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『ナクラスという男』

Caput nihil [ Prologus ]


「失礼しました」


 そう言って、一人の巨漢がナクラスに向けて敬礼する。


 巨漢の名はロウリス=マギラエナ。身長は190を超えた大巨漢で、その棍棒よりも太い腕は、百キロのものも悠々と振り回す。戦場においてまさに野生という言葉を擬人化したような、烈しい男だった。


 ロウリスが大きな扉を開いて部屋を出ると、ナクラスは一人その場に残される。

 ナクラスは静かにロウリスの去った扉を見つめた。


 ロウリスは、ナクラスの部下の一人だ。今しがたロウリスを呼び出したのは、とある命をロウリスに伝えるためだった。


 その命は『一人の新人をロリススの小隊に加える。それを受け入れろ。その新人を教育しろ』。そして、最後にもう一つ。――『その新人を、死んでも守れ』。


 ナクラスは見逃さなかった。そのときロウリスは確かに、刹那の動揺を隠しきれなかったのだ。ナクラスは知っている、ロウリスという男の心の奥には、他の誰にもないほど強い『生』への強い執着、執念があることを。


 ロウリスという男は見かけ通りに勇猛果敢であり、兵士としても優秀だ。

 ただ己の力を誇示するだけの無能とは違う。それでありながら決して奢らず、見かけとは相反して誰にでも優しく律儀な男である。恩を受ければ恩で返す、仇を受ければ仇で返す、何事にも懸命に、素直に。そんな彼の姿を見て、誰もが彼を慕い、信用し、愛さずにはいられなくなる。

 如何な人気者とはいえ、人の中にあれば妬まれることもあるだろう。だが彼は、『一度でもロウリスと酒を飲めば、そいつはロウリスのために命を捨てる』とまで言われるほど、万人に愛されるタチである。ロウリス=マギラエナという男は、そういう男だった。


 そのため、このレジスタンスに所属している者の中にも、ロウリスを昇格させるべきであるという声は一つや二つではない。しかし現状、ロウリスはナクラスの采配によって、戦場において最前線を任される先行小隊、その隊長止まりという立場にある。

 弱いわけではない。むしろその力はレジスタンスの中でもトップクラスのものだ。

 指揮が下手なわけではない。むしろ彼の目、そして判断力には目を見張るものがある。

 では、戦いが嫌いであるからか。それも違う。確かに戦いが好きなタイプではないが、だからといって戦いを嫌うタイプでもない。ロウリスには強い信念がある。本当に大切なものが危険に晒されたとき、命を捨てることも厭わぬ男だ。


 ならば何故、ナクラスはロウリスを昇格させないのか。

 理由は一つ。


 ロウリスを、殺したいからだ。


 ロウリスが邪魔になったのでもない。嫌いだというわけでもない。しかしその動機を敢えて言うならば――ロウリスのことを、気に入っている者がいるからだ。

 ロウリスは善良な人間だ。人に慕われ、信用され、愛される男だ。だからこそ、彼の死は多くの人の心を動かすだろう。仮に敵に惨殺でもされようものなら、多くの兵士は敵を憎悪する。その士気は格段に上がり、また並はずれた復讐心は人の目を曇らせる。

 しかし、ナクラスの目的は兵士の士気の底上げではない。人の目を曇らせる――これは動機の一つに挙げられないこともないが、あくまで副産物程度のものだ。

 本当の目的は、別にある。


 ナクラスは静かに視線を下に向けた。

 組んだ男の腕の先には、机に敷かれるように置かれた一枚の紙がある。その紙は先ほど、ロウリスに新人の入隊を迎え入れるという署名をさせたものだ。ロウリスの名、ナクラスの名、そしてそこにはもう一つ、新人の名前が書き込まれている。

 ナクラスはロウリスの署名を見つめ、そして新人の名を見つめ、静かに考える。


 ――人は、物だ。人は駒だ。

 この『物語』を進めるための、ただの道具に過ぎない。

 総ては、己が目的のためだ。

 それを聞いてお前は、そんな私に何を言うだろうか。

 狂人と、気違いと、或いは、鬼畜、外道と罵るだろうか。それは人の所業ではない。お前は鬼だ、悪魔だ――ふむ。そこまでは容易に想像できる。典型的な大衆が述べるであろう言葉を並べ、典型的な大衆が怒り狂って叫び散らすように、お前もまた激情に駆られて私を非難することだろう。

 だが、そこから先はどうなるだろう。

 仮に私が、確かな己の目的のために動いているのだと気付くとき。お前は一体、私に対して何を思うのだろうか。

 頬が緩む。唇の端が、嫌でも釣りあがるのが分かった。

 それは決まりきった答えだ。神は愚か、誰に問うでもなくその答えは知っている。おそらく、今のお前でも知り得ぬであろう己の欲が、私の目には見えている。

 お前は。ローガル=シーラーという男は。間違いなく。

 (ナクラス)を外道と知りながら。私を鬼畜と知りながら。

 それでも、尚。


「私に憧憬を抱き、私の生き様を賛辞するだろう――」


       ☆


 白い雪が舞っている。小さな雪が、はらはらと舞っている。

 空を見上げて鼻をひくつかせた小動物は、再び必死で走り出した。その後方には、雪の積もった白世界にはおおよそ存在しえない膨大な熱が周囲の雪を溶かし、木々を焼く。

 炎の中央にいるのは四人の男女と、そして、一匹の巨大な異形だった。


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