どこかの隙間に落っこちた歯車
場所が場所だ。放っておけば目の前のその巨体は数分後には機骸の胃の中だ。元より適切に処理してやる気などトマウにはさらさらないが。もたついて誰かに見られでもすれば面倒だ。トマウは足早に裏路地を通り抜け、別の道から再び大通りに戻る。
トマウは再びルミクの喜び寺院へ向かう。それがメルキンの言っていた蝋燭派の寺院なのかどうかは分からないが、そうでないにしても他に探す当てもない。
外套の下に隠しているとはいえ、三丁の拳銃の膨らみは目立つ。ミアムセ島の警邏軍が仕事熱心でない事が助けになった。文字通り警邏している兵士は一人も見かけない。独立した警察組織の創設を求められているこのご時世でこれなのだから、トマウには最早彼らは開き直っているのだとしか思えなかった。
ルミクの喜び寺院は工業区の中心部にある。その建造物は周りを囲むコンクリート造の先進的な工場に比べてあまりに場違いな印象だ。舟屋を起源とする奥へと引っ込んだ様式の一階と権威を誇示するように高く鋭く伸びる上階。石造りにしては見上げるほどの高さではある。それでも周囲の工場に比べれば遥かに小さいと感じる建物だ。
開放されている扉を入ると広々とした講堂で、信徒を相手に僧侶による説教が行われていた。
これだけ多くの人がたった一人の話に聞き入っている姿をトマウは初めて見た。辻説教と比べて何が違うのか、その僧侶の朗々とした声をは届いていたがトマウには分からなかった。
魂の流転、労働の喜び、初めの導師、神の掌、苦しみの緩和、不屈の欺瞞、普段使わない言葉が雨あられと飛んでくる。
最後にその僧侶が信徒達に向かって質問はあるか、と問うてきた。信徒ではないがトマウは高々と手を挙げた。少々の混乱がその場に起きたものの僧侶は響き渡るその声で「一番後ろで立っておられる方、どうぞ」と言った。
「蝋燭派って何、ですか? あと、何だったか。鞴派?」
講堂がざわつく。トマウを非難する声も上がっていたがその僧侶は場を鎮めて答える。
「初めの方にも言いましたが、寺院は決して神の代理人ではなく、その御心を承知している訳ではありません。またその大いなる御心は大変深く、かつ複雑でもあり、決して人間が全容を理解できるはずもございません。とはいえ、その慈悲深き御心に我々人間は応えなくてはなりません。ですから常に謙遜を抱きながらも、神の御言葉が届くよう我々は努めねばなりません。確かに、時代を経て過去の僧による解釈に綻びが見つかる事もございます。されど神は常に我々に一つの目を向けておられる事に変わりはありません。また我々が神の御心を慮るあまり、その教えを疎かにする事をお望みではありません。寺院もまた解釈に纏わる諸々によって世俗を混乱させるを良しとはしておりません。もちろんお貸しくださる知恵は喜んで享受させていただきます。炎に触れず熱に触れよ、でございます」
意味不明だった。トマウの問いに対して、その僧侶の言った言葉がどう関連するのかまるで分らなかった。
「それであんたは蝋燭派なのか? それにこの寺院は?」というトマウの言葉を遮るようにまた別の僧侶が脇から現れた。
「お話を聞きましょう。どうぞこちらへ」
その僧侶は微笑を湛えてトマウを見下ろしている。忘れもしない聖火病院で対峙した大男の墓守だ。
馬鹿な事をした、とトマウは後悔する。しかし銃に伸ばした手は止められず、弔銃の引き金を引いてしまう。銃声によって一瞬、講堂は静まり返った。大きい音とはいえ、聞きなれない音に人々は初めは少し混乱しただけだった。そして背後で銃を引き抜いているトマウと倒れている男の姿を見て、ようやく事態を認識した。哀れな迷い子達は悲鳴を上げ、我先にと講堂を出ていく。トマウ達のいる正面の扉以外から、僧侶も信徒も関係なく逃げていく。
「くそっ。馬鹿か俺は。何撃ってんだよ」
「貴様! 一体何を考えている! 泥棒とはいえ神の御前でひっ捕らえるわけがないだろうが」
「うるせえな! ついだよつい!」
「くそ! 何故動かんのだ! 何故ただの一発でこんな!」
墓守は右足を動かそうと躍起になっている。正確には霊気機関の義足だ。しかし全く始動する気配はなかった。大男の胸元に揺れる真鍮の眼球を見、実弾を込められたケスパーの拳銃を取り出して言う。
「あんたは蝋燭派か?」
「何の話だ、一体」
「メルキンがハーシーの遺体は蝋燭派の寺院に渡したと言っていたんだ。メルキンってのが遺体を盗んだ犯人なんだよ」
「そんなもの、受け取ってはいない」
「やっぱりあんたは蝋燭派なのか? メルキンの事は知ってるのか?」
「そもそも蝋燭派だの鞴派だのは個々人が表明する思想的偏りに過ぎん」
「分かりやすく言ってくれ」
「蝋燭派の信徒はいても蝋燭派を表明している寺院などない。蝋燭派が多数を占めている組織という意味ならいくつもあるが」
「じゃあ受け取ってはいないってなんだ? 横のつながりがあるんだろ?」
「貴様には関係のない事だ」
「それは俺が決める事だ」
そう言ってトマウは銃口を墓守の眉間に向ける。
「お前が考えている程単純な話じゃあない。私が把握できるほど単純でもない。寺院の中にも様々な権力闘争がある。金の流れもあれば、思想のぶつかり合いもある。そういう枝が複雑に絡み合った中で屍蝋病の研究がなされ、いくつか価値ある果実が生った。そのうちの一つの果実が鞴派の中で生り、それが失われたので霊園管理公社が駆り出された」
「霊園管理公社は鞴派って事か?」
墓守は真っすぐに見つめ返して言う。
「そういう傾向にあるという事だ」
「でもあんたは蝋燭派なんだな」
「個人的にはな」
トマウは纏まらない頭の中を何とか言語化する。
「聖火病院は鞴派でハーシーは果実か。で、おそらく蝋燭派の手先としてメルキンが盗んだ。霊園管理公社がそれを追っている。あんたは蝋燭派だけど仕事はきちんとやるって訳だ」
「ハーシーの遺体を欲するだろう蝋燭派の研究施設をいくつか知っているがどこも手に入れてはいない。蝋燭派の寺院に渡したというのはメルキンとやらの嘘か貴様の勘違いだろうな」
「結局遺体の在り処を知っているのはメルキンって訳だ」と、トマウは独り言のように言って、銃を収める。外の様子を窺うトマウに墓守は言う。
「どうだ? 分かりやすかったか?」
「いいや。全然わからなかったな。だけど分かる必要がない事は分かった。俺は歯車を探してくれと言われたんだ」
「歯車?」
「ああ。その歯車がどんな機械でどんな役割を持っていたかなんて俺には関係ない。誰が機械を作って誰が機械を壊したのかなんてあいつには関係ない。俺はどこかの隙間に落っこちた歯車を見つけるだけだ」
「確かに、貴様はおそらくこの事態に最も無関係な男だろうな。ただ歯車を見つけたいだけという訳か」
それは違う。トマウは心の中でそう呟いた。『歯車を見つける事』もまた俺の野望を達成するという機械の一部品に過ぎない。それは高価だが交換可能な部品だ。




