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プロローグ

≪我こそは、瘴窟しょうくつの主にして悪魔の『王』が一柱。バアル・バフォメットなり!≫


 立ち塞がる無数の魔物を切り散らし、死にそうな思いでたどり着いた、瘴気に満ちた洞窟の最奥。

 そこに待ち構えていたのは、二対四枚の翼と、歪にねじれた双角を備える、大悪魔グレーター・デーモンだった。


≪さあ、名乗るがよい。不埒な侵入者よ!≫


 咆哮の如き叫びは、断る事を許さない、圧倒的な威圧感に満ちている。

 その叫びに、大悪魔の前に一人で立つ事を強要された少年は、己の境遇を呪いつつ、黒い地金に赤と金の筋が入った見るからに邪悪な印象の剣――『聖剣』を構えて答える。


「……クローデル・ニアフォレスト。不本意だけど、今は『勇者』をやっている」

≪ガハハハハ! そうか『勇者』か! 我が眷属の歓迎を切り抜け、よくぞここまでたどり着いた、小さき人の勇者よ!≫ 


 上機嫌な様子で笑う大悪魔。だがクローデルには、目の前に立ちふさがる、自分の中の生物に対する常識を粉砕する化け物を前に、笑う余裕など全くない。

 まるで学校の体育館のような、洞窟の中とは思えない広さと高さを持つ空間だというのに、そこが狭く思えるほどの巨体。人の胴体を軽く握り潰せそうなその両手に握られているのは、電信柱のような長さの巨大な棍棒だ。腰蓑の他に防具などは着けていないが、筋骨隆々としたその体は、並みの剣ではかすり傷すら負わせられないだろう。

 これが、道中の洞窟で遭遇した人の腰ほどの背丈しかない魔物――小悪魔レッサー・デーモンが進化した姿だというのだ。最早、生命の神秘などという言葉を遥かに飛び越えている。


(いや、本当にどんな進化の末にこうなった⁉ 進化論はどこに行った⁉)


 そんな、ダーウィンが見たら発狂するような、進化論に真っ向から喧嘩を吹っ掛ける化け物の前に一人で立つ事を強制されているのだ。思わず、遠い目をして現実逃避してしまう。

 だが、牙をむき出しにして凶悪極まりない笑みを浮かべるバフォメットには、そんな態度が余裕に見えたらしい。


≪我を前にして笑みを浮かべるとは。貴様、我が怖くはないのか?≫

「いや、普通に怖いから!」


 苛立った様子のバフォメットに、クローデルは心のそこからの叫びで答える。

 確かに、クローデルとて剣や魔法の練習はしている。だが、こんな化け物と戦えるような戦闘の達人ではない。訳が分からないままに勇者なんかになってしまったが、その正体は「命を大事に」が基本姿勢の小市民なのだ。


「けど、逃げられないんだよ」


 そう、いろいろな意味で、クローデルの退路はすでに断たれているのだ。


≪なるほど。それもまたよかろう! 望んで戦いに臨むのではなくとも、恐怖をこらえ、我の前に立つその心もまた『勇者』の証と言えようぞ!≫

「それ、全然うれしくないし……」


 あっという間に機嫌を直し、何かよく分からない誤解をしているバフォメットの言葉に、クローデルはボソリとした呟きを返す。もし本当に、クローデルに恐怖をこらえる心があるなら、むしろさっさとここから逃げ出している。

 そんなクローデルの本心をよそに、勝手にヒートアップしているバフォメットが、ついに死刑宣告を下してくる。


≪さあ、最早語る事もあるまい。言い残した事があるならば、それは剣をもって語るがよい!≫


 そして、ついに戦端が開かれようとしたその時――


「流石に、貴様に任せるのは荷が勝ち過ぎるか……」


 ――どこからか、落ち着いた、感情を感じさせない少女の声が聞こえてきた。

 同時にクローデルは『背後から感じていた重圧』が、ふっと消えるのを感じる。


≪いざ、尋常に勝――≫

「すでに語りすぎているぞ、小者」


 そして、次の瞬間、冷徹な声とともに小さな銀色の光が煌めくと、バフォメットの首筋から真っ赤な血が噴き出した。


≪――ッ⁉≫


 突然の激痛と大量の出血に見舞われたバフォメットは、棍棒を取り落とし、ガクリとその場に膝をつく。一瞬前まで戦いに対する愉悦に満ちていたその顔には、驚愕だけが浮かんでいる。


≪な、何が……?≫


 傷口を押さえながら、バフォメットは己の身に何が起こったのかと周囲に視線を巡らせる。


「どこを見ている?」


 その時、バフォメットのすぐ足元から、先程と同じ冷たい声が響いた。


「私はここだぞ」


 そこにいたのは、瘴気に満ちた洞窟の中にあっても輝きを失わない純白の法衣を身にまとい、一振りの刀を手にした、美しい少女だった。

 年のころは十代半ば。背中の半ばまで伸びる髪は星々のきらめきのような銀色の光を宿し、瞳はどこまでも深い闇色に染まっている。整った輪郭には、どこか刃のような鋭さが宿っており、それが玲瓏とした美しさにつながっていた。

 その刀の切っ先に僅かに残った赤い血の雫を見て、バフォメットは己に奇襲を仕掛けたのが目の前の華奢な少女だと悟る。


≪貴様……!≫


 戦いを前にして高揚していたところに突然横槍を入れられ、しかも軽くはない手傷を負わされたバフォメットは、少女に対し憤怒の籠った視線を向け叫ぶ。


≪果し合いに横槍を入れるとは、なんという無礼! 魂すら残さないほど、木端微塵にしてくれる!≫


 そして、バフォメットは巨大な拳を振り上げ、少女を粉砕せんと力の限り降り下ろす。

 洞窟全体を揺らすような、凄まじい力の込められた一撃。その衝撃でよろめいたクローデルの目には、土煙の向こうから、砕けた岩だけでなく、肉片のような何かが飛び散るのが見えた。


「……ッ!」


 それを見て、クローデルの表情が強張る。信じがたい事だが、もし少女が敗れるような事があれば、クローデルに生還の道はない。それに、彼女とはそれなりの時間を共に過ごしているのだ。そんな相手がミンチになればいいなどとは、クローデルには思えなかった。

 だが、その心配は杞憂だった。


≪我の、腕が……ッ!≫


 土煙が晴れた先に見えたのは、腕を振り下ろした前傾姿勢のまま呆然としているバフォメットの姿だった。

 振り下ろした腕には、至る所に赤い筋――切り刻まれた跡が走り、腕を動かすのに必要な全ての筋が断ち切られている。手首から先はさらに酷く、まるでソーセージか何かのように、全ての指が切り落とされていた。先ほど飛び散った肉片のようなものは、きっと指の残骸だろう。

 さらに、バフォメットの巨体を支える巨木の如き足がガクリと力を失い、強制的に地面に膝を地面に突かされた。見れば、両膝の裏に深い刀傷が刻まれて、赤い血が流れ出している。


「だから、語りすぎだと言っているのだ」


 バフォメットが認識出来ないような速さで一連の攻撃を仕掛けた少女は、いつの間にかバフォメットの正面に戻っていた。


「口舌の徒が、戦士を名乗るな」

≪ぐ……! 貴様のような小娘に、このバフォメットが敗れるなど……ッ!≫

「黙れ」


 瞬間、数多の銀色の閃光が煌めく。

 気がつけば、バフォメットは全身を切り刻まれ、強制的に地面に這いつくばっていた。


≪ば、馬鹿な……!≫


 もはや指一動かせなくなったバフォメットは、地に伏せたまま呆然とした様子で呟く。これまでその武を持って、多くの戦士や騎士、そしてライバルの悪魔と戦い、勝利してきたバフォメットには、名乗りも交わしていない相手に一方的に屠られる今の状況が現実とは思えなかった。

 その時、バフォメットの耳に、小さな靴音が聞こえた。残された片目に映ったのは、己の首元で手にした刀を大上段に構える少女の姿だった。それが振り下ろされた瞬間、バフォメットの首と胴は泣き別れする事になるだろう。再会の機会は、ない。


≪……貴女は、我とは比べ物にならない武の高みにおられるようだ。どうか、冥途の土産にその名をお教えいただけないだろうか?≫


 最期を悟ったバフォメットは、逆に穏やかな気持ちで少女に問いかける。圧倒的な武の高みに居る相手に敗れたのだ。ここまで差を見せつけられれば、最早悔悟の念すら浮かばなかった。

 その問いかけに、少女は表情を変えずに答える。


「……イリスだ。『勇者』の伴として『聖女』の称号を得ている」

≪『聖女』イリス。貴女の武の道に、栄光があらんことを≫


 直後、少女――イリスの構えていた刀が振り下ろされ、バフォメットの巨大な首が宙を舞った。

 こうして、周辺地域をパニックに陥れた師団級大悪魔バフォメットは、その配下の魔物ともども討伐されたのだった――




 ――その返り血を盛大に浴びながら、戦いの間、聖剣を構えて立つだけだった『勇者』クローデルは、これまでに何度も繰り返した言葉を小さく口にする。


「これ、勇者とか要らなくね……?」


『聖剣』に選ばれた『転生勇者』という、テンプレてんこ盛りな存在であるクローデルは、勇者より強い『聖女』という現実を前に、己の存在意義を神に問いたくなるのだった。

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