決意の朝
抱えたひざにぬくもりを感じて、ルチアはのろのろと顔をあげる。
窓から差し込む陽射しがルチアを照らしている。朝が来ていた。
涙で悲しみを流し去るつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。泣くのは思っていた以上に体力を使うのだな、と新たな発見に笑いがこぼれる。
「ふふ……笑える。大丈夫。私は笑える」
扉にもたれて座ったまま寝ていたせいできしむ身体で、ルチアはのろのろと起き上がった。
野営に慣れた身はひと晩を床で過ごしたところで風邪もひかない。まったくかわいげのないことだ。
「いっそ、流れの剣士としてひとりで生きていくのも悪くないかもなあ」
つぶやいて、泣きはらした顔に濡らしたタオルをあてる。ひんやりとして気持ちが良い。
ひととおり目元を冷やしたルチアは、クローゼットから飾りのないシャツとズボンを取りだして着替え、壁に立てかけてあった剣を手に取る。
こんなときか弱いご令嬢ならば、寝込んでしまうのかもしれない。あるいは誰かに泣いてすがるのかもしれない。
すがる相手を想像してオーウェンやウィリアム、ロバートの顔がふと浮かぶけれど、頭を振ってかき消す。
彼らは自分にはもったいない。
その手を取るには、ルチアは武骨すぎるし年を食いすぎている。
もっとかわいらしい、守り甲斐があり年若い令嬢がいくらでもいるだろう。
ルチアは黙って守られることなどできない。自分の身は自分で守ってきょうまで生き抜いてきた。
だから、涙をぬぐったなら自分の脚で立つのだ。
「素振りしよう」
ひとりでも生きていけるように、強くなろうとルチアは心に決めた。
ノアとエミリーがふたりで幸せになるならば、ルチアはひとりで立ってそれを祝福しよう。
背筋を伸ばしたルチアは、剣を片手に中庭に向かった。
※※※
ひとしきり剣を振るえば、心も晴れた。
胸の痛みは消えないけれど、傷が癒えるように時間が経てばどうにかなるだろう。
気づけばすっかり陽はのぼり、屋敷のなかからひとの生活する気配が感じられるようになっている。
そろそろエミリーが呼びに来るだろうか。そう思ったとき、中庭と屋敷をつなぐ扉がゆっくりと開く。
意識して何でもない顔を作って出迎えようとして、そこに現れた人物にルチアは自分の顔が強張るのを感じた。
「ノア……」
「おはようございます、ルチアさま。鍛錬は終わりましたか?」
いつも通りにきっちりと身なりを整えたノアが静かな声で聞いてくる。その顔がいつも以上に表情を乗せていないように思えて、昨夜のくつろいだ姿を覚えているルチアの心がきしむ。
けれど表に出さないようにと、さりげなく彼に背を向けた。
「おはよう。エミリーはどうしたの? 屋敷ではいつもエミリーが呼びに来てくれるのに」
どうして今日に限ってノアなのか。
エミリーが相手ならまだ表情を取りつくろうことができると思っていたのに。
ノアを前にして、晴れたはずの心がじくじくと悲しみを訴える。
「エミリーに言って、代わってもらいました。ルチアさまにお話がありまして」
きた。
どくん、と胸が痛む。
勇者の世話係は不要になったから、エミリーと結婚をするのだと報告されるのだろうか。
ルチアがこれからの道を選ぶまでは猶予があるかと思っていたけれど、きっとそれさえも待ちきれないのだ。昨夜、エミリーが「プロポーズを待ちくたびれた」と言っていたことを思い出す。
「あの、そのですね……」
珍しくくちごもるノアは、きっと切り出し方を迷っているのだ。
けれど彼に照れ笑いながら別れを告げられるのが耐えられなくて、ルチアはノアを見ないまま彼のことばをさえぎった。
「いいよ、遠慮しないで。わかっているから」
「えっ。わかっ!? え!」
動揺するノアの声がおかしい。こんな風にうろたえるなど、本当にエミリーのことが好きなのだろう。そう思えば、ルチアのくちからは勝手に笑いがこぼれていた。
涙を胸にしまい、その笑いに合わせて微笑み振り向けば、顔を赤くしたノアと目が合う。
ほんとうに、これほどに感情を露わにしているノアを見るのは珍しいことだ。
最後にそんな姿を見られてむしろ自分は運が良いのかもしれない、とルチアの唇が自然と上向く。
「エミリーと結婚をするのでしょう? ふたりとお別れだと思うとさみしいけれど、祝福するよ」
うまく笑って言えた。
ずきずきと痛む胸は気合でねじ伏せた。
呆然と目を見開いたノアなどきっともう見られない、しっかり見つめて後でからかえばいい、と自分をごまかす。
「な……」
固まっていたノアがかすれた声をこぼした。
それほどに、エミリーとの仲を知られていたことが意外だったのだろう。ルチアだって、昨夜までまったく気が付かなかった。
「なぜ、そのように……?」
「昨夜、ふたりが話しているのを聞いてしまったんだ」
声を震わせるノアに、申し訳ない気持ちになりながら打ち明ける。
途端に、面白いほどノアの顔色が変わった。驚きに白くなっていた顔色が青くなる。
隠しきれていると思っていたのだろう。隠す必要などないのに、ふたりとも仕事に真面目なものだから気にしてしまうのかもしれない。
「考えてみればわかることだよね。長い間ふたりとも独身を貫いてずっと私のそばにいてくれたのは、そういうことなんだって。これまで気づかなくて、長く待たせてしまってすまなかった。エミリーもプロポーズを待っているんだろう」
「あ……」
プロポーズ。待っている。それらのことばで昨夜のエミリーとの会話を思い出したのだろう。ノアが「あのときのか……!」とうめいて頭を抱えている。
「私が将来を決めるのを待つ必要はないよ。父さまたちには私から話しておくから。さあ、エミリーのところへ行って」
まだ何か悩んでいるのかと苦笑しながら声をかけたルチアは、うつむくノアの肩にぽん、と手を置いた。
すると、ノアが勢いよく顔を上げてルチアの両肩をつかむ。いつも礼儀正しく距離感を大切にする彼の突然の行動に、ルチアは驚き目を丸くする。
「誤解です! 俺がプロポーズしたいのはルチアさまですっ」
滅多に聞けないノアの叫び声が、ルチアの頭のなかでこだました。
本日、もう一話投稿します。




