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機械仕掛けと墓荒らし  作者: 山本航


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お腹に入れる

 日は大きく傾き、空は朱に染まっている。東の空はわずかに黒ずみつつあった。街灯はまだ灯っていないが、どちらにしても封鎖された地下道に明かりがあるはずもない。


 トマウは一度塒に戻る。エイハスはすぐに気付いてやって来たが、スースは台所で何やら作業を行っている。金槌を振るうような音が聞こえるが、トマウは気にしない事にした。寝床の脇につるしてあった携帯用の鬼火灯を手に取り、すぐさま引き返す。


「トマウさん!」と背中に声をかけられる。「戻っていらしたんですか?」

「まだ終わってない。すぐに戻るから待ってろ」


 トマウは足を止めず、鬼火灯を灯し、地下道へと急ぐ。


「少しお腹に入れてはどうですか?」と言うスースからの呼びかけにトマウは答える。

「急いでるんだ。手がかりを失ってしまう」


 会話はそれで終わり、トマウは地下道をひた走る。迷宮のごとき地下道もトマウの長年の経験と鋭敏な嗅覚で、普段立ち寄らない東岸へ渡る地下道にもすぐに辿りついた。

 例の水晶画面に映った落書きを見つける。ケイビア人がよく彫っている刺青の文様に似ている。三つの人魂が渦を巻いているような意匠だ。これに関しては新思想かぶれの若者が描いた落書きにすぎないだろうけれど。


 トマウは鬼火灯を掲げて東岸へ真っすぐに貫かれた地下隧道の入り口を見渡す。特に荒れ果てているという様子もない。煉瓦敷きの道がずっと続いている。

 封鎖されているのは東岸側だけだが、わざわざ近寄る者は中州にいないらしい。雨風は凌げるが明かりも何もない場所で生活は出来ない。


 どこかで水の滴るような音がする。さらに耳を澄ませてもメルキンの痕跡は見つからない。しかしメルキンの不意打ちがないとも限らない。トマウは気を引き締めて暗闇を突き進む。


 元々は、そして行く行くは地下に鉄道が通る計画もあったらしい。中州に疫病が流行り、荒廃し、貧民窟に成り下がり、無法者の溜まり場にさえならなければだ。東岸と中州と西岸を人々が行き来し、一つの街として機能していた事だろう。

 今やこのクヾホオク市はミアムセ島の、いや帝国全体の『対立』の縮図だと言われている。あの生きながらに屍蝋化する疫病が流行って以降、あるいは中州の住民が見捨てられたというあの告発がなされて以降、現在の対立は顕在化したのだという。


 トマウは足を止める。気配を感じるというのは、一つ一つでは意識に上らない程の微小な感覚を脳が統一増幅させてようやく感じる事が出来た状態だという。人並み外れて鋭いトマウの嗅覚に比べれば劣るものの、視覚も聴覚も人並み以上の機能を持っている。それでいてようやく意識の警報網に引っかかるという事は、それ程に距離を取っているか、もしくは息を殺す事に長けた者だという事だ。そういう者が後ろから追ってきている。ケスパーの部下だとしたらグムタ辺りだろうか。気配を潜ませるのは不可解だが、しかしそれは些末な問題のように思えた。


 前方に隠れる気のない者達が複数いる。多数いる。大勢いる。灯を掲げ、目を凝らして、相手の姿を確認している場合ではないとトマウは判断した。すぐさまに発砲する。銃声が響く。何度も何度も重なり響く。逃げ場のない音が反響し、機骸スペクターを黙らせていくはずだったが、停止させた数は予想の遥かに下だった。この場であればむしろ普通以上の効果があってしかるべきだが、不可解な現実がトマウに立ちはだかる。


 一体の機骸スペクターが照明の範囲外からのそりと侵入してくる。それは一見何の変哲もない犬型機骸スペクターだ。金庫犬エイハスに比べれば大きくて、病院の番犬メエタオに比べれば小さい。二つの瘤状の機関がそれぞれ両肩にある。特徴といえば特徴だが、特に珍しくもない。油槽か何かだろう。

 しかしそれだけではない。種々雑多な機骸スペクターが十数体現れる。この暗闇に対応している機骸スペクターばかりだ。眼球レンズの大きな鳥型機骸スペクター、嗅覚器官らしき機構を全身に備えた小鬼型機骸スペクター。しかしどれもこういう環境ならではの当たり前でしかない。何一つおかしな点は見当たらない。弔銃の弔音に耐えたこと以外は。


 機骸スペクター達がじりじりと迫る。トマウは一発の空砲を放ち、その金属の亡霊達が地に伏せるのを確認する事もなく駆けだした。群れの真ん中を突っ切るととにかく走る。幸いこれといった障害物もない。追ってくる気配もない。今度はきちんと弔音が効いたようだ。

 しかしあの機骸スペクター達がまた立ち上がるかもしれないと思うと足は止められない。後方に耳を澄ませながら朧な暗闇の中を走る。


 あとどれくらいだろう、というぼんやりとしたトマウの思考が吹き飛ぶ。目の前に壁が立ちはだかる。正確には巨大な機骸スペクターだった。


 ずんぐりとした形状。体側から無数の鎖や鉄板がスカートのように垂れさがっている。通路を塞ぐように横たわっていたそれはトマウに気付いて目覚めたようだった。足は見えないが四足歩行の犬型のようだ。見た目は豚だが。普通の機骸スペクターに比べて無意味な部品が多いように見えるのは表面積が大きいからだろうか。一定の間隔で時計のようにかちかちとなる歯車が顎の下で回っている。


 何故こうも機骸スペクターに襲われるのか、とトマウは嘆く。弔銃で止められないだけでなく、そもそも害意を持たれる事自体、本来はそう多くない事だ。人間に調教されたり、霊気機関に不調が出た時の一症例だったりで人を襲うことは出来る。野生化したものなら後者しか考えられないが、霊気機関の不調による最も多い症例は全機能の停止だ。


 巨大豚は立ち上がるとトマウを見据える。鎖や鉄板を引きずって煉瓦を擦りながら近づいてくる。しかしあまりにも鈍い。通路を塞いでいなければ無視して通り過ぎるだけだった。このまま行くなら巨大豚の下をくぐるしかない。しかし躊躇われる。トマウはこの巨体に自分が押しつぶされる光景を想像した。かといって上を超えるなら動きを止めたい。


 トマウは弔銃を構え、巨大豚の眼球レンズ群に狙いを定めて引き金を絞る。弔音がこだまする。しかしその巨獣は全く動きを止める気配を見せない。この距離でこの巨体に対して、多少指向性のある音とはいえ当たらないわけがない。


 その時、後方から機骸スペクターの迫る音を感じた。さっきの群れもやはり立ち上がったのだ。トマウは覚悟を決めて巨大豚の鎖のスカートの中へと飛び込む。


 一瞬の事だ。


 トマウは反射的に弔銃を放ち、後方に飛び退く。一瞬見たのは小鬼型機骸スペクターの群れだった。巨大機骸スペクターの下に機骸スペクターが潜んでいた、とトマウは思ったが訂正する。正確には巨大機骸スペクターの中にその小鬼達は潜んでいた。突然現れたトマウに驚いたのか小鬼達は巨豚の体の下に空いた穴の中へと逃げて行ったのだった。それに対してトマウはとても悍ましいものを感じた。


 幸いに弔銃が今度は効いたようだ。巨豚が足を崩してへたり込むように倒れた。押し潰された小鬼の部品が飛び散る。

 しかし今度は巨大機骸スペクターが壁になる。その巨体をトマウが登る前に、追いついた機骸スペクターの群れに囲まれる。トマウは自身が弔銃を握っていない事に気付く。

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