死ぬには悪くない場所
濡れた地下道の黴臭くも冷たい空気を心地よく感じる。熱でひりついていた皮膚が快い。
機械の巨人を破壊出来たとはいえ、メルキンのしぶとさが忌々しい。
片足を失った『ケスパー』もエイハスも動きを見せない。とにかくタスキイの無事を確認するため、瓦礫を登ろうとした矢先、鷲の如き鳥型機骸とともにメルキンが舞い降りてきた。
青い血管の浮いたメルキンの顔は憔悴し切っているようだが、その目には殺意が籠っている。
言葉を交わす前に鳥型機骸が飛来し、トマウは弔銃を撃つ。概して軽量の鳥型機骸は墜落し、トマウに霊気機関を踏み潰された。
「どうした? 操り人形はもうおしまいか?」
トマウの言葉にメルキンは反応しない。トマウをねめつけて何かぶつぶつと呟いている。
今なら取り押さえられそうだ、とトマウは考え、一歩を向けた時、自分の考えが甘かったことを知る。
歪な穴の開いた天井の縁で何かが動いた。縁自体が動いたかのように、縁全体が蠢いた。見た事も無い数の機骸の群れに取り囲まれている。犬型と小鬼型が多い。メルキンを中心に囲み、その全てがトマウを見つめている。ナイフでは心もとない。弔銃では慰めにもならない。
短期決戦。今目の前にいる相手にナイフを突き刺す。それしかない。
メルキンもそう思ったのだろう。メルキンの前に数体の小鬼型が立ちはだかる。どれも腕力の強そうな大型の機骸だ。そうして次々に機骸が降り立つ。
どう考えても勝ち目のない数だ。背を向けてトマウは走り出す。機骸の軍団は挑発するように囃し立てるが、トマウには届かない。
幸い地下道にはどこの誰よりも詳しい。かつては両岸同様、中州にも地下街を作る計画があったらしい。地下道が縦横に張り巡らされ、いくつもの巨大な地下空間が建設されるはずだった。結局実際に造られたのは東西両岸を中州に繋ぐ川底の地下道出入り口付近だけだ。『ケスパー』が踏み抜いたような空間は僅かにしかない。
トマウは記憶と勘に頼って暗闇の地下道を走る。出入り口付近に差し込む火事の灯りと追ってくる機骸の燐光だけが光源だった。とはいえ、地下道を出る訳にはいかない。あの大量の機骸に囲まれてしまうだけだ。狭い地下道であればこそ機骸はお互いを押しのけあってしまい、追う速度が鈍っている。
まるで東岸から戻る際に、大量の水に追われた時のような焦燥感に陥る。機骸はまるで群体のようで、トマウに向かって流れてくる。
このまま狭い通路を走り、何とかメルキンのもとへ回り込むしかない。メルキンもまたそれを警戒しているだろうが、トマウには他に思いつかなかった。地下水道に逃げ込むという選択肢も一見魅力的に思えたが、ヴァゴウの例がある。魚型でなくとも追ってくる機骸が無いとは限らない。身動きの取れない水中で機骸に囲まれる訳にはいかない。
通り抜けようと考えていた行く先が塞がれている事に気付く。この騒動のせいか、以前から崩れていたのか分からないが、そんな事を考えている場合ではない。一瞬の混乱を諫めて、近くの横道に飛び込む。この通路がどこに繋がっているのか記憶を精査する。メルキンの位置を想像する。
焦りが機骸との距離を詰まらせてしまった。振り向きもせずに弔銃を放ち、少しばかり差を開く。
支配している機骸の感覚をメルキンが得ている可能性は低い。でなければ『ケスパー』の視界が悪くとも機骸を利用すれば何とかなるはずだ。とはいえ全ての機骸の一挙手一投足を操作しているとも考え難い。おそらく『追え』とか『噛め』とか、そういう単純な命令も可能なのだろう。
唐突に絶望に陥る。トマウの想像が正しければ、道を誤り、自ら死地に飛び込んだ事になる。それでも幾ばくかの可能性を模索するが、辿りつく結論は否、否、否だ。
狭い通路を抜ける。狭い通路を抜けてしまう。広い半球形、ドーム状の空間。それだけならまだいい。傷一つない壁、逃げ道一つない壁、行き止まり。
この空間の存在は覚えていた。何の為に作られた場所なのか、何に利用する予定だった場所なのか、トマウには終ぞ分からなかった空間だ。今、一人の墓荒らしの墓場になろうとしている。
トマウは立ち止まった。円形の床の中心で立ち止まり、追っ手と対峙する。入口から機骸が溢れてくる。赤黒い燐光を迸らせ、聞いた事も無い数の擦過音と歯車の音を奏でる。その機骸を掻き分けてメルキンが現れた。
メルキンは勿体ぶった様子でこの空間をしげしげと眺める。傷一つないどころか、凹凸すら殆どない。墓所に相応しいとすら思える。
「死ぬには悪くない場所かもしれないね」
メルキンはかすれた声で抑揚無く呟いた。呟いた程度にしてはよく響く。
トマウは吐き捨てるように言う。「帰りに入口はしっかり塞いでおいてやるよ。小狡い墓荒らしにお前の遺体を盗まれないようにな」
メルキンの支配下の機骸は全てこの空間に入ったようだった。トマウは入口から目を離せない。
「入口か。確かに、もうここに出口は無いね」
一部の機骸が狭い入口に積み重なっていく。隙間なく、複雑な形状が組み合わさっていく。瞬く間に唯一の出口が金属の塊で固く塞がれてしまう。それでもトマウを殺すに十分な数の機骸がメルキンを取り巻いている。
「さあ、これで万が一僕を殺しても君はここから出られないね」
「悪いが、お前と違って機骸じゃない友人もいるんだぜ?」
トマウはスースとタスキイを思い浮かべる。友人と思ってくれているだろうか。
「そうか。だけど君の友人が見つけるのは孤独な死体だ」
そうして高笑いするメルキンの声が響く。
トマウは決意と共に弔銃とナイフを構えた。
「やめなよ。今更そんなものが何になるっていうんだ。そのおもちゃが機骸を停止させられるのは一瞬だけ。その果物ナイフが僕に届く事は無い。弾丸は何発ある? 何発あろうと連続して撃てるのは六発だね。不十分だよ」
「そうだ、メルキン。気付いてたか。お前の授かった霊感とやらは弔銃に押し負けるんだ。一瞬と言えど、機骸に放ち続けるお前の霊気は俺の銃に屈する」
「だから何だよ。挑発で覆る状況じゃあないんだよ。トマウ。拘束されてる人間が一発見舞わせたくらいじゃあどうにもならないんだ。分かるか?」
従える機骸の群れが余裕を表すように、ゆっくりとトマウを囲んでいき、まるで見世物目当ての観客のように腰を落ちつかせる。
トマウは機骸を気にも留めず一歩進み、また一歩進む。呆れた様子でくすくすと笑うメルキンにトマウは微笑を向ける。
「まあ、君には十分楽しませてもらったよ」とメルキンは言った。
「そう言うな、メルキン。これからだ。ほら」
トマウが弔銃を天井に向けるのは機骸が立ち上がるよりも速く、その引き金を絞るのは機骸が襲い掛かるよりも速い。
機骸は硬直を超えて、糸が切れた操り人形のように倒れる。全ての機骸が力を失う。トマウにはそれが一瞬ではない事も永続ではない事も分かっていた。
銃声が折り重なる。二重三重に反響する。機骸に対する屈従命令が連続する。
数瞬の停止。
メルキンの傍へ走り寄るのに十分な時間。
疑問の浮かぶメルキンの顔にナイフを握ったままの拳を見舞うのに十分な時間。
一撃でもってメルキンを沈める。
「刺激的だろ?」
返事は無く、銃声は止む。




