引退前に手合わせを
広い鍛錬場いっぱいに非番の騎士や訓練の手をとめた騎士見習いが詰めかけているというのに、囁き声のひとつも聞こえない。
それでも、群衆から向けられる熱い視線は鎧を着ていてなおルチアの肌を焦がしそうなほどに感じられる。
そんななかで、ルチアは柄を両手で持って剣を正眼にかまえる。
慣れ親しんだ勇者の剣とはわずかにちがう重みだが、さすがは騎士の訓練用とあって模擬刀はしっくり手になじむ。万人に使いやすいよう作られているのだろう。
対するオーウェンは右手一本で掴んだ剣を肩に担ぐようにして持っている。
およそ構えと呼べるような姿勢ではないが、上背があり筋肉の厚みもがっしりとした彼が泰然と立っているだけで、たやすく打ち込めない気迫があった。
永遠にも思えたにらみ合いは、時間にすればほんの数秒。
その間に相手の力量を見て取ったルチアは、先手必勝とばかりに打ち込んだ。
(彼のタイミングに持ち込まれれば、力で叶わない私は確実に負ける。ならば!)
右足で大きく踏み込んで、切っ先をオーウェンの首に向けて突き出す。
オーウェンは自身の戦闘スタイルに合わせた胸当てのみの軽装だ。
刃をつぶした模擬刀とはいえ、当たれば怪我は免れない。特に、人体の急所である喉を潰されれば、命に関わる。
当然、オーウェンは悠長に構えているわけにいかない。
「おっとぉ!」
驚いたような声と同時に担いでいた剣を振り下ろすことで、オーウェンはルチアの剣を弾き落とす。
ルチアは逆らわず剣先を落として、けれど踏み込んだ勢いはそのままにオーウェンに肉薄した。
剣を払われてなお引かないルチアに、オーウェンの目が見開かれる。
「せあっ!」
叩き落とされた力をそのまま利用して右手一本に持ち替えた手で、ルチアはオーウェンの左脇腹目掛けて剣を振る。
迎え撃つオーウェンは剣を逆さに構え、剣の腹で受け止めた。柄を握る手を左肩に押し当てることで振り抜かれた威力をしのぐ。
ギィン、と硬い音を立てて離れた剣と剣は再び振りあげられ振りおろされ、そのたびルチアとオーウェンの距離は近づき離れては、また額が擦れるほどに近くなる。
息があがる。筋肉が熱い。耳慣れた鎧のこすれる金属音が遠のいていく。
緊迫感が増すほど研ぎ澄まされる感覚は、戦いのなかで何度も味わってきた慣れたものだ。
けれど、手合わせを開始してからずっと気になっていることがひとつあった。
オーウェンが、ルチアから目を逸らさないのだ。
バイザーの隙間を縫って突き刺さるオーウェンの視線が、ルチアを捉えて離さない。
もちろん、戦いの最中にあって敵から視線をそらすなど自殺行為だと知っている。
けれど、それにしてもオーウェンから向けられる視線は獲物に向けるそれよりも、なお熱く。逸らした瞬間に負けるとルチアの直感が告げている。
「はっ!」
相手から視線を逸らさないままに剣をぶつけ合うその中で、一瞬の隙間を見つけてルチアは再び突きを放つ。
狙うは首。
ルチアの剣を払いのけ、後退したルチアを追って踏み込んだオーウェンが右手の剣を構えるその瞬間。
彼の剣のしたを這うようにしてルチアの剣が伸びる。
とった。
そう思った瞬間、相手が人間であることを思い出した。
ルチアが数え切れないほど屠ってきた魔獣ではない。
すなわち、殺してはならない。
「くっ、らあぁぁっ!」
ルチアの一瞬にも満たない逡巡のすきに、オーウェンは剣をねじこんだ。
がつん、と衝撃が腕に走り、ルチアの剣が宙を舞う。
「あ……」
間抜けた声といっしょにルチアの胸に浮かんだのは、安堵だった。
オーウェンが剣をはじいてくれなければ、彼を殺すところだった。
わっと観衆から声があがるのをどこか遠くに聞きながら、ルチアは広い鍛錬場に立ち尽くす。
「いやー! やっぱ強ええな!」
剣を下ろしたオーウェンが、楽しげに笑いながら兜ごしにルチアの頭をぐりぐりと撫でる。
ガシャガシャ鳴る鎧の音を聞きながら、ルチアはされるがままでいた。オーウェンが集まったひとびとに何か伝えているのも、耳に入らない。
命のやり取りならば負けないつもりだった。おしとやかさを犠牲に強さのみを磨いてきたルチアには、騎士の実質トップを相手にしても遅れを取らない自信があった。
実際、あそこで止めなければ勝っていたのはルチアだろう。
けれど、あれは手合わせではない。
はじめは手合わせのつもりだったのに、剣を打ち合うごとに熱くなって我を忘れて、対ひとであることを失念していた。
魔獣を倒すために尽力してきたルチアは、相手と打ち合うためだけの剣術を身につけてこなかった。
「あなたが防いでくれなければ……」
最悪の結果を想像して、ルチアの声が震える。
「あんたはちゃんとためらった。だから俺は生きてる。あいつらにもそれはわかってる。あんたほど強くはなくとも、みんな騎士だからな!」
肩に乗ったオーウェンの腕がずしりと重い。血肉の通ったひとの身体の重みだ。
鎧ごしではその温もりまでは伝わって来ないけれど、明るく励ますような彼の声でルチアはのろのろと顔をあげる。
オーウェンのガーネット色の瞳が、ルチアをかちりと捉えた。
「あんたが強いのは十分わかってる。でもな、もう肩の力を抜いていいんだ」
穏やかな声と共に、オーウェンがルチアの肩をとんとんと軽く叩く。なだめるように、あやすように優しい振動が鎧ごしに伝わってくる。
「ロペス副団長! 節度あるスキンシップを」
近づいてくるノアの声は、いつになく焦りの色をまとっているようだ。
(そんなに慌てなくても、オーウェンはひととの距離が近いひとなだけだから)
これまでの遠征で見てきた部下とのやり取りのなかで、オーウェンは誰に対しても気さくに手を伸ばしていた。
今のもその一環だろうと考え、ルチアが心のなかでつぶやいたとき。
「あんたが寄りかかっても支えられるくらいには、頼り甲斐のある男だぜ。俺は」
オーウェンが甘くささやいて、ルチアのバイザーに指をかける。
カシャン、と軽やかな音を立ててバイザーが上げられると、ルチアの視界が急に広がった。
明るく広さを増した視界のなかで、オーウェンが瞳を細めてルチアを見つめている。
「兄貴に良く似てる。けど、あんたのほうが美人だなあ、ルチアお嬢さま?」
呆然と見上げるルチアの視線の先で、オーウェンの赤い目がきらりと光った。