勇者の身代わりの終わりのとき
「ルークには、二十五年もの長きに渡り勇者を勤めてもらい感謝している。国としても出来る限りの礼をしよう。何でも、とは言えないが何かあれば申し出てくれ」
そう告げる王は、かつてルークを勇者と認めた王ではない。
ルチアが勇者として過ごした長い間に代替わりし、当時の第一王子が王となっている。かつてはキラキラと麗しかった王子にも時は流れ、今では渋みを感じさせる五十代半ばの賢王だ。
「ありがたき幸せ」
王直々の申し出とはいえ大勢が集まった場であれこれと望みを言うわけはなく、礼だけに留めてルチアは頭を下げる。動作にあわせてルチアを守る全身鎧がカチャンと鳴った。
元より、打ち合わせの終わりに王より声かけがあると聞いていた。それに対して勇者は礼を述べれば良い、とも。
実際、希望があれば後日にでもルークや父が書面にしたためて送るだろう。
勇者ルークが長年の国への貢献の対価になにを望むのか、ルチアにはわからない。
それはもう、ルチアの管轄外だ。
(兄さまが望むとしたら、まずは新居かな。勇者は遠征続きだからと、兄さまの奥さまにはご実家でお過ごしいただいていたのだし)
明日の勇者引退式が終われば、ようやく兄夫婦はいっしょに暮らせるのだ。兄の嫁にとっても長い月日だったことだろう。
ふと、ルチアは兄の結婚式の記憶を呼び起こす。
あれはルークが十八歳、相手の令嬢が十六歳のときだった。
勇者の結婚は王都を挙げた盛大なもので、大聖堂での儀式ののち新郎新婦は豪華な装飾の施された馬車に乗り、街中にお披露目された。
大聖堂での式は、それはそれは豪勢だったらしい。
病弱ゆえに領地で療養中、とされていたルチアは式に参加することはできず、ノアは勇者=ルークの図式を印象付けるために式の場にいた。
侍女にわがままを言って簡素なワンピースで見学に行ったルチアは、着飾ったルークや父、ノアの姿を遠く離れた馬車の窓からちらりと垣間見ただけだった。
式の前夜にはルチアに婚約者を用意してやれないことを詫びる父と、ルチアを自由にしてやれないことを悔やむ兄をなだめるのに骨が折れた覚えがある。
どれも遠い記憶だ。
勇者の遠征の合間の時間、たまにしか会えない兄夫婦はそれでも仲睦まじく、少ない逢瀬の合間にもうけた四人の子どもたちも皆、ずいぶんと大きくなった。
確か上のふたりはすでに成人して、婚約者もいるはずだ。
それほどの時が経ったというのに、あの結婚式の日に見た兄に寄り添う花嫁が美しかったことを覚えている。
勇者として鎧をまとうことを覚悟したルチアには、ひどくまぶしい光景だった。
そんなことをぼうっと考えているあいだに、王が退室したらしい。
神殿のお偉いさんに続いて勇者が退室するのを促すために、騎士団の副団長がルチアの横に立った。
「ルークどの」
「ああ」
副団長の後ろに続いて会議室を出る。ノアは斜め後ろを静かについてくる。
向かう先は勇者ルークに与えられた騎士塔最上階の部屋。長年、過ごした建物のなかで迷うこともないが、先導する者が付くのは慣習らしい。
この二十五年、先導者はほとんどこの副団長であった。数多くの魔物退治の遠征でも、いつも彼がルチアを導いてくれた。
(この背中を見ながら歩くのも今日で最後か)
広い背中だ。
勇者になりたての頃は慣れない実戦で危機に陥るたび、この背にかばわれた。
幼いルチアには、五つ年上の彼の背中がとても大きく見えたものだ。
ノアのすらりとした身体と違いがっちりとした筋肉で鎧われた彼の背中は、頼り甲斐があってルチアを何度も支えてくれた。
どんなに追い詰められた戦いでも、彼の助けで乗り越えて来られた。
そんな彼とも、今日でお別れなのだ。
不思議な感慨深さを覚えながら副団長の広い背中を眺めていれば、いつの間にやら勇者に与えられた部屋にたどり着いていた。
「ロペス副団長。今日までありがとう」
扉を前にして、ルチアは副団長へと向き直る。
勇者を団長に据えた騎士団の実質のまとめ役は副団長だ。ルチアが勇者になると同時に副団長の座に就いた彼には、はじめての遠征からずっと世話になってきた。
これまでは身代わりであることに気づかれないために最低限の会話しか交わしてこなかったが、最後くらい良いだろう。
「……ルークさま。私は部屋の片付けをしておりますので」
「すまない。助かるよ」
ノアも、ルチアの気持ちを汲んでくれたのだろう。静かに頭を下げて部屋に入っていく。
小さな音を立てて勇者の部屋の扉が閉められると、最上階の廊下にはルチアとロペス副団長だけになる。
「副団長、改めて礼を言うよ。あなたには本当に長い間、世話になったね」
見えないとわかっていて、ルチアは鎧のなかで微笑んだ。
驚いたように目を見開いていた副団長だったが、すぐに「ははっ」と豪快に笑う。
「クールな勇者どのにそう言っていただけるとは」
茶化すような彼の物言いに嫌味は感じられないが、ルチアの頬は鎧の内側で熱くなっていた。
勇者として立っていたとき、たしかにルチアは言葉数が少なかった。
しかしそれは声や会話から身代わりがバレないようにするためであり、必要にかられて仕方なくしていたことだ。
決して、クールなひとを演じていたわけではない。けれど、周囲からはそのように見られていたのか、となんとなく恥ずかしくなる。
「いえ、そんな。ただ勇者として恥ずかしくないよう振る舞おうと思うあまり、愛想が良くなかったかもしれません……」
兄のルークは、社交の場ではそつなく会話をしているとノアから聞いている。ならば、無口なのは緊張のせいだとでも思っておいてもらいたい。
そう考えてルチアが答えると、副団長はにかっと歯を見せて笑った。
「なんだ! そうか! 勇者どのは飲みに誘っても来ないし、野営のときも戦闘時以外はひとを近づけさせないから、嫌われてるのかと思ってたよ。騎士団はむさ苦しいからなあ!」
二十五年もの間、そんな態度をとり続けてきたルチアに気安く接してくれる副団長に、ルチアもつい顔がほころぶ。
ちいさく漏れた吐息のような笑いを敏感に察知したらしく、副団長も距離を縮めてきた。
「なあ、勇者どの。嫌われているので無いなら一度、手合わせ願えないか」
「申し出はうれしいのですが、私の剣はすでに手元にありませんから」
勇者の剣はすでにあの場所に戻り、新たな勇者に抜かれているためルチアの側にない。それゆえに、ルチアとルークは勇者を引退することができるのだが。
「訓練用の模擬刀があるじゃないか。勇者どのは引退後は家を継ぐため王都を去ると聞いている。部下の最後のわがままだと思って」
両手を合わせて「な? いいだろ?」と頼み込んでくる副団長は、大きな身体をしているのにどこか愛嬌がある。
それでいて戦闘時には的確な指示を出して体に見合った豪快な働きをみせるのだから、なるほど多くの部下に慕われるわけだ。
仕方のないこととはいえ、今日までほとんど事務的な会話しかしてこなかったことがもったいないと思えた。
「いいですよ。私の剣は軽いから、副団長の相手になるとも思えませんが」
つい、承諾のことばがくちから出る。
ノアの小言が聞こえる気がしたが、最後なのだから許してもらおう。
明日からルチアは、結婚もままならないほどか弱い令嬢になるのだから。