しがない墓荒らしと賢い少年
「待たせたなぁ。トマウ。首尾はどうだぁ?」
工場の外で曇り空を見上げるトマウの元へ、チンピラ特有のふらついた足取りでケスパーがやって来た。
「上々だ。ケスパー」そう言ってトマウは地面に置いていた革袋を蹴る。袋はどさりと倒れ、骨ばった細い手が出てきた。「そっちは相変わらず景気がよさそうだな」
「鞍替えしてからこの方景気が悪かった時なんてねぇよ。捨てるしかなかった死体がいくらでも売れるんだぜ。そもそもが世の中全体で好景気ってやつなんだからな。今やありとあらゆる場所で霊気機関が使われてる。燃料需要は尽きねえよ。当然屍材を取り扱う者は表も裏も嬉しい悲鳴だ」
トマウは革袋を起こし、その口を開く。干からびた男が体を丸めている。
「そりゃ良かった。せっかく持ってきたこれが売れないんじゃ困るからな」
「馬鹿言うんじゃねえ。一度した取引だ。借金してでも完遂するぜ。金の事で俺様に疑いを持つんじゃねえ。ほれ」
ケスパーが懐から出したよれよれになった紙幣の束を取り出す。それを太い指で検め、トマウに差し出した。受け取ったトマウもさらに検める。
「確かに。何にせよ、闇取引の元締めは一番儲かってんだろ?」
「さあな。俺様は誠心誠意商いをさせてもらうだけさ。儲かる事をする、儲からない事をしない。それだけだ」
「知ってるよ。これ一つ俺に売りつけて、よくもまあ稼いだもんだ。まあお互いさまなのかもしれないけどな。それも次で終わりだ」
ケスパーはさっとトマウの腰元に目をやる。そこには一丁の拳銃が収まっている。
「弔銃か。やっと完済するのか。お前には金儲けの才能はないなぁ、トマウ」
「こっちにも入用があるんだよ。弔銃の代金だけで済むならとっくの昔に払い終わってたっての」
「よくもまあ、そんなものが使えたもんだ。と、この五年ずっと考えてたぜ」
ケスパーは弔銃を指さして嘲るように言った。トマウは腰に収めた銃把を撫でる。冷ややかな真鍮の鋲、擦り減った蔦模様の溝、空砲の込められた輪胴の慣れた重みと感触を実感する。
「これでこれだけ稼いできたんだ。簡単に 機骸をぶっ壊せる」
「実弾ならもっと簡単だ。それに人もぶっ殺せる」
「相手が羽虫型だったら簡単にはいかないさ」
「そんなもんを使うやつがいればの話だがな。でっけえ野獣みたいな 機骸なら飼いならすのも悪くねえが。いずれにせよ」
と、ケスパーが言ったところで何者かが工場内から飛び出した。襤褸から飛び出した手足は痩せこけており、背丈の低さから見てまだ子供だと分かる。麻袋を抱えながら大通りの方へと走り去った。
続いてケスパーの部下達が何人か工場内から飛び出し、一人が立ち止まってケスパーに状況を説明する。加工前の屍材を盗まれたらしい事をトマウは傍で聞いていた。ケスパーに怒鳴りつけられながら男は子供を追って出ていく。
「おい、トマウ。ぼさっとしてんな。取り戻せ」
「俺はしがない墓荒らしだぜ、ケスパー。あんたの取引相手であって部下じゃない。それとも警邏軍に見えるか?」
ケスパーは忌々し気に舌を打つと吐き捨てるように言った。
「ガキがどいつもこいつも舐めやがって。取り戻した分の五割くれてやる。さっさと行きやがれ」
「あんたの面子は良い値だな。毎度あり」微笑みながらそう言うとトマウもケスパーの部下達に続いた。
ほとんどの場合、こういう死体に囲まれた環境にあって多くの人間の鼻は麻痺し、鈍感になるのが常だった。それは何も死体を扱う商売に限らず、霊気機関が広まるにつれ社会全体で臭いに寛容になった。
仮に死臭、悪臭が耐え難い状態になったとしても、それはより強い良い香りで打ち消すのが慣習になっている。世の中はありとあらゆる種類の臭いで溢れ返っている。死臭小路などと呼ばれる掃き溜めのような場所においてさえ、例外ではなかった。
しばらくしてトマウはケスパーの部下達とは違う道へと入り込む。あばら屋の隙間を縫い、朽ちた集合住宅の中庭を突っ切って進む。太陽が雲に陰り、風が強くなってきて、臭いがいくらか吹き飛ばされるとトマウは何度か立ち止まざるをえなかった。あの子供が残した痕跡を嗅ぎ分ける為だ。
トマウは生まれつき、臭気に敏感だった。それだけでなく、このような仕事をするに辺り、その種類や危険性安全性、風や気圧に伴う動きを出来うる限り学び、実践してきた。学び、とは言っても図書館や学校へ通う金も権利も無かったので、仕事の中で実感し、記憶してきた。今の所、この仕事にも大いに役立っている。
盗まれた物の臭いも盗んだ者の臭いもトマウのよく知る場所へと向かっていた。中州の一角、かつては人の手で管理された自然公園だった廃墟へとやってくる。最早溜まるだけ溜まって濁り切った大きな噴水を中心にした円形の広場の片隅に少年は蹲っていた。肩で息をし、相変わらず大事そうに商品を抱えている。
すぐ傍の蓋のないマンホールから轟々と地下水道の流れる音が聞こえてくる。先日の雨で勢いを増している事にトマウは気づいた。
「よう。泥棒。もう逃げられそうにないな。大人しく品物を返した方が良い。高くつくぜ」
「やだ」と一言、荒い息の合間に少年は言った。
「馬鹿言うな。痛い目に遭わずに返すか。痛い目に遭って返すかの二択だ。賢い少年ならよく分かるだろう」
「やだ。母さんが死んでもう僕一人で……」
「やめろやめろ。そんな珍しくもない身の上話で誰の同情が引けるんだ。どうしても生き残りたけりゃ相手を選べ。ケスパーから何かを盗むのは自殺行為ってもんだ」
少年はより強く盗品を抱き寄せた。襤褸布がめくれて露わになったのは白い二対の手だった。銀の指輪が朧げな光を反射した。
「そんなもの売っても大した金にはならねえよ。大体どこで売るつもりだ。中州は全域がケスパーの監視下だぞ。そうでなくてもお前みたいなガキを誰が相手にするんだ」
少年は何も言わなかった。二対の腕を抱き締めたままで呼吸は整ってきた。
「いいさ。そうしたいならそうしてろ。俺もしたいようにさせてもらう」
トマウは少年に近づくと容易く盗品を奪い取った。少年は腕を奪い返そうとするがトマウに蹴り飛ばされる。少年は何かを掴んで抱え込むように蹲った。盗品の白い手から指輪が無くなっている事にトマウは気づく。
トマウが少年を蹴り上げる。少年は嗚咽と共に軽々と転がった。
「お前は生きたいのか死にたいのかどっちなんだよ!」
声を荒げて、もう一度少年を蹴り飛ばす。少年はさらに転がると地下水道の上、蓋の無いマンホールまで転がった。少年は落ちまいと必死に地面に縋りつく。トマウは少年の手首を踏む。
「良いか。上流階級のクソどもはスラムの馬鹿どもを足蹴にするし、同じような地位でも蝋燭派と鞴派のように対立して蹴落とし合うんだ。帝国は教国と血で血を洗ってきたし、議会派は皇統派を根絶やしにしようとしてる。ケスパーから物を盗んで馬鹿な奴もいたもんだと思ったが、ただの考え無しか。戦って争って生き残る気がないなら勝手に飢え死ね」
トマウは少年をマンホールの中へと蹴り込んだ。真っ暗な穴の奥へと少年は吸い込まれていく。大きな水音が闇の奥からくぐもって聞こえた。
トマウの名を誰かが呼ぶ。ようやくケスパーの部下達がここへと辿りついたらしい。
「腕は取り戻した。ガキは死んだ」
トマウはそれだけ伝えた。
それに対してケスパーは不満げだった。元紡績工場へと戻って来たトマウや自分の部下達の報告を聞き、約束の金を支払いながらもいらつきを隠さない。
「お前は言われた事しかできないのか。ぼんくらメルキンでも出来る仕事だろ」
「金にならないことはできないな」とトマウは答えた。
「生きてても死体でも金になる。それくらい分かるよなぁ?」
「儲かるのはあんただし、俺はしがない墓荒らしだ。殺し屋でもなけりゃ便利屋でもない。約束通り腕を取り戻した。報酬を受け取った。それで終わりだ。どうしてもガキの死体が欲しけりゃ先に報酬を提示しろよ」
ケスパーは鼻を鳴らして吐き捨てるように部下達に言う。
「てめえら。ガキを探しておけ」
そうしてケスパーは事務所の奥へと消えていった。