二十五年ごしの交友
「本当か!」
顔を輝かせた副団長は、まるで少年のようにうれしそうだ。
成人男性の平均身長に届くルチアが見上げるほど大きく、横幅もがっちりとして熊のようなのに、素直に感情を表現する彼が妙にかわいく見えてしまう。
(年上の男性に対して、失礼かもしれないけれど)
ルチアが親しみを覚えているところへ、副団長は「そうだ」と笑顔で続ける。
「俺の名前、知ってるか?」
「ええ。オーウェン・ロペス副団長ですよね」
さすがに、長年すぐそばで戦ってきた彼の名前は覚えていた。呼ぶ機会もないため、フルネームをくちにするのははじめてだけれど。
「おお! 嫌で無ければ名前で呼んでくれ。騎士連中もみんな、名前呼びだからな」
名前を覚えていた程度で、彼はうれしそうに笑う。
本当に少年のようなひとだな、とルチアが気を抜いた瞬間、副団長は距離を詰めてきた。
自然な動作で肩に腕を回されて、ルチアと副団長の身体がぴたりと寄り添う。
「俺もルークと呼んでいいか?」
間近で聞こえた低い声に、息が止まった。
勇者として振る舞うルチアは男性と触れ合うなど剣のやり取りぐらいなものであったし、病弱な令嬢としてのルチアはそもそも領地の屋敷を出ることがない。
そのせいで、四十にもなってルチアは男性と異性としての関わりを持ったことがなかった。
鎧越しとはいえ、こんなにも近づいたのは初めてのこと。ずっとそばにいたノアは、ルチアを女性扱いして不用意に距離を詰めることも無かったというのに。
(ど、同性だと思っているのだから当然よね! 副団長は騎士に対して気安い方だから! 他意はない、他意はないのよルチア!)
鎧を着込んでいて良かった。
動揺しきった顔を見られずに済んでいるうちに、ルチアは必死で気持ちを立て直す。
「え、ええ! 構いません、オーウェン副団長」
少し声が上ずってしまったが、彼の名前は恥じらわずに言えた。
帰ったらルークに呼び方を変えることになったと告げなければ、と胸に刻んだところで、オーウェンが妙な顔をしていることに気がつく。
片眉をあげて、くちはへの字に曲がっている。つまり、不機嫌そうだ。
「役職名も敬称も無しにしようじゃないか。長年、背中を預けて戦った仲だろう?」
肩を組んだままささやく声が、鎧のなかに低く響く。
親しみを込めてくれているのだろう、オーウェンの声に耳がくすぐったくて、ルチアは再び固まってしまう。
「な? 呼んでみてくれよ、オーウェンって。ルーク?」
「……あ、お、オーウェン……?」
「おう!」
促されるままくちにすれば、それはそれはうれしそうな笑顔と声が返ってきた。
それもすごく近くで。
バイザーの隙間から覗き込むようにしているオーウェンの笑顔にぶつかって、ルチアの顔がぐわっと熱くなる。
(どうしたらいいの、こんなとき! 貴族をやり過ごす方法はたくさん学んできたけど、こんなときの対処法なんて考えてない……! 助けて、ノア!)
心のなかで呼んだのが聞こえるわけもないのに、タイミングよくすぐそばの扉のノブが回って、静かに開かれた。
「……ルークさま。何をなさっておいでですか」
密着しているルチアとオーウェンを見たノアは、ほとんど表情を変えずに問いかけてくる。見た目は変わらないけれど、ノアの声がいつもよりわずかに低い。
怒っている。
少しだけと言っていたくせに戻るのが遅いルチアに怒っているのか、身代わりがバレかねない距離の近さを許しているルチアに怒っているのか。
判別はつかないけれど、先ほどまでとは違う意味でルチアは固まってしまう。
そんなルチアとノアを交互に見やったオーウェンが、にかっと笑った。
「ルークは今から俺と手合わせに行くから!」
「手合わせ、ですか」
オーウェンの朗らかな宣言を受けて、ノアがルチアに視線を定める。静かに繰り返されたことばは短いけれど、言外に「どういうことですか」と説明を求められているのをルチアは感じた。
「ふ、副団長が手合わせをしたいと言ってくれてね。私がここに来られるのも最後になるし、断ることでもないだろうと思ったものだから」
今からするの!? と驚きながらも慌てて言い募れば、ノアはわずかに目を細める。眼鏡越しでも鋭いその眼光に、ルチアはまったく納得してもらえていないと悟ってことばを重ねる。
「すぐに行くと言ったのに、ひとりで部屋の片付けをさせて悪かったよ。ええと、今から手合わせして、終わったらすぐに戻ってくるから……」
「ルーさま。こちらへ」
ぐいっ、と腕を引かれて、ルチアはたたらを踏んだ。
このままではノアにぶつかってしまう! と踏ん張った体は、ノアの手に受け止められて立ち止まる。衝撃でノアもわずかに後ずさったけれど、身長のそう変わらない全身鎧の人間を相手にしてのことだから、当然だ。
それよりも気になったのは、ノアにことばを遮られたことだ。
長い付き合いのため状況が許せば気安いやり取りをすることもあるけれど、ノアは基本的にルチアを立ててくれる。
当然、ルチアのことばを遮ったうえこのように乱暴に腕を引かれたことなどない。
そのうえ、やけに強調して呼ばれたのは名前ではなく愛称の『ルー』。
事情を知る身内の前ではルチアと呼ぶノアだけれど、人目のあるところでは身代わりがバレないように『ルーク』と呼ぶことを徹底していたというのに。
一体どうしたのだろう。
不思議に思いながら目の前のノアを見つめる。
「……手合わせの件に関しては、わかりました。私もお供いたします」
鎧のすぐ向こうにあるノアの目は、オーウェンを向いている。
元々ややきつめのノアの目つきがいつもより険しいように見えるのは、気のせいではないはずだ。
「ああ。あんたはずっとルークに付き従ってきたもんなあ」
対するオーウェンは楽しげに笑っている。楽しげだけれど、くちの端をにいっと吊り上げたその顔がどうしてか、獲物を見つけた魔獣のようにも見える。
「いいぜ。俺とルークの手合わせをじっくり見ていればいい。なんなら、危なくないように見学席を用意してやろうか?」
「いいえ、それには及びません。これでも自分の身を守れるよう、鍛えておりますから」
からかうようなオーウェンに、ノアは取り合わない。
「すべてはルークさまのおそばにいるために」
「くくっ、健気なことだ」
前方のノア、背後のオーウェン。ルチアを挟んでなぜかにらみ合いをはじめたふたりに、ルチアは慌てて声を上げた。
「あのっ! 手合わせを! しましょう!」