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『カルペ・ディエム』

  Caput tres [ Carpe diem ]


 突如現れた怪物、『ビッグフット』と俺たちは戦闘を続けていた。


 先ほどローガルに全身を氷漬けにされた際、ビッグフットの関節部分には若干の凍傷が見られた。そこで俺はアグスとクラリナに指示を出し、三方向からそれぞれが得意とする式術で攻撃を加えていった。するとやはり関節部分は弱いのか、ビッグフットは攻撃を避ける。僅かとはいえ、攻撃の動きを鈍らせることができた。


「流石だぜ隊長、あんな僅かな時間で弱点見抜くたぁ、あんたやっぱ天才だ!」


 ローガルがはやし立てながら、ビッグフットと『青』で交戦する。そのローガルを三人で支援しながら、俺はこの戦況において必要な事柄に思考を回す。


 まず第一。どうやらビッグフットの対呪術防御は、関節部分や目の回らない部分にはないらしい。鎧のようなものだろうか。ならばそこを責め立て続ければ、現状のように辛うじて食らいつくことができる。次に考えるべきは敵の対呪術防御が長時間継続するか否か。今のところ防御の強化も劣化も見られない、それはなさそうだ。


 結論、一対一では勝ち目がないかもしれないが、四対一ならば勝ち目が見える。


 次いで考えたいのは、敵の弱点だ。確かに関節部が弱点らしいが、他に弱点が見つかれば俺のみならず、全員の生存率が上がる。


 そのために考えるべきは、奴は何者であるかだ。

 厚く、式術を無効化する皮膚。人のような体躯に、人のような戦い方。また本来雪山に生息する生物ではない、どころかこのガライン=メナに存在する生物ではないと考察できることから、一つの推測が浮かぶ。


 アレは、生体兵器ではないか?


 仮に生体兵器であると仮定する。ならばこのような生体兵器を此処へ送り込むための船、そもそも生体兵器を創り上げる技術、そしてその生体兵器をレジスタンス本部へ差し向ける理由、総ての条件を満たしたモノは在るか――在る。


 ルンゲル帝国だ。


 ルンゲルはクラウスを奪い取るほどの軍事力があるため、他国から睨まれている。生体兵器を創り出すだけの技術や動機は十分だ。また、敵対する組織であるレジスタンスに生体兵器を差し向けるだけの理由も、テストの一言で足りるだろう。


 しかしルンゲルと断ずる一番の理由は別にある。

 俺は、ナクラスから一度だけ聞いたことがあった。

 

 ――『研究所』という施設の話だ。


 ルンゲル帝国にある研究所。そこではどうやら、人を洗脳するための機器、五色剣のレプリカの生成、そして、人を戦闘兵器へと改造する研究が行われているという。

 仮にあれがルンゲルの生体兵器であるならば――なるほど、総てが頷ける。


 基本的に式術――ディスクの使用にはどの国も免許の取得を基本とする。強大な力を持つが故の抑制の法律だ、当然必要な法である。しかしルンゲルにはそれがない。だから多くの国はルンゲルを敵視・危険視している、ただクラウスを乗っ取ったというだけが理由ではないのだ。そしてルンゲルは己が式術を使う以上、相手も防衛のため、或いは攻撃のために免許を持たないものも式術を使用することが想定できるはずだ。


 であれば、次のルンゲルの行動は何か。


 言うまでもないだろう。式術への対抗策を創り出すことだ。

 それが五色のレプリカであり、そして、式術を無効化するための生態兵器。


 ――だとするならば、このビッグフットは捕獲するべきだ。

 俺はそう結論付けた。


 ビッグフットは後々レジスタンスの、どころかガライン=メナの脅威になる可能性が大きい。あんなものが他国にばら撒かれることがあれば、間違いなく総てが滅ぶ。野放しにしてはいけない。その技術を、ルンゲルだけのものにしてはならない。

 そしてビッグフットの捕獲は、可能。

 ローガルの『青』、そして俺たちの牽制があればビッグフットは倒しきれる。

 そう思った。


 しかし突如、ビッグフットが手に持つ棍棒が輝いた。

 白銀の光だ。太陽のものとも、或いは俺の知る式術とも異なる光だ。

 あまりにまばゆい閃光が、俺たちの目を焼いた。ローガルも、アグスも、クラリナも俺も、誰もが一瞬、視界を奪われる。その瞬間、雪が爆ぜる音を聞いた。

 ビッグフットが、跳躍したのだ。

 あの棍棒が振るわれた。ぐしゃりと、隣で何かが潰れる音がした。それと同時に、誰かが俺の身体を突き飛ばしていた。


 目を開く。初めは雪の反射する光があまりに眩しく何も見ることは叶わなかったが、やがて視界が開けた。

 久々に見えた俺の目は、赤を映している。

 辺り一面の積雪は、見知らぬ赤く染まっていた。


「よォ、ロウリス……これで、あン時の借りは無しだ――」


 そう言って、俺の横に倒れていたアグスは犬歯をむき出して笑い、多量の血を吐いた。よくよく見れば、アグスは胴体を真っ二つに両断され、上半身だけになっている。


 またか。また俺は、部下に庇われたのか。若者の命を、未来を奪ったのか。


 歯を噛みしめながらも周囲を見渡し、状況を確認する。

 ローガルは最もビッグフットの近くにいたため、もろにあの光を喰らった。まだ視力は回復していないらしい、青を構えてはいるが、その目は敵を見てはいない。

 俺の左隣にはクラリナがいる。彼女も視力が回復し始めたのか周囲を見渡し、やがてアグスの変わり果てた姿を目にして息を呑んだ。

 そして正面にはビッグフット。あの巨大な棍棒を振り上げ、俺とクラリナに向けて振り下ろそうとしている。


 どうしようもない――そう思ったとき、俺の真下から膨大な熱量を持ったナニカがビッグフットの足首に触れた。ビッグフットは絶叫し、後方へ跳躍する。

 オーバーヒート、火属性の式術だ。アグスは最後の力を振り絞り、俺とクラリナを守ってくれたらしい。伸ばした手が、その身体が、腹部から流れる血液と共に雪を溶かしながら沈んでいく。それからはもう、ピクリとも動かなかった。


 アグスは死んだのだと、嫌でもわかった。


 悲しみはあったが、敵を前に悲しんでいては命を落とす。

 俺はすぐにクラリナの手を引いて走り出した。


 ローガルならば、一撃二撃は耐えられるだろう。だが俺とクラリナには無理だ。そして俺たちが死んでしまっては、おそらくローガルも終わりだ。只でさえ強力な攻撃手段を持ち合わせているビッグフットに、視覚を奪う呪術までもが加わるとなれば、鬼に金棒ならぬ、鬼に金棒加えて闇夜といった所か。冗談ではない。


 俺は撤退の意をローガルに伝えようと背後を振り向いた。ローガルの他に、空中へ跳躍して棍棒を振り下ろそうとしているビッグフットが目に映る。


「クラリナァ!」


「はい!」


 俺に引っ張られながらも、クラリナは揺れる腕を伸ばす。指を銃の形にしてビッグフットの身体に向け、どこを狙うべきかと俺に視線で問うた。

 俺は跳躍したビッグフットを睨み、そして。


「頭だ!」


 指示を出した瞬間、クラリナの指先から先のビッグフットに勝るとも劣らぬ閃光を放ちながら、雷の弾丸が飛び出した。


 レールガン、サンダーよりも強力な黄の式術だ。サンダーでも傷一つ付かなかった化け物が相手なのだから、レールガンを当てた所で大したダメージは見込めまい。しかし、当てることには意味がある。


 いくら化け物とはいえ、空中での行動は制限されるはずだ。そして宙に浮いている間に重心から離れた部位を攻撃すれば、確実にバランスは崩れる。そして極めつけはコレだ。

 俺は右手でクラリナを強く抱き寄せ、左手で斜め下方に向けて叫ぶ。


「ハリケーン」


 緑の式術、その一つ。文字通り、膨大な突風を巻き起こす式術だ。

 それによって俺とクラリナの肉体は後方へ吹き飛ばされ、また空中において行動していたビッグフットの体勢も副産物である爆風によって崩したことで、二者の間に大きく距離を取ることに成功する。

 唯一の問題は着地と言うところだが、それも考えてある。ここは雪山だ、積雪がクッション代わりになるため、落下の衝撃は随分とマシになるはずだ。


 俺とクラリナは、見事雪の上に落下した。痛みはない。思った通り、積雪がクッションになってくれたらしい。大丈夫か、その意を込めてクラリナを見ると、クラリナの方も無事らしい、静かに頷いた。ビッグフットの方を見ると、やつは頭から雪の中に突っ込んでいる、しばらくは動けそうにない。


 だがこれで俺とクラリナは、ひとまず安全圏にあると言っていい。次の問題はローガルだ。

 ローガルはようやく視力を取り戻したのだろう、俺とクラリナを目で追って、僅かに安堵の表情を見せる。しかし一つの疑問を感じたのだろう、周囲に視線を彷徨わせ、そして答えを見つけた。

 ローガルは、アグスの死体を見た。


「ああ……あああああああああッ!」


 咆哮し、ビッグフットへ向かおうとするローガルを、俺は制した。

 渋々従ったローガルは、雪の上を走り俺とクラリナの横に付く。


 撤退するべきだ。これ以上アレと戦うのは危険すぎる。式術を無効化するという奇怪な特徴、人では対抗できないほどの身体能力もさながらだが、なによりも、一見するとただの鉄の塊であるあの不格好な棍棒に関する情報が少なすぎるのだ。


 ルンゲルは。『研究所』は、一体何を作った――。


 俺が思考を回そうとしているとき、ローガルが俺を呼ぶ。どうやら、ビッグフットが起き上がってきたらしい。先ほどのようにレールガンやハリケーンを打ち込まれては困るのだろう、此度は跳躍せず、雪を蹴りながら向かってきた。

 俺はクラリナとローガルを連れ、レジスタンス本部を向けて走る。


「ローガル、お前は『青』をどこまで使える」


「前も言ったように、まだこれは俺の身体に馴染んでないんだ。一応、ランク2相当のスキルは使えるけど、それ以上は――」


「十分だ。とりあえず『青』でやつの足元を凍らせてやれ」


「合点承知!」


 走ったまま、ローガルはラピスラズリを雪の上を滑らせるように乗せた。するとそこから並みならぬ冷気が発せられ、一気に雪を凍てつかせる。俺たちの足元を凍らせていないところを見ると、身体に馴染んでいなくともスキルはそれなりに扱うことはできるようだ。


 ローガルの氷によって、ビッグフットの動きが僅かに止まる。


「お前たち、今のうちにありったけのイニシムとテルバットを飲んどけ。加えて、ディスクは一番強いものだけ残せ、それ以外は総て放棄する」


 イニシムとテルバットというのは、回復用のアイテムだ。片や体力を回復させるもの、片や式術などの使用に必要な力を蓄えるものだ。ローガルとクラリナがありったけの回復を行ったことを確認した俺は、ディスク、そして残ったイニシムとテルバットの入った鞄を、ハリケーンを用いて遠くに吹き飛ばした。


「おい隊長、なにもそこまでしなくても――」


「いいえ、ローガル。そこまでする必要はあるわ。敵の動きは速い、身体の軽量化の重要性はもちろんだけど、放棄したものを敵に使われてしまっては、敵に塩を送ることになってしまう。なにより敵は、白と思われる式術を使った。万が一、白に加えてアグスの赤のディスクを使われることがあれば、雪崩が起きることもあり得るもの」


 ここは雪山だ。不用意に赤の属性の力を使えば、何が起きるかわからない。

 仮に雪崩が起きれば、下手をしたらレジスタンス本部はおろか、その下のペイソルまでもが埋もれてしまうかもしれない。それは避けなければならない。なにより今のペイソルには、俺の家族が訪れようとしているのだから。


「な、なるほど……流石隊長だ、その判断力は俺も見習わないといけないな」


 ローガルは顎に右手を添えてそう言うが、俺はローガルの判断も冷静だと考えていた。

 ローガルはアグスの死を見た。俺とクラリナも確かに見たが、俺とクラリナはもう何年もレジスタンスに所属している、人の死は見慣れた。だがローガルは違う。きっと、仲間の死を目にするもの初めてであるはずだ。

 それでも動揺しまいと、周りに迷惑を掛けまいと、いつものお調子者のローガルでいてくれる。俺にとってはもちろん、クラリナにとっても、それは有り難いことだっただろう。


 ビッグフットが俺たちに追いつきそうになれば、ローガルが雪を凍結させて足を止める。跳躍して俺たちに迫れば、俺かクラリナがそれを退ける。そうして雪山を下っていけば、いつかはレジスタンス本部にたどり着くはずだ。あそこには、非番のものたち、大量の補助アイテム、ディスク、そしてナクラスがいる。きっとどうにかなるはずだ。


 どうにかなる。その一念を胸に走り続けた俺たちは、絶望を知ることになる。


 壁があった。

 雪山に、壁があった。

 巨大な壁だ。まるで、城壁だ。

 それが高々とそびえ、俺たちの四方を囲むように、行く手を拒んでいる。


「何だよ、これ……なんで雪山にこんなもんが……」


「――『白』ね」


 目を見開くローガルとは対象に、クラリナが冷静に言った。


 そう、『白』だ。

 白という属性には光を扱うことの他に、『創造』という特徴が挙げられる。おそらくはこの巨大な城壁も白の特性によるものだろう。

 ビッグフットが俺たちを逃がすまいと、巨大な壁を創造したのだ。


 俺たちの動揺を目にしてか、ビッグフットは「ウッ、ウッ」と人ともサルとも似つかぬ笑いを漏らす。


 しかし、おかしい。いくら白のディスクを用いたからといって、三人の人間の逃げ道を塞ぐほど強力なディスクはないはずだ。確かに白には『クリエイト』というディスクがあった。だがあれは使い手にもよるが、家を一軒も創造できれば上等ではないだろうか。

 なのにこいつはどうして、ここまでの力を発揮できる。式術ではないのか――。


「くそっ、やっぱ倒すしかねえってことかよ!」


 ローガルは虚空に手を伸ばし、そして何もないはずの場所から剣を執った。

 五色剣、『青』のラピスラズリ。俺は細かな原理を知らないが、五色剣に鞘はなく、使い手が自由意志で空から取り出すことのできるものであると聞いている。

 その時、俺は奇妙な感覚に気が付いた。

 五色を手に持ったローガルと、棍棒を持つビッグフットの気配が酷似していると。


「おい。おい待て、まさか――ッ」


 あれは。ビッグフットが手に持つアレはまさか。不格好ではあるが、あれは五色剣『白』のレプリカ――朱色ではないのか?


「ロウリス隊長、どうしますか」


 立ち止まったローガル。指示を乞うクラリナ。

 周囲は雪と巨壁に覆われた。逃げ場はない。俺たちの眼の前に立つビッグフットは、口から白い息を零して此方との距離を詰めている。


 まるで闘技場だ、これは。人と獣を戦わせる、頭の狂った金持ちの娯楽だ。殺戮が繰り返される、血と狂気の闘技場。


 どうする、どうする、どうする、どうする――。

 俺は頭を回す。生きるために、生きるために生きるために生きるために生きるために死にたくない死ねないこんなところでは終われない。ならばどうする。


 これといって対抗策がなければ、とにかく有効策を見つけるまでは耐える他に手段はない。そう判断した俺は、やむなく先ほどと同じ戦闘方針を指示した。ローガルが前線で戦い、俺とクラリナが後方支援を行うというものだ。アグスはいなくなってしまったが、なんとかするしかない。


 断然、戦況は不利だ。

 俺たちは肉体的にも精神的にも疲弊している。もしもう一度、『白』の光を喰らおうものなら、少なくとも俺たちの内のもう一人も死ぬだろう。そうなったら終わりだ、勝ち目が無い。

 このままでは負ける。だが、誰か一人を見殺しにすればどうだろう。今すぐ戦況を離れ、ペイソルに来るはずの家族を連れて逃げることができれば、俺はどんな命でも見捨てられる。例え、同じ釜の飯を食った相手でも。


 次第に俺は、逃げることを考え始めていた。クラリナを、ローガルを見捨てることを考え始めていた。

 死が近付けば近付くほど、俺は戦いに集中できなくなっていった。いつ逃げよう、どう逃げよう、そんなことばかりを考えるようになった。強く、左胸を握る。使うか否か――歯を食いしばって、最適解を考える。


 小隊長とはいえ、一つの部隊の隊長に抜擢されたことから、俺は周りの奴らより少しはものが見える人間だったのだと思う。それがさらに逃げに徹しようと周囲を見回していたものだから、この中で最も状況の把握ができるのは、間違いなくこの俺だった。

 だからきっと、誰も気付いていないのだ。俺だけが知っているのだ。


 ローガルとクラリナ、ビッグフットとの戦闘。その背後、『白』によって創造された巨大な壁の向こうに立つ、もう一人の男の存在を。


 赤い男だった。髪は赤、服も赤。そして――その手に持つ剣もまた、赤。

 男の位置はかなり遠くだ。目を凝らさなければとても見えない、山頂に近い位置にいる。

 それなのに、俺には男の悪意に満ちた笑みが見えた気がした。

 男が手に持つ赤い剣。ただの剣ならば、何が起きることもないだろう。だがその剣は、ただの剣ではなかった。


 ――『赤』。


 おそらくあれは、赤の五色剣だ。

 ルンゲルの剣士に、『赤』を持つものが存在すると噂では聞いていた。そして赤の五色剣は、赤の属性――炎・熱を司るのだと。


 もっと早くに気が付くべきだった。仮にビッグフットがルンゲルの生体兵器であるとするならば、それはまだ実用段階に至っていないテストの可能性がある。もし実用段階に至っているのなら、ビッグフットを量産して一気にレジスタンスを攻め落とすのが戦略として正しく当然のものだからだ。

 そして仮に、今回のこれがビッグフットの性能を試すためのテストであるなら、ルンゲルが最も恐れる事態はビッグフットを回収されること、そして、その技術を探られること。だからこそ、これがテストならばルンゲルは必ず準備をするはずだ。

 ビッグフットを回収、或いは破壊するための手段を。


 そしてその手段こそが、『赤』。


 五色剣『赤』が雪山に向けて振るわれることがあれば、どうなるか。馬鹿でもわかる。雪が溶ける、崩れる。雪崩が起きる。大切な家族が、死ぬ――。

 

 その時、誰かの悲鳴が聞こえた。クラリナのものだ。

 一体、どうしたと言うのか。俺の意識が『赤』から現実に戻ったとき、眼前にはビッグフットが立っていた。その腕が、俺の身体を薙ぎ払おうと振るわれた。


 咄嗟に誰かが俺を押し倒した。俺は致命傷を避けることはできたが、左側に並みならぬ痛みを感じた。雪が冷たい。なのに、左腕がどうしようもなく熱い。左側を見ると、俺の左腕はなくなっていた。

 その隣には、血に濡れたクラリナが倒れている。


「クラリナ、どうして……」


 俺は想定不足の事態に我を忘れたあまり、ビッグフットを近づけさせてしまった。そして俺を庇って、クラリナが。


 またか。また失うのか。どうしてだ、どうして誰もが俺を助ける。どうして誰もが俺を生かす。ああ、俺は確かに死にたくない、生きていたいとも。

 いくら目の前で人が死のうと気にならない。いくら部下を見捨てようと、俺はその屍を踏みつけられる。それはそいつの死であって、俺にはなんの関係もないからだ。だが――俺のせいで、或いは俺のために誰かが死ぬとなれば、話は別だ。


 俺は、どうしようもない孤独感に苛まれる。

 

 同じ飯を食った。同じ時を過ごした。同じものを感じ、同じものを乗り越えてきた。そのはずなのに、俺はどうしてもこいつらの気持ちがわからない。

 互いに自分のために戦うと誓っただろう。俺のために死ぬなと言っただろう。

 なのにどうして俺を庇う。どうして俺の代わりに死んでいく。

 理解できない。結局俺は、愛を知ったからといって、人の心がわからぬ『人に成りきれなかったナニカ』であるのだと自覚する。愛という概念は理解しても、結局その本質までもは理解しきれていないのだ。そして俺は、孤独を感じる。


 家族に会いたい。ユイラに会いたい、娘に会いたい。

 家族ならば俺の気持ちが分かる。あの平穏の中でのみ、俺は愛を知る人でいられる。

 もう、孤独は――人ではないナニカでいるのは、嫌だ。


「無事で、よかった――」


 血に塗れた手で、クラリナは俺の頬に手を添えた。

 クラリナは、笑っていた。痛いだろう、苦しいだろう、流れる血液はどう見ても致死量で、回復のための手段はどこにもない。きっと彼女の背後には、死神がいる。


 俺の目から涙が溢れた。アグスに続いてクラリナまでもが死んでしまう。そんな思いはあっただろうが、おそらくそれ以上に俺は怖かったのだ。この世界でただ一人、人の心が理解できない自分自身の感じた孤独が、怖かったのだ。

 俺の気持ちに気付いてか気付かずか、彼女は笑って、俺の目から流れる涙を拭った。


「泣いて、くれるのですか。わたしの、ために……ああ、わたし、それだけで――」


 ――とても、しあわせでした。

 

 そして、クラリナは動かなくなった。

 まだ、彼女の温もりが残っている。暖かい身体、暖かい掌、暖かい血。

 助けられなかった。俺が殺した。

 指が震える。俺の指は、静かにクラリナの手を俺の身体から離した。怖かった。理解のできないクラリナの行動が、俺にはどうしようもなく怖かった。アグスとクラリナ、二人の命が俺に預けられるような感覚に陥って、心臓が重く感じた。


 目の前にはビッグフットが立っている。俺に向けて、その棍棒を振り下ろそうとしていた。

 もう、いいか。俺が死ねば、こんな怖い世界から俺は解放される。きっと死の先に、これほど恐ろしい孤独はないだろうから――。


 棍棒が、振り下ろされた。

 ぐしゃり、とものを砕く音がした。


 ビッグフットが砕いたのは、クラリナの肉体だ。俺は咄嗟に横に飛び退き、棍棒による一撃を回避していた。


 死が怖かった。孤独が怖かった。家族に会わずに死んでいくことが、どうしようもなく怖かった。だから俺は、見苦しく、生きたのだ。


 自己嫌悪する。けれど同時、自分の心を奮い立たせる。部下は死んだ。だが、俺は生きている。ならば生きるべきだ。部下の最後を、部下の親族に伝えるためにも。俺が俺のために、家族のために生きるためにも。


 再び棍棒が持ち上げられ、そして振り下ろされた。今度は先ほどのようにはいかないだろう、あの棍棒に身体を砕かれる。


「うぉおおおおおおおおッ!」


 しかし棍棒が振り下ろされるより前に、ビッグフットの胸から剣が突き出した。青い剣、ローガルのラピスラズリだ。


「絶対に死なせねえ……これ以上、俺の大切な人は奪わせねえ!」


 ローガルはラピスラズリを押し込むように身体に力を入れたが、ビッグフットの肉体は人のそれを大きく凌駕した獣のものだ。激痛に悲鳴を上げることはあれど、ただの一撃では致命傷には至らなかった。

 ビッグフットはローガルの肉体を腕を横に振るって薙ぎ払い、胸の傷の痛みと怒りに咆哮する。

 その一撃によって十メートルほど宙を舞ったローガルは雪の上に落下するが、すぐに立ち上がった。今の落下の衝撃によって脳が揺さぶられ、また流血によって意識が朦朧とするのだろう。それでも、ローガルの瞳は戦う意志を失ってはいなかった。


「させねえぞ……隊長だけは、絶対に――」


 俺はローガルを見た。ローガルと戦うビッグフットを見た。

 ローガルはラピスラズリもなく素手で応戦しているが、戦闘技術はともかくとして、力では圧倒的にビッグフットの方が上だ、回避を中心として戦わざるを得ない。そしてビッグフットの方もまた、ローガルの攻撃を的確に回避して棍棒を振るっていた。


 最後に俺は、雪山に立って此方を見ている『赤』の持ち主を見た。

 どうやら赤は、まだこちらに手を出すつもりはないらしい。おそらくは、このビッグフットが倒されたときにのみ、後片付けに一仕事するだけなのだろう。俺たち程度では自分の敵ではない、そんな自負が見て取れた。


 とにかく、今は赤は放置してもよさそうだ。

 やはり問題は、目の前にいるあの化け物、ビッグフット。あれを倒すにはどうするか。思考を回す。回す、回す。

 そして俺は、ようやく奴に勝機を視た。

 

 そもそもの話、おかしかったのだ。どうして式術を無効化することができる。どうしてあれほどのスキルを使用できる。その力は、一体どこから来ている。

 まずそれを考えた俺は、一つの推測をした。

 

 あれは、式術を無効化しているのではなかったとしたら。そもそもの話、初めから白のスキルを使用していたのだとしたら、どうだろう。


 白は先も述べたように、光、そして創造を行う五色の一色だ。

 創造――すなわち、見えない鎧を創造していたのだとすれば、ヤツに式術が通用しなかった理由が説明できてしまうのだ。


 これまでどうして気付かなかったのか。奴が光を放った時点で気付くべきだった。アグスの死に動揺し、俺は冷静な状況分析を怠ってしまったのだろうか。

 何にしても、奴が白のスキルを使用していたことを鑑みれば、勝機はある。

 永遠にスキルを使い続けられる者などいない。ましてや、奴は三人の人間を閉じ込めるほどの巨大な壁を四方に創り出したのだ、残る力は少ないはずだ。


 その証拠に、ビッグフットはローガルの攻撃を受けず、回避に徹している。

 あと少しで、勝てるはずなのだ。しかし、ローガルもかなり消耗している。このままでは、先にローガルが倒れるだろう。勝機をつくる必要がある。

 ローガルが一撃を叩き込むための勝機だ。

 どうするべきか、俺は足りない頭で懸命に考えた。


 しかし俺が考えているその間にも、着々と戦況は更に悪化していた。ローガルがついに、ビッグフットを抑えきれなくなったのだ。ラピスラズリが弾かれ、そしてビッグフットはその武骨な棍棒をローガルに向けて振り下ろそうとしていた。


 ――死ぬ。やつが、死ぬ。


 脳裏には、なぜかナクラスの笑みが見えた。


 ――『お前の家族はペイソルに呼んでおいた。久々の再会を楽しむと良い』


 ここで化け物を倒せなければ、どうなる。レジスタンスでもこの化け物をどうにもできなければ、どうなる。――家族が、危機に晒される。

 それだけは許されない。もとより俺がレジスタンスに入ったのは家族のためだ。俺のため、家族を守るためなのだから。


 ここでローガルを死なせてはならない。


 俺は左胸に手を当てた。

 そこから何色とも形容できぬ光が放たれ、ディスクの力が解放される。

 このディスク部隊の誰もが知らない、極秘のルートで仕入れたものだ。常に左胸に隠して――俺が逃げるために準備していた、最後のディスク。

「アクセラレイション」のディスクだ。

 アクセラレイションは無属性のディスクだ、属性がないために誰にでも扱える。そしてその効果は、一時的な自身の行動速度の上昇。


 俺は、すぐにローガルの下へ辿り着いた。そしてローガルを突き飛ばした。

 目の前には、茶色の巨体がある。それが、銀の棍棒を振り下ろす。

 まるで写真のように、一枚、また一枚と俺の視界は棍棒に狭められていく。成す術など、あるはずもなかった。


 ――××××。


 嫌な音がした。まるで、卵が破裂するような音だった。

 俺は――俺の身体が砕ける音を聞いた。


      ☆


 誰かの声が聞こえる。

 誰かが、俺を呼んでいる。

 まるで、いつかの戦場のようだ。その時俺は、とある女を庇って倒れた。どうしてその女を庇ったのかは、自分にもわからなかった。俺が倒れたあと、その女は懸命に俺を呼んでいた。


 ああ……この声は。その赤い瞳は。

 ユイラ、お前なのか――。


 うっすらと目を開けると、そこには両目から大粒の涙を流すローガルの顔があった。

 全身が血に濡れてはいるが、どうやらローガルは無事らしい。もしかしたら、五色による加護が働いているのかもしれない。


 お前は優しいやつだな、ローガル。こんな俺のために、泣いてくれるのか。


 雪の上は、朱に染まっている。おそらく、俺の身体から流れ出たものだ。身体が痛い、意識が朦朧とする。それでも、後悔はなかった。


「だから、主役は嫌なんだ……」


 ローガルは誰に言うでもなく呟いた。

 誰も俺を庇わないでくれ。誰も、俺なんかのために死なないでくれ。いつかのローガルの言葉が蘇った。


 ――いや、それは違う。違うぞ、ローガル。

 俺は俺のために死んだ。俺が守りたいものを守るために、この命をお前に捧げたんだ。決して、お前のために死んだんじゃない。


「ちくしょう、ちくしょう! なんでなんだよ、なんで俺ばかり生き残るんだ! 俺は、俺こそ……」


 ローガルが俺の身体を抱きしめたその時、俺の目には赤の光が見えた。

 まるで、火山の爆発だ。そしてその赤の光は、雪山に一閃の瞬きを魅せた。

 ローガルはビッグフットを倒したのか。だから、証拠隠滅のため『赤』が動いた。

 赤の光によって切り裂かれた尋常ならざる量の積雪は、雪崩、或いは雪の解けた津波となって俺たちの前に迫った。


 あの災害を前にしては、レジスタンス本部は押し流され、成す術もなく破壊しつくされるだろう。それどころか、ペイソルにまで被害が及ぶ。それほどの規模だった。

 俺の家族の命を奪えるだけの力をもった災害が、迫っている。

 俺は震える指で山頂を指差した。悲しみに暮れていたローガルも、俺の意図を察したのだろう。背後を振り向き、そして絶句した。


「頼……む、――……」


 俺は最後の力を振り絞って言った。

 頼む、ローガル。あの雪崩を止めてくれ。

 そのために俺はお前を助けた。そのために俺は、この命の使い道を決めた。


 あの自然災害は、五色によってもたらされたものだ。俺には、アレを止める術がない。だがおそらく、ローガルには止める手段がある。五色剣『青』、ラピスラズリの所有者たるローガル・シーラーにならば、止められる。目には目を。歯には歯を。俺が雪崩を止めるために導き出した結論はすなわち――五色には、五色をもってぶつけることだ。


 見せてくれ、ローガル。俺たちの死は無駄ではないのだと、教えてくれ。

 ローガルは静かに、俺の身体を雪の上に置いた。

 そして立ち上がり、ラピスラズリを構える。


 俺はおそらく、酷なことを求めているだろう。ローガルという、ただ五色剣の所有者であるというだけの一人の人間に、レジスタンスを、そしてペイソルを救う英雄となることを望んでいるのだから。

 だがそれでも、お前にやってもらわなければならない。お前以外には、成せない。


 ローガルは大きく深呼吸をする。ラピスラズリが、青碧に輝きを放つ。


「うぁあああああああああああッッ!!」


 五色の使い手には、四つの段階があるという。

 預流(よる)一来(いちらい)不還(ふげん)応供(おうぐ)

 青の力はローガル曰く、最初の段階だった。それでも俺たちは十分な戦力であると認識していたが――対する敵の段階は、雪崩の勢いから見て、少なくとも第二段階へ到達していると考えるべきだ。


 ローガル、お前には、重過ぎるものを背負わせただろう。だが、無力な俺には、お前に懸ける以外に家族を救う方法がなかったんだ。


 ローガルの持つ『青』には、ありとあらゆるものを凍結させるだけの力があるという。そしてそれは、自然災害の時間ですら例外ではなく。


   ――奏刻之花摘(カルペ・ディエム)――


 雪崩という自然現象の『時』は、此処に凍結した。

 一人の男の手によって。


 膨大な量の雪、その一切が、木々を押し倒し、総てを飲み込みながら山を駆け下る行動を止め、ローガルの目の前で巨大な花の如き形を取って完全に停止している。


 これが、五色剣。これが『青』。

 凄まじいどころの力ではない。この力は、過剰表現でもなんでもなく、まさしく世界を変革させる力だ。ナクラスがローガルを贔屓をするのも頷ける。


 雪崩は止まった。家族の命が脅かされることはなくなった。

 そのことに安心した俺は、全身の緊張が抜けたのが分かった。それと同時に、麻痺していた感覚が身体に戻る。


 ――寒いな。


 残る僅かな意識をなんとかとどめて、俺は周囲を見渡した。身体はうまく動かなかったために、動かすのは眼だけになったが、それでも状況は理解できた。

 まるで、世界すべての時間が止まっているようだった。

 雪崩が、倒されたと思われるビッグフットが、先ほど命を落としたクラリナが。そして、俺の身体そのものが凍結していた。

 どうやら『青』を御しきれなかったローガルは、雪崩のみならず、この場に存在する全てを凍結させてしまったらしい。


 肩で息をするローガルが、『青』を杖のように扱って立ち上がる。ふらふらと周囲を見渡したあと、俺を見つけた。その目の瞳孔が、大きく開いた。

 すぐさま俺に駆け寄ったローガルは、何かにぶつかった。俺とローガルの間に存在する見えない壁は、先ほどローガルが創りだした氷の壁だ。必死で壁を叩くが、力を使い果たしたローガルにこの壁は破れなかった。


 俺には、氷壁が鏡のように見えた。

 鏡に映るローガルが、昔の俺のように見えた。


 ローガルは泣きそうな顔で氷を叩き、何かを言っている。まるで謝っているようだ。

 だがお前は謝る必要など何も無い。この場にいる全員が、己の命を犠牲にしてまで守りたいものを持っていた。そしてそれを、お前は最後に守ってくれた。

 感謝することこそあれど、恨む覚えはない。


 ああ、もしかしたら――アグスは、クラリナは、俺を庇って死んでいった者たちは、もしかしたら、今の俺と同じ心持ちであったのかもしれない。


 だから、泣かなかった。痛くても、苦しくても、それ以上にこみ上げる至福の感情の前には、それらはまるで意味がない。

 今の俺は、きっと笑っている。


 皮肉なものだ。人の心がわからず孤独に生きた男が、死にたくない、死にたくないと願って生き足掻いてきた男が、死の直前になってようやく人の心を理解したのだから。


 ローガルは泣いている。氷の壁を叩いて、氷の壁から俺を助け出そうと剣を突き立てる。だが、己の創りだした氷を砕けないでいた。

 

 いいんだ、ローガル。俺は俺のために、俺のやりたいことをした。だからお前も、お前のやりたいように生きればいい。

 レジスタンスの者たちを、家族を助けてくれて、ありがとう。

 そんな俺の声は、ローガルに届いただろうか。

 確かめたかったが、俺の目に映る景色は次第に白く染まっていって、ローガルがそこにいることはわかっても、どんな顔をしているのかがわからなくなっていった。

 そのうちに、ローガルの顔すらもが見えなくなった。


 ――ああ。なんだか。

 ――酷く、眠いな。


 俺は、静かに目を閉じた。


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