恩が取引材料になると思ったのか?
手伝われる事など何もなかった。まだ歩くのも覚束ないトマウの方がはるかにましだった。大陸豆の牛乳粥、ニシンのオムレツ、揚げトマトとスモークトースト、珈琲。どれを作るにしてもスースの存在はこれっぽっちも役立たなかった。
目の前で朝食を摂るスースをトマウはしげしげと見つめる。
「それでどうしてあんたは棺の中にいたんだ」
スースは時間をかけて咀嚼し、そうしてからようやく口を開く。
「棺の中にいたのは本来彼らの偽装です。私、売られるところだったんです。いわゆる人身売買というやつです。あまり詳しい事は掴めなかったのですが」
「俺は死体を奪うように依頼されたんだがな。どうしてあんたは生きてるんだ。今時死体の方が高く売れるんだが」
珈琲の苦みに唸りながらスースは答える。
「もちろん何か特別な理由があるのでしょう。私の知るところではありませんが。とにかく私は私を売り飛ばす計画を事前に知る事が出来、ケスパーさんに私を盗むよう依頼したという訳です」
さらっと予想外の答えが出てきた。
「ん? あんたが依頼者なのか? あの手紙の?」
「そうです。逃げ出すために、というのと。トマウさんのような人物に頼み事をするために」
何度か口の端に出ている『頼み事』という言葉をトマウは努めて無視した。
「一番優秀な墓荒らしがどうのこうのってのは何だ」
「それは後で話します。まずは朝食をいただきましょう」
何様だ、とトマウは思った。そもそもスースはさっきからずっと会話しながら淀みなく食事している。
「俺はまともな教育を受けていない自覚があったけれど、世の中にはとんでもない奴もいたもんだな」
スースがきょとんとした表情でトマウを見つめ返す。
「へえ。お友達ですか?」
「あんたと友達になった覚えはない」
「そうかもしれませんが、きっとお友達になれると思います。トマウさんとは気が合いそうです」
どうやら本気で言っているようだ。トマウは半ば呆れつつ作り物の笑顔を見せる。
「そうか。じゃあ俺達は今から友達だ」
湧き出るような、おそらく本物の喜びがスースの顔に現れた。
「はい! トマウさん。仲良くしましょう!」
「ちなみにさっきの奴だが」
「とんでもない奴、ですね?」
「ああ、あんたの言う通りそいつは俺の友達だよ」
「まあ、どんな方なんですか?」
やっぱり本気で言っているようだ。トマウはなんだか疲れてきた。しっかりはっきり言わない事には、この女には通じないらしい事を理解した。
「棺の中で死体のフリして、誰にも知られていない俺の棲み処に入り込んで、食料を駄目にした挙句、図々しくも朝食を食ってる女だよ」
ようやくスースは食事を休止した。ようやく事実を認識し、ようやく衝撃を受けた。
「それって私の事じゃないですか!?」
「初めからあんたの事だ。というかあんたの皿の方が多くないか? 何が盛り付けは任せてくださいだよ」
「でも初めてにしては上手くいったと思うんですけど……」
「盛り付けすら? どこのお姫様だよあんたは。国に帰れ。飯食ったらさっさとここから出て行け」
「それは駄目です。せっかく抜け出せたんですから。それに、トマウさんにぜひお願いしたい事があるんです」
「タダ飯食らった挙句タダ働きさせようってのか」
「違います。お金の用意はあります。この食事代だって払えます。後々にはなりますが。お願いを叶えてくれるなら、です」トマウの疑いの眼差しを見て、スースは続ける。「手付金、受け取りましたよね。あの依頼の通りのお金をお支払いいたします」
トマウは珈琲を飲み干したカップを手の中で弄びながら言う。
「仕事内容は? まさかあんたの死体をどこかに届けろってんじゃないだろ?」
スースが懐から紙切れを一枚取り出し、トマウに見せる。そこにはセピア色の病室の中で微笑む痩せこけた女と少し幼いスースがいた。
「母です。母を探して欲しいんです。おそらく私のように売り飛ばされてしまったのだと思います」
トマウには一切見覚えが無かった。
「警邏軍って知ってるか?」
「はい。我が帝国の治安維持を行う行政機関です」
「知ってるなら話は早い。そういう事は奴らに任せろ。中州に住むドブネズミか新大陸の田舎者でもない限り話くらいは聞いてくれるだろうさ。そもそも保護してもらった方が良いんじゃないのか? あんたやあんたの母親を売り飛ばした連中は今この中州を嗅ぎまわってるんだろ?」
「警邏軍全体を信用しないわけではありませんが、警邏軍の中に彼らの手先がいるかもしれません。私を売ろうとした人間はそれなりの権力者なので」
気が付けば二人とも食事を終えていた。スースはまだスプーンを握っていたが。
「とにかく、俺は警邏兵でもなけりゃ探偵でもない。人探しなんて人生で一度もやった事がない。何ならケスパーに紹介してやろうか? あいつなら金さえ払えば何だって手配してくれる」
「私が中州の帝王と直に渡り合えると思いますか?」
「思わないな。骨の髄までしゃぶり尽くされる。まぁ、何だっていいさ。とりあえずここから出て行ってくれるか。ここの出入りを誰かに見られたくないんだ」
返事もせず、空の皿を見つめているスースにトマウは加えて何かを言おうとした。が、遮られる。
「トマウさんが橋の上で止めた車を動かそうとした時、後ろから乗り込んできた男がいましたよね」
トマウははっきりと覚えていた。霊気機関を始動させられるか試していた時、突然男が隣に倒れ込んだ。男は気を失っていた。
「私がトマウさんを助けたんです。ポカッと後頭部をぶってやりました」
トマウは舌打ちをする。エイハスが呼ばれたと思ってよたよたと駆けよって来た。
「恩が取引材料になると思ったのか? この中州で」
スースは唇を固く結び、じっとトマウの目を見つめる。トマウはスースの視線から逃れるように背を向け、やってきたエイハスの眼球レンズについた土を取り除いてやる。
「俺がいない時に一人でここを出入りするな。確実に誰にも見られないように出入りするのはいくつかの確認手順がいるんだ」
自分の甘さに嫌気がさす。こんな、一銭の得にもならない事を、とトマウは心の中で毒づいた。しかしスースから反応が無い。
無反応に苛立ったトマウが振り返るとスースは空を仰ぎ見ていた。トマウも視線を追う。集合住宅の屋上に何か煌くものがある。まだ塒の頭上に姿を見せない曙光を色鮮やかに反射している。どうやらスースは鳥型機骸に目を奪われていたようだった。トマウが分かりやすいため息をつくとスースは視線を戻した。
「綺麗な機骸もいたものですね。翼の一部がガラスのようでした。プリズムのように虹色に光っていて……」と言い訳がましくスースは呟いた。
「機骸が好きなら棄て山にでも行けばいい。あそこはよく発生するんだ」
「いいえ、機骸も機械も、霊気機関も好きじゃないです。いいえ……何の話でしたっけ?」
この女の理解力に期待するのはやめよう、とトマウは思った。
「ほとぼりが冷めるまではここにいても良いって言ったんだ」
「ありがとうございます!」
勢いよく立ち上がったスースに驚いたエイハスが寂しげに軋みながら逃げて行った。




