10. 波乱の球技大会始動
中間テストは無事に終わった。何を「無事」というのかはわからないけれど、きっと、無事に終わったはず。
天谷さんは何とか赤点を免れ(本当にギリギリだったけれど)、進藤君は古典で最高点を取ったと喜んでいた。だけど、あの勉強会の日から、私はなんとなく秋津さんに対して気まずい。
あの日、二階から下りてきた私と秋津さんは、表面上は何事もなく振舞っていたけれど、私は変な緊張をしていたし、秋津さんは秋津さんでいつもの魔王じみた気配がなかった。
こうして、少し気まずいまま、テストが終わり、今日――球技大会当日になってしまった。
「よーっし、それじゃ、C組……青ブロック、優勝するぞー!」
おーっ、と盛り上がる我らが2年C組。それなりにノリの良いクラスだから、球技大会中も盛り上がるだろう。現に、球技大会の準備……ブロック別応援の練習や、ダンスの練習、Tシャツの作成など、みんなとても力を入れていた。うー、眩しいほどのリア充。
ちなみに、Tシャツの背中側には、それぞれのキャッチコピーのようなものが描かれている。進藤君は「我らが王道イケメン」、秋津さんは「C組が誇るマドンナ」である。ちなみに、私はまだクラスの人とそんなに話したことがないから、なんて書かれるのか不安に思っていたのだけれど、渡されたTシャツには「保健委員より保健委員」と描かれていた。……まあ、間違ってはいないですよね。
「まず午前最初は、女子バスケの試合ね。三年の赤ブロックとの試合で、体育館のBコートでやる予定よ。三年生は最後の球技大会だから、気合入ってるはず。この時間帯はうちのクラスはほかの試合と重なっていないから、全員で応援に行きましょう」
そう取り仕切っているのはマドンナ秋津さんである。有言実行で、秋津さんは試合の行程をすべて把握し、クラスの応援を誘導しているようだ。今日は球技大会ということで、いつもおろしているロングヘア―をポニーテールにしている秋津さんは、一部の男子に「うなじ!」「可愛いなあ」と騒がれていた。
秋津さんの言葉に、わらわらと移動し始めるC組の皆さん。その中には人一倍気合が入っている進藤君の姿もある。その隣には、にこにこほほ笑みを浮かべた秋津さんがいて。
どう見ても美男美女だ。どう見てもカップルだ。秋津さんが私をライバルだと思っているならば、全然、そんな心配ないよって伝えたい。明らかに、主人公は私じゃないのだ。
そんなことを考えていると、秋津さんとばちっと目が合ってしまった。凝視していた罪悪感があって、少し後ろめたい。私が目を泳がせてしまうと、秋津さんはくすりと笑って、手招きをした。こっちにおいで、ということ、だよね。
「おっ、鈴木! 鈴木も早く応援行こうよ!」
爽やか純度100%の進藤君がそう言っているけれど、もう、ほんとに余計なお世話ですから。あーほら、クラスの女の子たちの視線がまた刺さってるぅ。
「そうよ鈴木さん。最初の試合くらい、一緒に応援しましょ。この後からは、私たち、教室で仕事があるんだし」
ね、と私に笑いかけてくれる秋津さん。その言葉が、女子の視線を和らいでくれている、気がする。……気だけかもしれないけど。
とりあえず、へらっと笑いながら頷いておく。女子バスケの試合、ぜひ、応援させていただきます、はい。
「さ、行きましょ、みんな」
秋津さんの笑顔は、世界を救う。どこかの誰かがそう言っているのが聞こえたけれど、……一理ある、のか?
*** *
「鈴木、ごめんまた転んだ!」
「鈴木さーん、足捻挫したんだけど、どうすればいいー?」
「鈴木さん、なんか田中がすっげー顔色悪いんだけどー」
「鈴木ちゃん、絆創膏あるかなぁ」
「すいませーん、C組に応急処置してくれる人がいるって聞いたんだけどー」
……球技大会なんて、ろくなものじゃない。
私が心からそう思ったのは、球技大会が始まってわずか一時間が経過したときだった。
予想はしていた。けれど、私が予想した三倍は、怪我人が多かったのが原因だ。どいつもこいつも、勝利に必死になりすぎて、我を忘れすぎなんだ。
大きな怪我は、私の管轄外だから知らないけれど、少なくともかすり傷のような怪我をする人は、本当に多い。念のため、絆創膏や消毒だけじゃなく、クーラーボックスに捻挫した人用の冷感シップなどを用意しておいてよかった。まさかこんなにも役立つとは思っていなかったけれど。
そんなことを考えながら、私は教室で必死に手を動かす。ソフトボールの試合が今行われているようだけれど、応援にすらいけない状況だ。……なぜなら、ほかのクラスの人までもがC組に集まっているからな!
「まず進藤君は転びすぎ! 転ばない努力をしてください! それに転んだところをちゃんと洗ってきてって毎回言ってるよね!? 砂ついてるから洗ってきて! 捻挫した人はこっち来て、どのくらい腫れてるか調べるから! あまりに酷かったら保健室行ってもらうからそのつもりで! 田中君は、熱中症の可能性があるから、今すぐ保健室に連れて行って! 絶対一人で行かせないで、誰か付き添ってあげて! 絆創膏はあるけど、怪我したところに貼るだけだと菌が入るから、一度消毒します、こっち並んで! ほかの人も、怪我した人はとりあえずこっち並んで!!」
普段は全く存在感のない私が、こんなにも口を回して話していることに、クラスのみんなが驚いているのが伝わってくる。気持ちはわかるよ、こんな陰キャが急に張り切りだして、って思うよね。でもね、この一か月、保健室の番人を任されていて、多少の怪我でも見過ごせないようになっちゃったんですよ。
球技大会がはじまってから、おおよそ二時間が経つ。私は、最初のバスケの試合以来、教室から出られなかった。……なんてこったい。進藤君の出場している男子ソフトボールと男子バスケは、順調に勝ち進んでいるようだ。毎回、律義に怪我をしてくる進藤君から、楽しそうに武勇伝が語られるので、それだけは知っています。
秋津さんも私と同じで、教室の反対側で采配を振っている。うちのクラスは、運動神経が良い人が多いようで、今のところどのチームも勝ち進んでいるっぽい。合計で六つの試合が進行していく中、どの試合にどれだけの人数の応援を派遣するか、的確に指示を出している。
もはや、秋津さんと気まずいなんて言っている場合じゃなくなった。というかほんとに、それどころじゃない。私も秋津さんも、主に一人で仕事をしているので、てんてこまい過ぎるのだ。
そんなこんなで、私があらかた怪我人を片付けた――基、処置し終えたころには、とっくにお昼休みの時間になっていた。気づけば教室ではお弁当を食べる人がたくさんいて、私は一人ぽつんと救急箱とクーラーボックスに挟まれて。……つ、疲れた、ものすごく。
時計を見ると、昼休みはあと二十分ほど。お弁当を食べ終わった人もちらほら出てくる時間帯だ。そんな中、私は今日はお弁当を持っていない。もともと、昼休みに保健室でご飯を食べているくらいなので、球技大会中に教室で一緒にお弁当を食べれる友達が教室にいないのである。自分で言ってて悲しくなってきたぞ、おい。
というわけなので、昼休みが終わる前に、ちゃっちゃと購買に行かなければならない。なんなら、購買の人気のパンはそろそろ売り切れてしまうだろう。そう思って、私は財布を持って教室を出た。
購買は、私たちのクラスがある文系棟と理系棟の間にある。そこに向かって廊下を早歩きしていると、いつもよりメイクや髪型に気合が入った女の子たちとすれ違う。
その姿を目で追って、鏡に映った自分と目が合った。いつもと同じ、特に手入れも結びもしていない髪の毛。メイクに気合を入れるどころか、まったくのすっぴん。我ながら、現役女子高校生とは思えない姿。
いいなあ、と思う気持ちはもちろんある。私だって、おしゃれをして、球技大会張り切って、たくさん写真を撮って。でも、そんなの、クラスで上位カーストに入っている人にしか許されない、と思う。友達すらいない女が、急におしゃれなんてできないし。
……ああ、なんか、思考が暗くなってきた。いかんいかん、私は、お昼ご飯を買いに行くんだった。
傾いた思考を無理やりなおして、また早歩きで駆け出そうとしたとき。私の背後に、誰かが立った気配がして。
「よっ、鈴木。何してんの?」
そう声をかけてきたのは、――午前中だけで三度も怪我をしていた進藤君だった。