、仮面男もやられるままじゃない。
続く7連撃目をガード・キャンセルして俺に頭突きを浴びせ返してきた。
「がっ!」
今度は俺が思わずのけ反る。
そしてその隙に仮面男が旋棍の一撃で俺を狙ってきた。
「我が氷撃魔旋棍はその心臓すら凍らせ砕く!」
だが、俺は先ほどの連続技の間にも魔力を溜めていたんだ。
そこで一気に体内の魔力を爆発させた。
「焔雷!」
俺の体中から炎が噴き上がり、仮面男の体から噴出される氷の霧を吹き飛ばす。
さらに俺の体から発生する雷が仮面男の体を後方に押し返した。
ここが俺の攻めどころだ。
奴は間違いなく俺がゾーラン隊にいた頃の戦いぶりを知り、その後の俺を知らない。
だから魔刃腕や水流の動き、焔雷には反応が遅れたんだ。
どれもこれも俺がゾーラン隊を去った後に身に付けたもので、奴にとっては初見の技に違いない。
だったらここで俺が繰り出すべきは……。
「噴熱間欠泉!」
振り上げた右足をすばやく振り下ろして地面を踏む。
すると仮面男の足元から勢いよく火柱が立ち上がった。
炎に体の前面を炙られて仮面男が思わず後退る。
ここで決める!
俺は最高潮まで高めた魔力を右の拳に集中させる。
途端に俺の右拳が高熱を帯びて赤くなり、炎を噴き出した。
同時に俺は猛然と仮面男に詰め寄り、真下から拳を突き上げて奴の顎を跳ね上げた。
「噴殺炎獄拳!」
俺の拳に仮面男の頭の重さがしっかりと乗った。
手ごたえありだ!
「ごはっ!」
吹き飛ぶ奴の仮面の亀裂が大きくなり、それが真っ二つに割れる。
だが、俺が勝利を確信してそのツラを拝もうとした次の瞬間、宙に跳ね上げられた男が空中でクルリと一回転して見せたんだ。
そして一瞬で俺の頭上に舞い降りた。
「氷塊魔鎚!」
奴の踵が青白く輝き、氷の塊で覆われていく。
仮面男はその踵を俺の頭上に振り下ろした。
そのあまりの速度に、俺はわずかに頭を横にずらして直撃を避けるのが精一杯だった。
「がっ!」
仮面男の回転踵落としが俺の左肩に直撃し、鎖骨がバキッと折れる音がした。
その衝撃はすさまじく、俺は力任せに地面に叩き伏せられた。
その刹那、俺はその技が最初に俺を襲ったあの頭上からの衝撃の正体だと悟った。
「くはっ……」
な……何て技だ。
俺のライフは一気に全量の7割ほどが削り取られ、危険水域に陥った。
くそっ……。
大ダメージのショックで体が麻痺状態に陥り、すぐに起き上がることが出来ねえ。
今にも意識を失いそうだ。
仮面の男は俺の噴殺炎獄拳をまともに浴びながら、まだ3分の1以上のライフを残し、2本の足でしっかりと立っていやがる。
ちくしょうめ。
認めたくねえが、これが俺と奴の実力の差ってやつか。
わずかに首を動かして視線を転じると、仮面男の部下3人を相手にティナとパメラが奮闘している。
「これで終わりだ」
仮面男はそう言うと俺を見下ろした。
くっ……やられる。
俺は必死に身じろぎをするが、仰向けに転がるのがやっとだった。
すると西日に照らされた仮面男の素顔が目に入ってきた。
割れた仮面の下から現れたその顔に俺はハッとする。
「お、おまえは……」
俺はこの悪魔を知っている。
かつてゾーラン隊で俺の同僚だった男だ。
ついさっき村の外で待機している際に昔を思い返していたが、その記憶の中の顔と一致する。
名前だけは思い出せなかったが、こいつと俺はかつて短い間、作戦行動を共にしていたんだ。
氷属性の下級悪魔。
そうだ。
こいつの名前は……。
「久しぶりだなバレット。貴様は変わったようだが、俺のほうがより劇的に変わった。あの当時は互角だったが、今はこの通りだ。積み重ねた時間の重みは俺のほうが上だ」
「……ロドリック」
俺は忘れていたこいつの名前を思い出した。
氷爆鬼ロドリック。
氷の能力を操るこいつをゾーラン隊の連中はそんなふうに呼んでいた。
だが、当時と今とでは扱うスキルや身体能力がまったくの別物だ。
「……なぜ、てめえが」
「今から死ぬ貴様には関係ない」
ロドリックはそう言うと今にも意識を失いそうな俺にトドメを刺すべく、氷撃魔旋棍を振り下ろそうとした。
だがその時、上空を大勢の人影が覆った。
それは正規兵の武装をした天使どもの軍勢だった。
遠のいていく意識の中で俺が最後に耳にしたのは、舌打ちをしたロドリックが部下どもに退却を告げる声と、同胞の救援に喜ぶティナの歓喜の声だった。




