008
※ちょっと遅れました。
明らかに代金が足りていない事態は、シバターをかえって冷静にさせた。
はじめは初体験という浮ついた気持ちがあって、その後は自分のミスで次々と問題が起きた。しかも、ミスは少女を倒してしまったことから始まりアバターによる個人情報漏洩まで及び、右も左もわからないシバターには解決案が1つ思い浮かべば良いほうだった。
はじまりからここまで、そしてこれからもゲームが継続できそうであるのも、案内をかってでてくれた親切なリコリスのおかげなのは明らかだ。この世界での歩き方を知らない初心者に問題に逐一解決案を提案してくれたのだから。
シバターは選んでここに来た。導かれるままにここに来た。
問題が解決した安心感が先たってここまでやってきた。
では、これからもこのままでいいのだろうか?
リコリスの親切な(ときに丁寧すぎるとも言える)導きに従っているだけで良いのだろうか?それは『楽しい』のだろうか?
「ね、ナオちゃんこの価格は、」「リコリスさん」
シバターはリコリスの言葉を途中で塞ぐ。ちょっと驚いた顔のリコリスと目があい、シバターは首を横に振った。確かに目的はある。けれど、それだけのためにゲームを始めたわけではないし、もちろん赤ん坊のようにガイドに身を任せたかったわけでもないだろう?
シバターは自問自答しながら、もう答えがでていることだと苦笑した。
そんなゲームは楽しくない、と。
「自分が話します」リコリスに言ってから視線を前に向けた。「ナオさん、価格についてなのですが、ちょっと良いでしょうか」
「ふゥん?聞きましョ」
ナオはひげをピンと伸ばして、シバターの出方を伺う。
「私が譲っていただくのに、こういっては失礼でしょうけれど――適切な価格ではないように思います」
総断言すると、ナオの目が細められる。それは不愉快さに眉を潜めたように見えた。しかしシバターは言葉を撤回するつもりはなかった。言ったからには、根拠があった。
今、シバターがわかる価格のサンプルはクレープの15マルということ。6,450マルはクレープを430回食べれるほどの金銭価値に相当する。これだと価格のイメージを掴みにくいので、日本円に直して考えてみる。クレープの平均的な価格は450円程度。そうすると1マルは30円。つまり、193,500円。
シバターが購入しようとしている変装のアイテムは数にして5点。ただしどれ一つとってもリコリスの鎧の風情と異なり、戦士や魔法使いが使うようなものではなく、それこそ現実の町でも購入できそうなラインナップだ。うまくしたらファストファッションの店でも購入できそうなこれらのアイテムがそこまで高額とはとても思えない。つまり、ふっかけられているのではないか。
「なら、アナタはどれくらいが妥当だと思うのかしらァ?」
ナオは前に出ようとしたリコリスを視線で制して、そういった。
「そうですね……」シバターは1マル30円の金額を元に、試算する。
フライキャップとメガネがそれぞれ340マル(約10,000円)、女性物のチュニックとブーツが170マル(約5000円)、モモヒキは17マル(約500円)程度だとあたりを付ける。女性物の服を安く見積もってしまうのは日本のファッション業界の影響があるかもしれないが、それでも1,500マルは超えないと検討をつけた。
ただ、シバターの懐には持ち合わせはない。
故に、交渉が必要だった。シバターは価格としては試算してピッタリの価格をいって、更に中古であることを考慮した。
「1,000マル……そこから半額の500前後が適正な価格ではないでしょうか?」それでも金額としては足りないのだが、と内心で付け加える。
「ソレを本気で言っているの?その価格で『欲しい』っておもってるの?」
ナオは唸るような低い声で訊いてくる。
シバターは威嚇されていると感じた。不愉快さが超え、ナオは怒っている。
どうにか交渉の余地がないかと、ナオを探る。だが猫の目はそういった話題を挟ませない凄みがあった。
「え、ああ、はい。もし、よければもう少し割り引いていただければ嬉しいですね」
なんとか言いたいことだけは言ってやったぞ。シバターは背中に冷たい汗が通った気がしていた。
シバターにとって変装は死活問題だった。変装ができなければアバターの再クリエイトが必要になる。
ここで変装用の装備を手に入れれない場合、正規価格で同じような装備品が必要になる。そのお金を稼ぐためには変装無しで人目につかないような方法でないと身元が分かってしまう……そうなれば作り直ししたほうがいい、という天秤に傾く。ここで割引してもらって、手持ちの金額で購入できるのであれば、もちろん欲しかった。シバターの返事に、ナオはふん、と鼻を鳴らす。
「……なら」
ナオがつぶやくと、シバターの前には新しいウィンドウが表示される。
ただ、表示は先刻とは少し違っていた。
『ギルド職員のナオに、複数の装備品(6,450マル)の貸付が受け付けられました。
よろしいですか?
(はい) (いいえ)』
「これは…?貸出ということですか?」
「ッ、ナオちゃん!?」「どうなの?」
リコリスは慌てて声を上げるが、ナオは再び視線だけリコリスに向け、結局リコリスは言葉を飲み込んで困ったような表情を浮かべながら少年と猫の顔を交互に見るだけにとどまった。
シバターはそんな二人のやり取りに首をかしげる。だが、お金がないところに降って湧いた提案だ。シバターは(はい)を選択する。
だが、選択する前にナオの表情、リコリスの挙動が何を示すかもっと考えるべきだったのだ。選び終わってすぐに通告とも言えるウィンドウが表示される。
『ギルド職員のナオから6,450マルを借り入れました。
返済期限は10日後です。返済期限を過ぎると1%の利子が追加されます。』
それは借金をしたことを知らせる内容だった。シバターには一瞬意味がわからずに「えっ、」と言葉を漏らして固まってしまった。その姿をみてナオは不愉快さを隠しもせずに告げた。
「この価格を適正どころか、破格だと思うわ。だから、私はアナタにこの価格で『貸付』するの。ちゃんと働いて、装備ってもののありがたさを感じて、返しなさい」
間延びしていない口調のナオの声は低く、唸るような響きを残している。
「教えてちゃんは許せるだけどォ、クレクレは嫌いなのよねェ」
ニッコリとシバターに笑って見せたナオは踵を返して試着室から去っていってしまった。
「私は、やりすぎたのでしょうか」
「そう、ね。どちらかと言えば、ちょっとした掛け違い、かしら」
リコリスは先ほどと同じように困ったような表情を少しだけ微笑みを交えた。そしてシバターが被っている貸付られた装備品の一つ、猫のフライトキャップに触れた。
「この帽子、どうやってナオちゃんが手に入れたと思う?」
「帽子、ですか。お店で購入するか、あとは作ってもらう、とかじゃないでしょうか」
シバターの無難な回答にリコリスは帽子を透かして思い出をみながら笑った。
「そうね。この帽子は私も知っててね。ナオが作った帽子なの。ここのもふもふ毛皮は山雪熊のものを使っているの」
「やまゆきくま?白くまじゃないんですか?」
「ちょっと変わったクマなんだけどね。暖かいでしょ?」
「はい、ちょっと汗をかきそうなほどですよ」
そう感想をいったシバターにリコリスは肩を叩いた。
「ま、そういう帽子とか装備なんだよね。ナオちゃんは結構レベルの高い冒険者で、結構新人冒険者にアドバイスを良くしてくれているんだ。ナオちゃんは服を集めるのが趣味みたいで、ほら衣装もちなところ見たでしょう?高レベル冒険者の要らなくなった装備はタダで貰えるもんだと思っている新人が結構いてね。そういうタダでクレって言ってくる人を『クレクレ』ってネットゲームでは通称されてるかな」
「そんな、私はタダで貰いたいと言ってるわけでは」
ちゃんとお金を払う意志がある自分と一緒にされるのがイヤだった。シバターは顔を顰めて反論する。だが、リコリスは苦笑いを浮かべた。
「シバターさんはそうだったんだろうけどね。あれだけ値切ったら、やっぱりいい気持ちはしないんじゃないかな。ナオちゃんからしたら良心的な価格、だったわけなんだから」
リコリスの『良心的』ということにはどこか納得がいかなくて、シバターは顔をそむけて肯定はしない。また、肯定できない別の理由もあったのだから。「……、どっちみち、お金足りませんし」
「それなら、ソレこそ『貸してください』って言えばよかったのよ」
シバターは言うべき言葉も出てこずに、リコリスの方を振り返った。「貸付じゃなくて貸出だってできるんだから」そういって肩をすくめる。
「……今から謝れば、貸していただけますか?」
「無理じゃないかしら。ま、とりあえず装備は整ったし、金策のために依頼を受けに行きましょうか」
リコリスはあっさり言い切ると、シバターの背中を手のひらで強く叩き、先に歩き出してしまった。
シバターはもやもやした気持ちを抱えたまま、その後ろについていくのだった。