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『ロウリス=マギラエナ』


  Caput duo [ louris = magireana ]


 ある日、一人の新人が俺の部隊に配属された。


 俺が率いるのはレジスタンス第三小隊だ。小隊は基本的に三人一組で構成されるものだったが、俺の第三小隊は新人含め四人の小隊となった。


 レジスタンスとは、近年新しく建国された独裁国、ルンゲル帝国に対抗するための勢力だ。かつてルンゲルに奪われた王都、クラウス国の復活を主な目的として掲げている。

 そのためレジスタンスの多くは、ルンゲルに大切なものを奪われた者が多く所属していた。かく言う俺も、かつて住んでいたクラウスの家を奪われている。幸い家族を失うことはなかったが、戦う理由の半分には、復讐の心もあるのかもしれない。


 本命の理由は、決まっている。生きるためだ。愛する妻、愛する我が娘。大切な家族を守るために生きていくには、俺はレジスタンスに入るしかなかった。


 このレジスタンスという組織は、一人の絶対的なカリスマを持った男がまとめ上げている。その男の名はナクラスという。

 ナクラスは、恐ろしい男だった。

 ナクラスの年齢は、おそらく俺とさほど変わらない(あくまで外見を見て推測した年齢だ)。身長はそこそこだが、決して恵まれた体格ではない。争えば俺は確実に勝てるだろう。

 けれど――言葉でうまく言い表せないことがもどかしいが、とにかく恐ろしい男なのだ。やつの言葉には従わなければならない何かがある、奴の行く先には何かが存在する、あの男を敵に回してはならないと、心のどこかが警鐘を鳴らす。

 三百年前のガライン=メナには魔王と呼ばれるほど恐れられるラーバナという男がいたらしいが、俺が思うに、そいつはナクラスのような男であったのではないだろうか。

 噂では、ナクラスを敵に回したくないがためにレジスタンスに入った者もいると聞く。


 レジスタンスにおいて絶対的な権力を持ったナクラスは、一人の少年を大層気に入っている様子であった。

 その少年がローガル・シーラー。俺の小隊に新たに配属された。


 ローガルは少しばかり変わった少年だった。

 誰よりも明るい性格で、誰よりも人の心に共感し、誰よりも人の心の強さに憧憬する男だ。人の秘められた過去や武勇伝を好んで聞きたがるし、過去の陰鬱とした不幸自慢にも喜んで耳を傾ける。中でもローガルが特に好むのは、レジスタンスの奴らがルンゲルと戦う決意をしたその理由と過程だった。そのくせ、自分のことはあまり語ろうとしないのだから、不思議なものだ。


 だが何より俺がローガルを不思議だと思った理由は、『自分のために戦え、俺のために戦うな。例え命令であっても』――配属された初日、俺に向けて最初に告げた言葉がそれだったからだろう。


 当たり前だ、と俺はローガルに言った。

 俺たちは俺たちのために戦っている。己の都合のために戦っているのだ。家族のために命を捨てることがあっても、誰がお前のために死んでやるものか。例えそれが、ナクラスの命令だとしても。

 そう言ったら、「やっぱり、ここに所属できてよかった」とローガルは笑った。

 本当に、変わった少年だ。


        ◇


 ローガルが配属されることになった折、俺は一度だけナクラスに呼び出されることがあった。その席でナクラスは言った。「お前の部隊の新人を命をかけてでも守れ。そしてそいつを教育しろ」と。


 それからナクラスは、微笑を以て静かに俺の左胸に手を添えた。そのとき俺は、全身から冷や汗が流れた。生きた心地がしないというのは、あの事を言うのだろう。まるでナクラスは、俺が誰にも打ち明けていない秘密を、俺の心の内を知っているかのようだった。


『お前が誰より勇敢で、優秀で。そして、狡猾で薄情な、自分本位の男であると、わたしは知っているのだぞ――』


 俺の左胸に手を置き――いや、あるいは左胸に隠したものを知りえたうえで、ナクラスがそう言っているように見えた。


 俺はナクラスの命令に二つ返事で頷いた。頷くしかなかった。恐ろしかったのだ。柔らかに微笑むナクラスの眼は、俺に肯定以外の返事を許さないものだった。肯定以外の返事では殺されるのではないか、とまで思った。


 そうして、ローガルは俺達と共に過ごすことになった。

 ローガル・シーラーは風変わりな少年だったが、悪い人間ではないと思った。今どきの若者にしては根性があるし、なかなかどうして剣技も優れている。姉を助けるためにレジスタンスに入ったらしく、境遇も俺達と似通っていると思った。また性格も素直で明るいため、比較的早く俺達と打ち解けた。良い奴だ、と思った。

 だが、それでも。俺は。

 俺はローガルのために死ぬつもりはない――。


       ◇


 俺は王都クラウスという国の生まれだ。

 クラウスはガライン=メナの中でも王都と呼ばれるほどの大国の一つだった。国そのものは非常に裕福なものであったから、多くの孤児を引き取る余裕もあった。そんな孤児の一人が育ったものが、この俺、ロウリス=マギラエナ(旧姓:メメラウス)だ。


 クラウスには孤児を引き取る孤児院なるものが存在し、また孤児院の中には学校施設もあったものだから、俺はものを学ぶことができた。しかし俺はどうも、勉強というものに馴染むことができなかった。だから俺は、孤児院を出る年齢になる頃には仕事を探していた。


 俺は頭を使うことが嫌いだった。けれど、身体を動かすことは好きだった。だから俺は力仕事を中心に行う職に就いた。あれはいい、ものを運ぶだけで金がもらえるのだから。

 そんなある時、クラウスは戦争を始めることになった。


 相手は、近年台頭してきたルンゲル帝国とかいうよくわからない独立国家だ。しかしルンゲルのやり方を見てみると、どうも昔からクラウスを落とすために水面下で動いて来たような節があった。クラウスは負けるかもしれない、俺はそう思った。


 しかし世間の反応は俺の考えとは違った。

 クラウスは裕福な国で、他国にも助力を惜しまない、有り体な言葉で言えば、助け合いを理念にしたような国であった。またガライン=メナの中でも最大の武力を有する国でもある。

 そのため、『王都に数えられるクラウスほどの大国が、近年台頭したばかりの独立国家に負けるわけがない』どの国も口を揃えてそう言った。それを聞いて、クラウスの民の全員も口を揃えて言った、「我が国が負けるわけがない」。


 戦争反対、それを唱える者たちは少数であったが存在した。一部の知識人もそれに参加していた。けれど俺は参加しなかった。反対を唱えたところで、聞き入れられるわけがないと思っていたからだ。


 この世にはどうにかなることが沢山あるが、どうにもならないことだって沢山ある。どうにかなることなら俺は幾らでも努力してやるが、どうにもならないことを努力することほど無駄なことはないと思っている。そして俺のどうにかなるかどうかという判断は勘で行うが、俺の勘はだいたい当たるのだ。

 

 少数の反対意見に耳を傾ける余裕もなく、クラウスはルンゲルと戦争を開始した。


 俺はクラウスの兵に志願した。俺がこれまで単純な力仕事をしていたのは、ひとえにクラウスの兵になるには試験勉強が必要だったからだ。本来俺は、力仕事よりも喧嘩の方が好きだった。敵を殺すということには抵抗がないこともないが、敵は敵だと割り切ってしまえばそれほど苦でもない。なにより、兵の方が給料がよかったのだ。戦争中ということから、俺は簡単にクラウスの兵になることができた。


 剣の訓練をした。相手を殺す術理を学んだ。そして戦場で、敵を殺した。


 敵にも家族がいただろう。悲しむ相手がいるだろう。帰るべき場所があるだろう。

 ――だが、俺にはそれがない。

 家族はいない。帰る場所もない。生憎、物心ついた時には孤児院で孤立無縁だった。

 好きな女も、これといった友人もいない。ただ、戦友だけは俺が死んだら一日だけ悲しんでくれるかもしれないと思っていた。だが、それくらいのことはどうでもよかった。

 俺には、なにもないのだ。

 だから殺せた。愛を知らないから殺せた。誰かが泣こうが悲しもうが、俺にはその感覚がわからなかったのだ。戦友が死んでも、誰が死んでも、必ず誰かしらがその死を悲しみ悼んでいたが、俺だけは結局一度も涙を流すことはなかった。別に涙を堪えていたわけじゃない、ただ涙がでなかった。それだけのことだ。

 

 思えば俺は、それまで他者のための涙など流したことはなかったのかもしれない。


 戦争が始まって数年、クラウスは敗走を続けていた。

 俺の周りの兵士たちは、ことごとく死んでいった。最初に同じ釜の飯を食い、共に戦場を駆けた戦友たちはおそらく皆死んだ。流石の俺も、これには少しばかり悲しいと思ったことをよく覚えている。

 そんな頃、俺は一人の女を助けることになる。


 戦争が始まって数年、ルンゲルの進行を許したクラウスは多くの兵を失っていた。それからしばらくは看護施設を拠点としての迎撃戦に徹することになった。この籠城ならぬ籠院作戦はおそらく、多くの人を救いたいという王の意向やクラウスの国柄もあったのだろう。俺は愚策だと思ったが、その作戦は誰もが当然のことのように受け入れた。

 その時期にもなると、俺は指揮官として抜擢され、新米兵士を連れて籠院作戦に参加し、とある看護施設の守護に付くようにまで出世していた。


 そして、ルンゲルの攻撃に遭った。

 

 看護施設を狙って攻撃してきたルンゲル兵士を止められる者は、その時の護衛隊にはおらず、多くの医師や怪我人たちの命を奪われた。ほとんどの兵士は新兵であったために敵の奇襲に腰を竦ませていたのだ。そんな状況下で俺は、彼ら新兵のように恐れるというよりは、むしろ焦っていた。

 この看護施設を落とされることがあれば、しばらくはロクな治療が受けられなくなってしまう。そうなれば、必然的に俺が死ぬ確率も高まる。それはごめんだった。


 必死で敵を倒していく中で、俺は胸に風穴を開けることを代償に一人の女を助けた。

 ユイラ=マギラエナという、透き通るようなラベンダー色の髪を一つにまとめ、優しく胸まで流した落ち着いた雰囲気を持つ看護婦だった。


 ユイラは見てくれが良かったからだろう、一部の兵士からはマドンナと称されることもあった。だが俺はそうは思わなかった。他の男どもはあの女の大人しい部分しか見ていないのだ。

 あの女はディスクを使用した治癒は得意だが、それしかしてこなかったせいで包帯を巻くのがやたらと下手糞だったし、戦場での俺の行動にいちいちケチを付けてくる。お互いに顔を合わせれば口論になる険悪な仲であったのだが、やたらと俺の治療の担当になるものだから、治療の度に騒ぎを起こしていた。

 酷いときは、二人揃って看護施設を追い出されたこともあるほどだった。


 そんな日々の中、ユイラは一度だけ、いつもの文句とは違う真面目な問いをしたことがあった。

 

 ――あんた、死にたいの?


 そんなことを真面目に聞かれたものだから、俺は腹を抱えて笑った。


 死にたいわけがない。痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ。誰だってそうだ。ただ俺は家族も大切な人もいなかった。愛というものをよく知らなかった。だから人よりも痛みに慣れていて、人よりも苦しみに慣れていたのだろう。俺の心は、周りの兵士ほど荒んではいなかった。


 それを告げたら、ユイラは悲しそうな顔をして涙を流した。

 あの時の俺には、ユイラがどうして泣いたのか、ついぞわからなかった。ただ俺が何かをしたのかと、おろおろするばかりだった。


 だが今にして思えば、普段は涙を決して見せない強情な女が見せる涙――それを見て、不謹慎な話ではあるが、俺は初めてユイラに女を見たのかもしれない。


 それから数か月が経った。クラウスの敗北が続いたせいで、ナムレッグ、ボルシス、コランダムといった他の王都に亡命するクラウス民もいた。確かその頃に、ナクラスを中心としてレジスタンスも結成されたのだったか。

 ルンゲルは既に、クラウスのみならず、多くの国にも恨みを買っていたのだ。

 しかしレジスタンスが結成されたからと言って、すぐに形成が好転するわけではなかった。それどころか、誰もが明日の行方も知れないクラウスに絶望し、指揮は格段に低下していたのだ。


 俺は一応クラウスに身を捧げたという建前の一兵隊であったが、クラウスのために命を投げ出せるほど愛国心に満ち満ちてはいない。国を捨てた他の薄情者と同じように、俺もそろそろ他国へ亡命するべきだという考えが頭をよぎるようになっていた。


 だが、この俺が亡命してどうする。


 俺には家族がいない。帰る場所も何も無い。もちろん愛国心もないから、この国を捨てることになんの未練も後悔もないが、それでも一つ、戦場を離れがたい理由があった。


 ――俺は、なんのために生きるのだろう。


 理由がないのだ。戦う理由はある。けれど、逃げる理由が、生きる理由がないのだ。


 あるとき、俺の部隊の一人が言った。みんなで此処から逃げようと。すると、兵士の多くもそれに頷いた。おそらく、俺以外の全員が頷いたのだと思う。皆はそれぞれ、親戚や知人のつてであったり、或いは新居を構えるための資金だったりと、既に亡命するための準備を整えていた。


 本気で亡命を考えていないのは、俺だけだったのだ。


 だが、兵士たちを軟弱者だとは思わなかった。それどころか、羨ましいとまで思った。国を裏切ってまで生きる理由のある彼らが、たまらなく羨ましかった。


 おそらくその時の俺は、悔しかったのだろう、虚しかったのだろう、他の誰もが持っているものを、自分一人だけは持っていないという事実が。

 そしてなによりも、生きる理由のない自分に生きる価値を見出せないことが、どうしようもなく苦しかったのだ。


 俺は亡命しないことに決めた。クラウスで一人、敵と戦って死ぬことに決めた。

 他の兵士たちは笑顔で送り出すことにした。多くの医師たちも、兵士たちに習って亡命をするらしい。事実、クラウス国王の意向で他国への逃亡は自由であるとされていた。王もおそらく、その頃にはクラウスの敗北を悟っていたのだと思う。戦争を始めたのはルンゲルの攻撃がキッカケであったが、戦争を始めると宣言したのは国王だ。だからせめて国民だけは助けようと、己の命を投げ出す覚悟で国王は逃亡を許可したのではないだろうか。


 俺は、手を振って人々を見送った。そして、どこかの戦場で命を捨てようと思っていた。戦場を見つけるためには、一度国からの指示を受けるために王都クラウスの首都、クラウスに戻らなければならない。

 そのための支度を進めていたとき、一人の女が戻ってきた。ユイラだった。

 国を出るんじゃなかったのか。俺が問うと、ユイラは首を横に振った。


「ロウリスも一緒がいい」


 意味が解らなかった。俺は困惑することしかできなかった。

 どうして、俺なのだろう。

 それを問うと、ユイラは「ロウリスはわたしを助けてくれたから」と言った。しかし俺だって、ユイラに何度も治療されて助けられている。ユイラの治療に文句を言ったのは確かだが、その治療に感謝していたこともまた確かなのだ。

 それを言うと、ユイラは言葉を詰まらせた。

 気まずい沈黙の後に、静かに告げた。


「ロウリスに生きてほしい。ロウリスに、隣にいて欲しい」


 今にして思えば、彼女はとんでもなく勇気を振り絞ってその言葉を告げたのだろう。しかしまるで意味の解らなかった俺は、阿呆みたいに首を傾げることしかできなかった。

 そんな俺の両頬をひっつかみ、ユイラは無理やり唇を重ねた。

 あまりにも勢いに乗った接吻であったから、ユイラの歯が俺の歯とぶつかった。俺のファーストキスはとてもぎこちなく、不器用なものになった。


 しかしそれでも、俺は何が何だかわからない。不意に受けたキスに動揺して、俺はあろうことか、「お前は俺のことが好きなのか?」と言ってしまった。


 ユイラは顔を真っ赤にして、「最低!」と俺の頬にかつてないほど強烈なビンタを加えた。その後に俺を両手で押して、倒れこんだ俺の上にのしかかった。

 憤怒したユイラは散々俺を罵って、叩いて、最後に、女らしい声で告げた。


「嫌なら、拒んでいい」


 再び唇が重なった。不快ではないが、好むようなものでもない。ユイラを拒もうと、彼女の肩に手を添えた。けれどユイラは俺から離れまいと、渾身の力で抱き付いた。


 俺を本気で心配してくれる人が、必要としてくれる人が、此処にいた。それを理解しただけで、俺はどうしてもユイラを拒むことができなかった。


 胸がとても熱い、瞳には握り潰されそうなほどの痛みと熱があった。けれど、苦しくはない。むしろ、心地の良い痛みだった。


 知らない。こんな感情を俺は知らない。


 目が熱くなる。その熱さを冷やすためだろう、暖かい水が零れた。

 一度零れたら止まらなかった。水が流れ続けた。

 そのとき俺は、泣いていた。


 どうして泣いたのかはわからない。けれど、俺は大切なものを手に入れたと思った。

 人に愛されることを知った。人に必要とされることを知った。

 生きる理由を、手に入れた。


 俺はユイラと共に亡命した。家族も行く当てもなかった俺は、ユイラの家族と共にヨルタという場所で生活することになった。幸運なことに、ユイラの家族は「娘が選んだ男だから」と俺を快く受け入れてくれた。


 ヨルタはクラウスとは違って、それほど裕福な所ではない。技術もそれほど発展はしていない上に、水の枯渇した田舎であるため、必然的に若い男の力が必要だった。

 俺は働いた。俺のために働いた。人のためにも働いた。――そのうちに、そんな日々に幸福を感じるようになっていた。


 気付けば、俺はユイラを誰より大切に思うようになっていった。


 俺とユイラは愛し合った。やがて結婚し、子供が生まれた。娘だ。

 どこの家庭でもありふれた光景だろう。だがそれでも、俺にとっては特別だった。

 俺を大切だと思ってくれる人がいる。俺を必要としてくれる人がいる。俺の死を悲しんでくれる人がいる。

 守りたい。そんな当たり前を守りたい。俺はそう思うようになっていった。


 やがて静かに決意した。俺は二度と兵士にはならない。戦争にはいかない。誰とも殺し合わない。ユイラと、娘と、義父義母と、静かに生きていく。


 その頃のクラウスはと言えば、やはり負け戦を続けていた。国民を少しでも生かしたい、助けたい、自己犠牲の精神を持つ国王の意向から、少なくない兵士や民が亡命してしまったのだ。一部はレジスタンスの一員となり、一部は他国に協力を要請したりと、亡命した者たちは亡命してなお愛国心を捨てきれず、或いは王の行いに心打たれ、各々の力が存分に発揮できる場を探してその力を振るった。

 これまでの王の行いが、多くの者たちを動かしたのだ。

 また、王を中心としてクラウスへ残った者たちも、最後の最後まで諦めずに戦った。だが、負けた。遂に首都クラウスは落とされ、クラウスは――否、ガライン=メナは、ルンゲル帝国に決定的な敗北を刻んだ。

 王都クラウスであったはずの土地は、ルンゲル帝国と呼ばれるようになった。


 子供が大きくなった。年を重ねて、学校へ通い始めた。


「わたしのゆめはね、いつかきっと、このヨルタをみどりでいっぱいにすることなの!」


 ついこの間まで両手をついていたのに、気付けば両足で立ち、気付けば言葉を話し、そして気付けば、己の夢を持ち、そのためにものを学ぼうとしているのだ。

 年月の経過、そして愛しき我が子の成長に、言葉にできない感慨が胸にあふれて、不意にも俺は、己が人生を振り返った。


 俺もかつては、この娘のように赤子であったのだ。孤児院という場ではあったが、親代わりの者たちに育てられ生きてきた。おそらく俺は、多くの人から愛を受け取っていたのだ。でなければ、こうして生きていることも叶わなかっただろう。

 俺を育ててくれた人たちへの、感謝の念が溢れた。

 次いで俺は、かつての戦友たちを想った。


 もし彼らが生きていたのなら、今の俺と同じように家庭を築いていたのだろうか。


 それを思うと、堪らなく悲しくなった。

 あの男たちが何か悪いことをしたわけでもない。戦いに負けて死んだ、それだけなのだ。なのに俺はこうして幸福を手にして、男たちは幸福を知らぬままその命を落としている。片や死に損ねた自分、片や死んでしまった男たち。そこに、一体何の違いがあったという。


 自分の命を想った。自分を育ててくれたクラウスを想った。

 男たちを想った。共に戦った男たちの死を想った。


 そして我が母国クラウスの地を荒らし、若き男たちを殺した、ルンゲルを想った。

 憎くはない。ただ、悲しかった。悔しかった。


 もしあの戦争がなければ、俺は幸せになれただろうか。

 もしあの戦争がなければ、男たちは幸せになれただろうか。


 それはわからない。だが、もしあの戦争がなければ俺はユイラと出会うことはできなかったかもしれない。別の女と出会っていたかもしれないし、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない。何を思おうと、それはあくまで仮定(イフ)の話だ、意味がない。

 だが、一つだけ無視のできない仮定があった。


 ――ルンゲルがいる限り、このヨルタも同じことになるのではないだろうか。


 俺は戦場を思い返した。あれはまさに地獄だ、人が鬼と成り、修羅と成り、ただただ屍の山ばかりが築き上げられていく。とても、恐ろしい場所だ。

 それでも俺は、いつか決めた誓いを――『戦争にはいかない』という誓いを自ら捨てた。

 この手に再び剣を執った。


 それは決して、復讐のためじゃない。死んでいった者たちのためでもない。

 もし可能性があるにも関わらず、何もしないことで俺の大切な家族が傷付くことがあれば、俺は俺を許せなくなるだろう。俺は、俺が俺であるために、俺の居場所を守るために戦う。他の誰の為でもない。俺自身のためだ。


 だから俺は死ねない。死ぬことは俺の勝利ではない。生きて、生きて、生きて、みっともなく生き足掻いて、笑われようと、貶されようとも戦う。

そう決めた。


 やがて俺はレジスタンスに入った。

 レジスタンスには、たくさんの若い男たち、中には女までもがいた。


 俺には守らなければならない家族がいる。俺には、家族の次に大切な自分の命がある。そしてその次に、かつて死んでいった男たちへの想いがあった。

 死は悲しい。死は辛い。それは自分が死ぬことであっても、或いは、自分の見知ったものが死ぬことであっても。


 俺は、レジスタンスの奴らを大切にした。


 戦場に立ち入る以上、いつかは死ぬ。それは絶対だ。だからせめて、若者たちが幸福であれるよう、若者たちが己のために生きられるよう、俺は口癖のように言った。


 お前たちは俺を守らなくていい。お前たちはお前たちのやりたいように生きるが良い。


 これを言うと、大方の部下は変な顔をする。

 それが嫌だったから、酒の席でのみ、これを言うことにした。

 そうしたら、案外受けた。変な話だ、俺は至って真面目に言っているというのに。


 俺は、俺のために生きる。戦場において俺は最善の策を考えるが、それでも俺はお前たちのためには死んではやらない。俺の都合のために、お前たちを捨て駒にすることもあるだろう。だから、俺の命令を聞く必要がないと思ったときは無視していい。生きたいと思うなら生きろ。幸福になりたいと思うなら幸福を探せ。強くなりたいのなら強くなれ、敵が憎ければ敵を倒せ。人を戦う理由にしてはならない、自分の心で決めろ。


 ――自分のために戦え、俺のために戦うな。例え命令であっても。


 俺は常にそう言ってきた。

 なのに変だ。俺が戦場で殺してしまった部下や戦友たちの一割近くが、俺を庇って死んでいったのだ。

 確かに俺は死にたくない、庇ってくれて有り難いとも思う。家族の悲しむ顔を見ないで済むし、もう一度家族の笑顔に出会えるからだ。

 しかし反面、その男や女たちにも家族はいるのだ。大切な人はいるのだ。そいつらが泣く。そいつらが悲しむ。俺は、それが嫌だった。だから俺のことは助けず、自分たちのために戦えと言ったのに、奴らは皆、口裏を合わせたかのように同じことを言った。


「あんたを、助けたかったんだ」

「キミは、死んではいけない人だから」

「お前を助けられたなら、この命にはそれなりの価値があったんだろうよ」

「僕にはみんなを救えない。しかし貴方には、救えるものがある」


 奴らはみんな、自分のために俺を助けたのだという。

 意味が解らない。自分のために他人を助けるとはなんだ。俺がお前に何をした。俺はお前に何も与えていないし、何もしてやれなかった。俺はただ、命令を与えてお前たちを手足のように扱い、俺のために勝利を掴んできただけだ。


 とある戦場で、人としての扱いを受けられずに迫害された浮浪者たちがいた。

 その浮浪者の一人は、若いが性格のねじ曲がった乱暴者で、大層腕の立つ赤い髪と犬歯が特徴的な男だった。名を、アグス=マガルジアという。

 アグスと仲間の浮浪者たちは俺たちレジスタンスの財や食料を狙って幾度も襲ってきた。しかしその度に俺たちは撃退した。だが、殺すことはしなかった。


 否、殺さなかったというよりは、殺せなかったのだ。もし俺の生まれた場所がクラウスでなかったら、俺も彼のようになっていたかもしれなかったからだ。

 アグス=マガルジアは、まるで仮定世界のロウリス=マギラエナだった。

 

 そんな折、戦場におけるルンゲルの敵兵がアグスたちを攻撃した。


 こいつらはクズだ、人としての教育を受けることのできなかった、人の成りそこないだ。だから殺してもいいのだ、と奴らは言った。俺はそれが許せなかった。生まれで総てが決まるなど間違っている、死んで当然の命などあっていいわけがない。

 結果として、俺はアグスを助けた。それをきっかけに、アグスはレジスタンスに入ったことを後で知った。


「アンタは初めて俺を人間扱いしてくれた。俺を助けてくれた。この借りは、必ず返す」


 そんなアグスに俺は、いつものように言った。お前はお前のために生きろと。

 アグスは泣いた。俺を本当の意味で人間として扱ってくれたのはお前が初めてであると言って、泣いた。やがてアグスは、俺の友となった。


 ルンゲルのとある兵器工場を強襲したときのことだ。兵器工場を営んでいた幹部の一人は大変強欲で、また異常な趣味趣向を持った男だった。彼は違法で行われた人身売買によって幼い少女たちを集め、己の専属の使用人としていたのだ。また一部の少女を相手にやましい行為にも及んでいたようだ。男に怯える少女たちが、そこにいた。


 俺は痛ましくなった。その少女たちは、本来なら学校へ行き、ものを学ぶべき年齢だ。なのに学校へも通わされることなく、男の身勝手な欲望を吐き出すための道具にされていたのだ。俺は少女たちの前で、男を殴った。こんな男のために自分の幸せを捨てることはないという意味を込めて、本気で殴ってやった。しかしそれだけでは傷付いた少女たちの心を救うことなど叶わなかった。何人かの少女はこれまで与えられた男に対する恐怖を拭いきれず、自殺した。まだ幼かった何人かは、両親の下へ戻る、或いは、心優しき者たちの養子となって引き取られた。


 その中で一人だけ、行き場のない少女がいた。


 その少女は貧乏な親に売られ、男の下へ辿り着いたばかりであったという。男には何をされたわけでもなかったが、己を愛してくれると信じた親に売られたという事実は、少女の心を深く傷付けていた。助けてやりたいと思った。

 だから俺は言った。俺と来るか、と。


 少女には名前がなかった。親に付けられた名はあったが、それは彼女の住む地域では数字の5を意味する「フィア」という名だった。


 唯一残った名が、番号であるなど悲しすぎる。だから俺は彼女に名前を付けた。「クラリナ」と。これは、どこかの神話に登場する神の名前だ。不幸な生まれではあるが、物語の最後には己の幸福を手にする女神の名である。

 苗字には、俺の旧姓である「メメラウス」を仮として与えた。一応はクラウスの苗字であるから、この姓があれば嫁入りの際に問題が起きることもないだろう。そして嫁に行ったあとには、新たな姓を名乗ればいい。

 五番という名の奴隷の少女は、クラリナ=メメラウスという名の人間になった。


 俺は彼女に仕事を見つけてやりたかったが、彼女は「貴方と同じ仕事がしたい」と言った。クラリナはレジスタンスに所属し、その実力を買われて俺の部下となった。


 クラリナを部下にしてすぐの話だ。俺はついに、小隊長を任されるようになった。また俺の部下として宛がわれたクラリナは、まだ十五の少女でありながら身体能力や戦闘センスは抜群であり、特に柔術、射撃術、隠密行動などを得意とする優秀な兵士となった。多くの兵士が死んでいく中で、クラリナだけは俺と共に生き延びてくれた。

 いつか、ルンゲルが滅びたその日には、愛する男と添い遂げて、俺よりも長く幸せに生きてほしい――そう思った。

 

 数カ月が経って、アグスが俺の部隊に配属された。

 どうやらアグスは俺と出会ったあと、何とかしてレジスタンス本部までたどり着き、そしてレジスタンスに加わりたいとナクラスに直接申し出たらしい。ナクラスを前にものを申せる者は、ただの馬鹿か、よほど度胸の据わった者だけだと思う。アグスは後者の人間だった。


 こうして俺たちの第三小隊が誕生することとなった。

 

 第三小隊隊長として、俺は戦った。時に俺は他の小隊をも率いて戦うこともあった。逆に、大隊長の指揮の下、特攻に近しい殿(しんがり)を務めることもあった。

 数多の敵を殺した。数多の味方を見殺しにした。

 日々を刻んだ。戦いの日々を刻んだ。

 多くの人々たちの死を、この胸に刻んだ。

 俺はその死を踏みつけ、俺自身が先へ進むための糧にした。


 そうして生きてきた中で、俺がいつも部下に向けるものと同じ言葉を、俺自身に向けた男がいた。


「あんたたちは自分のために戦ってくれ。俺のためには戦わないでくれ。例え、それがレジスタンスリーダーの命令であっても、従わないでくれ」


 奇しくもそいつは、俺と同じ小隊に所属する男だった。


 当たり前だ、と俺は叫びたくなった。

 俺は俺のために戦っている。俺の都合のために戦っているのだ。これまで何人の部下たちの死を目の当たりにして、その屍を何度踏みつけたと思っている。今更この生き方を変えられるわけがない。家族のために命を捨てることがあっても、誰がお前のために死んでやるものか。例えそれが、ナクラスの命令だとしても。


 それとも――なあ、ローガル。お前はもしか、死にたいと思っているのか。

 誰かのために自分が犠牲になることが、かっこいいことだと思っているのか。俺を庇って死んでいった者たちのように、お前も俺のために死にたいと思っているのか。


 だとしたら間違っている。お前はきっと、間違っている。

 お前のような人間こそ、他人ではなく、自分のために戦うべきなんだ。


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