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機械仕掛けと墓荒らし  作者: 山本航


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取引の時間

 本来、ここにあるべき姿と比べれば、つまり指定封鎖地区である中州という点を鑑みれば、旧シウム区の一角にある死臭小路と呼ばれる地域はまるで繁華街のようだ。一世代分古い建築に挟まれた道路は摩耗したようにくすんでいるし、夜になっても灯る事のない旧式の街路灯のほとんどは力無く傾いている。ひん曲がったガス灯の中には色褪せた煉瓦の廃屋に寄りかかっているものもあった。だが法律的に存在するべきでなくとも、確かに人の往来がある。裏稼業や闇商売に携わる者達ではあるが、そこには確かな活気があった。


 トマウは人込みを避け、いくつかの路地を曲がり、より薄暗い方へと進んでいく。より舗装が剥がれ、より窓が割れている方へと進む。元々マナーや思いやり等とは無縁の土地ではあるが、人が少ない割に不躾な視線が増えていく。

 他の多くの町々と違い、この土地の支配者は人気の少ない、目立たない街の奥の暗がりに潜んでいる。旧工業区の片隅にある、かつての紡績工場がこの立ち入り禁止区域の実質的な中心地として存在している。


 見張りと軽い目くばせをすると、トマウはその廃墟の如き煉瓦造りの建造物へと入る。

 紡績工場にかつてあったであろう機械類は影一つない。硝子の割れた窓には板が嵌め込まれているせいで昼にも拘らず薄暗く、日向と日陰が斑模様を作っている。そこでは陰気な表情の男達が立ち働いていた。

 死臭が充満し、床も壁も血に汚れている。ここでは人体が燃料に加工されている。最新の製霊工場に比べれば、まるで猥雑な作業環境であり、ここで作られる屍材はお世辞にも高品質とは言えない。


 トマウは屍と歩く屍のような男達の間を抜け、工場の奥へと進む。かつての事務所の奥、色褪せた革張りの椅子に目が据わった肉付きの良い男ケスパーが座っている。その前にはケスパーと取引した四人の商売相手が蹲っていた。確か多額の前金を受け取って百体近い死骸を用意するという話をしていた。

 その四人の背中を見下ろすようにしてケスパーの秘書、巨漢のグムタが聳え立っている。隅にメルキンもいた。雑用だ。

 ケスパーは事務所に入って来たトマウに一瞥を向けたが、蹲る四人の商売相手に視線を戻す。そしてガラガラ声で静かに言った。


「さて、取引の時間だ。しかしまあ、よくも騙してくれたもんだ、この俺様をよ。運搬船から丸ごと盗み出すなんて大胆不敵な連中だと買ってたんだがなぁ」


 男達が絶望したように呻く。トマウは壁に寄りかかり、成り行きを見守る。


「違うんだ。騙したわけじゃない。失敗したんだ。墓守に遭っちまって……。途中までは上手くいってたんだ。だが船が沈んでしまって」

「それで?」と言ったケスパーの目には何の感情も籠っていない。その事情には何の興味もないのだろう。

 別の男が意気を振るって言葉をつなぐ。

「金は返す。見逃してくれ」


 ケスパーは深いため息をついた。それだけで四人の男を震え上がらせるには十分だった。


「まあ、いいんだ。それはそれ、これはこれだ。俺様はお前たちに売りたい商品が二つある。一つ目は、お前らなら喉から手が出るほど欲しがると思うぜ」


 蹲る四人の男達はそれが何かわからない様子で黙っている。ケスパーが続けた。


「新鮮な屍材の原料があるんだ。えーっといくつだったかな」


 ケスパーに視線を向けられたグムタがすかさず答える。


「四体ですね。活きの良いのが四体ここにいます」


 ケスパーが吹き出すように笑う。


「馬鹿かお前は。それだけじゃねえだろ。こいつらを加工すれば路頭に迷う女が三、ガキが五。いや、少し待てば六だな」


 男達が我先にと涙声で乞い始める。


「分かった分かった。黙れ黙れ。俺様も鬼じゃあねえ。合わせて一三体分、お前ら四人で買い取ればいいのさ。幸いまだ腐っちゃいねえ屍材って訳だ。そう、時間も迫ってねえ。どうだ?」


 十三体分など簡単には稼げない。男達は絶望しつつも、その提案を呑むしかなかった。あるいは呑んだふりをしてもう一度ケスパーを出し抜くつもりかもしれないが。

 男の一人が控えめに手を挙げて「俺はすぐにでも支払える」とぼそりと言った。


「ほう? いくらだ? 隠し持ってやがったのか」とケスパーは面白そうに微笑みながら言う。

「一人分。支払える額を預けてある」

「なぁるほど。一人だけ独り身なのはお前か」


 察したメルキンがくすくすと笑っている。他の三人は裏切り者を見るような目で一人分を支払うと言った男を睨み付けていた。


「取りに行かせよう」


 ケスパーの指示でメルキンは男に場所を聞き、事務所から走り去った。

 よほど近くにあったのか、足が速いのかすぐに戻って来たメルキンは鞄を抱えている。中に入っていた紙幣は一人分には十分だった。

 裏切り者の男はケスパーに渡される鞄を絶望した表情を浮かべて目で追う。


「毎度あり」そう言ってケスパーが投げて寄越した鞄にはまだ金が残っていた。八割ほど失われていたが。

 裏切り者の男の顔にはありありと疑問が浮かんでいる。金が残っている意味を必死に探っていた。

 ケスパーはそういう男なのだと、トマウやグムタ、メルキンには分かっていた。法や倫理とも違う独自の決まりをケスパーは持っているらしい。人を殺し、脅し、物を奪い、壊し、しかし金の約束だけは口約束でも決して破らない。端から理不尽な約束である場合が多々あるが。

 裏切り者の男は何事か感謝の言葉を述べて、鞄を抱き締めてその場を走り去った。


「さて、他に払える奴ぁいるかぁ? あいつみたいに一人分だけ支払えばとりあえずは自由だぜぇ?」


 そうする者はいなかった。


「そうか。じゃあ二つ目の売りたいものだ。お前らの計画を見抜いてくれたメルキンが言ってたんだが、俺様をぶん殴ってやるぜ。とか何とか息巻いてた奴がいるらしいなぁ?」


 今度はグムタがクスクスと笑い、残った三人の男達は口を開かない。


「金は返しただろ? 十三、いや十二体分もきっと払う。もう見逃してくれ」男の一人が震える声で言った。

「見逃してくれぇ? 俺様はそんな事ぁ聞いちゃいねえよ。俺様をぶん殴りたいってのはどいつだってんだ。もしかしてさっきの奴だったかぁ?」


 蹲る男達は誰も何も言わなかったが、その視線が物語っていた。二人に視線を向けられた男は一層震えて俯く。

 ケスパーは立ち上がり、その男に近づいた。


「今いくら持ってる?」


 男は何も言わずに己の財布をケスパーに差し出す。ケスパーは財布を開き。札も小銭もすべて取り上げる。


「よし。この金で俺様をぶん殴る権利を売ってやろう」


 ケスパーは顔面を男の目の前に持ってくる。しかし男は微塵も身動きせずにただただ震えていた。ケスパーは低い声で脅すように言う。


「早くしろよ。時は金なりだぜ」


 男はおずおずと顔を上げ、ケスパーと目を合わせる。そしてゆっくりと拳を持ち上げる。


「遅えんだよ!」


 ケスパーの怒鳴り声につられて、男は小さな悲鳴と共に弾けるように拳を繰り出した。拳はケスパーの鼻面を捉え、中州の支配者を仰け反らせた。派手に鼻血が吹き出し、蹲る男に赤い飛沫がかかる。その顔には鼻血と恐怖と後悔の色に染まっている。

 グムタが悪態をついてケスパーを打った男を締め上げようとした。しかしケスパーはそれを制止する。


「毎度あり」


 鼻血を拭いもせず、微笑みながらそう言ったケスパーは今儲けた金を自分の財布にしまい込む。


「うーむ。我ながらぼろい商売だ。そうだ、お前ら十二体分買おうにも金がないんだろう? やってみちゃどうだ? 殴られ屋をよ」


 蹲る男達の一人がゆっくりと手を挙げた。


「おお。そうか。それで? いくら分殴らせてくれるんだ?」

「一体分」


 かつての事務所が爆笑に呑まれる。


「女を泣かせるたぁ甲斐性のない男だぜ。どうするんだ? お前の嫁とガキ二人は」


 男は何も言い返さない。


「後で買いたいと言っても取り合わんぜ?」


 男はぼそりと何か言ったがトマウには聞こえなかった。


「ようし。契約成立だ。メルキン。一体分だ」とケスパーは言った。


 突然話を振られたメルキンが慌てて男の方へと近づく。


「え? 僕ですか? 一体分ってどれくらいですか。僕のさじ加減で良いんですか」


 これから殴られる男は目を瞑ってその瞬間を待っていた。メルキンは特に何の躊躇もなく男に近づくなり殴った、というより叩いた。軽い音が事務所に響く。

 叩かれた男は少し体を震わせただけで、少しも痛みを感じていないようだ。だが、見開かれた目には驚きしかないようだ。


「お願いします」と男は言った。「ケスパーさん。メルキンさん。あと三人分、お願いします」

 他の二人もケスパーに飛びかからん勢いで口々に喋る。残りの八体分を売ってくれ、と。


「まあ、待ちな、お二人さん。こいつの話を先に聞かせてくれ」


 ケスパーは冷たい目で、メルキンに叩かれた男を見下ろす。


「あと三人? 誰を買うんだ? 隣の二人のお仲間と? その女か? ガキか?」

「違う。違う。違う。ビンネ。トルミア。コム。俺の家族だ。嫁と子供たちだ。頼む。売ってくれ。買わせてくれ」


 ケスパーは冷たいまなざしを男に投げつけ、突き放すように言う。


「残念ながら今しがた八体分捌いちまったよ。売り切れだ。メルキン。お客様にお帰り願え」


 ケスパーに命じられて、メルキンは泣き叫ぶ男を引きずっていく。

 改めてケスパーは残りの二人の男達に向き直る。生気の失われていた顔が少しだけ紅潮し、目に小さな輝きが戻っている。


「さて、グムタ。八体分だそうだ」というケスパーの声を聴くまで。


 二人の男は聳え立つグムタを見上げ、その大きな影の中で声にならない悲鳴を漏らして後ずさりする。

 長引きそうだと悟り、トマウは荷物を持ち直して部屋を出た。

 ケスパーにしては割安な商売だとトマウは思った。

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