墓穴の労働者
その可能性が事実だとしたら、とてもまずい。最早手遅れの可能性の方が高いくらいだ。探すべき遺体の娘というカードが手元にある事で、トマウはケスパーの部下達よりも先んじているつもりだった。誰よりも遺体を見つけられる可能性が高い、と。
トマウは心の中で一人自嘲する。それどころか初めから遺体を持っている人物が、あの場に、バザに依頼を受けた事務所にいたのかもしれない。
だがそれならばあの場でそう言わないのは何故か。やはり他人の空似か、あるいはバザに引き渡すつもりがないかだ。
トマウとスースは中州へ戻るためシウム大橋の裏を進む。元は橋の点検用の通路だったのが、関税を払えない貧しい者がこっそりと行き来するうちに増改築され、今や歩行者だけなら橋の上よりも多くの人間が行き来していると言われる。当然お上は喜ぶはずもないが、上る利益を鑑みてケスパーが警邏軍を黙らせているそうだ。
昨日も今日も渡し舟を使ったが、帰りの舟が捕まらなかったのだった。
初めて橋裏を渡るのであろうスースはきょろきょろと辺りを見回す。鉄筋だの合板だので作られた危なげに軋む足場を人々が行き来する様に目を丸くしている。また川に張りだした店舗から漂う良い匂いに釣られ、頭上の橋裏の暗がりで蠢く機骸の群れにおののいている。
「橋の裏がこんなに活気溢れているなんて知りませんでした。ちょっと見て行きませんか? もうお昼時ですし、お腹すいてませんか?」
「良いのか? あんたの母親を『連れ去った』奴が分かったかもしれないんだぞ」
「それもそうですね」
トマウが何か言おうとしているのを察したのか、先んじてスースが口を開く。
「すみませんトマウさん。母が亡くなっている事を言っていませんでしたね」
「ん? ああ、そうだな。失踪したかのような口ぶりだった。生きているとも言っていなかったかもしれないが」
だからあんたは母が生きていると思っているのだと俺は考えていた、とトマウは心の中で呟く。
「あまり母が死んでしまった事を実感したくないのです。母はまだ働かされているかもしれない。ただの死体といえばその通りですが、そんなの惨いと思いませんか?」
「思わない。今の世の中を支えているのは墓穴の労働者のお陰だろう。思ったよりも保守的なんだな、あんた」
威勢のいい魚売りの女が通り過ぎる。豪胆な売り文句に会話が遮られた。スースは出来るだけ負けないように大きな声を出す。
「そうかもしれません。でも生前散々働かされた母にはせめて死後くらい安らかに眠っていて欲しいのです」
「まあ、あんたが母親の死体をどう扱おうと勝手だ。俺は求められた死体を引き渡して金を受け取ればそれでお終いだよ」
トマウはずっとそうやって生きてきたのだった。
「止まれ」とトマウは言った。遥か前方に目を凝らしながらスースを制止する。「ここで待ってろ」そう言ってトマウは獲物を見つけた肉食獣のように息を潜めて足音を忍ばせ歩を進めていく。
いつも背後から現れる男の背中に声をかける。
「よう、メルキン」とトマウは言った。
背中をびくつかせてメルキンが振り返る。橋脚周りの広場にはいくつもの露店がある。メルキンは安い酒を飲みながら昼食を取っていた。
「おっと、珍しいねトマウ。橋裏はあまり使わないって以前に言っていたような気がするけど」
薄暗がりのせいかメルキンの顔色が青白く見える。
「船が捕まらなくてな。お前こそここで飯を食ったりするんだな」
そう言ってトマウはメルキンの向かいの席に座る。やって来ない店員に適当に注文する。酒は飲まない。
「言った事なかったかな。ここの飯はともかく僕橋裏好きなんだよね」
「そうなのか? 俺は……特にどうという気持ちもないが」
「見てよこれ。どう思う?」と言ってメルキンは床を指さす。
板やロープ、ありあわせの物で作られた床が多くの人間を支えている。あちこちに隙間があり、川の流れがよく見える。
「蜘蛛の巣みたいだ、とはよく思うな」
実際中州から見ると橋裏は靄がかっているように見える。このありあわせの空間を支えるロープや鎖は植物の根のように張り巡らされているからだ。
「この今にも崩れそうな不安定感。一歩一歩に感じる緊張感。刺激的だと思わない?」とメルキンは言うのだった。
「思わない。出鱈目ではあるが実際に堅固な耐久があるからこの橋裏は成立してるんだろ?」
「ま、そうだね。実際の所はそれほど不安定でもないんだろう。ところであのバザとかいう男の仕事は順調かい?」
「ぼちぼちな。お前は?」
そう言って、ようやく運ばれてきた夜泣き鳥の串肉をトマウは頬張った。
「僕? 別にあの仕事には関与してないよ。ケスパー様は誰でもいいから探して来いって言うけど。トマウが探しているならトマウより先に見つけられる奴はいないでしょ。僕は身の丈に合った仕事をするだけさ」
「身の丈ね……」
トマウは絶句する。
「相席良いですか?」
スースがメルキンの顔を覗き込むようにして言った。トマウは追い払う仕草をしたがメルキンは言う。
「他に席は……無いみたいだね。どうぞ、お嬢さん」
「ありがとうございます。わあ! それとっても美味しそうですね!」
スースはメルキンの前にある皿を見て感嘆する。
「ただの肉麺だよ。教国料理が好きなの?」
「あまり料理の種類は知りませんが、それはとっても食べてみたいです」
「じゃあ奢ってあげよう。おじさん! 肉麺もう一つ!」
「ありがとうございます! この廻り合わせに感謝致します」とスースは丁寧に礼を言うのだった。
目くばせか何かでスースを追い払おうにもメルキンの前では出来そうもなかった。目敏い男だ。
「えーっと何の話だっけ?」とメルキンがトマウに向き直る。
「あぁ、今何かしている仕事があるのか?」とトマウは言った。
「まあ……ね」
「どうかしたか?」
「何だかトマウに自分の事を聞かれるなんて初めてな気がする」
「そうか? まあそうかもしれない。俺は興味を持つと何にでも首を突っ込むからな」
メルキンとスースが笑う。お前は分かってないだろ、とトマウは心の中でぼやく。
「そういえばお前は汚名返上しないといけないものな、メルキン?」
「ん? 何の話?」
「何の話って、金を払って解決したとか言っていたけど、ケスパーは根に持つだろう。俺も何度同じ借りを返したか分からん」
「んー? 何のことだっけ?」
トマウは苦笑いする。
「少し前に話したばかりだろ? 棄て山で」
メルキンは思い出したようにはっと口を開き、今度は逆に固く口をつぐむ。
よくよく見るとメルキンは顔だけでなく手も青白い。
「しくじったって話しただろう? そういえばアレ、何をしくじったんだ?」
世間話のつもりだったが、トマウは何かが繋がるように感じた。
メルキンがこちらをじっと見ている。スースは運ばれてきた肉麺を頬張っている。
元々健康的な肌艶には見えなかったが、明らかにメルキンの血色は悪くなっている。さっきよりも、さらに。
次の瞬間、メルキンが机をひっくり返そうとする前にトマウは机を押さえつける。
手を伸ばし、メルキンの腕を掴もうとするがするりとすり抜けた。走り去るメルキンをトマウは追いかける。スースは走り去るメルキンとトマウを目で追いながら肉麺を咀嚼する。




