壊れた勇者と優しい魔王
よろしくお願いします。
人々が笑顔で、子供達が駆け回る。そんな平和な町に私、ルチア・アイオライトは生まれた。
私が生まれた国は、十歳になると魔力の種類や魔力量を調べられる。将来に役立てるため。魔力を持っているのはほとんどが貴族、ごく希に平民に魔力があったりする。
今日は魔力量や種類を調べられる日。私のような平民が持っているわけがない。そう思っているので、適当に終わらせて母さんの待っている家に帰ろう。そう気楽に考えていた。
「アイオライトさん、どうぞ。」
「は、はい。」
検査する水晶に手をかざす。その瞬間、水晶から白くまばゆい光が放たれ、その水晶にピシッと罅が入る。信じられないような目で役人はルチアを見る。それは当の本人も同じ気持ちだった。
この日は特に何事もなく、急いで家に帰った。母さんに今日のことを話す。母さんは凄いじゃない、と自分の事のように嬉しそうに、満面の笑みで語っていた。もしかしたら勇者になれるかも、そう冗談を言ったりした。
次の日に、昔からの親友、ネフリア・アーゲートに話をしに行った。まさか自分がこんなことになるなんて思っていなかったから驚かせてやろう。そう考えた。
「ネフリア!!」
「ルチア。どうしたの?」
「それが私、勇者になれるかもしれないの。」
「……」
「どう、驚いた?」
黙りこくっているネフリアに最初は驚いているのだと、にまにましていたが、時間が経つにつれ、怒らせたと思い、慌てて声をかけた。
「ネフリア…?」
「ああ、ごめん、凄いねルチア。」
「ありがと。でも母さんが冗談を言っただけかも。」
「そう、だね。ルチア、教会には注意してね。」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもない。さ、今日は何しようか。」
「えっと今日はね――――」
このあとは普通に楽しく過ごした。どうしても気がかりなのは、あの時の仄暗さを秘めた表情。私が勇者になると冗談を言ったのが悪かったのか。それは分からない。
彼女らは知らないが、ルチアが持っているのは、光の魔力。それもかなり強力なものを体に宿す彼女を、教会が放っておくわけがなかった。
数日後、母さんが言っていたのは冗談なんかではないことが判明した。朝一に協会の騎士様達に無理矢理連れていかれ、広いきらびやかな装飾が施された場所で、教会の最も偉い人に会わせられている。何がなんだか分からない。
「ルチア・アイオライト。あなたは魔王を討伐する勇者に選ばれました。」
「それってどうい――」
「これからあなたを魔王に劣らない勇者にします。頑張ってくださいね。」
「まだやると言ったわけじゃ、」
後ろに控えていた兵士がまだ話終わっていないと、抵抗する私を引きずって行った。私の意思なんて関係なく話が進んでいく。ここは嫌だ、早く母さんのいる家に帰りたい。だが、脱走しようとするも、護衛という名の見張りがついて帰らせてくれなかった。
翌日になると剣の稽古や護身術などの稽古が始められた。最初は嫌がって逃げたりしたが、叩かれたり怒鳴られたりするのでやめた。とは言っても、戦いや剣術などやったこともない少女が出来るはずもなく先生を苛つかせてしまった。勇者になりたくて来た訳じゃないのに。
稽古を初めて一ヶ月がたった頃、ようやく少しは戦えるようなったルチアにスライムくらいは殺せるだろう。そう考えていた教官は討伐に行かせた。しかし、ルチアは教官の予想に反した行動をとる。
「どうした、早く殺せ!」
「殺せないです! ごめんなさいごめんなさい。」
人間に怯えて震えているスライムを、彼女は殺せなかった。自分の手で命を奪えない。ましてや人を害する気がない相手を殺すなんて出来ない。そんな彼女に教官は怒鳴る。何で殺せないんだ、今までの稽古は何のためにある、お前がやらなきゃ何人もの人が死ぬんだぞ、と。
教官の言うことはもっともだ。だがルチアは泣いて謝ることしか出来なかった。やっぱり殺せない。
別の日もそのまた別の日も、魔物を殺すことを彼女は泣いて嫌がった。初めてその手が血に汚れた時、数日間寝込んだ。これでは使い物にならない。そう考えた教会は彼女に奴隷紋を刻むことにした。光魔法が使えなくなるが戦えない彼女を無理矢理強くするため、刻むことにした。
奴隷紋は刻まれた人の体を無理矢理支配し、刻んだ主の命令は絶対とさせる。もし何かあり、守れなかった場合は体に激痛が走り死に至らせる。人を『道具』とする、そんな紋を彼女に刻んだのだ。
奴隷紋は成功した。一匹の魔物すら殺せなかった彼女はいなくなった。だが、トドメを刺す時剣はぶれ、地面に突き刺さることがある。ルチアはまだ抵抗しているのだ。この状態では肝心な時死んでしまう。そう考えた教会は、ルチアに反抗する気が起きないよう、彼女に母親を殺すよう命じた。逆らえばこうなるのだ、そう知らしめるため。
トントン
月明かりが綺麗な夜、一つの家に訪問者が来た。
「はーい。どちら様。」
扉を開けた先にはフードを深く被った、子供と思わしき人物が立っていた。迷子になったのか、問いかけようと屈んだとき、子供は腰に携えていた剣を抜いた。
逃げようとするが腰が砕けて使い物にならない、フードの子供はだんだんとこちらへ近づいてくる。死ぬかもしれない。剣の間合いに入ったとき、強い風が吹いた。フードは脱げて顔が明らかになる。
「ルチア…?」
自分を殺さんとする訪問者は我が娘だった。しかし、半年前に出ていった彼女とは雰囲気が違っていた。明るい向日葵のような笑みを浮かべていた彼女は今、無表情で母親を見下している。その手に握られていた剣が振り下ろされ、死ぬ間際。無表情なその顔に、涙が一粒こぼれ落ちるのを見た。
――ごめんねルチア。あなたを助けられなくて。
「ごめんなさい、母さん…ごめんなさい。」
その日ルチアはいなくなった。そして勇者ルチア・アイオライトが誕生した。雲一つない、綺麗な満月が照らす日のことだった。
勇者が誕生してから五年が経った。ルチアは人類の誰よりも強くなった。魔物の屍に囲まれて、返り血にまみれても無表情な彼女はやがてこう呼ばれる。『屍勇者』と。
ある日のこと。教会にこう告げられた。
「魔王の首を取ってこい。魔王城にいる奴等は皆殺しにしろ。」
「…はい。」
ついに魔王討伐の日が来た。勇者は一人の監視役を引き連れて魔王城へ向かう。仲間は増やせない、人類の希望の勇者が教会の傀儡になっている姿は見せられないからだ。そのため、一人で世界を救ってきた彼女の体には火傷の痕や魔物の爪の大きな痕が残っている。
顔や体に魔物の返り血を浴びながら、魔王城の中を勇者は進む。魔王の気配の方へ。魔物たちを切り進め、彼女の何倍の大きさもある扉の前へ来た。
ギイィィと大きな音を立てて扉を開ける。長い長い深紅のカーペットの先に彼はいた。
「ようこそ勇―――ルチア?」
「…………」
「…後ろの男はさ迷っていろ。」
魔王が指を鳴らすと、ついてきていた監視役の男はどこかの森へ飛ばされ、戦いが終わるまでさ迷うこととなるだろう。
勇者は監視役など気にも留めず、討伐対象へと一歩、また一歩と歩みを進めてゆく。
「ルチア、俺のことは憶えてないのか?」
「……………」
「魔王だから殺すのか?」
「…………」
「…まさかッ!」
斬りかかってくる寸前に、魔王は彼女に掛けられている魔法に気がついた。奴隷紋は時が経つにつれ、馴染んでいき気づかれにくくなる。魔法に長けた人物でさえ分からない。魔王のように。
魔王は彼女に掛けられている魔法を解こうとしたが、勇者は止まらなかった。魔法を切り裂き、剣を弾き飛ばした。魔王の体に傷がどんどん増えていく。五年以上もの間鍛え上げられた勇者の力は魔王すら圧倒させるものになっていたのだ。
そして、魔王は床に倒れた。勇者は感情のこもらない、無機質な目で魔王を見下している。手に握られた剣を魔王の首目掛けて振り下ろされた。
その剣は魔王の首を取る―――はずだった。
ガキンッ
剣が地面に当たった鈍い音が二人きりの城に響き渡る。この時、無表情の顔は崩れ、ポロポロと涙が流れ落ちた。止められないと分かっていても、抵抗せずにはいられなかった。
「ごめんなさいネフリア…。止められないの。ッ~~!!」
「ルチア!!」
命令に従わなかったため、紋による激痛が走り、その場にしゃがみこむ。ネフリアは即座に彼女を眠らせ、奴隷紋を消す。フワッと浮かび上がらせた紋を握りつぶした。苦痛で歪んでいた顔は、柔らかな表情に変わり、穏やかな寝息をし始めた。
そんな彼女に魔王は心底ほっとした。大切なルチアが死んでしまったら、自分が何をしでかすか分からないから。
ネフリアはルチアをベットに寝かせ、ルチアを支配していた人間の国へ向かった。国では魔王が来たと国中が大混乱し、勇者が殺されてしまったと嘆いて、もうすぐ自分達もそうなるのではと大騒ぎ。
国についた魔王は人々を皆殺し…ではなく、王城に正面から堂々と入っていき、国王に、ここへ突然来た理由を嫌味ったらしく、時に皮肉を込めながら説明した。
「すまなかった。教会がやっていることは薄々勘づいていたが、奴等はずる賢い。なかなか証拠が出ず、罰することが出来んかったのだ。許してほしい。」
「それで、どうする。教会は。」
「この事を公表し、事件に関わった人物を裁判をかけ、然るべき処罰を受けてもらう。」
「ならいい、あと―――」
「なんだ。」
「城に人を近づけたら、分かっているな。」
重く、思わずひれ伏してしまいそうな威圧。普通の人なら気を失うだろうという威圧を、さすが王と言うべきか、殺意のこもった目を見つめ返し、「その様なことがないよう、法律を作り、他にも様々な方法で対策しておく。」そう返した。
その答えに満足した魔王は窓から、魔王城へ―は帰らず、ルチアに奴隷紋を刻んだ奴に報復するために飛び出した。
ガヤガヤと賑わう居酒屋の裏手に、座り込む一人の男がいた。こいつこそ、ルチアに奴隷紋を刻み込んだ野郎である。この男の周りにブワッと風が吹き込んだかと思うと、シンと賑わいが嘘のように聞こえなくなった。
どうなってる。疑問に思い、顔をあげた時誰が、俺の前に立っている。その人をまじまじと見ると、雪のような真っ白な長髪に、どこまでも吸い込むような赤い瞳。こんな場所には似つかわしくない、貴族のような人が立っていた。
「お前がキャスライト・シェザーだな。」
「……何のようだ、あいにく俺はそんな暇じゃ」
「勇者に奴隷紋を刻んだ、それも強力な。」
「っなぜその事を。」
「調べた。お前このこと以外にも非道の限りをつくしているじゃないか。最悪だな。」
「うっせーな! さっさとどっか行き―――」
魔王は突然、キャスライトの目を覗き込み、命は奪わないが、とびきり強力な、そして一番最悪な魔法を掛けた。しかも自分では解けない魔法を。何を掛けたのかは想像にお任せしよう。具体的には言えない、可哀想だから。ただ一言いうのなら普通の生活はもう手に入らない。それだけ。
魔王は今度こそ城へ帰り、戦いで汚れた城を掃除し、ルチアが寝ているのを確認した後、眠りについた。国で起きた、この日の事を吟遊詩人たちが曲にし、世界中に広めた。『魔王を怒らせた愚か者の話』として。
□□□□□
食欲をそそる、美味しそうな香りで目が覚めた。こんなにも意識がハッキリとしているのはいつぶりだろう。体をぐーっと伸ばした後、ここがいつもの場所では無いことに気がついた。しかもベットが上等な物だ…。欲しい。
とりあえず香りのする方へ、クローゼットに入っていた衣服を着て向かった。ここはそこもかしこも大きく、まるで王城のようだ。初めて入った場所なのに何故か見覚えがある気がする……。
ザザッ
「いった……?」
ズキンと頭に痛みが走ると同時に、今見ている手が血に濡れている記憶が流れた。そして、今全てを思い出した。ここは魔王城。教会が魔王を殺させに私を行かせた場所。そして魔王は―――
「ルチアっ! 起きていて大丈夫か?」
「大丈夫。ありがとうネフリア。」
私の親友のネフリア。ネフリアは噂に聞いていた魔王像とはかなり違い、残虐ではないし、人を殺す目をしていないし、出会い頭に人を殺してなんかいない。しかも、このように人を心配する。
「まさかネフリアが魔王だったなんてね。だからあの時暗い表情したんだ。」
「そう。詳しいことは朝食の時説明するから、案内する、ついてきて。」
「はーい」
朝食時、事情を詳しく説明してもらった。奴隷紋は消したこと、教会にはもう私に関わっていた人はいないこと、魔王は悪い物では無いこと等。
意外なのは魔王は人を魔物から守るため、魔物を纏めあげる役職のことを示すようで、人に悪さを働く魔物は指示に反発した魔物なんだそう。知らなかった。じゃあ私は罪のない魔物を殺したことになるのか……。
「それは違う。」
心の声を見透かしたように、ネフリアは答えた。
「あの日ルチアが倒したのは人を殺した者だけだ。どこかから勇者の噂を嗅ぎ付け殺そうとした魔物だけだったから、ルチアのしたことは間違ってない。」
「そう、なんだ。」
「ああ。」
それを聞いて心が軽くなった。操られて罪の無い魔物たちを殺していたら罪の意識に囚われてしまっているかもしれないから。
「それでさ、ルチアはこれからどうする?」
「えっと、あー。どうしようかな。」
「何もないならここに住込みで働かないか? 結構仕事が溜まってて、手伝ってくれると嬉しいんだが。」
「…母さんに会ってきてから考えるよ。」
「ルチアの母さんはここにいるよ。ご遺体はここの中庭に埋葬してあるんだ。ルチアにあんなことをした教会にいるのも気分が悪いだろうし。」
「えっ? じゃあ会ってくるよ。」
「案内する。」
何か準備がいいような。まあ些事なことは気にせず、母さんに会いに行った。母さんが埋められている場所には逞しくも美しい、桜の木が植えられていた。私は母さんと話すため桜の木に手をつき、目を閉じる。
母さん、操られていたとはいえ殺めてしまってごめんなさい。謝って許されるものでは決して無いと私は思っています。恩を仇で返すような真似をしてしまってごめんなさい。
それでね、母さん。話があるのですが、ここで働いて自分の人生をやり直してみようと思います。ネフリアを母さんは憶えていますか? 親友のネフリアです。魔王と呼ばれる彼の仕事は、魔物を纏めあげ、人を襲わないようにする仕事をやっています。
彼の仕事を手伝えば、魔物に襲われる人を減らせるかもしれない。だから私ここで働きます。その仕事を天国から見守ってくれませんか? 自分を殺した娘を見守るなんて、そう思うかもしれません。ですが、自分の働きを母さんに一番見て欲しい、そう思うのです。
母さん、ごめんなさい。そして、今までありがとう母さん。
「……終わったか?」
「うん。連れてきてくれてありがとう。」
「礼を言われるほどじゃない。」
桜の木から離れ、ネフリアに向き合う。そして、目を合わせ、姿勢を正し、告げる。
「ここで働かせてください。」
「いいのか?」
「うん、ここで働けば魔物に襲われる人を少なくできる、そう思ったから。」
「分かった、で、その仕事なんだがな。」
「うん。」
「魔王妃になることなんだ。」
「は?」
は?
この一言につきる。先程までいい雰囲気だったのに俺の嫁になれと? 一体どういうことだ。思考停止した頭を急いで起動させ、目の前の人物の文句をできる限り考える。
「いやー、さ。部下たちが伴侶連れてこいとかうるさくてさ。」
「何、仲がいいから選ぶの? そんな軽い人はお断りなんだけど。」
「いや、ずっと好きだったよ。あの日初めて会った時から今日この時まで。」
「え??」
別の意味でまた頭がフリーズする。初めて会った時ってもう十年も前の話じゃないか。そんな前から。顔が熱くなっていくのを感じて、ネフリアに悟られまいと後ろを向いて顔を隠す。
「魔王妃になんてならないから。私以外に向いている人がいるから、その人を探しに行ってて!」
「嫌だ。ルチアじゃないと駄目なんだ。ルチアを愛しているから。」
「そんなセリフ言わないで! 母さんの前なのに恥ずかしい!」
「母さんの前以外ならいいんだね。じゃあ中に入ろうか。」
「そういう訳じゃ、ちょ、降ろして!」
強引にお姫様抱っこをし、城の中へ戻っていくネフリア。ルチアがネフリアに堕とされる日はそう遠くない。
読んでくださりありがとうございました。