第9殺人『ナイフの欠片』
『ミノタウロス』
洞窟や迷宮など薄暗い、気温の低い環境でしか生息Lv3の魔獣。
群れは作らず、単独で獲物を狩る極めて稀少な習性を持つ魔獣。他の魔獣と違うところと言えば、その人間の様な胴体と手足。二足歩行で歩く様はまさに人間。凄まじい筋力と高い知性を持つため、単身で戦うのは愚策。数人の仲間と協力し攻めていくのが一般的な攻略法。
非常に繊細なため自分より弱い魔獣を殺して捕食するが、人間だけは食べることをしない。
ーーーーーーーーーーの、はずだった。
「なんで、なんで……こんなとこに……」
マルコの震える声がやけに鮮明に聞こえる。
教会の中央で村人を喰らう魔の怪物の影に視線が集められ、トニーを含め班員全員が今目にしている異様な光景には目を疑った。一人けろっとした顔で怪物を観察する青年を余所に、トニーは息を殺すように後ろに一歩ずつ下がっていく。
ミノタウロスは人が密集する場所、つまり村や集落には近づかない習性がある、ハズ。
「ーーーーーーーーーーーーぁ」
だが今目の前で村人の遺体を頬張る影は明らかにミノタウロス。
頭部は牛、胴体や手足は人間、その姿は本や資料などで何度も目に通したことがある。冒険者として危険な魔獣は把握し、生態を理解しておく必要がある。その危険な魔獣の中でも、絶対に敵に回してはいけない生物の一つがーーーーーーミノタウロスだ。
こんな所にミノタウロスがいるはずもない、そんな常識に囚われたままのトニーは足の震えを無理やり抑えるように下唇
噛み切り、痛みで恐怖を抑制した。マルコとビビアナは恐怖のあまり声が出ないのか、真っ青な顔を並べて後ろに後ずさりしている。アリスとアデリーナはやや
「なぁ………トニ………ん?」
「あれ、アケチはどこいった…!?」
この非常事態に何をしているのだと心の中で愚痴りながらマルコは周囲を見渡す。
アリス達も異変に気付き、アーノルドも何か妙な物音にいち早く勘づいた。教会中央にある異変。
アリスはそのアーノルドの仮面を見つめ、何か違和感を覚える。雰囲気でなんとなく、アーノルドが驚いているということは仮面越しでもわかってしまった。
アーノルドの視線の先、教会の中央に視線を集中させ、目を凝らす。その信じられない光景に、アリスは大きく口を開け、叫びを上げた。
「み、みみ、ミズキ!?」
「「「は!?」」」
信じられない光景ーーーーーーーーーアケチミズキがミノタウロスめがけて猛進していた。
教会の石板の床を強く蹴り上げ、怪物3体目掛けて全力前進。
止まる気配のない勢いで徐々に怪物に猪突猛進、馬鹿正直に突っ込んでいく。
「はは♪この子らって殺しちゃっていーの?」
「待てアケチッッ!!」
トニーの必死の忠告にも耳を傾けず、青年は床を蹴り、高く空中に跳ね上がる。
ポケットから取り出したナイフを器用に持ち変え小さな一閃を怪物に降り下ろす。
「ぽぎゃ!!」
「ッッーーーーーー!!」
固く重い一撃が空中に跳んでいる青年を叩き落とした。
それと同時に鈍い音が青年の身体から漏れ出すし、青年の口から赤い血が吐血する。
あまりの衝撃に石床が粉砕され、石の破片が背中に突き刺さるのを感じる。
周りは力無く倒れる青年に心配と不安の眼差しを向けるが、青年の笑顔は未だに崩れない。
「いたいいたい……」
痛みの強い箇所、横腹付近を右手で触れ、あばら骨が折れていることを確認する。
震える足で立ち上がろうとする青年だが、その動作も一瞬で破れてしまう。
ーーーーパキッ。
教会内に響き渡る透き通った音が聴覚を刺激する。
この音は明らかに骨が折れる音だと認識される。
何故この音がしたのか、それはミノタウロスの大きく重い拳が青年の右肩を下敷きにしていた。
「ぁが……あぁぁぁ………肩が…………」
「ミズキッッ!!」
「アケチッッーーーーー!」
青年の元へ走るトニー達だが、ミノタウロスがこちらに気付き勇ましい咆哮を叫ぶ。凄まじい威圧感と迫力に班員は気圧され足を止めてしまう。だが、アリスは負けじと震える足を前に出す。
「ミズキ………早く……助けなきゃ……!!」
「アリス!!ミノタウロス3体もいるんだ!!迂闊に近付くな!!」
少女の足は震えるばかりで、一向に前に進もうとしない。
助けようと、彼を想う気持ちはあるのだろうが、体は気持ちに
付いていかないのだろう。
「撤退だ!!」
「!!」
思いもしないトニーの発言に、アリスとマルコは顔を強張らせる。
一方で、アデリーナとビビアナとアーノルドは口を閉じ、全てを
わかっている様子で沈黙を続けている。
「ちょっと、待って、何言ってるの?ミズキが……ミズキがまだ……」
「班長命令だ」
「ッッ!!……アデリーナ!アーノルド!…ビビアナ!!……マルコも何か言ってよ!!」
「……………」
アリスは震えた声で周りにトニーの撤退の案を訴えを呼び掛ける。
だが、アーノルドもアデリーナもビビアナもマルコも俯き、言葉を伏せる。
「なんで………なんで皆………」
「早く逃げるぞ。この村から一旦離れる。レグリス王国に戻って援軍要請を…」
「仲間を…友達を……ミズキを置いてくなんて出来ないよ!!」
「撤退が最優先だ!冒険者は仲良しこよしでやっていけるわけじゃないんだ!!」
「冒険者なのを!!仲間を見捨てる理由にしないで!!」
少女の悲痛の叫びが、トニーの、いや班員全員の心を蝕んだ。
誰も見捨てるのを望んではいない。誰もこんな決断を下したくない。
そんなの、誰だって分かりきっている。こんなこと……苦しくないわけかない。
だが班を預かった身のトニーには責任という名の重圧が重なっていた。
青年を助けたことで班が全滅………なんてことになるのは絶対に避けなければならない。
皆…トニーの気持ちなど等にわかっていたはずなのに。少女は叫ばずにはいられなかった。
「仲間を見捨てるなんて………そんなの嫌だ!!」
「そうだよ!!トニーきゅんの薄情者ぉ♪このハゲ!!」
「ハゲじゃねぇ!坊主だ!!悪口はやめろ!!」
「そーだそーだ!悪口はよくないぞー」
「悪口なんて言ってないでしょ!!」
「そうだ!言ってないぞー」
「「………あ?」」
先ほどから言い争いに割り込んでくる謎の声に気がつくアリスとトニー。
背後で囁いているのを感じ、後ろを振り向くと、見覚えのある
顔がこちら側を笑顔で眺めている。
「…………あ?」
「あ?じゃねぇよ!!」
いつもの青年の姿がそこにはあった。
マルコのツッコミが炸裂し、青年は驚愕の表示で驚いた仕草をする。
「なんでお前がここにいんだよ!?ミノタウロスに叩き落とされたろ!?」
先ほど、怪物に叩き落とされた挙げ句、肩の骨が折られ、重症だったはず。
なぜそんな余裕の笑みを浮かべ、我々のもとに居るのか……………
マルコは少々キレ気味で青年に問いただした。
「叩き落とされたっちゃー、落とされたけど…動けないなんて言ってないよ?」
「でも………右肩……骨……」
「あぁ、折られる直前に肩の骨を外したんだよ。だから牛ちゃんが殴ったのは筋肉♪」
「でも……あの音は!?凄い音でパキッて…」
パキッ
「この音?」
「お……お前いまのどうやった!?」
「普通に声で真似ただけだよ?」
そして青年はそう言うと、またも同じ音を発した。
どや顔でこちらを眺める青年に多少イラつきながらも、アリスや班員は
どこか安心したように安堵な顔つきになっている。
「もう、なんでもありだな……お前」
「でも……ミズキ………よかった…」
「あはは、心配かけてゴメンね♪」
笑みを絶やすことなく謝罪する青年だが、横を振り向くと
その瞬間、ミノタウロスの拳がトニーの顔面を殴りつけた。
盛大に吹っ飛んだトニーは、壁に叩きつけられた。
「ぐはっ……!!」
トニーの体から出た鈍い音が、教会に響いた。
「トニーッッ!!」
「ブルォォォォォオ!!!!!」
ミノタウロスの雄叫び。仲間の叫び。
上限関係を突き付けられたかのような無力感。
「………ぐぁ…いってぇぇ……」
「ブルゥゥゥゥゥゥ!!」
顔を押さえながらも、なんとか立ち上がったトニー。
鼻の骨が折れている
だが他のニ体のミノタウロスもこっちへ向かってくるをいち早く察知し
トニーは次の作戦を練るべく思考を凝らす。
この最悪の窮地を乗り越え、逆転する唯一無二の選択肢。
それを導き出すには局面を見渡す広い視野と、どんな状況にも対処し
冷静な判断を下せる冷静さと経験。それら全てを兼ね備えていなければ
ならない。その資質をーーーーーーーートニー・ディーンは持っている。
「班員!!散開ーーーーーーーッッ!!」
「!!」
トニーの予想外の命令に、班員の動きが止まる。
だが青年だけは面白そうに眺めており、トニーは打撲した頭を
押さえながら大声で班員に作戦内容を伝える。
「この状況は危険だ!!一旦、この班を3つに分けて、東側、西側、教会側に別れて、ミノタウロスを討つ!!西側はアリス、アケチ、マルコの3人!東側は俺とアデリーナがやる!教会側はビビアナとアーノルドだ!」
「全員!!散れーーーーーーーーーッッッ!!!」
その合図と共に、全員が別方向に一斉に走り出した。
誰も何も言わなかったのは、不満や異論がなかったからではない。誰もがこんな無茶な提案、反対するに決まっている。
Lv3の魔獣は普通パーティーが何組も編成して討伐するものだ。なのにLv1が6人、Lv2が1人。どう考えても戦力不足。
こんな状況下、たとえ奇跡が起きても覆りやしない。だが、異論を叫んでいる暇などない。ミノタウロスの魔の手が刻一刻と迫っている。一瞬の躊躇いが命取りとなるこの状況で、誰も言葉を放つ者などいなかった。
そしてーーーーーーーーーーーーアケチ・ミズキ達は教会から出た。
そして村の西側へと走った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おおおおおおお♪追いかけてきてる♪」
後ろを振り返ると、牛の怪物が走ってくるのが見える。
青年はイタリアの闘牛に追いかけられてるような気分に浸りながら
少し早めに走っていた。
「振り返んな!走れッ!」
ーーーーガシッ。
何かに掴まれたような音がマルコの右手から聞こえた。
青年とアリスは恐る恐る振り返ると、ミノタウロスの巨大な手が、マルコの右手を引っ張っていた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「あははははは♪マルコちゃん♪後ろ後ろ♪」
「あ?んだよ二人して……………………ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
次の瞬間、ミノタウロスによって捕らえられたマルコは、地面から引き離され、宙を舞った。断末魔にも似た悲鳴が空から降ってくる。青年は、そのマルコを救出するべく、化け物染みた跳躍力で、3m以上あるハズのミノタウロスの頭部まで、跳ね上がった。
「うちの子にーーーーーなにしてんのぉ!!!」
「ブルォォッッ!!」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえッッーーーーー!?」
空中だというのに、まぁ見事なビンタ。
自分より倍はある怪物を、青年は常識と共に吹っ飛ばした。
そのウソのような光景を目の当たりにしたアリスは大口を開け、悲鳴を上げた。
地面を転がるミノタウロスを横目に、青年は肩に付いた砂ぼこりを手で払う。
「ぶっちゃけると、三匹まとめて相手してもよかったんだけどねぇ♪」
ミノタウロスの後頭部
「ラァ!!受け取れ!」
「サンキューの極み♪」
青年は小刀を器用にキャッチし…
「あーあ、あのナイフ。けっこう気に入ってたのに………どう責任取ってくれんの?」
「ッッッ!!」
ーーーーーーーーーーーまただ。
この感覚……"恐怖"と呼ばれる感情。
彼のいつもの余裕。それが恐怖の根源だ。
なぜ青年は過酷な状況に立たされると、ああも楽しそうに笑えるのか……
はっきり言って"得体が知れない"。全てが謎で、不思議なくらいに強い。
そしてーーーーーーーーーーーーーー彼が負けるところなど、想像できない!!
青年は独特の構えで、怪牛ミノタウロスと対峙する。
「殺人鬼なめんな」
殺人鬼vsミノタウロス、開幕。