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勇者<<<超えられない壁<<<聖女

「なんでこんなにオーガが居るんだよ……」


 周囲を多数のオーガに囲まれ、クローデルは呆然と呟く。

 オーガとは、一般脅威度Bランクの魔物だ。人間を圧倒する膂力を持ち、分厚い皮膚と筋肉は弓矢での攻撃など容易に弾き返す強靭さを誇る。たとえ相手が単独でも、一般人では対処困難であり、それなりのレベルの冒険者でも苦戦を強いられる、そんな強敵だ。

 だが、普通オーガは群れを作ったりしない。基本的に、単独で行動する魔物なのだ。


「まあ、普通はありえんな」


 絶体絶命の状況に、目を血走らせて活路を見出そうとしているクローデルと異なり、イリスは平然とした様子で周囲の森を見回している。


「だが、ここはヴェノム大森林だ。オーガの統率個体が湧いていてもおかしくはない」

「ヴェノム大森林⁉」


 その言葉は聞き捨てならなかった。


「まさか、ここってヴェノム大森林なのか⁉」


 ヴェノム大森林とは、大陸中央東寄りの広大な範囲を占めている、この世界でも数少ない第一級特別立入規制地域の一つだ。

 特別立入規制地域とは、日々森を切り開き、湖を開拓して生存圏を広げている人類をして「あ、これ無理だ」と匙を投げた超危険地帯のことである。基本的には、三級から一級までの三段階で評価されている。なお、ヴェノム大森林を含む第一級特別立入規制地域の危険度は、百人の屈強な兵士が集団でそこに踏み込み、翌日の生存率が五割を切るレベルと言われている。

 つまりここは、端的に言って『死の森』だった。


「何を驚いているのだ?」


 衝撃の新事実に絶句しているクローデルに、イリスは怪訝そうな表情を浮かべて情報を追加する。


「あの峰がドラケンスバーグの北壁で、あそこに見える山がその『ツノ』だ」


 ヴェノム大森林は、その三方を急峻な事で知られるドラケンスバーグ山脈に囲まれている。そこ自体も飛龍種の群生地であり第三級特別立入規制地域に分類されるこの山脈は、西に向かって開かれた龍の口のような形をしている。『角』と呼ばれる部分は、その東北の端にそびえるドラケンスバーグ山脈の最高峰だった。

 それが間近に見えるという事は、今クローデルが居る場所が、ヴェノム大森林の最深部であるということを示していた。


「終わった……」


 自分の置かれた絶望的な状況に、クローデルは思わず聖剣を取り落としそうになる。これはゲームで言えば、開始と同時にラスボスのダンジョンに放り込まれたに等しい状態である。オーガの群れがいなくとも、完全に詰んでいる。


≪アルタークの気配を感じたと思ったのだが……≫


 そのとき、重苦しいくぐもった声と共に、クローデルの絶望をさらに深める存在が、森の木々をかき分け、押し倒しながら、その姿を現した。


≪なぜ、毛のないサルがこんな所にいる……?≫


 それは、クローデルの倍ほどのサイズを誇るオーガを、さらに倍にしたような巨体を持つ化け物――ジャイアントオーガだった。筋骨隆々とした体は嫌と言うほど鍛え上げられ、浅黒い肌には白い古傷が無数に走り、これまでの戦いを物語っている。


「嘘だろ……」


 ジャイアントオーガ、それも言語を理解して統率個体になるような歴戦の長命個体アルターとなれば、それは十万人規模の人口を抱える城塞都市が存亡の危機に陥る、一般脅威度Sランクの化け物である。もし人里近くに現れれば、万単位の軍勢が討伐に乗り出すだろう。

 今、クローデルの前に居るのは、そんな化け物だった。


≪まあ、奴が居ないのならそれでよい。お前たち、サルどもを適当に始末しろ≫


 そのジャイアントオーガは、クローデルとイリスの事を歯牙にもかけていなかった。ただ、虫けらを見るような視線をクローデルとイリスに向け、配下のオーガたちに始末を命じるだけだ。


「ははは……」


 その指示を受け、ゆっくりと包囲の輪を縮めだしたオーガの群れを見て、クローデルは乾いた絶望の笑い声を上げる。多数のオーガと、ジャイアントオーガに包囲される状態で、希望を持てというほうが無理だろう。

 だが人は、絶望の中でこそ、その真価を発揮するのだ。

 そしてクローデルも、その真価を発揮しようとしていた。


「イリス、よく聞いてくれ……」

「何だ?」


 背後に守っているイリスに、クローデルは緊張で震える声で告げる。


「今から俺がジャイアントオーガに突っ込んで、手下のオーガどもを混乱させる」

「ふむ、悪くない作戦だな」


 統率個体であるジャイアントオーガを混乱させることが出来れば、配下であるオーガ達の包囲は確実に緩むだろう。


「その隙に、イリスは逃げろ」

「ん……?」


 その包囲が緩んだその隙に、イリスだけでも逃がす。

 それが、クローデルが見せた真価――命を懸けた決断だった。


「この先、守ってあげられなくて、ごめん」

「貴様は一体何を言っているのだ?」


 ジャイアントオーガに挑むクローデルに、生還の道はない。それどころか、イリスが逃げ出せる可能性すら極小さいのが現実だ。まず間違いなく、二人ともここでオーガの餌食になるだろう。

 それでも、イリスが自分より先に死ぬことだけは、クローデルの矜持が許さなかった。


「それじゃあ、イリス――」

「おい、待て。話を聞け」


 ゆっくりと二人に迫るオーガ。それに比例して、ジャイアントオーガの周りが手薄になる。仕掛ける機は、今しかない。


「――今だ、行け!」


 そして、ジャイアントオーガに突撃すべく、覚悟を決めたクローデルが一歩踏み出した瞬間――


「待てと言っているのだ!」


 ――クローデルから見て左半分を包囲していたオーガの全てが、腰のあたりから真っ二つになり、血煙を撒き散らして地面に崩れ落ちた。


「は……?」


 あまりにも現実離れした光景に、クローデルは思わず足を止め絶句する。迫ってきたオーガどもが、いきなり真っ二つになった。何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった……。


「私の話を無視するとは、いい度胸だな……」


 シリアスな空気をどこかに置き忘れ、呆然とするクローデルを正気に戻したのは、背後から響くどこまでも冷たいイリスの声と、左の首筋に走る小さな痛みだった。

 正気に戻ると同時に、首筋に視線をやって痛みの原因を確認したクローデルは、その表情を凍り付かせる。


「……ッ!」


 クローデルの目に映ったのは、首筋に出来た小さな切り傷。そして、首筋に押し付けられている、よく研がれ冴え冴えとした光を放つむき身の刀だった。

 動けばそのまま首と胴体が泣き別れしそうな状態に身動きが取れないクローデルを、イリスは低い声で問い詰める。


「貴様、まさかあのジャイアントオーガと戦って、相打ちにでもなるつもりだったのか?」

「……そ、そうだ」


 正確には、相打ちにすら持ち込めず、一方的に抹殺されると思っていたが。

 そんなクローデルに、イリスは一瞬の沈黙を挟み、深いため息をつく。


「……まさか、ここまで来ておきながらこの程度のレベルだったとは……」


 右手に持った刀をクローデルの首筋に押し付けながら、イリスは空いた左手の指でこめかみを叩いている。何か考えているのは分かるが、首に刀を押し当てたままやらないで欲しいとクローデルは切実に思う。刀身が微かに揺れて、ちょっとずつ首筋が切れている。

 しばらく考え込んだイリスは、やがて小さくため息をつくと、クローデルの首に押し付けていた刀を離す。そして、訳が分からず固まっているクローデルの前に出た。


「仕方ない、手本を見せてやろう」


 だらりと刀をぶら下げたイリスが前に出ると、いきなり群れの半数を失い呆然としていたオーガの群れが、ようやく動きを再開する。


≪あのメスザルを殺セェェェ――――ッ!≫


 そして、ジャイアントオーガの凄まじい叫びと共に、オーガの群れがクローデルとイリスに迫る。一体何が起こったのかは分からなかったが、目の前の小さな獲物二人がただの獲物で無い事を察したようだ。先ほどまでの獲物をいたぶる動きとは違う、本気で仕留めにかかる動きだった。


「イリス!」


 まるで津波のように押し寄せるオーガの群れを見て、ようやく我に返ったクローデルが悲鳴のような叫びを上げる。このままでは、イリスが……!

 だが、クローデルの叫びなど意にも介さず、イリスはゆっくりとした歩みで自分からオーガとの距離を詰める。


「いいか、この手の人より大型の魔物を相手にする時は――」


 そして、オーガの振り下ろした棍棒が迫った瞬間――


「――まず、足を切る」


 ――目がかすむような速さでオーガの後ろに回り込んだイリスが、一太刀でその両足の筋を切り裂いた。

 目の前の獲物が消え、直後に足に激痛が走ったオーガは、訳も分からぬままその場に膝と両手を突く。筋を切られた足首から先は全く動かず、どれだけ力を込めようとただ痛みが増すだけだ。

 それでも、どうにか上体を起こしたオーガは、自分の身に何が起こったのか確認するべく背後に首を巡らせようとするが――


「そして、手頃な高さに来た首を切れ」


 ――その前に、イリスの二の太刀が、オーガの太い首筋を半ばまで切り裂いた。

 急激な血圧低下で、オーガは一瞬で意識を失い地面に倒れ込む。まだ生きてはいるが、二度と立ち上がる事はないだろう。


「え……?」


 目の前で繰り広げられた鮮やかな戦いに、クローデルは間抜けな声を漏らして目を見開く。

 オーガは、正面から相手取ろうと思えば、一般的な兵士が最低五人は必要だと言われている。クローデルも勝つことはできるが、それは魔術などの搦め手を交えての事だ。

 そんな強敵を、クローデルより頭一つ小さい少女が、刀一本であっさりと切り殺したのだ。その余りにも非現実的な光景を、信じることが出来ない。

 呆然とするクローデルをよそに、戦いは続く。

 仲間を失いさらにいきり立つオーガが、今度は三頭同時にイリスに向かって突っ込んでいく。先ほどのように、後ろに回り込むスペースはない。

 押し包むように向かってくるオーガを前にしても、イリスは顔色一つ変えない。


「複数を同時に相手取る時も、基本は同じだ」


 そして、オーガを目の前にして、トン、と軽やかに飛び上がった。

 だが、そのジャンプの高さはオーガの背丈を遥かに超えている。慌てて宙に延ばされるオーガの手や棍棒が届く高さはない。

 そのまま何事もなかったかのように鮮やかな着地を決めたイリスは、ゆっくりとした動作で振り向きながら、その刀を振るう。


「回り込んで、足を切り――」


 いきなり後ろに回り込まれたオーガは慌てて振り向こうとするが、その前に、銀色の閃光がきらめき、オーガの内一体の足の筋をズタズタにする。そして、無傷の二体が振り向き終えた時には、イリスは再びそれらの後ろに回り込み、白刃を振るう。

 それを二度繰り返した時には、三頭のオーガが、先ほどのオーガと同じように地面に膝を突いていた。


「――最後は首を切る」


 そのオーガ達の後ろから処刑人のように近づいたイリスは、淡々とした様子で刀を振るい、オーガ達の首筋を撫でるように切り裂いていった。

 三十を超えていたオーガの群れだが、最初に謎の攻撃で半数を失い、今また一方的に四体を倒された。その事に恐れをなしたのか、一部のオーガが森に向かって逃げ出し始める。


「逃走する相手の足を斬るのは、意外と難しい」


 だが、イリスはその内一体の後ろに素早く追いつき、正確無比な一突きを放つ。


「そういう時は、背後から確実に狙える致命的な内臓を狙え」


 イリスの一撃は、オーガの肝臓をえぐっていた。

 激痛のあまり、叫ぶことすら出来ないオーガは、そのまま地面にうつ伏せに倒れる。背中から溢れる血を見れば、止めを刺す必要すら無い事は明らかだった。

 オーガの背中から抜いた刀をさっと一振りし、刀身の血を払ったイリスは、オーガの大群相手にとんでもない惨劇を引き起こしているとは思えない、返り血ひとつ無い清らかな姿で、後ろで固まっているクローデルを振り返る。


「どうだ、簡単だろう?」

「いや、無理です」


 イリスの問いかけに、色々な意味で顔をひきつらせたクローデルは、首をブンブン横に振る。オーガの群れを一方的になで斬りにするのが簡単なら、人類は今頃魔物を絶滅させているだろう。とりあえず、絶対に簡単でないことだけは強く主張したい。

 クローデルとイリスがこんなやり取りをしている時点で、オーガの群れはすでにパニックに陥っていた。何しろ、ひ弱な獲物だと思っていた相手が、自分たちを一方的に駆り立てる捕食者プレデターだったのだ。捕食者と獲物の立場が完全に逆転していることを察したオーガは、生存本能に突き動かされるままにバラバラになって逃走を始めていた。

 だが、そんな中にあって、群れの統率個体であるジャイアントオーガだけは、最初に突撃の叫びをあげた後じっとその場に立ち尽くしていた。今は、逃げ出す配下のオーガを見ている。

 そして、脇をすり抜けて逃げようとする、一体のオーガに無造作に手を伸ばし――


≪ザコは死ネェェェッ!≫


 ――そのまま頭を握りつぶした。

 頭を握りつぶされ即死したオーガを、ジャイアントオーガは森の彼方に投げ捨てる。そして、逃げる足を止めて凍り付いている残りのオーガに、怒りの混じった重苦しい声を放つ。


≪貴様らに選ばせてやる、二択だ≫


 イリスに向かって、地響きとともに一歩を踏み出しながら、ジャイアントオーガは傍らのねじくれた大木を引き抜き、こん棒代わりに振り回す。

 周囲に響く、すさまじい風切り音。それと共に、ジャイアントオーガは叫ぶ。


≪ここで逃げてワシに殺されるか、ワシと共にあのメスザルを殺すかだ!≫


 その叫びで、逃げようとしていたオーガの動きが止まる。

 ボスであるジャイアントオーガの手で、仲間が一方的に殺された恐怖。そして、その恐ろしい力が今は敵に向けられているという自信が、砕け散ったオーガの戦意を蘇らせたのだ。


「…………」


 荒々しい気迫に満ちている、ジャイアントオーガとそれに率いられるオーガたち。だが、それらを前にしながらも、先ほどと違い、クローデルにそれほどの動揺はない。

 なぜなら、この後に待ち構える展開が、おおよそ理解出来てしまったからだ。

 衝撃的すぎる超限界に、最早悟りを開いたような表情を浮かべるクローデルの視線の先には、ただ面倒くさそうな、うるさそうな顔をしているイリスがいる。どうやら、ジャイアントオーガのバカでかい声を疎ましく思っているようだ。


≪ワシに続ケ―――ッ!≫


 そして、ジャイアントオーガの巨大な足が、突撃の一歩を踏みしめた瞬間――


「黙れデカブツ」


 ――筋骨隆々としたその巨体は、体の中心線に沿って真っ二つになった。


≪馬鹿、な……≫


 驚愕の呟きを残し、地響きとともに地面に崩れ落ちるジャイアントオーガの残骸。

 その前に超然とした様子で立っているのは、刀を振り切った姿勢のイリスだ。とんでもない大物を倒したというのに、その顔には何の感慨も浮かんでいない。

 さらに、イリスはもう一度、今度は横に刀を振り切る。

 その瞬間、見えない刃が空を走り、ボスであるジャイアントオーガの死に立ち尽くしている生き残りのオーガを、腰のあたりで上下に分断した。


「ですよね……」


 予想通りの結末を前に、もう驚き疲れたクローデルは、淡々とした調子でそう呟く。もうこれ以上、どんな反応をすればいいのか分からない。


「こんなものか」


 周囲のオーガを抹殺し終えたイリスは、刀についた血を懐から取り出した紙で拭った後、チン、と小さな音を立てて鞘にしまう。

 その後ろ姿を眺めながら、クローデルはぽつりと呟く。


「これ、勇者とかいらなくね?」


 森の中で出会った『聖女』と思しき少女――イリスは、魔王が実在したとしてもガチでやりあえそうな、明らかにクローデルより強い超人だった。

 そんなイリスを前にして、クローデルは自分を『勇者』に選んだ神に、己の存在意義を問いたくなるのだった。

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