正義の刻
それから約数時間後、とある薬品工場で助手の男と共に研究所内を闊歩する男がいた。
「よし。それじゃそろそろ失礼するよ」
纏っていた白衣を脱ぎながらそう告げたのは製薬会社研究主任にして今回少女への強姦事件を起こしたトクシュウだった。
「え?今日はお早いんですね」
「あぁ。今日はナツミに逢いに行くんだ」
「えぇ!?で、でも、裁判所命令で近付けないんじゃ?」
「ばーか。俺達は愛し合ってるんだぞ?そんなもん脳の無い馬鹿共が勝手に決めた理不尽な取り決めだろーが。相思相愛なら何も問題なんて無いんだよ」
「で、でも。この前は警察に通報されちゃったんですよね?」
「そろそろ向こうも気付く頃さ。この前はちょっとばかし急ぎ過ぎたけど暫く逢えない期間があったからもう俺のことが恋しくなってるはずだろ?」
「は、はぁ…」
呆れる助手の男をよそにトクシュウは意気揚々と研究所を出て行った。
口笛を吹きながら駐車場にある車に向かっていると、突然男の声に呼び止められる。
「待ちな!」
「ん!?」
トクシュウが声のする方向を見ると、そこにはザキルとカレンが佇んでいた。
「何だ、また君達か?今度は何の用だ?私はこれから大切な用事があるんだが?」
邪険な態度を取るトクシュウ。
そんなトクシュウをカレンはじっと睨んでいた。
やがてザキルの追求が始まる。
「ゲンリュウのジイさんに先を越されそうになったテメェはジイさんの嫁が入院する病院の関係者を買収した。そうだな?」
「!!?」
トクシュウの表情が驚愕に広がる。
「嫁の病気を治すため新薬の研究に躍起になってたジイさんのモチベーションを落すためだった。開発の目的そのものである嫁が死んでくれりゃお前にとっちゃ好都合だろうさ。思惑通りジイさんは研究を止めてお前がNo1に繰り上げ当選ってか」
「な、な、何だ?一体何を言ってるんだ?」
重ねてカレンも言葉を重ねる。
「貴方は、ゲンリュウさんの奥さんが入院する病院に対して手術を出来るだけ後回しにするように指示しました。中々手術日が決まらない事に焦りを覚えたゲンリュウさん達は移転も考えましたが、その都度”今は奥さんの体力が十分じゃありません”とか”最高の専門医が居ます”とか言って希望を与え続けて足止めもさせた」
「…」
全てを悟られているザイゼンは言葉を詰まらせている様子だったが、苦し紛れにたどたどしい口調で惚け始める。
「は、は、はははは。一体何を言うかと思えば。君ら、心情的に僕が気に食わないからって架空の作り話で脅そうって魂胆か?証拠も無いのに、選定所がそんな事していいと思ってるのかね?」
「ザイゼンって男が全部吐いたぜ」
「はぁ!?」
ザキルはポケットに忍ばせていた端末を取り出し録音されている音声をその場で再生し始めた。
すると端末からは生々しいザイゼンの声が流れ始めた。
その声色は震えており約3分に渡る懺悔と白状の弁が収録されていた。
「っく、くっそぉぉ!!あの野郎ぉぉ!!」
「観念しな。もう一度サツの所に行ってもらうぜぇ」
ザキルがトクシュウに対し1歩歩みを進めると、トクシュウは同じく1歩後ずさり最後の悪足掻きを始めた。
「ま、待て!!あのジジイは薬を完成させてない!俺が早々にムショに入れば奴の薬が完成するまでの間は流通が無くなる!そうすれば何万って患者が死ぬぞ?その間だけでも俺をシャバに出しておかないといけないだろ?」
「その間に高跳びぶっこくつもりだろうが?それとも何か?またあの小娘を犯して悔いなく首でもくくろうってのか?あぁ?」
「…ち、違う。そうじゃない!私だっていち人間だ!困ってる人を救いたいって気持ちはきちんと持ってる!奴には及ばないがあの有効性の高い薬を開発したのは事実だぞ!」
「救う…ねぇ」
「本当だ!信じてくれ!何ならそれまでの間は監視を付けてくれてもいい!ゲンリュウの薬が完成したら直ぐに出頭すると約束する!だから、頼む!」
「…」
ザキルは考え込む様子を見せた。
そんなザキルを見つめるカレン。
「ザキルさん…」
ザキルは1度目を閉じた。そして再びその瞳が開くと同時にその表情はあくどい笑みに染まった。
「残念だったな」
「え?」
ザキルが右手を上げると、背後に止めてある車から1人の人物が姿を見せた。
「ゲ、ゲンリュウ!!」
そこに現れたのは同じく渦中の人物であるゲンリュウだった。
その表情は心底沸き上がる怒りに満ちていた。
ザキルの隣まで歩み寄るとトクシュウに向かって言い放った。
「薬ならもう完成しておるわい!」
「な、何ぃ!?」
「ワシとてはしくれじゃ。例え妻がのぉなっても、心血注いだ研究を途中で投げ出したりはせんわ!」
「な、なら何故今まで黙ってた?」
「こんな腐った世の役になぞ立ちとうないと思っとっただけじゃ。じゃがな、貴様を地獄に叩き落すためなら腰が折れようが膝が砕けようが出て来てやるわい!」
「くぅっ、くっそぉぉ!!!」
やがて一同の背後よりパトカーの警報音が鳴り響き数人の警官達が現れた。
トクシュウは目の前で罪状を述べられるとその場で手錠を掛けられる。
そして観念した様子でザキル達を横切りパトカーへと向かうトクシュウ。
すると突然、ゲンリュウはいきり立った表情を見せポケットに忍ばせていた刃物を取り出した。
気付くカレン。
「ゲンリュウさん!!」
「ああぁあぁぁぁ!!!」
ゲンリュウは収まらない怒りを叫びながらトクシュウの背中を突き刺そうと全力で駆けて行った。
やがて射程範囲にまで近付き大きく腕を振り上げると突然その動きは止まってしまった。
「ぬぅぅ!?」
「ザキルさん!」
「…」
ザキルは一瞬にしてゲンリュウの腕をその後ろから掴み上げた。
力の限り抵抗するゲンリュウだったがザキルの腕力に制されたその腕は一切動かすことを許されずにいた。
「はっ、離さんか貴様ぁぁ!!」
「落ち着きやがれ。テメェが人殺しになっちまったら本末転倒だろうが」
「く、薬の製法ならくれてやるわい!あの男を八つ裂きにせにゃ、妻が浮かばれん!!!」
「ゲンリュウさん…」
カレンはゲンリュウの気持ちを思うと辛かった。
ザキルもそんなゲンリュウの気持ちは汲んでいたが、それでもその手を離そうとはしなかった。
「そういう事じゃねぇんだよ。テメェみてぇな年寄りに今更説教も綺麗事も並べるつもりはねぇが、残った余生ムショで過ごすこたぁねぇだろ。これ以上テメェが苦しんでどうすんだ」
「…っく。若造がぁ…」
ゲンリュウは力なく刃物を手放しその場に膝を着いた。
落ちた刃物を拾い上げ懐にしまうザキル。
連行されて行くトクシュウ。
カレンは震えるゲンリュウに寄り添い必死に慰め始める。
「ゲンリュウさん。今回ばっかりはあの男も実刑確実ですから」
「…ふん。買収は病院側の罪もあろう。あの男は大した罪にはならん、どうせすぐ出所するじゃろうよ。おのれぇぇ…」
「ゲンリュウさん…」
「賞味な話、今回の件で選定所が点数をどれだけ下げても恐らく65点以上はキープしやがるだろう。奴の薬に価値は無くても野郎の技術とキャリアがあればまた普通に暮らしに戻りやがるかもな…。だがジイさん、これで一矢は報いたんじゃねぇかよ?」
「…たわけ」
ゲンリュウはその後も暫く両手を地面に着いたまま伏していた。
やがてゆっくりと立ち上がり呼吸を落ち着けると静かに口を開き始める。
「…お前達点数屋なんぞ好きにゃなれんが、お主達2人の根気にゃ正直感服したわい。若造の割りにゃ根性がありよる。特に娘さん、お前さんは本当にいい世の中を信じておるんじゃな。この制度の先に」
「…はい!」
「応援なんぞせんが、せいぜい頑張るんじゃな」
後味の悪い一件落着を迎えた一同の元に突然真紅のスーツを纏ったあの男が現れた。
「おーや皆さんお揃いで~。なーによ暗い顔しちゃってぇ。さっきパトカーとすれ違ったけど、ヤマは片付いたんだろ?」
「アウトロさん」
「…」
「そのジイさんがゲンリュウさんかい?今回は本当大変だったなぁ。お悔やみ言わせてもらうぜぇ」
空気にそぐわないテンションを見せるアウトロに対しザキルが一喝する。
「おいテメェ。少しぁ自重しやがれ」
「なーんだよ、ずいぶんじゃねぇか?こんな事もあろうかと俺様からちっとしたエンディングボーナスを持って来てやったってのによぉ~」
「ボーナスゥ?」
「そうともよ。奴が収監されるのは恐らく”フォクスリバ刑務所”だ。あそこには俺の馴染みが何人かいてな。その中にネッパーの奴がいるのさぁ」
「ネッパー!」
「あーぁそうだ。話は通しておいた。この意味、分かるだろぉ?」
「…ふ。ははは。そうか。ははははは」
アウトロの言葉を聞いたザキルは静かに笑い始めた。
やがてそれが声量を帯高らかなものに変わると、それに乗じてアウトロも空に向かって高らかに笑い始める。
訳が分からないといった様子のカレンとゲンリュウはただただその2人を傍観しているのだった。




