名前くらい付けたらどうだ?
勿論死ぬつもりなどないし、なんなら覚悟すらしていない。トマウは自分の心を確かめる。もしも仮に自身の死が迫りくるのを目の当たりにすれば、泣き喚かないまでも後悔はするだろう。
それとは別にスースに関わる事はもうない。意味も、価値も、無いはずだ。お互いに。
硝子の鳥型機骸。ハーシーの屍材を基にした機骸を停止させる約束は守るが、そこにスースがいる必要はない。意味と価値はあるかもしれないが。そこは目を瞑ってもらおう。今の時代、身内の死体が働いていたところで誰も気にしない。気に留めない。場合によっては気づかない。それが普通の、そういう時代だ。
トマウの肌をじりじりと熱風が舐める。遠目にも巨大な直立二足歩行の機械が炎の嵐の中で腕を振り回し、撃滅の限りを尽くしている。胸の辺りにいるはずのメルキンはやはり巨大な盾のような兜のような防護壁に隠れて見えない。
搭乗者からはどのように外が見えているのだろう。兜のように隙間でもあるのだろうか。遭えて視界を塞がなかったとしても足元を見る事すら困難だろうに。
機械の巨人の破壊跡を見る限り、余りにも執拗かつ徹底的だ。無目的的に目につくものを破壊しているようで、そもそも目につくものを破壊するのが目的なのだろう。
中州が均されていく。旧シウム区に積み重ねられていたであろう歴史が消えていく。廃れたとはいえかつての繁栄を思い起こさせる美しい建築が瓦礫に変えられていく。灰と煙と化していく。旧シウム区が荼毘に付される。
未だに人々が逃げ回っていた。トマウは彼らと逆方向に、崩れる瓦礫を避け、燃える通りを走り抜ける。叫び声と救いを求める声が耳を塞ぐがトマウは足を止めない。いつもの腐臭のような死臭は吹き荒れる火災風に掻き消されているが、代わりに焦げ臭さの中に人の肉の焼ける臭いが混じっていた。
中州の破壊が終わればメルキンは両岸に牙を剥くのだろうか。警邏軍はそれまで動かないつもりだろうか。機械の巨人の進行方向を先読みし、トマウは比較的高い旧ホテルの屋上に上がって中州を見渡したが、警邏軍の姿は一切見えない。立ち入り禁止区域に市民がいる訳がないので静観する、という合理的判断だろう。
トマウは弔銃を引き抜き、巨人が辿りつくのを待つ。トマウの姿を見れば、優先して来るだろうと思っていたが、やはり視界が悪いのかもしれない。トマウが屋上に辿りついてから、さらに三棟が破壊された。そしてトマウのいる旧ホテルを真正面に見据える。全身が見えなくとも妙に威圧感を与えられる。丁度肩の辺りが屋上と同じ高さだ。
巨人はまるで単調な仕事に従事するかのように義務的に拳を構えた。トマウも巨人に銃を向ける。繰り出される巨大な拳が最上階の屋根に当たる直前に弔銃を放つ。一発、二発、三発。
吹き飛んできた瓦礫に直撃しなかったのは幸運だ。しかし巨人が旧ホテルの屋上に縋りつくように無様に倒れたのはトマウの狙い通りだ。
蹴躓いただけで転ぶのが人間だ。直立二足歩行であるならば、四足歩行の犬型機骸と違い、一瞬の急停止ですら平衡を失うのは理の当然だろう。それが大きく重心を動かす動作の最中ならば尚更だ。
メルキンの乗っている胸の辺りは屋上よりも下になってしまった。次の動作の兆候が見えると弔銃を撃ちつつ、トマウは素早く屋上の縁から飛び降り、階下のバルコニーに降り立つ。
懸念事項だった搭乗者を守る金属壁は覗き穴以外に隙間のない『兜』ではなく、横にも隙間のある『盾』だった。当たり前と言えば当たり前だ。万が一、そうそう起こりえないことかもしれないが、仮に機械の巨人が動けなくなった時に脱出できなくては困る。
最悪覗き穴への攻撃しか無いかとも思っていたので助かった。トマウはナイフを抜き放ち、人一人分の出入りできる隙間に躊躇なくナイフを差し込む。
感触は無かった。トマウは隙間を覗き込み、空の搭乗席を認める。
後頭部に金属の棒を押し当てられる。
「迂闊だね。トマウ」
「ああ、迂闊だった。確かに、乗る必要なんて無いんだよな」
「いつもならそこで冗談を言うのが君だと思ってたけど、そんな余裕もないって訳だ」メルキンはクスクスと笑う。「乗る必要が無いっていうか。乗りたくなかったんだよ。せまっ苦しいし、視界は狭いし、上下運動が酷くて酔うし、乗る分には最悪だよ、これ。鞴派って本当に馬鹿だね」
「俺は乗るまでもなく分かったがな」
メルキンは何度でも可笑し気に笑う。
「調子を取り戻してきたのかな? でも、まあ、君はここで死ぬ。僕の新たな力の糧となる」
「人を殺したって町を破壊したって機骸を操作する力にはならないがな。お前のそれは屍蝋病患者の症状だ。ハーシーから感染したのさ」
メルキンは何も言わずに銃身をさらに強く押し付ける。
「さあ、銃をそこに置け、トマウ。巨人をこかされてはたまらない」
トマウは素直にメルキンの言う通りにする。
「巨人ってのは味気ないな。名前くらい付けたらどうだ?」
巨人が再び直立する。バルコニーに立つ二人の前に聳え立ち、巨大な拳を天高く振り上げる。
「時間稼ぎかい? だけどまあ一理あるね。そうだな。これから君を殺す機械兵器の名は『ケスパー』」
「最悪だ」
『ケスパー』が巨大な拳を振り下ろす。




