パーティー結成
「次はないと思え」
刀を鞘に収める、チン、という音と、少女の口から放たれた許しの言葉に、クローデルはほっと息をついた。
誠心誠意、心を込めた土下座外交により、クローデルはどうにか少女の許しを得る事が出来たのだ。
ついでに今、クローデルは罰として、森の方を向いて湖岸の石の上に正座させられている。正直非常に足が痛いが、それなりにマズイ事を仕出かした自覚のあるクローデルは、甘んじてそれを受け入れていた。
「それで、貴様、なぜこんなところに居る?」
そんなクローデルの背後で、水に濡れた服を着替えている少女は、正座をしているクローデルの背中に虫けらを見るような目を向けながら、歯切れのいい鋭い口調で問いかける。
「狩りをしていて、道に迷ったんだ」
それに対しクローデルは、事実とは異なる答えを返した。
実際は、勇者に選ばれた後、聖剣の呪いか何かでいきなりこの場所に転移させられたというのが正解である。だが、そんな胡散臭い事を口にできるわけがなかった。その発言を客観的に見ると、自分が神から魔王討伐の神託を受けたとほざく自称勇者の痛い奴にしか見えない。もしクローデルが話を聞く側だったら、その相手から無言でそっと距離を取るだろう。
「この森で狩り……?」
クローデルの答えに、少女は非常に疑わしそうな表情を浮かべる。だが、完全に否定する材料もなかったのだろう。とりあえずは納得してくれたらしい。それ以上何か聞くこともなく、黙々と着替えて、服を乾かしていく。
それ以上聞きたいことはなかったのだろう。少女が黙り込んだことで、場は沈黙に支配される。
正座をしたクローデルは、その沈黙に落ち着かないものを感じていた。
(き、気まずい……)
何しろ、すぐ後ろで綺麗な女の子が着替えをしているのだ。緊張しないはずがない。
そんなクローデルの気持ちなど気にも留めない少女は、魔法などを使用して素早く身だしなみを整える。そして「解いて構わない」とクローデルに罰の終了を告げた。
しびれる足をゆっくりと延ばし、正座を解いて立ち上がったクローデルは、ゆっくりと少女の方に向き直る。そして改めて、目の前の少女の美しさに感嘆する。
(本当に綺麗だな……)
湖から上がって、身だしなみを整えた少女が身に着けているのは、フィリーネが纏っていたのによく似た白を基調とした巫女服だ。その生地は、薄らとした細かい刺繍が全体にほどこされ、青い布で縁取られている。髪は特に結いもせず背中に流しているが、まるで銀糸のような艶を放っていた。
そんな格好で、神秘的な湖の岸に背筋を伸ばして立つ少女の姿は、まさに聖女と呼ぶにふさわしかった。
ただ、そんな姿から浮いているものが一つある。
それは、腰に帯びた一振りの刀だった。
おそらくは護身用なのだろうが、黒塗りの鞘は見るからに実戦を想定した無骨な造りであり、装飾性皆無の代物だ。普通に考えれば、小柄な少女が腰に帯びるには相応しくない武器に思えるが、少女の凛とした立ち姿と、刃のように鋭い眼差しに、その刀は不思議とマッチしているようにクローデルには思えた。
「プティ、来い」
その時、少女が森に向かって何かを呼ぶ。
少女の呼びかけに応じて出てきたのは、一頭の精悍な馬だった。完全な成体であり、どう見ても『子供』と呼べるような外見ではない。体格はしなやかな細身であり、背中に取り付けられた鞍には、いくつもの荷物がぶら下がっている。
その鞍に手を掛けた少女は、虫けらを見る目をクローデルに向け、短い別れの言葉を告げる。
「二度と私の前に現れるな」
「ま、待ってくれ!」
そして、そのまま颯爽と馬にまたがろうとする少女の袖を、クローデルは慌てて掴む。
「……何だ?」
クローデルの呼びかけに、動きを止める少女。だが、表情こそ変わっていないが、少女の額には薄らと青筋が浮かんでおり、行動の邪魔をされて苛立っていることは一目瞭然である。
そんな迫力満点の少女の顔にビビりながらも、クローデルは平身低頭してお願いをする。
「えっと、実は、道に迷ってて。出来れば、最寄りの街まで案内してもらえないかな?」
こんな少女が一人で居るのだから、邪悪極まりない魔性の森そのものの外観とは裏腹に、人里はそれほど遠くないのだろう。だが、方向も何もわからない状況で森に進めば、そのまま遭難する可能性は十分にある。道を知っている相手がいるなら、それに案内してもらうのが一番だった。
クローデルの言葉に、少女は沈黙して考える。ただ、気のせいだろうか。クローデルにはその無表情が「面倒くさい」と言っているようにしか見えない。
(もしかしてこれ、拒否られる流れ……?)
案内を拒否された結果、森の中で遭難して餓死する未来がリアルに思い浮かび、クローデルは冷や汗を流す。せっかく転生したのに、そんなエンディングだけは御免だった。
だが、神――ではなく、少女はまだクローデルを見捨てていなかったらしい。
「……肉壁としてなら、同行して構わん」
「あ、ありがとう」
同行を許可する少女の言葉に、クローデルは顔を引きつらせながら感謝の言葉を述べる。肉壁という言葉は、きっと護衛の事なのだろうと好意的に解釈しておく事にする。まさか、文字通りという事はあるまい。
それに、クローデルと少女の出会いを客観的に見れば、クローデルは水浴びをしているところを覗きに現れた不審者と思われても仕方がない。そんな相手の同行を許してくれただけ、少女は慈悲深いとも言える。
「すぐに出るぞ、出立の用意をしろ」
すでに荷物をまとめ終えている少女に置いていかれぬように、クローデルも慌てて立ち上がる。元々準備も何もなくここに飛ばされたのだ。今の持ち物など聖剣程度である。
その時、クローデルはまだお互いに名前すら知らない事に気が付いた。街に着くまでの間だけとはいえ、一緒に行動するのだ。名前くらいは知っておくべきだろう。
「俺はクローデル・ニアフォレスト。クローデルって呼んでくれ」
そう言って、手を差し出す。
差し出された手をじっと見た少女は、一拍置いてその手を取る。そして、クローデルと同じように名前を告げる。
「イリスだ。そのままイリスと呼べばよい」
(ん……?)
そして、差し出された柔らかい少女の手を握ったクローデルは、今更ながらある事に気が付いた。
(もしかして、イリスが聖女なんじゃ……)
クローデルに与えられた神託は『勇者は聖女と出会い、聖剣によって魔王の下に導かれる』というものだ。それと照らし合わせて考えれば、どことも知れない森の中に転移させられ、そこにピンポイントで居たイリスこそ、神託で語られる『聖女』なのではないだろうか。
(まあ、いっか……)
だが、クローデルはそれ以上深く考えなかった。元々、クローデルに神託を果たすつもりなどないのだ。自分とイリスが、勇者だろうが聖女だろうが、そんなの知ったことではなかった。
こうして、クローデルとイリスの――『勇者』と『聖女』のパーティーが結成されたのだった。
「それより、クローデル――」
その時、クローデルの手を放したイリスが、チラリと視線を森に向ける。
「――アレはどうする?」
「アレ?」
イリスの視線を辿ったクローデルは、その先に待ち構えていた存在に表情を険しくする。
ねじくれた巨木の陰から現れたのは、クローデルの倍ほどの体格を誇る浅黒い肌の怪物――一般脅威度Bランクの魔物であるオーガだった。
「イリス、俺の後ろに隠れて……!」
危険な魔物の出現に、クローデルは素早く腰の聖剣を抜く。鞘から抜いた途端に魔王抹殺コールが頭の中で響き始めるが、戦いを前に集中すれば大して気にならない。
イリスを背後に置いたクローデルは、堂々とした態度で聖剣を構える。一般人では対処困難とされる一般脅威度Bランクの魔物とはいえ、クローデルの実力であれば、さして苦戦する事もなく屠れるだろう。逃げ腰になる必要はない。
(それに、イリスが見てるんだ……)
勇者になるのを拒否しているクローデルであるが、それでも男の子だ。背後に女の子を庇って戦うというシチュエーションには、それなりに高揚するものがあった。恥ずかしい姿は見せられない。
そして、クローデルがオーガに向かって足を踏み出そうとした時――
「……ッ!」
――森の奥から、二体目のオーガが現れた。
普段単独で行動する事が多いオーガが二体も現れ、クローデルは思わず足を止める。だが、難易度が一気に上がるが、二体程度なら、クローデルでもなんとか始末出来る。
そして、気を取り直したクローデルが、再び戦闘の意思を固めると――
「…………」
――三体目、四体目と後続のオーガが現れた。
クローデルは完全に足を止め、聖剣を構えたまま脂汗をダラダラと流す。その後も陸続とオーガが森から姿を現し、クローデルとイリスを湖のほとりで半円状に包囲していく。
絶望的な状況に、真っ青になるクローデル。その後ろでイリスは、のんびりとオーガの数を数えている。
「ふむ、全部で三十二体か。大隊規模の群れだな」
大隊規模の群れとは、一般的な兵士五百人以上で戦うべき存在である。間違っても、たった二人で何とかなる相手ではない。
そんな相手を見ながら、クローデルは絶望的な表情で呟く。
「終わった……」
クローデル率いる勇者パーティー。結成と同時に、全滅の危機であった。