寂びた甘さ
皆さんやったことがあるであろうバイト。そのバイトの話です。勤務日でない日、店から掛かってきた一本の電話。店に来てくれないかと言われ、わけのわからないままバイト先へ向かうのでした。
地下鉄の車窓はなんら面白いものがない。黒々とした景色に仄暗い明かりが一定の間隔で尾を引いているだけ。それがカタンカタンという無機質な電車の音に相まって僕を陰鬱にした。
僕はきまって端の席に座る。周りを見ると皆スマホをいじっている。稀に読者をしている人を見かけると何故かホッとする。きっとスマホは今の時代の様式美なのだと自分が若者であることを確認するために僕はそんな光景を皮肉りながらも受け入れるようになった。かく言う僕も地下鉄ではスマホばかり見ているのである。
スマホを開けると一件の不在着信があった。番号に見覚えはない。僕は無視してゲームをすることにした。しばらくしてまた同じ番号から電話がかかってきた。二回目の着信でようやく他人事ではないのだと思い始めた。
ふとこの電話はバイトに関することなのではないかと頭によぎった。調べてみると案の定だ。かかってきた番号はバイト先のものだった。
何故バイト先から電話が?
僕が次に働きに行くのは二日後だ。もしかしたらあまりにもお客さんが多すぎて研修の手も借りたいところなのかもしれない。何か急を要することなのだろうか。様々に思考しながらも電車は同じスピードで走っていった。
最寄り駅を出てすぐに僕はバイト先に電話した。一区切りもつかないうちに電話に出た先輩の声はやけに静かに感じた。話の内容は思っていたのとはまったく違ったものだった。
「今日この後店に来れる? 店長が話があるそうだから」
「九時過ぎに行きます」とだけ僕は返事しておいた。
しかしわからなかった。まだバイトを始めて間もない研修に店長が何を話すのか。何か怒らせるようなことをしたのだろうか。説教だったら嫌だなと思いながら僕は家路についた。この話をすると家族は冗談半分にクビじゃないのと言ってくる。
まさか、自画自賛ではないが、僕は慣れないなりにもよく働いていたはずだ。まして働いてまだ三日目なんだ。そんな馬鹿げた話なんてあるはずない。不安を吐き捨てて僕は自転車のペダルに足をかけた。
話は面接の時と同様、店のテーブルではなかった。先輩からは外のベンチで待っているようにと指示された。きっと中ではお客さんの食事の邪魔になるからだろう。でも話なら次に僕がバイトに来る時にしてくれたらいいのに。けれど切羽詰まっているなら仕方ないと自分を納得させた。
しばらくして店長が店から出てきて僕の隣に座った。手には茶色い封筒が握りしめられている。
ああ、何かものすごく大事なことを言われる。そんな気がした。
店長は少し僕の表情を伺ってから話し始めた。
「君は真面目だから、正直に言うとこの職場は合わないんじゃないかと思ってね」
終わってみると呆気ないものだ。要するに僕は職場に馴染めないだろうからクビだってこと。
ああ、なんて呆気ない。
初めは店長の放つ言葉に思考が追いつかなくて呆然としているだけだった。次に湧いた感情は怒り。
何で僕がクビなんだ。
職場に合わないってなんだ。
何でたった三日でそんな風に決めつけるんだ。
なら初めから雇わなきゃよかったんだ。
しばらくして怒るのも馬鹿らしくなった。君にはもっといい職場があるよなんてご機嫌取りの言葉に虫唾が走った。
僕はこのバイトに受かった時のことを思い出していた。様々なバイトの面接を受けては落ち、受けては落ち、八回目でようやく受かった時のことを思い出していた。面接時に用意してくれたお茶はとてもおいしかった。だけど今はもうどうでもいい。全て忘れることにしようとする自分が傍目からはずいぶん冷たい男に見えた。
僕は店に入ろうとする店長に最後のお礼を言ってから自転車に乗る。すぐ隣の飲食店にバイトの募集がないものかと確認してから僕は家に帰る。三日必死で働いた給料袋の中身は一万円にも満たなかった。
信号のライトがいやに目に刺さる。かなりのスピードで横切っていく車にため息をついて、僕はコンビニに寄ることにした。買うのはいつも同じクリスプ入りのチョコレート。
「世知辛い世の中だなぁ」
僕は愚痴をこぼしながらチョコレートをかじった。
皆こんなことあるんですかね?
家族からは割とよくあるって言われましたけど。