新たな出会い
ルチアが思いをことばにしようとしたそのとき。
駆け寄ってくる誰かの足音が聞こえて、ルチアはとっさに立ち上がりエミリーの前に出て木剣を構えた。
「あの、先ほど子どもたちに剣を教えていた方がこちらにいらっしゃると聞いてっ」
孤児院の角を曲がって駆け込んできたのは、身なりの良い男性だった。
うすい金髪にアクアマリンの瞳をした線の細い男は目尻や口の端にしわが刻まれており、ルチアより年上に見える。けれどやさしげな面差しが、親しみを感じさせた。
「……私ですが」
警戒しながらもルチアは剣を下ろす。
男性の雰囲気から敵ではないと判断したことに加えて、彼が丸腰だったこともある。前のめりに転びそうな走り方からも、脅威になる相手とは思えなかった。
「ああ! よかった!」
ルチアが警戒を解いたのがわかったのか、はたまた何も考えていないのか。
男性はうれしそうにルチアに歩み寄ってくる。
「あなたの太刀筋、あれは勇者ルークのものですよね。そう思ったら居ても立っても居られず、馬車を止めて走ってきてしまって。実は私はかの方の大ファンでして……」
にこにこと近寄ってきていた男性が、ルチアの姿をまじまじと見て動きを止めた。勇者だと思っていた相手が女であると気がついたのだろう。
「あの……失礼ですがあなたは女性ですよね……?」
「申し訳ございません。お嬢さまはお忍びでこの場におりますので、詮索はご遠慮くださいませ」
戸惑う男性とルチアの間にさりげなく立ったエミリーが、丁寧かつきっぱりと告げた。
「ああ、すみません。いえ、でも先ほどの太刀筋は間違いなく勇者ルークのもの……しかしいま、勇者ルークは城にいるはず。ならばあなたは……」
男性は謝りつつも、考えを巡らせているらしい。
まずいな、とルチアは周囲に視線を配る。
孤児院の裏手であるこの場所は、ひとが来ない代わりに通りも細い。男性がやってきた道のほかは、木箱や樽が置かれた道しかなく、ルチアひとりならともかくエミリーを連れて逃げるには厳しい状況だ。
「あなたはもしや、勇者ルークのふたごの妹君ですか?」
逡巡している間に、男性が答えにたどり着いてしまった。
身なりといい物腰といい貴族のそれだとは思っていたが、勇者ルークにふたごの妹がいることまで覚えている者がいるとは。二十五年も前に発表されたきりの勇者の病弱な妹のことなど、誰も記憶していないと思っていたのに。
いよいよまずい、とルチアはエミリーの手を取って駆け出そうと脚に力を込めた。
「あ、待ってください! 私は怪しい者ではありません。ウィリアム・クラークと申します」
慌てた男性のくちから飛び出た名前に、ルチアは動きを止めた。手を繋いだ先で、エミリーも固まっている。
「さ、宰相さま……?」
「王弟殿下……!」
その名を聞いてルチアは納得した。親しみを感じるわけだ。ウィリアム・クラークは現宰相にして王の弟。
言われてみればなるほど、ウィリアムのほうがずいぶんと優しげな雰囲気をまとっているが、現王と似た面差しをしている。
宰相が姿を見せる式典はルークが担当することが多かったから、顔を覚えていなかった。
「王弟殿下が、このようなところで何を」
予想以上の貴人に驚き、ルチアは姿勢を正してウィリアムと向き合った。
そんなルチアを見て、ウィリアムはほっと息をつく。
「ああ、その立ち姿の美しさ!やはりあなたが勇者ルークなのですね。いいえ、鎧をまとった勇者ルーク、と言うべきでしょうか」
うっとりと目を細めて見つめてくるウィリアムに、ルチアはことばに詰まる。
勇者への憧れを込めた視線が鎧越しに向けられることは何度もあったけれど、生身のルチアで受け止めるのははじめてだ。
「なにを……」
ほんのささいなやり取りの中でどうやってその答えに行き着いたのか。動揺を悟られないよう眉間にしわを寄せるルチアに、ウィリアムは朗らかに笑う。
「先ほど言ったように、私は勇者ルークの大ファンでして。式典のときの立ち姿と出征のときの立ち姿が微妙に違うのを長年、不思議に思っていたのですが。あなたがたがふたごで、役割を分担していたのだとしたら納得がいきます」
「そんなことで……」
まさかそんな細かいところまで見ている者がいるとは思っていなかったルチアがうめく横で、エミリーがぱんと両手をあわせた。
「そうなのです! ルチアさまはルークさまよりも体幹が鍛えられているためか、背筋がぴんとして立ち姿がそれはもう美しいのです!」
「えっ、エミリー!?」
突然、うれしそうに話し出したエミリーに驚いてルチアは声をあげた。ルチアを勇者と認める発言にも、何を言い出したのかと肝を冷やす。
「ここまで知られてしまっているのですもの。下手な隠し立ては事態を悪化させます。相手のご身分もこちらがどうこうできる範囲を超えておりますから、ここはルチアさまの味方に引き込んだほうが得策だと思うのです」
はしゃいだ声でルチアをほめていたのとは別人のように、エミリーが冷静な判断を下す。
呆気にとられて声が出ないルチアの耳に、ウィリアムの忍び笑いが届いた。
「本人を前にして味方に引き込むだなんて、あなたの侍女はなかなか豪胆だ」
「お褒めに預かり光栄です。栄誉をいただいたついでに教えていただきたいのですが、宰相さまはお嬢さまのことをどうなさるおつもりですか」
「エミリー!」
あまりにも直接的に切り込むエミリーに慌てて彼女の肩に手をやるルチアだけれど、エミリーは振り向かない。雲の上の貴人から視線をそらさないエミリーに、ウィリアムは苦笑した。
「どうも何も……偶然見かけた憧れのひとに会いたかっただけ、だったのですが」
ことばを切ったウィリアムの雰囲気が、不意にぴりっと張り詰める。
春の空のようなアクアマリンに捕らえられて、ルチアは視線を外せない。
「憧れのひとが女性で、しかも未婚のまま目の前にいるとなれば、これは運命だとしか思えません。どうか私の妻として、生涯そばにいていただけませんか」
真剣な表情のウィリアムの申し出に、ルチアはただただ驚いて目を見開くことしかできなかった。




