春のおとずれ
元ネタは冬の童話のテーマです。
そういう意味ではオリジナル、とも言い難く、しかも締め切りも遥か昔、という有り様です。
先にお知らせしておきますが、完成が遥か間に合わず、今になってしまいました(TT)
それでも初めての作品、何とか書き上げましたので、もし良かったら目を通してやって下さい。
ストーブにかけたケトルが白い息を吐き続けている。
彼はそのストーブにゆっくりと近づき、手にしたボウルに少し湯を注ぐと、手早くもう一方の手にあった葉の束を入れ、少しかき混ぜてからそれを茶碗に濾した。
「これでいい。煎じると余分な苦味が出るからね、飲むのも辛いし良いことがない。」
傍らの女性は熱心に聞き入っている。その彼女に件の椀を渡しながら、男は更に続けた。
「これを朝晩の食事後に、量は目分量でいい。はい、これは今朝の分。」
「有難うございます。本当に、何とお礼を言ったらいいのか…」
椀を手渡された女性が言った。まだ若い、年の頃なら21、2といった所だろう。
「そんな事は良いから、薬湯が冷めてしまう。早く持って行ってあげなさい。話はそれからで。」
女性が一旦奥の部屋へ向かい、暫くして空になった椀を手に戻って来た。
「本当に、有難うございます。少し楽になったみたい。」
もう一度礼を述べて彼女は少し微笑んだ。笑うと先程とは別人のように明るい、華やかな感じだ。
「それは良かった。この辺りには良い薬草が沢山あるので、材料には事欠かないですよ。」
男も少し穏やかな表情になった。
「この辺りは冬でもこんな感じですか。」
「そうですね。余り考えた事はありませんが…」
その答えを聞いて、男は軽く微笑んだ。
「そうでしょうね。これが当たり前の世界であることは、悪いことではない…気を悪くしないで下さい、それはごく普通の事なのです。」
彼女はその言葉には特に答えず、しっかりと男を見据えて頷いただけだった。
その時、奥から扉を開ける音がした。
チクニーどうしたのー、もう出掛けるのー」
姿を現したのは、幼い女の子であった。5,6才といった所か、チクニ、と呼ばれた男が答えた。
「ノンノ、ダメだよ。まだ起きるには早い。」
「はーい…」
ノンノ、と呼ばれた女の子はそれきりで部屋に戻って行った。
それを見届けて、チクニは彼女に向き直った。
「お礼を述べるのは私共が先です。昨夜道に迷ってようやくたどり着いたお家に、あなた方が居られて本当に良かった。」
「あの娘は、あなたのお子さまで…」
「いやいや、私には嫁も子もおりません。あの娘は妹の娘でしてな、故あって預かっています。」
「ゆえ…ですか。」
「はい、実は亡くなってしまいまして…」
「 え…」
彼女はたちまちに言葉を失ってしまった。
「ごめんなさい、私…まさか…」
「いやいや、お気になさらないで、もう随分前の事なので。今はもう娘みたいなものですよ。」
彼女の狼狽ぶりが余りにも極端だったので、逆にチクニの方が慌てて取り成す事になってしまった。
「あなたの方こそ、お母様の看病は、もう長いのですか。」
「そう見えますか?」
「私も医者の端くれですので。今のお母様の様子をお見受けすれば…」
「半年ほどなんですよ。あ、もう一寸長いかも。」
「…」
「お仕事があって、家を暫く空けないといけなくて…帰って来て少し経った頃から急に体力が落ちちゃった感じになって。」
チクニは黙って聞いていた。一見冷静そうだが、下手に口を挟むと堪えていた動揺が彼女の中から溢れ出しそうに思えたからであった。
「…ごめんなさい。旅の方にこんな愚痴めいた事まで聞いて頂いて…」
「いえ、先にお尋ねしたのは私の方ですから、それにもう、私の患者さんでもありますから。」
彼女が急に畏まったので、チクニも慌てて取り成した。彼女が必要以上に自分自身を責めている様なので、何とか話をする事で気を紛らせて貰おうと思ったのだった。
彼女は名をパイカといった。今は床に臥せっている彼女の母親も同じ名だという。
「代々同じ名前を引き継いでるんです。」
古い地域にはその様な風習があるのはチクニも聞いたことがあった。成人の儀式か何かで名前を引き継ぐとの事なのだが、余所者の彼には格段興味のある話では無かった。むしろ彼女の母親の病状の方がよほど関心があったが、母親の容体は急に悪化した訳ではなく、本人の体力の低下に伴うものだ。彼女には何の責任も無いのだが、今は何を言っても仕方なく思えた。
「これから何処へ行かれるのですか?」
幸いというか、話題が変わった。
「もうすぐ近くの筈なのですが、山あいのラヨチという国へ向かっていました。」
「ラヨチはここからなら半日もかからないですよ。」
「とても四季の美しい穏やかな気候の国と聞きました。」
「そうですね。お仕事か何かで?」
「いえ、実はノンノのためで。」
「…?」
「あの娘は肺が少し弱いようで…遺伝でしょうか、あれの父親も胸を患ってました。」
「で、気候の良いラヨチへ?」
「そんなところです。もう春になりますし、暫く逗留しようかと。」
「それは良い考えね!」
「と言っても、ご覧の通りの成りですから、のんびり休暇という訳にも行きませんけどね。」
チクニはそう言って肩をすくめて見せた。彼女もそれに釣られたようにクスリと笑った。やっと少し和めた様であった。チクニは内心ほっとしたが、少しまた表情を引き締めて話を続けた。
「ただ、今年は少し冬が長引いてる様ですね。」
確かにそうであった。
例年であれば、もうとっくに春の花が咲き誇る時期の筈だが、まだ雪すら舞っている。
「それで、一つご相談が…」
「…?」
「私は今日。一度ラヨチへ様子を見に行って来ようと思います。で、治療費の代わり、と言っては何なのですが…」
「ノンノちゃん?」
「はい、お預かりお願いできないかと…」
彼女は笑顔で頷いた。
「分かりました。ラヨチまでの道筋もお教えします。」
「助かります。そう言えば私達は道に迷ってここに来たのでしたね。」
今度はチクニのほうが釣られて笑顔になる番であった。
出掛ける前にチクニには大事な用事があった。
「チクニー、ノンノは行かないの?」
「そうだよ。今日はお姉さんとお留守番だ。」
「つまんなーい。」
「まあ、そう言うなよ。ノンノには特別なお仕事をお願いしておくから。」
「えーなになにー!」
「いいかい、お姉さんのお母さんの具合が悪いのは分かってるよね?」
「うん…」
「もし急に具合が悪くなったら、これをぬるいお湯に溶かして飲んでもらいなさい。それで暫くは落ち着く筈だから。」
「ノンノが持っとくの?」
「ああ、お姉さんにはご飯の後に飲んでもらうお薬を教えたから。いくつも覚えられないし、間違ったらダメだからね。」
「わかつた。ノンノにお任せよ!」
「いい子だ。」
上手くノンノを乗せる事ができた。薬の量さえコントロールしておけばノンノは薬湯の調合ができるので、役割自体には不安は無い。見知らぬ雪道の行程はチクニ一人で動く方が何かと都合も良かった。
「チクニさん。これを…」
出掛けようとした彼を呼び止めたパイカはチクニに毛皮のベストを手渡した。
「明日も吹雪だと言います、まだまだその格好では寒いですよ。」
「有難うございます。正直少しキツイかな、と思っていたので。」
チクニも素直に好意を受ける事にした。
パイカの地図(と言っても目印を描いただけの物だったが)は思いの外正確で、あれだけ迷っていたのが嘘のようにチクニはラヨチへ入る事ができた。
ラヨチは四季が美しく、作物の実り豊かな国と聞いていたのだが、彼が見る限り、そんな印象は感じられなかった。作物も一目で不作と分かる。バザールも開かれているのだが、肝心の商品がそれでは活気のあろう筈も無かった。
「今年は凶作だったのですか?」
市場の果物売りの、中年の婦人に売り物のリンゴを手渡し聞いてみた。
「あんた、この辺の人じゃないね、訛りで分かるよ。ご覧の有り様さね。凶作なんて、ここ十何年も無かったのにね。今年は冬もちっとも明けやしないし、あんたもえらい年に来たもんだね。」
「…」
「おや、近衛兵だよ、なんだろうね。」
チクニがいるのは大きな通りの露店でその突き当たりにちょっとした広場が見えるのだが、そこに馬に跨がった制服の男達が認められた。どうやら高札を立てに来たようだ。
「ちょっと行ってみようかね。あんたもどうだい?」
「でも、店は…?」
「なに、少し見るだけさ。」
どうやら、治安は至って良い様だ。促されるまま、チクニもお触れを見に行った。
ラヨチの文字はある程度勉強して来たつもりだったが、まだ全部習得していない。
「なんて書いてあるんですか?全部は読めなくて…」
「ああ、えーと…王家の森に建つ塔に籠りきりの女王様を説得して外に連れ出した者に褒美を与える、って書いてあるんだ。」
「塔の…女王様?」
「あんたは土地の者じゃないから分かんないよね。」
「女王様は塔で何をなさっているんですか?」
「わたしらもよく知らないんだよ。でもこの国には女王が4人居てね、それぞれの季節を司ってるって話さ。」
「だから冬が長引いていると。」
「まさか、ただの言い伝えだよ。」
彼女は可々と笑いながら店に戻って行ったが、チクニはその言い伝えが今回の触れ書きと無関係とは思えず、まだその場を動けずにいた。
「おい、そこの男。」
考えを巡らしていたせいで、彼は後ろの気配に気付くのが少し遅れた。
はっとした瞬間にチクニは反射的に気配から遠ざかる様に跳んだ。身体を反転させて着地した彼の目の前には四人の男達がいた。さっきの近衛兵とは違うが、出で立ちから王族の者達であることは明らかだ。内の二人がチクニに飛びかかろうとした所だった様で、あと一歩遅れていたら後ろから殴られていたか、羽交い締めになっていた所だろう。
「な…何を?」
中央に居た男がチクニをまっすぐに見据えている。他の三人よりやや若い様だが、一際威厳というか、オーラの様な威圧感があった。
「一緒に来てもらえませんか。」
口調は紳士的だが、有無を言わせない威厳がある。だが、こちらにも事情があった。
「なぜ私を?」
「聞きたいことがある。」
「ここでは?」
「そうはいかない。こちらにも事情というものがある。」
「ではノコノコ付いていく訳にはいきませんね。先を急ぐもので。」
「後悔するぞ。」
「それは脅しですか。」
「どう取って貰っても結構。」
まわりの三人がチクニを取り囲む様に散らばった。確かに分が悪い。チクニは体力に自信がある訳では無かった。
『もう後悔はしてるな…』
逃げ切れるだろうか。成り行きで淡化は切ったものの、土地勘すら無い彼にとってその勝算は限りなくゼロに近かった。だが、何日も勾留されるのも困る。明日にはノンノの元に帰らないと。
チクニは目の端で自分の背後にある路地を確認してそこへ飛び込んだ。背後からダダタッと複数のの靴音が聞こえる。
『そりゃ来るよなあ…』
彼は人ひとりがやっとすれ違う事ができる程度の建物の狭間を、振り返らず兎に角走った。時折建物から急に人が出てきそうになる。それを紙一重で避けながら、
『どうか(後ろで)ぶつかりますように!』
と、祈りつつ更に走った。実際その様な音も後ろに聞こえたり、追手の靴音も減っている気もしたが、流石に確認する余裕は無い。ひたすら前を向いて走り続けた。
建物の狭間をいくつも曲がり、少し後ろの靴音が遠ざかる気配があった。
『何とか撒いたか…』
ようやく足を止める事ができた。息をつき、後ろを振り返る。追手はいなかった。
「しかし…」
何なのだ、一体。チクニは何故自分が追われたのか、まるで見当がつかなかった。
それも気になるが、今自分が何処に居るかも気になった。なにしろ後ろにプレッシャーを受けながら、ぶつからないようにだけ気を付けていたので、どこをどう走ったのかまるで分からない。
少し低い塀が見えたので、そこを足掛かりにして塀づたいに建物の屋根に出てみた。
「随分高い所に来たみたいだな…」
ラヨチは山あいの街で、片側の斜面に張り付くように建物が建ち並んでいる。逃げ回っている内にその高台まで来てしまった様だ。ここからなら街全体が見渡せそうだった。
「…!」
振り返ってチクニは言葉を失った。
足元の街並みの路地という路地に剣をかざした制服の男達が犇めいている。もちろんチクニの追手だが、決して探し回っている訳ではない、皆こちらを見ている。囲まれていると言ってよかった。
「そうか…」
我ながら可笑しかった。撒いたんじゃない、高台に連れてこられたのだ。流石に観念するしかなかった。
正面の路地から先程の男がゆっくり姿を現した。よく見ればまだ二十歳そこそこではないだろうか。男はチクニを真っ直ぐ見据えて話しかけてきた。
「今度こそ、ご同行頂けますね。」
「やむを得ませんが、出来れば手短にお願いしたいですね。」
「こいつっ!まだそのような口を…」
男の隣に居る兵士がいきり立ったが、男が手で制した。
「構わん、手荒な真似はするな。」
「しかし…」
「客人として、丁重にご案内するんだ。」
「…分かりました。」
兵士は憮然とはしていたが、回りの制服の男たちー彼が隊長か何かなのだろう、回りは平兵士といったところかーへ目で合図を送り、顎をしゃくった。それに呼応して、数人の平兵士がチクニの所へ上がってきた。チクニも大人しく従う。どうやらとって食われる訳では無さそうだ。彼は連れられるまま、城門を潜った。
先の男の指示なのだろう、チクニの扱いは客人のそれであった。まず牢ではなく、いわゆる客間の様な部屋へ通された。続いてお茶が届けられた。チクニも年中薬湯を作っているので大抵の毒草の香りは知っているが、質の良い紅茶の香りしかしなかった。
「まあ、いきなり殺される言われもないか…。」
暫く上等なソファに身を預けて待っていると、ドアをコツコツと叩く音がした。促すと品の良い執事の様な初老の紳士が姿を現した。
「お待たせ致しました。どうぞこちらへ。」
チクニは初老の紳士に従って部屋を出た。次に通された部屋は、さっきよりややこじんまりとした部屋であった。
「謁見の間でございます。まもなく王が参ります、暫しお待ちを。」
チクニを中央の椅子に座らせた老紳士は、そう言って自分は入口の扉の脇まで戻り、直立した。
キョロキョロするのも憚られたが、チクニはさらりと部屋の様子を見回した。先程の部屋も十分洗練されていたが、この部屋は広さこそ劣るが、全ての調度が更に一段上の品物で構成されている。老紳士の言う通り、特別な部屋なのだろう。
やがて、部屋に一人の男が入ってきた。チクニと追いかけっこしたあの男である。
「お待たせいたしました。私はインカラと言います。」
王の謁見と言うには余りにもフランクな挨拶から会話は始まった。
「チクニと言います。医者をしています…あなたが?」
「私はまだ王ではありません。次に王になる者です。」
「つまり…王子と?」
「まあ、その様な者です。本来ならここには父君が来なければならないのですが、王は故あって現在城に居りませぬゆえ、私が代行させて頂きます。」
「そうですか…」
一国の王ともなれば忙しくて当然だろう。
「我が国の王族は皆世襲制ですから、生まれた時から運命は決まっていましてね、選択の自由は無いんですよ。名前も現在の王の名を引き継ぐ事が決まっています。」
「王族、ということは…」
「ええ、女王も同じです。女王は更に過酷な運命を背負っている。」
「…ところで、そろそろ私が連れてこられた理由をお話し頂けませんか?」
インカラは軽く溜め息をついてチクニに向き直った。
「そうでした、あなたは先を急がれているのでしたね。あなたにはいくつかお伺いしないといけません。まずは…」
彼はさっきまでチクニが座っていた椅子の肘掛けにかけられたベストを指差した。
「これをあなたはどこで手に入れられましたか?」
「?…これは借り物です。」
「持ち主から借りられたと。」
「はい。」
「詳しく聞かせていただいても?」
「構いませんが、もう少し私にも分かるように話して頂ければ。」
インカラの目には一瞬躊躇いが見て取れたが、すぐはっきりした顔つきに変わった。決断ができる若者なのだろう。
「そうですね。一方的に尋ねるのはフェアじゃない。ただ…」
「分かっています。ここでお聞きした事は城を出たら忘れます。」
「…あなたは察しが良い方のようだ。座りましょう。紅茶も取り替えさせます。」
老紳士が用意していたように、今度は二人分のカップを運んできた。チクニと向かい合った椅子にインカラは腰を下ろし、紅茶を口に含んだ。
「そのベストは特別でしてね。背中にある紋章が入っている。」
「え…」
「多分、あなたには見えません。私が市場であなたを呼び止めたのもその紋章を見たからだ。」
それで市場で買い物をしているだけで呼び止められたのか。
「それは王族の紋章の一つでしてね、王族にしか見えない。もちろん王族しか持つことも許されてはいない。」
追われるわけだ。
チクニはラヨチを目指していて森で道に迷った事、山あいで一軒家に転がり込み、一夜の世話を受けて翌日ラヨチへ向かう際にベストを借りた事等をかいつまんで説明した。
「…そうでしたか。話してくれて有難うございます。」
チクニも紅茶を含み、尋ねた。
「その紋章は春の女王のもの、なのですね。」
「…そうです。」
「伝説じゃなかったんですね。」
「国のほとんどの者は迷信だと思っています、あの触れ書きを出しても。」
「でも冬は終わらない。」
「そう、春の女王が必要なんです、この国には。」
インカラの眼は真剣だった。彼は続ける。
「季節が狂えば農作物にも影響が出て来る。この国は作物も豊かで気候も穏やかな美しい国として知られているが、それは塔の女王の能力によるものだ。山あいのこの国で凶作が起こればたちまち立ち行かなくなるだろう。」
「女王の…能力ですか?」
「あなたには、それが口実だと分かっているのでしょう?」
「女王の…犠牲…」
間をおいて、インカラが口の端を上げた。自嘲った様にも見えた。
「私達も似たようなものです…」
「私達…?」
「王族と女王の血筋は表裏一体の存在なのです。私達王族は代々、女王の護衛役としてのみ存在していますが、王とは名ばかりで護衛役と言っても私も父王も女王を見たこともありません。何処に居るのかも知らない。」
「でも、女王なんですよね?親子ではないのですか?」
言ってしまってからチクニはハッとなった。立ち入った事を聞いたのではないか、と思ったのだ。だが、インカラは気にしていない様だ。再び紅茶に口をつけると更に続けた。
「女王達とは血の繋がりはありません。私達王族は貴族の女性から生まれます。誤解がないようにしたいのですが、いわゆる妾ではありません。」
すでにチクニの様な一般大衆には理解できない。王子の話をただ聞くのみであった。
「退位の時期が近づくと次の王を貴族の女性の誰かが身籠るのです。そこには特別な行為も儀式もありません。ある日突然です。だから見誤る事もありません。」
「王族の方はみな…」
「同じです、女王も。ですから婚姻の必要も無いのです。」
「女王自身が次の世継ぎを身籠ると…」
「はい。」
淡々としたものである。それなら顔を会わす必要は無いだろう。
チクニはもう一つ気になることがあった。そこまで立ち入った事情を話すという事は、この話にはまだ続きがある筈である。
「それで、私に何を…?」
「やはり、あなたは察しが良い様だ。単刀直入に言うが、春の女王の所へ案内して頂きたい。」
「断る事は…」
「許されない。分かるでしょう。」
気は進まなかった。恐らくパイカは拉致同然に連れてこられる事になるだろう。インカラは本気だ。彼は彼で一国を預かる責任かあるのだから当然と言えば当然なのかも知れないが、チクニには釈然としないものがあった。
案内のメモ書きは持っている。案内人は必要無いだろう。だが、パイカのところにはノンノを預けていた。
『行かない訳にはいかないか…』
チクニは渋々ながら案内を引き受けざるを得なかった。
そうと決まればチクニは躊躇わなかった。ノンノの薬は余分に用意していない、できるだけ早く帰りたかった。インカラにはその事情も話し、協力を頼んだ。
「出来る限り急いで準備します。馬は使えますか?」
「いや、残念ながら乗ったこともありません。」
「分かりました。私の後ろに乗って下さい。」
傍らに居た老紳士が歩み寄ってインカラに耳打ちをする。諌めている様だ。だが彼は老紳士を見上げて、
「いや、彼にこれ以上負担はかけられない。留守は大臣に任す。すぐ準備に掛からせる様に!」
「…畏≪かしこ≫まりました。」
老紳士が早足で部屋を出て行くのを横目に、チクニは尋ねた。
「良いのですか、私などのために。王さまはご不在だと。」
インカラは右の手の平をチクニに向けて言葉を切り、
「構いません。私達にとってもこれ以上の大事はありませんからね。」
と言った。
「それに…」
「それに?」
「王はもう帰りませんから。」
「…?」
何かしら事情がある様だが、詳しい話をしている気にはならなかった。インカラも多くは語らない。馬を出してくれるというのだから大人しく従っておく事にした。
だが、出発してからそれらの事は益々気にならなくなった。
いつまで経ってもパイカの家に着かないのだ。
『おかしいな…』
パイカに貰った地図は持っている。来た道を逆に辿れば帰れる筈なのに、着かない。ラヨチに着くまでは確か半日も掛からずに町を望める所まで着いたのだが、ほぼ一日が過ぎようという頃になっても全く着く気配は無かった。インカラが馬の歩みを止めた。
「引き上げましょう。」
後ろのチクニは一言も無い。彼を気遣ったのか、インカラは少し後ろを向いて言った。
「気になさらないで下さい。もしかしたら、とは思っていましたので。」
まるで予想通り、とでも言った感じであった。
帰路は誰も言葉を発する事もなく、寒風の吹きすさぶ中、馬を走らせて城についた頃には既に日も暮れていた。成り行き上、チクニは城に泊まる事になった。
「もう少し話をしましょうか。」
インカラはチクニを食事に誘った。
「何故道に迷った事が予測できたのか、あなたは不思議でしょうね。」
相変わらず単刀直入である。が、チクニにとってもその方が有り難かった。
「恐らく、我々が一緒だったからです。あなたは既に選ばれた者なのでしょう。」
「選ばれた…誰にですか?」
まさか女王ではあるまい。
「森に。」
益々訳が分からない。チクニがインカラの意図を図りかねているのは誰が見ても明らかだった。
「四季の女王の住みかは全てこの森の何処かにあります。女王は季節を司っているため、この一帯の森の営みをも守っているのです。」
「…」
話が大きすぎる。チクニはただ黙って聞くことしかできなかった。
「私達は互いに守り、守られる関係にあります。自然を守り、育てるのが私達であると同時に、私達もまた自然の恩恵を受け、生かされているのです。」
「森が…女王を守っていると?」
「そうです。だから我々はたどり着けなかった。でも希望はあります。」
「…?」
「あなただけならば、帰れる筈です。あなたはそのために選ばれた。」
「森に…ですか?」
「そうですね。」
「ても、今となっては私もパイカを連れ出す側ですよ?」
インカラは少し微笑んだ様にも見えた。
「それも、分かっているんですよ、きっと。」
「…森が?」
「ええ。それもまた、森の意志でしょうから。」
チクニは少し考えていたが、やがてインカラを真っ直ぐ見据えて言った。
「分かりました。でももう一度森に行く前に、連れて行って頂きたい所が有ります。」
インカラは黙って聞いている。チクニの言葉を待っていた。
「彼女の説得にはもう一つクリアしなければいけない事が…」
インカラは右手を上げチクニの言葉を制した。
「…もう一人の女王の所、ですね。」
チクニは頷いた。そう、彼女が何故塔から出てこないのか、確認する必要があった。
「はい、冬の女王の所へ。」
「女王が会うかどうか、保証は有りませんよ。」
インカラの馬の背から降りるチクニにインカラはこう声を掛けた。チクニにも自信はなかったが、絶対に会わなければいけない。彼女が出て来なければ、仮にパイカを連れてきても何も解決しないだろう。彼はパイカけら預かったベストを抱え塔を見上げた。彼とパイカを繋ぐ証拠はこれしか無かった。
「女王は塔の最上階に居ます。私達は謁見はできません。ここからは一人で登っていただきます。」
「はい。」
とは言ったものの、別に会える保証がある訳ではない。それでも行くしか無かった。
塔の回りは低い塀で囲われていて、一ヶ所だけ鉄の格子戸になっている。鍵は無い。塔の入り口はポッカリ穴が開いているだけだ。
穴を潜ると螺旋状に階段が上へ上へと伸びていた。所々にランプが灯っている。薄暗いながらも足元に不安はないが、不思議なほど誰も歩いた形跡が無かった。
塔自体はさほど高くない。10分も登ると木製の時代がかった扉の前に着いた。チクニは一度大きく息を吸い込み、静かに吐き出した。扉をノックしようとした時、中から声を掛けられた。
「誰か。」
威圧的な、だが抑揚のない声だった。やや年嵩な感じだ。
「王の使いで来ました。」
チクニはできる限りゆっくり、しかしハッキリした調子で答えた。
「何故、王が来ない。用事があるなら己が出向くのが筋であろう。」
もっともだと思う。だが、色々事情があるようなので敢えてそこは掘り下げずにチクニは話を続けた。
「王だけではありません。私はパイカの元から来ました。」
パイカの名前を出した途端、扉から漂う空気が変わったような気がした。
「…証しはあるか。」
チクニは手にしたベストを扉の前に翳した。
「…」
暫く間があった。これが届かなければ引き上げるしかない。
「…分かった。」
扉が静かに開いた。
「…入るが良い。」
チクニが部屋に入った。
塔の頂上の部屋はさほどひろくなかったが、必要な物は全て揃っている様であった。中央に両手を広げた程の円卓があり、背の高い椅子があった。入り口に背を向けたその椅子には、やや小柄な女性が座っている。
「来客が来る事はないのでね。椅子は一客しか無いんだ、悪いね。」
声はさっきと同じだが、声色は随分変わっている。警戒を解いたのは明らかだった。
「いえ…招かれざる事は承知しています。でも、どうしてもお会いしなければいけなかった。」
「…自分の使命が分かっているのだね。」
「ええ…多分。」
椅子の女性は少し笑ったようだった。
「正直だね。選ばれるだけの事はあるようだね。」
「その様で…余り実感は無いのですが。」
女性は椅子から立ち上がり、チクニの方に向き直った。
「…で、私に何を聞きたいんだい?」
チクニはその場にかかんだ。
「初めまして、冬の女王。私はチクニと言います。山向こうの村で医者を営む者です。」
「知ってるよ。」
チクニは思わず顔を上げた。もちろん初対面である。
「私はマタ。あんたの聞きたい事も当ててやろうか?」
「ついでに答えも頂けると有り難いのですが。」
「…面白い男だね。もっとゆっくり話したいけど、そうもいかないね。」
「すいません。」
「謝ることは無いよ…パイカの母親の事は勿論知ってるね?」
「はい。」
「あんた、医者だろう、どう思う?」
大雑把な問い掛けだが、意味は分かった。
「…」
「正直な感想で良いよ。」
「…もう、長くは持たないと思います。彼女には申し訳ありませんが…」
「…そうだろうね。」
「ご存知なのですか?」
「当たり前だろう、女王は四人しか居ないんだ。他の誰とも交流が無いんだよ。」
考えてみれば、無理も無い。
「では、パイカが来ない理由も分かっているんですね。」
「あんたはどう思っているんだい?」
「…パイカは自分が留守の間に母親の具合が悪くなった事に責任を感じていました。春の務めを果すためには再び家を空けないといけない。でも代わりに世話のできる者がいないのだから、家を離れる訳にもいかない。」
「だから、留まっていると。」
「…違うのですか?」
「半分は当たりだよ。」
「あとの半分は…」
「家に留まるように言ったのは私だ。」
「女王が…」
「マタだよ。私がパイカに言ったんだ。気が済むまで家に居たら良い、と。」
「…」
「…私も同じ目に遭ったからね。私達がどうやって生を受けるのかは聞いてるよね。」
「インカラに聞きました。」
「あの青二才だね…王族は親子の癖に血の繋がりも無いからいけ好かないが、しょうがないのかもね。」
なんでもお見通しな訳だ。
「王族も女王族もそうだけど、跡継ぎが成人になると寿命が尽きるんだ。王族は死期が近づくと城を出て、誰の目にも触れない所でひっそりと余生を送るんだ。」
「…では彼の父親も…」
「少し前に城を出たよ。」
だからインカラは『王は帰らない』と言ったのか。
「女王族も似た様なもんだよ。勤めから帰ると、母親は消えてるんだ。」
「…」
「私達は死んだら影も形も無くなるんだ。その瞬間を見る事は無いし必ず務めの最中に居なくなる。だから、その後暫くは脱け殻みたいになっちまうんだ。」
「…」
「自分はもっと色々してあげられたんじゃないかってね。」
「だから、気が済むまで、側にいてあげろと…」
「そうさ。」
「でも、みんな同じ思いを背負われているのでしょう?」
「まあね。ただ、パイカの母親は少し早かったんだ。あの娘はまだ若い、あの歳で全てを背負うのは可哀想過ぎるのさ。」
「…でも、その事で季節が止まってしまった。」
「もう暫くの間だよ。それに、私がこの塔を降りなければパイカもここに来る事は出来ない。」
「やはり、そうなんですね。貴方達は互いに呼応する関係にある。」
「どちらか一方だけでは交代できない。」
「やはり、先にここに来て正解だったようですね。」
「私は出ないよ。」
「でも、それではいつまで経っても春が来ない。」
「あの娘の好きにさせなよ。今しか無いんだよ。時が来れば知らせが来るだろうしね。」
チクニはマタの方に向き直った。彼女も悔やんでいるのだ。自分にもっとできることがあったのでは、と。マタはパイカに自分を重ねているのだ。
彼女達に何を話せば良いのだろう。
「…私には姪がいましてね。」
チクニはゆっくりと、考えながら話を始めた。
「妹の娘なのですか…両親がある事故に巻き込まれてしまって、
彼女は一篇に全てを失った。」
彼はノンノを引き取った当時の事を思い出していた。
「彼女も今でこそ明るく振る舞っているが、最初はどう言葉を掛けて良いのか分からない位に落ち込んでました。」
マタは立ち上がり、塔の窓に向かった。窓からは城の明かりが微かに見えるが、後は森の木々に囲まれているせいか真っ暗だ。
「夜になると声をたてずに泣くんですよ。当時あの娘は四歳になる前でね…そんな子供が大人に気を使って気付かれない様に泣いてました。それでもね、あの子はあの子なりに親の死を受け入れようとしてました。」
マタは何も言わない。
「貴方は先程『同じ目に遭った』とおっしゃっておられました。」
「…ああ、そうだよ。」
「連れ戻されたんですね。」
「そうさ、王族どものお陰でね。見事に拉致されちまった。」
「でも、女王の家は誰も知らないと。」
「ああ。でも来たんだからしょうがないやね。」
手引きをした者がいた筈である。だがマタにはその事は大した問題では無いのだろう。ただ、その蟠りが王族の印象を悪くしているのは間違いなさそうだった。
「姪っ子をダシにしても駄目だよ。あの娘が納得しなければ私は塔は降りない。」
「そのようですね。」
「あんたの本当の狙いは何だい?」
「春になってもらわないと私も困るのです。でないと姪を連れてこの国に来た意味が無い。」
「本音が出たね。」
「もちろん、私も自分のために生きていますから。」
「自分のねぇ…まあいいよ。」
チクニは立ち上がった。
「私も戻ります。まだ行く所もありますから。」
「パイカの所かい。」
「貴方達が互いに呼応する間柄であるなら、行かない訳にはいきません。でも…」
「でも?」
「無理矢理引き剥がしたりはしませんよ。」
「ほう…」
「彼女の母親は、私の患者でもありますから。」
チクニは出口に向かって歩き出した。が、ふと気付いた様に立ち止まり、再びマタの方に向き直った。
「もう一つだけ、良いですか。」
マタも彼を見た。
「…何だい?」
「こんな仕事をしてますとね、私は思うんです。四季を巡って、年を重ねるという事は、順番に、確実に死に近付いて行く事なんだと。でも、その順番は決して私達の理想通りではない。時にそれは、その人にとって残酷な仕打ちを伴うこともある。」
「…」
「でも、それはその人に課せられた試練だと思うんです。決して負の遺産ではない。そして、早い遅いはあっても、人生の中で必ず通る道なんじやないかと…」
「じゃ、あんたは私が間違っていると?」
チクニはゆっくりと頭≪かぶり≫を振った。
「そんな裁きを下す資格なんて、私には有りません。でも、乗り越えて欲しい、とは思います。あなたにも…」
「私も?」
「ええ…ご自身への呪縛を解いて欲しい、と。」
「…」
「私に言えるのは、ここまでです。差し出がましい事を言いました。お許し下さい。」
チクニは深々とお辞儀をすると、再び出口に向かって歩き出した。後はもう振り返らず、階段を降り始めた。
塔を出たチクニはインカラの馬の背に乗り、一旦城に帰る事になった。帰る道すがら、彼はインカラに尋ねた。
「女王はあそこで何をされているのでしょうか?」
「聞かなかったのですか?」
「…それは趣旨では無かったので、聞きそびれました。」
インカラはクスクスと笑ったようだった。
「正直な方ですね。まあ、面と向かっては聞きにくいですよね。」
やや間があって、彼は続けた。
「何もしていませんよ。」
「…何も?」
「ええ、何もしていません。食事も、寝ることすらしてません。」
彼はもう笑っていなかった。手綱を引き愛馬の腹を右足で挟むように叩いた。馬が速度を上げる。
「急ぎましょう。日も暮れて大分になる。」
「…」
やがて城に着いた。遅めの食事もそこそこに、二人は翌日のための打ち合わせに入った。
「私がお連れできるのは森の入口までです。きっと、招かれたのは元々チクニさんだけだったのでしょう。」
「前にも同じ様な事があったのですね。」
インカラは一瞬、チクニの方を見たが、再び手元に視線を戻し、続けた。
「マタが喋ったのですね。」
「はい。やり方が強引だと。」
「…王の厳命でした。まだ私も従うことしか知らなかった。」
「…さっき、女王はあの塔では何もしていないと。」
「…気になるのですね。」
インカラは手元から視線を変えずに言った。
「何もしていないと言うのは、あくまで見た目です。これは私も見た訳ではありませんし、見て分かるものでもありませんが…」
「随分、持って回った言い方ですね。」
「他に言い方が分からないもので…彼女達は生気を放出してるんだそうでです。」
「どういう事ですか?」
「つまり、女王はあの塔で命を削って季節を回している、と言ったんです。」
チクニは言葉がない。もはやインカラの言葉はチクニの想像を越えたもので彼に感想を語れる類いの話ではなかった。その代償が彼女達の孤独ならば、救われないではないか。
「その代償は、彼女達自身が知っているのではないですか。」
インカラも同じ思いを持った事があるのだろう、チクニの問いに答えたようにも感じた。
翌朝になった。
パイカの家を出て実に4日が経過している。ノンノに渡した予備の肺の薬は5日分だったので、今日が実質のリミットであった。
インカラが森の入り口まで送ってくれた。
「昨日も言いましたが、ここからはあなただけで行って頂きます。」
チクニは馬の背から降りて、王を見上げた。
「分かっています。あなたには随分お世話になりました。」
「無事戻ってくださいね。夕刻には迎えをここに送りますが、一時待たせたら帰ります。」
「分かりました。」
「悪く思わないで下さいね。この寒さで何時までも兵を待たせる訳にもいきません。」
「それも心得ていますよ。恨みになんて思いません。」
「良かった…よい知らせを期待しています。」
「私にできるだけの事はさせてもらいます。」
「お帰りになったら、馬の扱いを教えますよ。」
チクニはそれには答えず軽く右手を挙げ、あとは後ろを振り返る事もなく森へ入って行った。
晴れてこそいないが、風の無い朝だった。やや寒い事を除けば探索には恵まれた日と言えよう。
パイカがくれたラヨチの地図を見直す。彼の頼りはこれしかない。もし本当に彼が『選ばれた者』ならぱ、パイカの家にたどり着けるのだろう。ラヨチまでは大方半日ほど掛かった。もし前た同じ様に迷ってしまったら、今回は徒歩である。城に戻ることも叶わないだろう。
「…なるようになるか。」
チクニは誰に言うともなく呟いて、あとはひたすら歩き続けた。
「お姉ちゃんは薬の溶き方が上手いねー。」
ノンノはパイカの手元をキラキラした瞳でじっと見て言った。実際パイカの手際はとても素人には見えない。
「でも、本当にやったことなんか無かったのよ。ノンノちゃんの教え方が上手いのよ。」
「そうでしょー、えっへん!」
子供は謙遜等という面倒な感情が無い。パイカはそれが微笑ましかった。とは言え、いつもチクニの手伝いをしているのだろう、実際、ノンノの手際は大人も舌を巻くほどなのである。教え方が上手い、というのはパイカの本音であった。
「ノンノ、チクニのお手伝いもっと出来るようになるかなあー」
「うんうん、きっと大丈夫だよ。ノンノちゃんは立派な看護士さんになれるよ。」
それを聞くと、ノンノは少し下を向いた。
「あれ?どうかした?私変なこと言っちゃった?」
パイカが心配になってしゃがみこみ、下からノンノの方を見上げる格好になった。
「ううん。ノンノね、看護士さんにはならないからー」
「え?じゃあ、もしかして…」
今度は女の子の顔がぱぁっと明るくなった。
「そう!ノンノもお医者さんになるの!」
「チクニさんみたいな?」
「うん!」
「そっかあ…ノンノちゃんにはすごい夢があるんだね。」
パイカは遠くを見るような目で窓の外を見やった。
「ねえねえ!」
「うん?なあに?」
「パイカお姉ちゃんは、大きくなったら何になるの?」
パイカは一瞬戸惑った。
「わたし?」
「そう!」
ノンノは屈託が無い。嘘はつきたくないが、本当の事を言っても仕方ない。パイカは少し困ってしまったが、すぐに気を取り直して言った。
「私はね、お日さまみたいになるの。みんなの事をポカポカ照らせたらいいなあ、って思ってるのよ。」
それを聞いて、ノンノはキョトンとした表情になった。が、すぐに大きく目を見開いて叫んだ。
「あー!ノンノを子供扱いしたなー!」
二人で追いかけっこになった。
ドタドタドタッ!
しばらく机の回りを二人は回っていたが、やがて息が切れて、どちらともなく走るのを止めた。
「ふうーふふふふっ♪」
ノンノは笑顔こそ見せたが、胸を押さえて息を整えていた。
「ノンノちゃん、大丈夫?」
ノンノの事はある程度チクニから聞いている。
「うん…大丈夫だよ。チクニにお薬も貰ってるし。」
そう言って懐から薬の入った御守袋を取り出した。
掌に開けると中から小さな丸薬が零れ落ちた。
「あー、とうとうあと二つになっちゃった。」
薬を呑み込んで少しじっとしている、息を落ち着けているのだろう。少ししてから、大きく深呼吸をした。
「ふうー」
「落ち着いた?」
パイカが覗きこむ。
「うん、もう大丈夫。」
ノンノは窓の外を見やった。外にうっすら雪がちらついているのが見える。
「パイカお姉ちゃん。」
「うん?」
「チクニ、何してるのかなぁ…」
パイカも窓の外を見た。
「…そうだね、もうすぐ暗くなるのにね。」
もう半日以上になる。太陽が西にかたむきだして
チクニはすでに三回は同じ所を回っていた。
『…まずいな。もう昼を回って大分なるぞ。』
彼は自分の読みが浅かった事を痛感していた。女王の居所はやはり簡単には見付からない様になっているのだ。
『…に、しても妙だな。』
立ち止まり、考えてみる。本当に今日の行動は正しかったのか?
パイカとノンノの元に帰る事だけを考える余り、周りが見えていなかった事は無かったか?
そう思って辺りに気を配ると、確かに気配がしないでも無い。…そういう事だったか。
チクニは大きく息を吸い、できるだけ大きな声で言った。
「どこかに隠れてるであろう、護衛の方々!」
チクニは兵士ではない。彼らを見付けるける事など出来はしないだろう。そもそも居るか居ないかも定かでは無いのだ。だが、彼は構わず続けた。
「恐らく王の命により任務を遂行されている事とは思うが、ここは一つ、私にお任せ願えないだろうか!」
もちろん彼らがチクニの護衛ではない事は百も承知である。だが、このまま大人しく監視されている限り現状を打開する事は出来ない。
「今のままでは絶対に女王の元には帰れない!各々《おのおの》方も分かっておられる筈だ。なんとかお引き取り頂けないだろうか!」
周りに静寂が訪れた。チクニはその場に立ったままである。
『頼む…出てきてくれ。』
チクニはまだ動かない。
ガサッ
ガサガサッ
随分時間が経ったのか、直ぐであったのか、良く分からなかったが、少し離れた別々の木々の影から、二人の兵士が姿を現した。
『二重に見張りが居たのか。』
チクニは心の中で毒づいたが、彼らは彼らで命令を受けて動いているのだから仕方がない。だが、これでは辿り着ける筈もない。「やはり、強引に連れて行くつもりだったのですね。」
今度は明らかに咎め立てする口調で言った。兵士は二人ともチクニより年上に見えた、ということは部隊長クラスだろう。彼らに罪悪の意識は無い様子だったが、割り切れている風でも無かった。二人は互いに目配せをし、一人がチクニの方へもう二、三歩歩み寄った。
「おっしゃる通り、私達は王の密命であなたを監視していました。上手く春の女王の居所が分かれば森の入り口に待機している本隊へ一方が使いに出る手筈でした。」
『待機までしてるとは…』
チクニは声に出さず呟いた。
「でも、もう止めます。」
「…」
「私達も疑問でした。このままでは女王の元までたどり着けないのではないか、とも考えました。」
「…では、任せて頂けるのですね。」
「…はい。ここからは本当にお一人で行って下さい。」
「あなた方は?見失った、ではお困りになりませんか?」
それを聞いて中年の兵士は少し顔を緩めて言った。
「あなたは…流石に選ばれたお方だ。私達の事は気になさらないで下さい、何とかなりますよ。」
「…そうですか。」
「それよりも、春がこのまま来ないことの方が重大です。私達にも、街中のみんなにとっても。」
それを聞いて、チクニも再び顔を引き締めて言った。
「分かりました。私も春が来ないのは困る。」
「よろしくお願いします。」
「全力を尽くします。」
二人と握手をしチクニはその場を離れた。今度こそ帰らなければ。誰もがそれぞれの事情を抱えながら春を待っているのだ。
森の意思とはかくも絶対のものなのか。
チクニは監視の兵士と別れて再び地図にしたがって進んだが、空がいよいよ濃い紫の帳を降ろす頃になって、ついに木々の奥に家の窓明かりを見付ける事が出来たのだった。
最初に気付いたのは、ノンノだった。
「おねえちゃん!チクニ帰って来た!」
言うなり、外へ飛び出したものである。
「ノンノちゃん、夜はダメよ!森の結界が強いから…」
パイカは言いかけて息を飲んだ。目の前にはチクニが立っていた。ノンノがぶら下がるように抱きついている。
「…ただ今戻りました。」
チクニはパイカの表情を伺うように覗きこんだ。
「…お帰りなさい。」
パイカの声は消え入る位小さかったが、口調はしっかりしたものだった。チクニは借りていたベストを脱ぎ、近づいてきたパイカに手渡した。
「よくご無事で…」
「このベストのお蔭ですよ。」
チクニは皮肉を言った訳ではなかったが、パイカにはその意味が伝わったようだった。
「とにかく、中へ…」
「そうですね、ありがとうございます。」
「お食事は…?」
「…実は朝食べたきりで、ペコペコです。」
チクニが真顔で言うものだから、パイカは吹き出してしまった。
チクニは出された食材を黙々と食べた。腹も減っていたが、それよりもどう話を切り出したものか、悛巡している様子でもあった。
「お薬の方は…」
我ながら、他に話すことは無いのかと思うが、思い付かないのだから仕方がない。とにかく黙っていることがもどかしかった。
「はい!ノンノちゃんが思いの外しっかりしていて…とても利発な娘たと思います。」
つまりノンノが手伝ってくれた、と言いたかったのだろう。パイカもまた本題は分かっているのだ。
チクニはかえって気が楽になった。思い切って切り出してみる。
「パイカさん。」
「…はい。」
彼女は真っ直ぐな瞳をチクニの方へ向けている。彼女が先に口を開いた。
「…もう、全て分かっておいでなのですよね。」
「…そうですね。大体の事情は、理解したつもりです。」
勿論、全てではないだろう。彼女たちの背負った荷物の本当の重さは彼女達にしか分からないに違いない。今度はチクニが続けた。
「でしたら、これから私がお願いすることも、お分かりですよね。」
「…はい。」
「とても残酷なお願いだとは承知しています。でもラヨチの街の人達には、あなたが…春の訪れが必要なんです。」
パイカは黙って聞いている。
「…そして私にとっても、春は必要なんです。」
「…チクニさん、あなたがこの国に来た本当の理由は…ただの療養では無かったんですね。」
「…そうだね。」
不意に違う方向から小さな、しかし意思の強い張りを持った声がした。二人は同時に声の方向へ顔を向けた。
「…お母さま…」
そこには小さな瓶詰めを右手に、左手に杖をつき、更に腰をノンノに支えられた年老いた婦人が立っていた。
「…立って、大丈夫なのですか?」
チクニは医者とも思えないような質問をしていた。
「まあ、何とか…お蔭様でね。」
「お母さま…」
「ああ、あんたにも心配かけたね。もう大丈夫、とは言えないけどね。」
パイカは母親の手にある広口の瓶に目をやった。彼女はそれを気に介さない様子で話を続ける。
「これだろう、お目当ての品は。」
「…はい。」
瓶の中にあるのは肉厚な葉を持つ握り拳大の植物だった。
「…お母さま、この草は何なのですか?」
「ペンラムという薬草だよ。」
「薬草…」
代わってチクニが答えた。
「胸の病に効くんだ。これが…」
彼はパイカの母親の元に歩み寄り、小瓶の中の植物を見つめている。
「チクニさんは、これを探して?」
「…はい。私がラヨチを目指した本当の理由はこれを手に入れるためでした。理由は分かりませんが、この草はこの地域にしか育たない。成長の早い植物で芽が出るのは春ですが、本格的に暑くなる頃にはもう大きくなりすぎてしまうんです。」
「よく勉強しているじゃないか。」
パイカの母親は関心そうに言った。
「なら、どんな風に調合するかも分っているんだね。」
「はい。葉を乾燥させて磨り潰します。茎は炙って樹液を採り湯と葉の粉末を混ぜて練り込んでから乾燥させます。それを焼いた煙を吸って服用します。」
「正解だ。」
「⋯でも、群生する植物ではないので、量が確保できない。」
「そうだね、だからあんたはこの国に逗留することにしたんだろう?」
「…仰る通りです。ただペンサムは希少な植物なので、半信半疑でした。やはり来て良かった。」
パイカはチクニを改めて見直した。この人は姪のために僅かな可能性に賭けてこの地へやって来たのだ。
「これは、あんたにあげるよ。」
「え…?」
「薬湯のお礼さ、遠慮は要らないよ。」
あっさり言って彼女はパイカに向き直った。
「さて、次はあんたの番だ。」
「はい。」
「もう、気が済んだかい?」
「…」
「今更、言うまでもないだろう。」
「私は、ただ…お母さまの元に居たいだけで…」
「いいかい、あたしたちの勤めは春を届ける事だ。それは単に季節を回すだけの役割じゃないんだよ。」
そう言ってパイカの母親はチクニを見やった。釣られてパイカも彼を見た。
「このお医者みたいにね、本当に春を待ちわびている人達がこの世にはごまんと居るんだ。あんたはそれに応えなきゃならない。あたしを看取るよりもよっぽど大事な役目なんだ。」
パイカは既に泣きそうになっている。
「あんたも分かっていたんだろう?誰かに引導を渡してもらいたかったんじゃないのかい?」
「お母さま…」
「…でなきゃ、こんなベスト貸さないだろう。」
「…」
「いずれ、全ての事情を察したこのお医者が帰ってくる事は分かっていた筈だ。」
チクニも傍らで聞いていて、改めて自分の着ているベストを見た。言われてみれば、このベストの紋章(未だに彼には見えないのだが)をインカラに見られなければ、こんな事にはなっていなかったのだ。
「私は、チクニさんがここに帰り着けるようにと…」
「あたしを誤魔化そうとしたって無駄だよ。」
チクニもそう思っていたのだが。
「このお医者がここに現れたって事は、すでに森に選ばれてたって事だ。こんなもの無くてもこの男がやるべき事をやれば導いて貰えるさ。」
チクニはこの数日間の出来事は、どこかで偶然の作用が働いたものではないかと考えていたが、実はそうでは無かった。マタがパイカに自分の出来なかった事を託した事も、そこに自分が介入した事も、全てを知った自分がここに戻って来る事もそれぞれが気付かない内に自分自身で織り込んだ事だったのだ。そこにはいくつもの選択肢があったが、結果として自分がこの家に今戻れたという事は、その選択の結果が少くとも間違ってはいなかったのだと悟った。
「…実際、この男は帰って来た。パイカも自分の役目に戻る時が来たんだよ。」
「お母さま…」
「次に帰る頃にはあたしはもういないだろう。世話になったね。あたしもこの冬は楽しかったよ。」
パイカの母親は再びチクニの方を見て言った。
「あんたにも色々苦労をかけて済まなかったね。その株を増やせばこの娘の病にはきっと効果があるよ。それを持って故郷に帰りな。」
チクニは、二人に向き直った。
「いえ、私は帰りません。」
「え…?」
パイカも母親も、チクニの方を見た。
「私には、まだ大事な仕事が残っていますから。」
パイカの母親は返した。
「…何を言ってるんだい、あんたのお目当ては手に入っただろう。」
「いえ、もう一つの目的ができたんです。塔を出るときに決めた事があります。」
「…?」
「パイカさんが務めから帰るまで、私があなたの看病を続けます。」
パイカが大きく目を見開いた。彼女の母親は目を丸くした。
「チクニさん…!」
「あんたは何を言ってるんだい!」
二人が同時に叫んだ。
「あんた、あたしが夏まで持つと思ってるのかい?」
けっこう元気そうだが。パイカに変な期待を持たせたく無いのだろう。だがチクニはしっかりとした口調で続けた。
「私も医者の端くれです。あなたは私の患者でもあるんですよ。」
そしてパイカに向き直って言った。
「必ず、帰って来るまで三人で待ってますよ。」
「…ハードルを上げたもんだねえ。どうする、パイカは。」
パイカは顔を紅潮させていたが、ハッと我に還って大きな声で答えた。
「はい!よろしくお願いします!私、塔に行きます!」
そう言って腰がどうにかなりそうな程のお辞儀をした。
再びチクニは塔の入り口に立っていた。
「…まさか、本当に連れて来るとはね。」
彼の傍らに立っているのはマタであった。パイカはもう塔に登っている。チクニは塔を見上げたままで答えた。
「あなたのお蔭ですよ。あなたが私の背中を押してくれたんです。」
マタは少し嗤った様だった。チクニの言葉には答えず話題を変える。
「…で、これからどうするんだい?」
「ずっと不思議だったんです。何故四人の女王はこれ程までに孤独だったのか。あなた方の務めからすれば、余りにも割りに合わない代償だと。」
「謎は解けたのかい?」
「いいえ…でも余所者の私ぐらい、彼女の帰りを待ってもいいんじゃないかと。」
「…なるほどね。」
「可笑しいですか?」
「いや…やっぱり選ばれるだけの事はあるんだね…あんな明るい顔で塔を登ってきたあの娘を見たのは初めてだったよ。」
「勘弁して下さい…その選ばれた、って言うのは…どうにも慣れなくていけません。」
「まあ、いいじゃないか。」
マタは、今度は大きな声で呵々《かか》と笑ったが、再びチクニの顔を覗き込む様に尋ねた。
「で、夏になったらどうするんだい?」
「さあ…まだ決めてません。とにかく最後までお母さんの治療は続けますよ。ペンラムも増やさないといけませんしね。」
「ああ、そうだったね。」
「マタさんはどうするんですか?次の冬まで。」
マタはふっと、遠くを見るような目になって、言った。
「家に帰るよ。いつもより冬が長かったからね、もう疲れたよ。」
「家には誰か?」
「止めとくれ、私はまだ子供を生む歳じゃないよ。」
それを聞いたチクニは、少し考えた様だったが、不意に言った。
「…じゃあ元気になったら、家に来てはもらえませんか?姪の事も紹介しますよ。」
それを聞いたマタは、びっくりした様な顔になった。そんな事を言われた事など無かったのだ。少し間があって、彼女は今度は穏やかな表情で小さく答えた。
「…ありがとうよ。」
二人の間を、春らしい爽やかな風が通り過ぎた。
その頃、城の物見台にはインカラが座っていた。傍らには初老の紳士がいつもの様に控えている。
「…春の女王が塔に登られたようですね。」
老紳士が語りかけた。
「…そうだな。」
インカラも静かに答えた。塔のある方角をじっと見詰めている。
「あの男はパイカの家に居付くそうだな。」
「はい。」
「待つ者が現れた訳だ。」
「はい。」
「どう思う?」
「はい…?」
「伝え語りの様に、女王たちが民衆に、再び受け入れられる日がやって来るんだろうか?」
「…」
「そうなれば、私達も王を名乗る必要も無くなる。女王を護る本来の騎士に戻る時が来るのかも知れないな…」
少し間があって、老紳士が答えた。
「…私には、何とも…ただ」
「ただ?」
「私が生き永らえている間だけで、見届けるのは…」
インカラは目を閉じ、ふっと笑った。
「そうだな…愚問だった、答えられない事を聞いてしまったな。」
「いえ…」
二人の間に沈黙が訪れ、彼らの所にも静かに春の風が吹き過ぎていく。
老紳士はただ優しく、若き王を見守っていた。
要素を欲張りすぎ、色々消化不足もありますが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。