おてんばな令嬢だったころもある
幼いころから、ルチアはよくおてんばだと言われる娘だった。貴族の令嬢としては当然、規格外だ。
双子の兄、ルークが病弱だったせいもあって、会う人会う人誰もがルチアをおてんばだと言った。
屋敷の庭に出ただけで熱を出し、すこし走り回っただけで倒れてしまうルークと比べれば、庭を自由に駆けて遊ぶルチアはおてんばそのもの。
汚れてもいいように、とシンプルなワンピースを着ていてもお構いなしに駆けまわるものだから、行儀作法の先生には渋い顔をされたものだ。
それでも周囲のおとながルチアに「おしとやかにしなさい」と言わなかったのは、母親のことがあったからだ。
母親はルーク以上に身体が弱く、ただでさえ大変な出産をふたりまとめて行ったために寝たきりになってしまっていた。
「あなたが元気にしている姿を見ていると、母さまもなんだか元気になれる気がするわ」
そう言って、痩せたほほで笑ってみせる奥さまには使用人一同弱く、またルチアたちの父親が誰よりも甘かったためルチアがご令嬢らしく振舞わないことは、屋敷のなかでは黙認されていた。
ルチアは十歳になっても、淑女らしさより天真爛漫さを優先させた。
その日もいつものように、ベッドに伏せたまま窓から庭を見る母に、庭の花を摘み持って行った。
「かあさま、かあさま。コクリコの花がさきました!」
ここ数日、膨らむつぼみにまだかまだかと待ちかねていたルチアは、開いたばかりの花を手に母親の部屋の窓にしがみつく。ベッドに横になったままでも外が見られるように、と大きく取られた窓の枠は低い位置にあり、ちいさなルチアでもよじ登ることができた。
「まあ、ルチアさま! 扉からお入りくださいといつも申し上げておりますのに」
そのまま窓から入室するルチアに、母親付きの侍女が飛んできた。
「だってとびらから入ったら、かあさまがねていられないもの。まどからなら、よこになったままお話しできるでしょう?」
「ルチアさま……」
小言を言う侍女にくちびるを尖らせれば、彼女は眉を寄せたままきゅっと唇を噛み締めた。
それ以上なにか言われるより前に、ルチアは母親に花を差し出す。
「きれいなオレンジ色ね。元気なルチアみたいですてきよ」
「えへへ」
「わたくしがもうすこし丈夫だったなら、あなたに『きちんと扉から入ってらっしゃい』と言ってあげられるのだけれど」
ごめんなさいね、と済まなそうに笑う母親に髪の毛を梳かれて、ルチアは首を左右にぶんぶんと振った。
「とびらから入るのだってちゃんとできるのよ。いまからルーク兄さまのおへやに行くから、そのときはきちんとするわ。だからかあさまは心配しなくてもだいじょうぶ!」
「でしたらわたくしが、奥様の代わりに見届けに参りましょう」
母親から受け取った花を花瓶に活けた侍女が言うのを聞いて、ルチアはぱちりとまばたきをした。
本当は母親に見てほしい。行儀作法の先生に教わって身に着けたことを披露したいという気持ちがあった。
けれどルチアはそれを飲み込んで、侍女に笑ってみせる。
「そうね。しっかり見て、かあさまにおつたえしてちょうだい! ルチアはとっても良い子です、って!」
「ふふ、ルチアは今もじゅうぶん、とっても良い子よ」
今日は母親の具合がずいぶんと良いらしい。ベッドに横になったままではあるものの、青白い頬をわずかに染めて笑っている。
久方ぶりの母親の笑顔に、ルチアはうれしくなって飛び跳ねてしまう。
「まあ、ルチアさま。立派な淑女は飛び跳ねたりしませんよ」
すかさず飛んできた侍女の小言に飛び跳ねるのをやめて、ルチアはちいさく舌を出した。
それを見てくすくす笑う母親に見送られ、ルチアは扉に向かう。
扉の前でくるりと回り、スカートのすそをつまんでそっと膝を落とす。習ったばかりのカーテシーを披露して、母親ににっこりと笑顔を向けた。
※※※
屋敷の廊下を歩き、ルークの部屋にたどりつく。付いて来た侍女がルチアの一連の動作を見届け「奥さまに、お嬢さまは立派に成長しておられるとお伝えしておきます」と去って行くのと反対に、ルチアは部屋のなかへと滑り込んだ。
「ルーク兄さま、おかげんいかが?」
ベッドに半身を起こして座る兄に呼びかければ、ルークが薄いオリーブブラウンの髪を揺らして振り向く。
自分と同じアメジスト色の瞳がやわらかく細められるのを見て、ルチアはほっとした。
「うん。もうねつもないし、だいじょうぶだよ、ルチア。ノアがまだねてるように、って言うからベッドにいるけれど」
「そう言って、このあいだも熱がぶり返したじゃないですか。ルークさまはご自分の体力を過信しすぎです」
言いながら、ルークの掛布団を丁寧に直すのはノアだ。彼は十歳で侍従見習いとして孤児院から引き取られ、一年間の修行ののち双子と年が近いからとそのままルーク付きの侍従となった。
ルチアやルークと四つしか違わないはずの彼が日に日に小言のレパートリーを増やしていくのが、まるで母さま付きの侍女のようだとルチアはこっそり思っている。言えば、さらなる小言が飛んでくるから内緒だけれど。
「ノアも、ごめんね。ぼくがねてばかりいるから、たいくつだよね」
「そんな、俺……私はルークさまのお世話ができればそれで十分です」
慌てたノアの口調が崩れかける。その隙をつくように、ルークが「そうだ」と明るい声を出した。
「ぼくがねつを出したときは、ルチアにつくようにとうさまにいってみるよ。それでルチアも剣術をならえばいいんだ。そうしたら、ノアだって剣術の先生だってたいくつしないもの」
「だったらわたし、とうさまをよんでくる!」
駆け出したルチアが連れてきた父親は、最終的にルークの提案を飲んだ。
ノアと父親が渋っているうちに、ルチアがノアの稽古着を身につけて登場したのが決定だとなった。
ルークとルチアは性別が違うのにそっくりな双子で、お揃いの髪型にお揃いの服装をしてしまえば両親でさえも見間違うほど。
愛しい妻に似て病弱な息子が元気になったら、こんな姿を見られるのだろうかという思いから、ルークの無茶な願いは受け入れられた。
そしてルチアは行儀作法に加えて、剣技を習いはじめたのだった。