好きに生きる、その一歩
翌朝、いつものくせで夜明けとともに起き出したルチアは、屋敷の中庭で素振りをして身体を温めた。
中庭は完全に屋敷に囲まれた作りになっていて、屋敷の外から見られる心配はない。
ルチアが身代わりをすると決まったとき、父とノアがあれこれと話し合ってハウスタウンを改築してくれたおかげだ。
もう剣の腕を磨く必要はないとわかっているけれど、勇者としての責務を抜きにしてもルチアは剣を振るうのが好きだった。
息をつくために剣をおろしたとき、ふと考えた。
オーウェンがここにいたならば、いっしょに剣を振るっていただろうかと。
オーウェンは筋力にものを言わせるタイプの剣士だから、筋肉を鍛えるのが主な鍛錬になるだろう。
筋肉をつけるための鍛錬をする彼の横で、ルチアは走り込みをするかもしれない。速度と変則的な動きで敵を翻弄するルチアの剣は、思う通りに動ける体あってこそだ。
それぞれに合った鍛錬をして、ときおり手合わせをして、それから汗を流し朝食をともにするだろう。
大食らいのルチアは驚かれるだろうか。それとも大柄なオーウェンのほうがさらにたくさん食べて、ルチアが驚くかもしれない。
あるいは、横にいるのがウィリアムだったなら。
ルチアが身にまとうのは豪奢なドレスだろう。
騎士でもないのに王城で帯剣することはできないだろうけれど、ルチアのファンだと言ってはばからなかった彼だ。頼めば、訓練用の刃を潰した剣くらいなら用意してくれるかもしれない。
このタウンハウスのように、周囲から見えない場所を確保してもらえば、ふたりだけの鍛錬場ができる。
そこで、剣を振るうルチアを彼はうっとりと見つめるだろう。
惜しみない賛辞の言葉と敬愛の眼差しに見守られて鍛錬するのは、どんな気持ちだろうか。
疲れたら、花の咲き乱れる庭園でお茶をするのもいい。あたたかな紅茶と品の良い甘味を挟んで、ウィリアムとふたり微笑み合うのだ。
ひとしきり想像を巡らせて、ルチアは剣を鞘におさめる。
どちらも、悪くない未来のように思えた。
対等な立場で支え合っていくのも、敬意をもって支えられて生きていくのも、どちらも同じくらい魅力的な未来だ。
けれど、選ばなければ手に入らない未来。
どちらを選ぶべきか。あるいはどちらの手も取らずにいるのか。
すこし悩んで、ルチアは頭をふる。
「…………いまは忘れておこう」
今日は街歩きだ。せっかく父が用意してくれた機会を楽しまないのはもったいない。
見上げれば、屋敷に囲まれた狭い空はうすい青色に染まり始めている。たなびく雲は青が透けるほどで、良い天気になりそうだ。
朝食の前に汗を流すために、ルチアは中庭を後にした。
※※※
日が登り、大気もじゅうぶんに温められたころ。
ルチアは父の用意した馬車に連れられ、喫茶店の個室に通されていた。ここで待っていれば案内してくれる者が来るらしい。
背筋を伸ばして座る腰に剣がなくて心もとない。「ルチアさまの初そぞろ歩き!」と張り切るエミリーによって剣は取り上げられてしまった。
孤児院に着て行った男装も禁止され、用意されていたワンピースを言われるままに着ている。
白いブラウスは袖の部分にたっぷりと布を使っており、ルチアの筋肉質な腕を見事に隠してくれる一品。足首まである袖なしのワンピースは細身で、エミリーいわく。
「ルチアさまのすらりとしたおみ足のラインを最高に美しく見せてくれます! 男装麗人のスカート姿、ごちそうさまです!」
ということらしい。ルチアには彼女がなにを言っているのかさっぱりわからない。
わからないけれど、おそらく好意的な意味なのだろうと受け止めておく。
細身とはいえ腿の辺りまで入れられたスリットに繊細なレースを重ねたドレープがついているため、身動きはしやすい。その下の太ももにベルトを付けて短剣を装備させてくれたのだから、父もエミリーもなんだかんだとルチアに甘い。
勇者として知られる兄とよく似た顔を隠すため、つばの広い帽子をすっぽりかぶったため肩ほどまでの髪は結い上げず、かわりに耳に大振りのイヤリングをつけられた。
「サラサラの髪の合間に揺れるイヤリングのきらめき! 中性的なルチアさまの美しさをより引き立てるアイテムです!」
盛り上がるエミリーに適切な相づちを打ってあげられなくて、申し訳ない気持ちになった一品でもある。
「失礼します」
ノックのあとに入ってきたのは、ひとりの男だった。
彼は入室するなり、大仰な礼をしてみせる。
「ロバート・ブラウンと申します。本日、レディをエスコートする幸運の男です」
顔をあげてにこり、と笑った男はひどく色気があった。
とろりと甘いタイガーアイの垂れ目のせいか、あるいは頭に巻いたターバンからこぼれる砂色の長髪がゆるくうねっているせいなのかわからないけれど、とにかく目をひく男だ。
異国の生まれなのか、褐色の肌と見慣れない顔立ちのために年齢がわかりづらい。
「……ルーと呼んでください、ブラウンさん」
帽子のつばに顔が隠れるよう意識して立ち上がりながら、ルチアは告げる。
迎えは平民の商人だと聞いていた。ルチアの身分や経歴を相手は知らない、とも。
そのため愛称であるルーを名乗り、相手への敬称を軽いものにしたのだが。
「ああ、レディ。そのように構えないでください。僕のことはロバートと。お手を触れても?」
聞くが早いか、ロバートはルチアの右手をすくい取り、手の甲にくちづけた。
「なっ!」
ルチアのほほに瞬時に熱がのぼる。
敵意を感じなかったため、ルチアが反応する隙もない。
驚き振り払うよりも前にルチアの手を放したロバートは、妖艶に微笑む。
甘い笑みは女性の心を蕩かすのかもしれないが、色恋に馴染みのないルチアは警戒心のほうが優った。
「私は街を案内してくれる者を頼んだのであって、恋人ごっこの相手は呼んでおりません」
真っ直ぐに見すえながらきっぱりと言えば、ロバートが垂れ目を丸くする。
「あれ? そういう目的のお遊びではなかったの?」
きょとんとした彼に返事をするのも馬鹿らしくて、ルチアはむすりとくちを引き結ぶ。
大人として褒められた態度でないのはわかっているが、軽々しく触れて甘いことばを吐く男を許容できるほどに、ルチアは経験を積んでいない。
不機嫌を隠しもせず黙り込んだルチアをしばらく眺めていたロバートは、不意にくすりと笑う。
まだ何か言うつもりか、と眉を寄せたルチアに、彼は歯を見せてにぱっと笑った。
「なんだ! ほんとに街を案内して欲しいだけなら、そう言ってよ!」




