05. 天使か魔王か
「あれからあの一年、鈴木に変なことしてきてないか?」
「大丈夫だって。あのときも、ふざけてやっただけだと思うし、進藤君が思ってるようなことは何もないから」
「……鈴木って無防備だって言われない?」
「なんかそれこの前言われた気がする」
教室で進藤君が話しかけてきたのは、あの事件の翌日だった。あれから、大変だったのだ。進藤君はうるさいし、横峯君はうっとうしいし。
たぶん、進藤君は将来娘にかまい過ぎて嫌われるタイプだと思う。ただのクラスメイトの私をこんなにうるさく心配できるのは、もはや才能だろう。
そう思って生暖かい目で見ていると、なんか違うこと考えてるだろ、と進藤君にまた怒られた。なぜバレたし。
「まーま、そんなことより、進藤君大活躍の時期がやってくるじゃん」
私は仕方なく、気をそらすために話題を変えようとする。だって進藤君が怒っているとさ、クラスの注目が集まるんだよー。いわゆる上流階級の人ならまだしも、地味な私なんぞが女子からの恨みを買ったらおしまいなのだ。
「え、大活躍? あ、もうすぐ中間テストか。でも俺、テスト得意じゃないけど……」
「違う違う、テストが終わったら球技大会があるでしょ。進藤君、運動得意そうじゃん」
「そっか、五月って球技大会あるっけ。うわー、忘れてた、確かにそれは楽しみかも」
「でしょー?」
私たちがのほほんとそんな会話をしていると、私の肩を誰かがぽんとたたいた。振り向くとそこには、クラスの男子が可愛い可愛いともてはやしている、秋津玲子さんがいた。
秋津さんは、もう、名前からして可愛い。顔だって、真っ黒の艶やかな髪を緩やかに巻いて、きっと少しお化粧もしてるんだろうけど、元の顔立ちがすごく整っていることがわかる。長いまつげは、十本くらい抜いても私と大差ないんじゃないかな。身長も小さくて、華奢だ。
それに、ただ可愛いだけじゃなくて、リーダーシップもあり、進藤君と二人でクラス委員を務めている。名実ともに美男美女の二人だ。
……けれど、私は秋津さんと、話したことなどない。もちろん仲良くもない。なのになぜ、肩をたたかれているのだろう。
「進藤君、鈴木さん、何話してるの?」
「おー、秋津。球技大会もうすぐだなって話してたんだ」
にこやかにそう答える進藤君。秋津さんは、それににっこり微笑んだ。
うわあ天使の笑み。と、見惚れている場合じゃない。なぜか話しかけられたのだから、私も何か喋るべきだろう。
「秋津さんは、スポーツも得意なの?」
私がそう尋ねると、秋津さんは私にもにっこり笑ってくれた。これはなるほど、男子が騒ぐのにも納得。誰にでも平等で、優しいという噂は本当らしい。
「うーん、嫌いじゃないけれど、得意かどうかはわからないかな。実はね、ちょうど明日のHRで何の種目に出るのか決めるみたいだから、進藤君に相談しに来たの」
「あ、そうなんだ。じゃあ、私はお邪魔だと思うから、どうぞ二人で話してくださいな」
そう言って私が退散しようとしたそのとき、またまた肩をたたかれた――というより、つかまれた。しかも、結構な強さで。
私の肩をつかんでいる手の持ち主である秋津さんの声が、私に届く。
「ううん、鈴木さんにも相談したいのよ」
「……ん?」
いや、えっと、クラス委員のお仕事ですよね? 私、関係ないと思うんですけど……。
なんだか嫌な予感がする。なんだか、すごく、退散したほうがいい気が。
よくわからない冷や汗がだらだら、脇から出てくる。どうにか逃げる口実を探していると、秋津さんがまた、美しいほほ笑みを私に向けて。
「お昼休み、時間いいかしら?」
天使だと思ったその笑顔は、なんだか魔王のように見えた……え、気のせいであってほしい。
*** *
宇相谷高校は、行事に盛り上がる高校だ。もともと緩い校風と、そこそこ勉強ができてそこそこ明るい人が集まることから、文化祭や体育祭はものすごく盛り上がる。
一年でいくつもある行事のうちの最初の一つが、球技大会なので、これまた大盛況。クラスでおそろいのTシャツをつくったり、ハチマキを用意するクラスもある。そのあたりはかなり自由なので、みんなでカチューシャをつけていたクラスもあったり、バリエーションは豊富だ。
かくいう私は、運動神経にはあまり自信はない。球技大会の種目のうち、サッカーは足を蹴られるのが怖くていやだし、バスケは少人数で目立つのがいやだし、ソフトボールはボールが当たると痛くていやだなあと思うような人間である。
そういう人間は、ソフトボールの種目で補欠になるか、サッカーに出てボールにかかわらないところでちまちま動いているかの二択である。
ちなみに、進藤君のように、いかにも運動できます! タイプの人は、二種目掛け持ちで出たりするから恐ろしい。どんな体力だ。
あ、でも進藤君はサッカー部なので、サッカーには出られないことになっている。というか、たぶん審判役を任されるのだろう。……そう思うと、進藤君は二重の意味で大活躍となるだろう。
――そんなことを考えながら現実逃避をしている鈴木です。こちらはお昼休みの保健室。にやにやするマリちゃんとが真正面にいて、右隣には進藤君、左隣には秋津さんがいるという、超絶カオスな状況だ。
お昼休みの時間になって、三人連れ立って教室を出ると、好奇の視線が私にだけ突き刺さっていた。二人いんだよ、美男美女だし、クラス委員だし、日ごろから仲良さそうだし。……そこになぜ、地味で目立たない一般ピーポーの私が!? ということだろう。私もそう思いますとも。
二人は、このまま学食にでも行こうかと話していたけれど、これ以上人の視線に身を置くのはメンタルが持たなかった。というわけで、私は二人を引っ張って保健室に来たというわけだ。
ここなら、昼休みは比較的来室者もいないし、人に見られることもない。薬品臭いのはご愛敬だ。
「……それで、私に相談って、具体的にはどういうことなの?」
右隣も左隣も真正面の人も、にこやかに世間話をしていて、一向に本題に進む気配がないので、仕方なく私が秋津さんに聞いた。すると、待ってましたという風に、秋津さんはにこにこ笑う。うう、天使の笑み、再来。
「えぇ。あのね、単刀直入に言うと、球技大会でのまとめ役を私と一緒にやってほしいの」
秋津さんが話すには、進藤君はご存知の通り、サッカーの審判と、バスケとソフトボールの出場者という三つの役割を持っていて忙しい。しかし、クラス委員はクラスの競技がどこまで進行しているのかを把握し、応援を分散させる必要がある。
秋津さんは、競技には出場せずに、教室でまとめ役を行うそうなのだが、それでも一人では難しい。かといって進藤君が行うのはもっと難しい。
そこで、私に頼みたいとのことなんだけど――何で、私!?
「何で私なのか、理由を聞いても?」
「球技大会中は、簡単な擦り傷だったりとかは、クラスに救急箱を設置して、そこで対処する決まりになっているのね保健室に長蛇の列ができたことが過去にあったらしくて、本当に保健室を必要としている人のために、簡単な怪我は自分たちでばんそうこうなり貼ってくださいとのことで」
なるほど、話は見えてきた。秋津さんはどこからか――どこかの進藤君から、私が保健室の留守番を任されていることを聞きつけたのだろう。それで、私に目を付けた、と。
「鈴木さんには、怪我の処置係をやってほしいの」
「お断りします。理由は目立ちたくないからです」
「えっ、鈴木、断るの!? すごい向いてると思うけど」
呑気な進藤君を、きっとにらむ。これ以上クラスで悪目立ちしたくないんだっつーの。今日もあんたら二人のおかげで、好奇の目で見られたんだっつーの!
「――処置係を務めてくれたら、無条件でソフトボールの補欠にしてあげる」
「……え」
静かで、だけどなんだか圧のある秋津さんの言葉。さっきも感じた、魔王、みたいな。まがまがしい空気を秋津さんがまとっているのは、気のせいじゃない、と思う。
「ね、鈴木さん。手伝ってくれるわね?」
この女、ただの天使じゃないらしい。