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アルタザン

「……その巫女もどき、何が何でも神の御許に送り込む」


 聖剣の呪いが、クローデルだけでなくイリスにまで波及している事が判明した後、ぶちギレたイリス迫られたクローデルは、土下座謝罪と共に、これまでにあった洗いざらいの事を吐かされた。

 それを全て聞き終えた後、イリスの――これから嫌でも行動を共にする事になる『聖女』の口から漏れたのは、聖女にあるまじき殺意溢れる反応であった。


「イ、イリスさん。それで、これからどうするんですか……?」


 深甚とした怒りを漂わせるイリスの様子に震えながら、聖剣を両手で抱き締めたクローデルは思わず丁寧語になって、これからの行動を恐る恐る尋ねる。転生してから十六年かけて作り上げたキャラは、最早崩壊寸前である。

 なお、クローデルが聖剣を抱きかかえているのは、先ほどイリスが聖剣を破壊して呪いを解除する事を試みたからである。

 聖剣を破壊すべく、何の躊躇もなく放たれたイリスの前蹴りは、分厚い刃の聖剣を針金のようにくの字に折り曲げた。だが、聖剣の自己修復能力はその程度ものともせず、すぐに元通りに修復されてしまった。

 しかし、聖剣の受けたダメージは、痛みという形でクローデルにフィードバックされるのだ。聖剣が折り曲げられた瞬間、クローデルの背中には背骨が折れるような激痛が走り、地面を芋虫のようにのたうち回る羽目になった。これ以上聖剣の破壊を試行されたら、呪いから解放される前に、クローデルの心が死んでしまう。それだけは勘弁だった。

 震えながら放たれたクローデルの問いかけに、イリスは眉根にしわを寄せながら答える。


「とりあえず、貴様に聖剣を押し付けた巫女もどき――フィリーネを探す」


 今の状況の全ての元凶であろうフィリーネを探すのは、実に妥当な行動だろう。


「だけど、どうやって探すんだ?」


 だが、それが出来るかどうかは別だ。

 フィリーネは、国際指名手配を受けているような過激派である。にもかかわらず、これまで捕まっていないという事は、それだけ優れた隠密能力を持っているという事だ。その所在があっさりと掴めるはずがない。


「……地道に足取りを追うしかあるまい」


 クローデルの言葉に、イリスは苦々しげな様子で答える。


「とりあえず、貴様の住んで居た場所――ノイエンベルク緩衝領に居た事は確実なのだ。当座の目標としては、そこを目指すことになるだろう」


 イリスが口にしたのは、最後の所在地から足取りを追うという、奇をてらわない堅実な行動方針だった。

 だが、そうなると、聖剣の呪いが途方もなく足を引っ張る事になる。

 何しろ、大陸中央はほぼ完全に神聖結界に守られているのだ。聖剣の呪いで神聖結界に踏み込めない以上、それを迂回したルートを取るしかない。


「……つまり、大陸の外周を踏破すると?」

しかり


 その言葉に、クローデルは暗澹とした気持ちになる。

 神聖結界は、大陸の中央を完全に覆っている。そうなると、残されたルートはイリスの言う通り大陸の外周を踏破するしかない。その上で、ノイエンベルク緩衝領が大陸の北部に、ヴェノム大森林が東部にあることを考えれば、大陸を反時計回りに進むのが妥当だと思うだろう。

 だが、地形的問題から、そのルートは断念せざるを得ない。

 なぜなら、大陸北東部を引き裂くように『大断絶』が存在するからだ。

『大断絶』とは、底が見えないほど深い大渓谷と、その周辺に広がる広大な不毛地帯の事を指す。その不毛っぷりは尋常ではなく、ぺんぺん草どころか苔の一かけらすら生えてこない有様である。湧き水の一つも存在しないだだっ広い荒野を超える事はどれだけの準備を整えても不可能であり、深刻な魔力異常のせいで、軍用の飛行艦ですら墜落は免れない。

 それが『大断絶』だった。

 そんな土地が広がっている以上、ノイエンベルク緩衝領に向かうには、大陸の外周を時計回りに進むしかない。そのルートは、大陸を四分の三周するというとんでもなく長い行程である。しかも、その途中にはヴェノム大森林のような立入規制地域が複数存在している。正直、命がいくつあっても足りそうにない旅路だった。


「それしかないか……」


 だが、現実問題として、それしか取れる手がないのも確かだった。

 基本方針が決まると、イリスは荷物の中からやたら詳細な地図を取り出し、具体的な針路について検討していく。


「先ほどの騒ぎのせいで、ケルゲレン要塞に近づくのは危険だろう。まずは、ヴェノム大森林の表層を進む形でケルゲレン要塞から出る斥候の目を誤魔化しつつ南下。それから、最寄りの街に立ち寄り、路銀集めと情報収集に当たる事とする」

「分かった」


 決定事項として今後の方針を通達してくるイリスに、クローデルは頷く。この周辺に詳しいわけでもないクローデルでは、意見を挟むことなど出来なかった。


「それで、最寄の街はどこなんだ?」


 正直、名前を聞いた所で、それがどんな場所なのかなどクローデルが知るはずもないが、一応確認してみる。


「ここ――アルタザンだ」


 クローデルの問いかけに、イリスは地図上の一点を指差しながら答える。


「アルタザンは、ケルゲレン要塞群の南翼を担う城砦都市の一つだ。街道の結節点の一つとして、交易も盛んだ。ここで情報を集めて、装備を整え……おそらく、長くても二日程度の滞在になるだろうな。その後は、東辺街道の枝道を南下して――」


 流れるように、アルタザンに到着してからの予定をイリスが口にするのを聞きながら、クローデルは群青に染まった夕暮れの空を見上げ、嫌な予感を覚えていた。


「なあ、イリス……さん」

「――なんだ?」


 いきなり話を遮られたイリスの機嫌が急降下するのを感じ、思わず丁寧語になりながらも、クローデルは言葉を続ける。


「あれ、なんだと思いますか?」

「…………」


 クローデルの視線を辿ったイリスは、その先の光景に沈黙する。

 それは、群青に染まりつつある空に向かって延びる、一筋の煙だった。

 明らかに人為的な煙の筋は、あっという間にその数を増していき、北に、南に、西にと広がっていく。

 それは間違いなく、何か急報を伝えるために放たれた狼煙のろしだった。


「赤、か……」


 煙の色を見たイリスは、整った眉の間にしわを寄せながら、小さな声で呟く。


「これは、少しばかり厄介な事になったかも知れんな……」




 それから二日後、クローデルとイリスは、アルタザンにほど近いヴェノム大森林の表層を歩いていた。

 表層とはいえ、もちろん道など存在しないヴェノム大森林である。森の中の道程は、歩くというよりはアスレチック競技と言った方が正確な代物であった。ケルゲレン要塞までの強行軍と異なり、不思議と魔物との戦闘が無かったとはいえ、相当な体力を消費する道程だった。

 しかも、あの泉を旅立ってから、クローデルは実質的に一切の休息を取っていないのだ。強行軍九日目に達したクローデルの疲弊っぷりは相当なものだった。


「なあ、イリス。いつになったらアルタザンに到着するんだ?」


 疲れ切ったクローデルは、いつだかと同じように聖剣を杖代わりにして歩きながら、思わず愚痴じみた調子で前を行くイリスに尋ねる。ついでに、口調に関してはイリスが「……済まんが、そのしゃべり方は止めろ。何故かわからんが鳥肌が立つ。さん付けもだ」と言った事で元のものに戻っている。キャラ崩壊の危機は、寸でのところで回避された。


「黙れ、軟弱者」

「な、軟弱……」


 そんなクローデルの言葉を、イリスは容赦なく斬り捨てる。クローデルと同じ行程を進んでいるはずなのに、イリスに疲労の色は見えない。男だというのにイリスより先に弱音を吐いてしまったクローデルは、反論できずに押し黙る。

 だが、疲れ切っているクローデルを見て、多少なりともテコ入れが必要だと感じたのか、イリスはチラリと地図を見て、クローデルに告げる。


「……仕方あるまい、そろそろ森を出るぞ。それで少しは歩きやすくなるはずだ。それに、森を出て歩けば、アルタザンまではあと半日もかからん」

「……分かった、ありがとう」


 その言葉で僅かに力を取り戻したクローデルは、疲れ切った足を必死で動かした。そして、その日の昼、ようやくの事でアルタザンを見下ろす位置にある丘までたどり着いた。


「ここが、アルタザンだ」


 丘の上から見えるアルタザンは、こじんまりとした城砦都市だった。

 アルタザンは、人口も数千人程度の城砦都市であり、規模としてはケルゲレン要塞の数十分の一程度の代物である。

 森の際に、巨大な岩のように単独で存在していたケルゲレン要塞と異なり、アルタザンの周囲には広大な畑が広がっていて、小麦と思しき作物が植えられている。所々に案山子などが立っているその光景は、どこか牧歌的なものがあった。


「何だよこれ……」


 だが『牧歌的』という言葉は、過去形で使うべきであろう。

 城塞の土台にあたる、草花の生い茂った丘の斜面は、見るからに作り立てといった風情の塹壕が掘られ、青々と茂った畑には、大型のトラバサミが地雷のように無数に設置されている。城壁の上部には馬鹿でかい丸太が縛り付けられ、攻め手が押し寄せてきたら容赦なく潰してやるという意気込みを見せている。普段は隊商キャラバンなどを受けて入れているだろう城門は、無数の土嚢や障害物が積み上げられ、梃子でも開かないという決意を感じさせた。

 そんな、どう見ても臨戦態勢の城砦を見て、クローデルは呆然とする。これから大陸を四分の三周する長旅を始めようというのに、初っ端から不穏な空気満点である。


「やはりか……」


 クローデルとは対照的に、臨戦態勢のアルタザンを見たイリスは、予想通りという反応を見せた。


「やはり……?」


 説明を求めるクローデルに、視線をアルタザンに向けたままのイリスが口を開く。


「赤の狼煙は『方面動員』と『領域封鎖』を意味する神衛共和国の軍令符丁だ」

「『動員』と『封鎖』……?」


 それだけ言われても、クローデルには何が何だか分からない。とりあえず、何やら不穏な気配が漂う文言である事だけは確かだ。

 そんなクローデルに、イリスは分かりやすく現状を説明した。 


「要するに、ケルゲレン要塞周辺の人間は、住民だろうが旅人だろうが洗いざらい軍に徴兵されて、街道網は軍の補給部隊が占有して通行不能になるという事だ」

「……は?」


 イリスの言葉に、絶句するクローデル。一体何があれば、そんな事態になるのだ。

 その答えは、すぐに分かった。


「……む、来たようだな」


 その時、唐突に、イリスが視線を森に向ける。クローデルもよく分からないまま、その視線を追う。

 クローデルとイリスの視線の先。そこでは、森の木々が猛烈な勢いで揺れ動いていた。明らかに、何かが木々の下に居る。

 しかも、その揺れはどんどん森の際に――アルタザンに近づいていく。

 そして、揺れが森の端に達した瞬間――


「魔物の群れ⁉」


 ――そこから飛び出してきたのは、無数の魔物の群れだった。

 オーク、オーガ、ケルベロス、アラクネ。とにかく雑多な種類の魔物の群れは、森から飛び出した勢いもそのままに、アルタザンに向かって突進していく。途中でトラバサミに引っかかったり、落とし穴に落ちる魔物もいるが、そんなのお構いなしの狂騒状態である。

 押し寄せる魔物の群れ。それに対し、アルタザンの城壁から多数の攻撃術式が放たれる。その光弾が着弾する度に、近くの魔物が天高く打ち上げられ、青々と茂った畑がクレーターの群れへと変わっていく。


「覚悟しろ、クローデル」


 眼下で繰り広げられる死闘。それを見て呆然とするクローデルの耳に、イリスの言葉が届く。


「ここまでの道中、明らかに会敵エンカウントする魔物の数が少なかった。おそらく、ヴェノム大森林の中で『レギオン』が結成され、ケルゲレン要塞群に押し寄せているのだろう。赤の狼煙が上がったのはそれが原因で間違いない」


レギオン

 それは、万単位で押し寄せる、統率の取れた魔物の群れの事だ。その結成は、緩衝領滅亡要因のトップに位置する非常事態である。


「この『軍』が殲滅されない限り、動員と街道封鎖が解除されることはない。当然、我々が先に進む道もない」

「……もし、殲滅に失敗したら……?」


 恐る恐る放たれたクローデルの問いかけ。それに対し、イリスはなんてこと無いように、クローデルの予想通りの答えを返した。


「その時は、貴様も私も、城を枕に討ち死にだ」

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