『第三小隊』
Ars nova Carpe diem
Episode If ‐Alea iacta est‐
Caput unus [ team ]
俺の率いる第三小隊の現在の任務は、レジスタンス本部より北部の監視、及び食料調達における護衛である。もっとも、本部は南を除いて周囲がほぼ海であることから、監視は他の隊にも任されることが多い。護衛任務にしても、毎日食料を調達するほどではないので、実質しばらくが休日のようなものであったのだが、俺はそれに加えてレジスタンスリーダーから直々に休日を受け賜わった。
それも、俺がレジスタンスに所属して以降、初めてと言える数日間の休日である。
レジスタンスのリーダーが何を考えているのかはわからないが、曰く、『私の突然な難題を聞いた礼、そして普段より勤勉なお前への褒美として受け取ってくれ』とのことである。
しかしこれまで休みという休みを得ることなくレジスタンスの一員として働いてきた俺からしてみれば、いきなり職を失ったようなものだった。
時間があるなら、久々に家族に会おうとコランダムへ向かおうとも思ったのだが、むしろ家族の方がレジスタンス本部の近くまで来てくれるという話だ。どうやらリーダーが俺の休日のことを家族に伝え、しかも交通の便まで図ってくれていたというのだ。
ここまで至れり尽くせりであるとむしろ怪しくも思うが、人の好意を疑うなど恥ずべきことだろう、俺はその好意を受け入れることにした。
しかし家族がここまでくるということは、俺には移動の必要がなくなるということである。ペイソルに着くのはあと数時間という話だから、結果として俺は暇を持て余すことになってしまったのだ。
だから俺は、手の空いた小隊の部下を引き連れて外に出ることにした。
レジスタンスの新人が俺の部隊に配属されて、およそ一ヵ月が経過した。
一ヵ月。長いようで短いその期間は、俺の所属するレジスタンスという組織において、多くの人間が試される試験期間のようなものだと俺は認識している。一ヵ月もあれば、どこかしらで敵との戦闘が起り得るものだ。仮に人間との戦闘がなくとも、食料調達のための護衛任務などで魔物に遭遇すれば、それは立派な『命を懸けた戦闘』となる。
レジスタンスの本部は雪山の中だ、魔物も多く生息しているため決して安全な場所とは言えないが、それは逆に敵から身を守るにも適した地形であるともいえるのだ。
そんな所で一ヵ月も生活を続ければ、人は生きるための経験を積む。その経験を積むことなく死んでしまってはどうしようもないが、しかし経験を積むことができれば、生存率は大きく上がる。だから俺は、最初の一ヵ月を乗り越えた部隊の新人には、仲を深める以外にも、生き延びた祝福の意を込めて歓迎会を開くようにしているのだ。
歓迎会の内容は至ってシンプルだ。雪山の頂上にあるレジスタンスの演習場で、新人は部隊の全員(俺の部隊では、俺を含めた三人だ)をそれぞれ相手取り、そして演習で何かしらの結果を残したあとは、雪山を下った場所にあるペイソルという場所(かつては村であったが、一年ほど前に襲撃を受けて壊滅してしまった。かつてあった民家は残っているので、現在は主にレジスタンスメンバーの憩いの場となっている)にある小さな酒場で晩酌をする。そして、その席で語るのだ。
己の幸福を。己の未来を。そして、己の大切なもののことを。
新たに俺の部隊、第三小隊に配属された新人――ローガル=シーラーは、第三小隊恒例の歓迎会の噂をどこかで耳に入れたらしく、非常に楽しみにしていた。もとよりローガルという男は、明るい男だ。宴会やらなにやらといった『無礼講』という言葉が飛び交う行事を好みそうであったから、俺もローガルの歓迎は派手にしてやろうと決めていた。
しかし、歓迎会を執り行おうと演習場へ向かった俺たちを出迎えたのは、そこに存在するはずのない、一つの脅威だった。
先も述べたように、レジスタンス基地周辺には魔物が多い。多くは犬型――俺たちは山犬と呼んでいる――のものだ。山犬は犬と呼ばれる動物と酷似しながらも、非常に兇暴性が高く、人も襲う。雪山に生息しているにも関わらず、体毛が雪に紛れることに適した白ではなく茶の色をしていることからも、その存在の異常性、そして危険性がうかがい知れるというものだ。また、山犬は他のイヌ科の動物と異なり集団で行動することは少ないが、それでも遭遇すれば危険であることには違いない。
だが、現在では脅威というほどのものではなくなっていた。
ここ最近に生まれた技術の中に、『ディスク』というものがある。
本来『呪術』というものは長い時間をかけて習得するものであるが、このディスク――正式名称はスキルディスクというのだが――これを使用することで、人は才能の有無に関わらず呪術を扱えるようになる。
また、ディスクを用いて発現する呪術のことを『式術』という。
呪術などと大層な命名をされてはいるが、式術の基本は人を呪うことではない。式術によって再現可能なのは、『赤』『青』『黄』『緑』『白』『黒』『無』の七つの属性を持った魔術的要素からなる攻撃・守護・補助の三つのみである。わかりやすく言うならば、式術とはつまり、呪術の模倣品だ。簡潔に言うならば、凡人の手に収まるようリサイズされた魔法のようなものである。
そのディスクが出て以降は、山犬は危険ではあっても、脅威の対象ではなくなった。
ならば、俺たちの前に現れたものの何が脅威であるのか。
――わからない。
俺にはわからない。わからないが、わからないからこそ脅威なのだ。
演習場へ向かった俺たちの前に現れたのは、巨大な生物だった。
その生物は全身を茶色の皮膚で覆っていた。毛ではなく、甲皮でもなく、人を思わせる皮膚だ。これを野生の生物――それも雪山に生息する生物であるとすると、異常といっても言葉が足りぬほどの異質なものだ。
普通、雪山に生息するとなれば白い体毛で周囲の動物から姿を隠し、厚い毛で寒さを凌ぐ。魔物である山犬はこれに当て嵌らないが、しかし茶色とはいえ厚い体毛で身体を寒さから守っている。
だが、ソレは違うのだ。皮膚だ。毛がないとは言わないが、あの毛では寒さは凌げない。であればやはり、本来、雪山に生息するものではないのだろう。
ならば一体、ソレはどこから来たモノか。先も述べたが、レジスタンス本部は南を除いて海に囲まれている。俺の目の前に現れたソレを見ても、鱗はもちろん、ヒレや水かきもない。となれば、海から来たモノであるとも考えにくい。
加えて、それは二足歩行をする。頭には毛がある。何より、手には鉄らしきものでできた巨大な棍棒を握りしめている。
――まるで、人のようだ。
敢えてソレを言葉で表そうとするのなら、ビッグフットといった所か。
ビッグフットとただ遭遇するだけならば、それは脅威に値するほどのものではないだろう。むしろ人によっては、ビッグフットという存在に遭遇した己の貴重な体験に歓喜し、ビッグフットと仲良くしたい、或いは研究したいと思う者もいるかもしれない。俺たちからしても、如何な巨大生物――或いは魔物――であっても、脅威とまでは言わない。俺たちは演習に向かおうとしていた、すなわち、戦うためのすべを所有していたのだ。当然、ディスクも何枚か所有している。
それでも俺がビッグフットを脅威と呼んだ理由。それは実に簡単だ。
俺たちを目にした瞬間、ビッグフットは躊躇なく俺たちに襲い掛かってきた。それはつまり、ビッグフットが人を狙って襲うことを意味している。
そして脅威の理由は、もう一つ――。
「アグス!」
俺の声から、如何な指示であるのか察したのだろう。第三小隊に所属する一人、野性味溢れる赤髪の青年アグスが、犬歯を覗かせるほど大きく口を開いて叫んだ。
「おうよォ、ファイア!」
アグスの掌から発せられた高温度の光弾が雪上を走り、俺たちを害そうとこちらに向けて疾走するビッグフットに着弾し、爆発を起こす。
ファイアは火属性の式術の中でも最も弱いものだが、熱に弱い相手には十分すぎるほどの力を発揮する。相手が雪山などの寒地に生息するものであれば尚更だ。
しかしアグスの放った光弾によって発生した爆風を薙ぎ払うように、ビッグフットは煙の中央を何食わぬ顔で走り抜けてきた。その胸には、アグスの炎によって付けられた火傷などは一切存在しない。
アグスに次いでもう一人、黄の属性を持つ少女クラリナに、俺は式術を放てと命じる。
銀の髪に金色の瞳を持つクラリナ。顔にはまだ幼さが残っているが、一兵士としては申し分ない力を持っている実力者の一人だ。俺の優秀な部下である。
クラリナは俺の指示通りに『サンダー』を顔に向けて放った。雷光が、ビッグフットに迫る。そしてその雷光は確かに顔に命中した。通常の生物ならば、顔は守るものだ。生きるために重要な部位、それも五感のうちのほとんどが集中しているからだ。しかしビッグフットが顔を庇うことはなかった。それどころか、傷一つ、つくこともなかった。
赤のアグス。黄のクラリナ。そして緑属性の式術を扱う俺は『ロック』を使用する。
俺が大地を叩くと大地は抉れ、ビッグフットに対する針となってその矛先を向けた。しかしビッグフットの皮膚を前に、俺の『ロック』は呆気なく崩れ去る。
――式術が、通用しない。
それは俺たちにとって、攻撃手段が存在しないということを意味していた。
倒せない。勝てない。これを、敵に回してはならない。
脅威だ。いや、脅威という言葉にすることすらおこがましい。
触らぬ神に祟りなしという言葉があるが、これはある種のそれだ。出逢ってはならない。
「撤退するぞ!」
ファイア、サンダー、ロックの総てが通用しないと悟った俺は、即座に叫んだ。俺の声を聴く前から、指示を長い経験からある程度は想定していたのだろう、アグスとクラリナの二人は即座に後方へ跳躍し、俺よりも先に撤退を始める。しかしまだ隊に入って一ヵ月程度の新人、ローガルは俺の指示にすぐには従えなかった。
いや、従わなかったと言うべきか。
「俺は残るよ。そんで、あいつを止める」
あろうことか、ローガルはあの化け物を見て、それを止めると言ったのだ。
馬鹿だ。馬鹿以外の何物でもない。俺はふざけるなと叫んだ。しかしローガルは真摯な瞳で俺を見つめ、朗らかに笑って言った。
「なーに、大丈夫だって。俺は簡単には死なねーからさ。俺の心配よりも、隊長たちが本部から応援を連れてきてくれると嬉しいぜ」
瞬間、ローガルが言い終えるが早いか、ビッグフットは周囲の積雪をまき散らして大きく跳躍した。数メートルはあろうかという巨体、その跳躍はおよそ十数メートル。式術が通用しないのみならず、あの巨体は身体能力をも人を大きく突き放すのか。
正真正銘の、化け物だ。
跳躍したビッグフットは手に持つ棍棒をローガルに向けて振り下ろす。咄嗟にクラリナがサンダーを飛ばした。しかし棍棒が雷光を弾き、ビッグフットの動きを阻害には至らない。どうやらあの棍棒にも、式術は通用しないらしい。
「ooohhhhhhhh!」
人とは似ても似つかぬ咆哮を上げたビッグフットが大地に両足を叩き付けると同時、棍棒がローガルの頭上に向けて振り下ろされた。
誰かがローガルの名を叫んだ。それは俺か、アグスか、クラリナか。
その叫びに、答える者がいた。
「俺は大丈夫だ!」
ビッグフットの肉体より放たれた、棍棒の一撃。
それをどこから取り出したか、青い剣でローガルは受け止めていた。
人を大きく突き放すビッグフットの一撃。それを人の身一つで受け止めるローガルもまた、大きく人を突き放した肉体を持っている。
「マジか……これが五色。――これが『青』かよ……」
撤退することも忘れて、アグスが驚愕に目を見開いた。
青。――青の五色剣『ラピスラズリ』。ローガルが手に持っているものはそれだ。
呪術と似て非なる力、五色の力を持つ剣、その一つ。五色を扱うという仕様そのものはディスクとそう大差がないが、しかしその質はディスクを大きく上回る伝説の武器である。
そもそも五色剣はこのガライン=メナに五本しかないこと、そして使用者は五色剣に選ばれた者にしか使用できないことから、学者や軍人の間では有名だが一般の間では知名度は低い。
だが、俺たちは知っている。
あれがもたらす力がどれほどのものであるのかを、ローガル・シーラーという男を介して知っている。
「止められるのか、ローガル!」
俺が問うと、ローガルはニッと笑って親指を突き立てた。
「俺が止めなきゃ、こいつは下手したらレジスタンス本部に向かうだろ。それは困るな、俺は明日もクラリナさんの手作り料理が食いたいからさ。だから、意地でも止める!」
振り下ろされた棍棒を受け止めていたローガルは、横に向けていたラピスラズリを上方へ振るってその棍棒を弾き飛ばし、流れるように回転して腹部に剣を叩き付ける。それと同時、ローガルはラピスラズリの力を解放してビッグフットの全身を氷漬けにした。
切断には至らなかったが、ビッグフットを数メートル後退させることには成功する。
ローガルの手にある五色剣。あれは式術とは異なるが、呪術と非常に似通った特性の攻撃『スキル』を行うことが可能だ。また式術の場合、使用できる属性が瞳や髪の色に依存するという特徴がある。例えばアグスの赤髪、クラリスの金の瞳というように、使用可能な属性に似通った色を持つ者はその属性を使用できるというものだ。逆に言えば、己の髪や瞳が有さない色の属性を持つ式術は使用できない。
ちなみに俺は瞳が翡翠であるため、緑属性を使用できる。ローガルは金髪赤眼であることから黄と赤の属性を扱えるはずなのだが、どうやら式術の才には恵まれていないらしい。その代わり、やつは『青』に選ばれた。
五色剣とディスクの大きな違いはそこだ。式術は使用者の身体に依存して使用の不可が存在するが、五色剣は選ばれればその色の有する属性を自由に扱えるようになる。
青の式術の条件を有さないローガルが青の属性の攻撃を扱えるのも、そういう理由だ。
全身を氷漬けにされたビッグフットは、即座に全身を覆う氷を叩き割る。その様はさながら、卵から孵るようだった。
再び咆哮したビッグフットは、棍棒を振り上げてローガルに向かった。
「隊長、早く! ここは俺一人でも大丈夫だ!」
叫んだローガル。しかし俺の胸にはどうしようもない不安が渦巻いていた。
どうしてローガルは一人であの化け物を止めようとする。そもそも、アレは本当に一人で止められるモノなのか。五色の力は、それほどのものなのか。
それとも――。
――お前は、死にたがっているのか?